Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

代表ウィークでJ1の試合は1週お休みでしたが、女子W杯はあるわ、高くん出場のトゥーロン国際はあるわ、J3は中断なしだわ、でサッカー観戦で忙しい日々でありました。(日本代表戦は久保久保久保ってもう実況アナウンサーがうるさくて、しかも試合がつまらなくて、途中で見るのをやめちゃいました)
そして昨日は、中断明けのアウェイジュビロ磐田戦。小野瀬選手が怪我で離脱。右ウィングには当然米倉選手が入ると思っていたら、あれれ? 福田(以下敬称抜きでいきます)が右にまわって、左に中村! そうきましたか、と思うと同時に、一抹の不安が。ウィングの両サイドともが経験浅く、若い2人で大丈夫なのか……。そしてその不安はやっぱり的中してしまうのです。
前半のスタッツを見たところ、ジュビロの攻撃はなんと60%以上がガンバ側の右サイド、つまり福田のところが狙われていて、しかもジュビロの松本とばちばちやりあうものの、やっぱり負けていました。危ないシーンの半分は福田のところからで、あとの半分はヨングォンの動きのあやしさから。ヨングォン、怪我か体調不良? 足がもつれているんですけれど。キャーーー、アブナーーーイというシーンのときも、もっさり後ろに構えていて、動きがあやしい。よって、攻撃を跳ね返していたのは、ひたすら三浦、ときどき矢島と高尾。前半終わったときに「この試合のMOMは三浦!」と決定してしまいましたよ。
後半に入っても一進一退。前半は押し込まれるばかりだった福田も、ジュビロの選手たちの足が止まってくるにつれて勢いよく駆け上がるシーンも出てきて、反対に前半にいい感じで攻め上がっていた高江が消えてくると、交代出場したのがヤットさん。ずっとジュビロに押し込まれてセカンドが拾えないガンバだったので、ヤットさんも交代してしばらくはDFブロックに吸収されて、効果的な働きができなかったのですが、さすがのヤットさん、矢島とはちがったキラーラストパスを出すのですよ。
でも、それを決められないFW陣。っていうかウィジョ。ウィジョ、もう心もからだもMLSなんでしょうか? Hello, how are you ウィジョ?  Sorry, I'm not fine today.という英会話みたいなキレのなさ。
あの〜あの〜〜あの〜〜〜いやね、そういうこと推測するの悪いかなと思うんですけれど、もしかして代表戦に力を発揮するためにリーグ戦では力を温存している?>ウィジョとヨングォン。

引き分けでまたガンバは降格圏におちました。あああ、得点シーンが見たいわー! 

そしてトゥーロン国際で、はじめて決勝に進出し、8回の優勝経験を誇り、圧倒的な強さで勝ち上がってきたブラジルと決勝戦で戦ったオリンピック世代のU22日本代表。このチーム、ほんとにいいチームになったと思います。試合を重ねるごとに選手全員の意思が統一されていって、チームとしてのまとまりがどんどんよくなっていきました。誰か突出して上手い選手がいるわけじゃないのが良かったのかもしれません。
惜しくもPK戦でブラジルに屈してしまいましたが、旗手選手は責められない。(でも旗手選手、拙訳書「PK」(ベン・リトルトン著カンゼン刊)では、PKを蹴るとき、決してGKから目をそらしてはいけない、と書かれていますよ。目をつぶってイメージをしたんだろうけれど、あれが惜しまれます) それよりも、今大会15得点無失点のブラジルに、1−1で引き分けたことをおおいに称えたいです。小川選手のゴールのときには、深夜にもかかわらず、大声で「やったー!」と叫んで飛び上がってしまいましたよ。

我らがガンバの高宇洋選手、通称ヤンくんは、グループリーグ1戦、準決勝、決勝と3戦にボランチとしてフル出場。準決勝のメキシコ戦では後ろでバランスをとることが多かったけれど、きのうのブラジル戦ではお得意の(ですよね?)ボールを穫るプレーからの速攻の演出、つなぎやちらし、そして何よりも楔のパスをびしばし入れていて、もうね、おばさんは目頭が熱くなってしまいました。「川崎の田中碧くんには置いていかれてしまった感じがするのですが」みたいなことを大会前に言っていましたが、いえいえ、決勝戦ではブラジルを上回る最強ボランチコンビでしたよ。チームのヤンくんへの信頼感も、試合を重ねるごとに高まっていったことが見て取れました。
この大会を通じて、選手たちは大きく成長したと思うし、自分たちがこれからどういうサッカー選手になっていくのかイメージがつかめたんじゃないかと思います。もちろん、ヤンくんもそう。ガンバに帰ってきてから、この大会でつかんだものを大きく花開かせていってください。 

友人の92歳になるお母さんが、84歳で夫(友人の父)を亡くしたあともかたくなに娘との同居も施設に入ることも拒み、いまもひとり暮らしをしている、という話を聞きました。友人は「『長年夢見てきたひとり暮らしがやっと実現したのよ。何が悲しくてまた人に気を使って暮らさなくちゃいけないの。晩年はひとりで気ままに生活したいわよ』と母は言い張るのよ」と嘆きます。「年寄りのひとり暮らしはすごく心配。本当に頑固なんだから」と友人はブツブツいうのですが、それを聞いた私は思わず「お母さんえらい!! その気持ちすごーーーくよくわかる!! お母さんの好きなようにさせてあげて!!」と叫んでしまいました。
お母さんは、夫の身体機能が衰え、自分一人で夫の面倒を見るのがむずかしくなったと判断するや、娘たちに相談なしで夫を施設に入居させたそうです。そのときも友人は怒っていました。
「事後報告なのよ。お父さんは○○という施設に入ったから、たまにでいいから顔でも出してあげて、とかいきなり言われて、子どもたちにも相談しないでいったいどういうこと? って半分喧嘩みたいになっちゃって」
 それから2年ほどでお父さんは亡くなられたのですが、その2年間にお母さんは外部の業者を頼んで最低限必要なものだけ残して家財を大々的に整理し、老人が安心してひとり暮らしができるようにと家を大々的にリフォームしたとか。もちろんリフォームに関しても娘たちにいっさい相談なし。「お父さんを自宅で介護するという選択肢はお母さんにはなかったのよね。家をほぼワンルームにしてしまったんだから」と友人はまた嘆いていたのですが、私はそのときも「あっぱれ! お母さん!」とたたえました。
 私はそのお母さんに会ったこともあるのですが、よく言えばしっかりして自立心が旺盛、決して群れず、我が道を行くタイプ。別の見方をすれば、気位が高く、とっつきにくく、ちょっと冷たい印象を与えるほどで、たとえ家族でも一緒に暮らすのはなかなか骨が折れるだろうなあと思わせる女性でした。子供たちは全員大学卒業と同時に家を出て独立。1年に1回、顔を合わせてその年にあったことを報告するくらいの接触しかなかったとか。
 世間の物差しではかれば、冷たい家族関係ということになるでしょうが、私には親子であっても、夫婦であっても、距離を置く、というお母さんの姿勢はあっぱれと思えるのです。友人は「孫の子育てについても、こちらからお願いしますと頼まないと何もやってくれないし、遊びにいきたいとせがまないと実家に呼んでもくれない。冷たい」と嘆きつつも、反面、自分たちの生活にいっさい踏み込んでこない、実家のことを手伝ってくれと頼まれることもない、ということでほっとしているとも言います。
 私にはとてもお母さんのまねはできないけれど、家族であっても(家族だからこそ)大人と大人の関係を貫くということは見習いたいと思うのです。 踏み込んではいけないところには踏み込まない。孤独を恐れない。どう生きていくか、どこでどのように死ぬかということは、できるかぎり自分で決める。まわりに相談はしても、判断をあおがない。晩年こそ、そういう潔い生き方をしたいです。

さて、心の残る青春映画、2000年からの5本をあげます。2001年、私は47歳でした。世界を大きく変えてしまった9.11は、私自身や家族たちの生き方にも大きな影響を与えました。それがなんだったのか、という検証はまだすんでいませんが、具体的には夫も私も仕事に大きな(マイナスの)影響があったし、娘たちが就職するときの選択肢にも影響しました。
20歳過ぎた大学生の娘とは、そのころよく一緒に映画や芝居を見たり、本やCDを交換したりしていましたが、ここで紹介する映画のうち3本は娘からの推薦です。

1)「ゴースト・ワールド」2001年
恵比寿ガーデンシネマで娘と一緒に観賞。同年代の少女二人が主人公だったためか、それとも少女のうちの1人、ソーラ・バーチ演じる少女のファッションが娘の趣味にずばっとはまったためか、娘はその後この映画を友人と見に行ってあまりに話が盛り上がったので、その後またいろいろと確認のために1人で見にいったそうです。
1980年生まれの長女は、90年代の女子高生ブームのときに女子高生でした。パンツが見えそうな短いスカートにルーズソックス、茶髪、ピアスあけまくり、もちろん化粧もしていました。(どんどん過激になる娘にはらはらいらいらしながらも、それならと対抗して私もやってみました。思い切って金髪に近い茶髪にし、ピアスを開けて、派手なファッションに挑戦し、ついに娘たちに「ママ、もうやめて〜〜〜。私もやめるから」と言わせるのに成功したわけです)
大学生になるとコギャルは卒業したものの、当時流行ったお嬢様ルックにはまったく乗れず、かといって好きなパンク・ファッションに走ることもできず、どのあたりに焦点を定めるかを試行錯誤していたところだったようです。そんなときに出会ったこの映画。高校を出てもつるんではみだしものをやっている少女2人が、ど不細工なオタクにからんでいくこの映画に娘がはまるのは必然だったのかもしれません。スカーレット・ヨハンセン演じる少女(美少女)がまともに就職して、正当化路線に進んでいくのに対し、オタク男を翻弄しながらまだ髪を緑に染め、ゴスロリみたいな服を着たりしているソーラ・バーチ演じる少女に自分を重ねていたのかも。中年のブサイクで不器用なオタク男(スティーブ・ブシェミ)を振り切って、一人バスに乗って去っていく少女がかっこよく見えました。恋愛における男女の力関係が変わっていることを感じさせた映画でした。
 
2)「フラガール」2006年
やーやーやー、まさか蒼井優と山里亮太の結婚発表が今日あるとは思いもよらず、この映画を取り上げると決めていたわけですが、映画公開から13年もたって、フラガール婚が生まれたわけですね。
何回見ても泣ける映画です。時代は1966年。石炭から石油へとエネルギーが転換し、炭鉱がどんどん閉鎖される中で、廃鉱になりそうな地元の再起をかけて結成されたフラダンスの物語。実話です。
この映画の主人公はフラダンスを教える松雪泰子演じる平山まどかであり、チームの中心となる蒼井優演じる谷川紀美子なのですが、私がもっとも感情移入したのは蒼井優の母親、富司純子が演じた谷川千代でした。炭鉱という「男の職場」が行き詰まり、仕事そのものが消えようとしていた時代である1960年代、女性たちが地域を救う力となることに対して、あせり怯える男たちから猛烈なバッシングが起きます。 それに対抗して娘たちを守るために立ち上がり、女が自分の力で生きていく時代にしなくちゃ、これからはそういう時代なんです(うろ覚え)というお母さんがとてもとてもかっこよい。都会で、ダンサーとして生きてきた松雪泰子も、実は男社会の圧力に押しつぶされて逃げるように福島に来たわけですが、そこでお母さんと出会って、自分の中の力に気づき、仕事に対してそれまでとは違った取り組み方をしていきます。
1960年代、産業構造が大きく変わり、働き方も大きく変わった時代でした。今と似ています。働き方改革が叫ばれる今、時代に合わせて仕事とどう向き合うのか、考えるヒントはこういう映画にあるかもしれません。

3)「オフサイド・ガールズ」2006年
英国で女子がサッカーの試合をするようになってから140年経ちました。先日、SHUKYUという雑誌に女子サッカーの歴史について書くために10冊ほど本を読んだのですが、女子サッカーを都合のいいときだけカネのために利用し、必要がなくなるといきなり妨害にまわる男社会の理不尽に腹が立つばかりでした。FA(イングランドサッカー協会)は1920年から70年まで女子にグラウンドを貸すのを禁止していたし、西ドイツやブラジルは法律で女子がサッカーをすることを1970年代まで禁止していたって知ってました? 理由は「男子サッカーの観客が食われるから」とかいうから腹立つ。
という歴史についてはSHUKYUを読んでいただくとして、女性がスタジアムに入ることを禁止しているイランで、どうしても試合が見たいと男装してもぐりこもうとする女性たちを描いた映画です。男装がばれてつかまってしまい、スタジアムの一角に隔離された女性たちが警備している男性の兵士たちに口々に聞くのです。「なんで女性が試合観戦しちゃいけないの?」兵士たちは「え?」というとまどった顔で口ごもり、「えーっと男性たちしかいないところに女性が入ると危ないだろう?」とかいうのですが、まったく理由になっていないことを女性たちに論破されて最後には「ダメといったらダメなんだ!」で押し切ろうとする。上下支配関係ではこのやりとりはよくありますよね。「なんでダメなの?」「ダメといったらダメなんだ」答えになっていませーーん!「私は思考停止しています」を宣言しているのと同じ。
「それっておかしくないですか?」という問いかけに、「ダメと言ったらダメなんだ」と答えることの理不尽と滑稽さを描いたこの映画。今もまったく色褪せていないです。

4)「リトル・ミス・サンシャイン」2006年
娘が大好きな映画で、ついにDVDも購入し、気持ちが沈んだときには見ていたそうです。テーマとしては行き詰ってしまった家族の再生なんですが、ひたすら明るく大笑いしながら見られる、7歳の少女のおかげです。ある意味、不幸と不運のてんこ盛りといっていいほどのダメ家族なんだけれど、ダメなのは「世間」とか「常識」とかの基準に合わせて自分たちをはかるからであって、そんなものにまったくとらわれない7歳少女に、そうか自分に正直に生きていけばいいんだ、と気づかされる、という話。少女おそるべし! 少女の持つこのパワーを、世界は生かしてほしいですね
美少女コンテストに出たーい、とい7歳少女に付き添いを余儀なくされて、一家全員で旅に出ることになりますが、旅に出たときと、帰ってきたときに、家族を取り巻く状況はまったく変わってない、どころかもっと悪くなっています。経済的にも、社会的にも、状況は変わらないかもっと悪い。でも、家族の気持ちはまったく変わっています。世間や社会がどう思おうと、見栄とかプライドとかを捨てて自分の気持ちに沿って生きていく勇気を持とう、という気持ちになっている。 励まされます。

 
5)「少女は自転車に乗って」2013年
サウジアラビア初の女性監督による映画です。映画については2014年2月16日付の当ブログで書いているので、URLを貼り付けておきますね。
http://www.motoko3.com/archives/18340839.html

私も2年前からまた自転車に乗っているのですが、乗るたびに自分の中にある何かが吹っ切れたみたいで爽快です。歩くのとは違って、自分で自分の行き先を決められるみたいな気分になって、パワーをもらいます。映画の中の女の子が欲しかったのは、もちろん自転車そのものなのですが、そこに象徴されるパワーなのではないかと。厳格なムスリムの社会でも、こういう映画を女性が作り、自動車の運転もようやく許され、女性たちが少しずつ「パワー」をつけているのではないか、と思わせます。
 

試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、ピッチに突っ伏して動けなかった食野の姿を見て(DAZNで)思わず泣きそうになってしまいました。62分(?)あのシュートが決まっていれば、きっと勝てたはずなのに……そういう彼の、そしてチーム全員の思いが伝わってきたからです。


引き分けだったけれど、ものすごく悔しかったけれど、そして後半はものすごくひやひやだったけれど、3試合、テンションを下げずに戦って負けなし、ということをプラスにとらえたいと思いました。
そして内容が濃いいい試合でした。どちらのチームも緊張が途切れなかったし、球際をびしばし競って「やってやる!」という気持ちが伝わってきました。結果として勝てなかったけれど、 鹿島に決して負けていなかった。そこを評価したい。
もちろん課題はあります。
1)先制点を奪ったあとにゆるみが見られること。
2)相手にペースを握られると、自分たちのリズムを取り戻すことがむずかしくなる。どうやってリズムを取り戻すのか、という意思統一ができていない。跳ね返したあとのセカンドボールの拾い方、とか、それを攻撃につなげるためにラインをすぐさまあげるとか、そのあたりがまだまだ。
3)いまに始まったことじゃないけれど、 試合の緩急のつけかたが下手。いったんためを作る、とか、くさびのパスが入るまでの間の取り方とか、相手をいなすとか、そういうのができるのが矢島と倉田くらいで、ほかはやみくもに前へ前へ(バックパスするよりもいいことなんだけれど)とあせりすぎ。
いま一生懸命考えたけれど、課題は3つくらいしか思いつかず、それも近々解決しそうな感じがしないでもない。
まだ上昇気流に乗った感じはしないけれど、少なくとも試合後に(ときには試合中に)「どこまで落ちるのか、まだ底が見えません」という鬱々とした気分に陥ることはなくなりつつあります。
小野瀬選手の怪我がどうかどうか軽症でありますように!(鶴)
そして試合前に宇佐美選手一家がDAZNで抜かれていましたが、それって……何?
 

あの時代、いま振り返ってみたら本当はどんなことがあったかを自分の体験から検証する「あのとき何があった?」シリーズ第三弾。今回は1970年から現在まで通して、私の心にずっと残っていて、折りあれば見直してみたい青春映画を時代順に並べてみたいと思います。並べてみて気がついたのですが、私が強く感銘を受けたのはどれも女性が主人公、もしくは女性が活動する側に立っている映画です。

1)「いちご白書」1970
1970年公開の映画でしたが、私が初めて観たのは1972年、大学1年のときでした。大学の大講堂で無料で上映されるというので、友人たちと連れ立って観に行き、終了後しばらく椅子から立ち上がれないほど衝撃を受けました。当時はまだキャンパスに立て看板が立ち並び、授業前に学生運動の闘士たちが「きみたちはそれでいいのか!」とアジるという時代。ロックアウトこそなくなったものの、学生運動はまだ熱い時代でした。この映画がまだ10代の私にぐさっと刺さったのは、男性がノンポリで、女性が活動家だったこと。東大安田講堂事件(私は高校生)で、立てこもる全共闘の学生たちは男性ばかりで、女性がおにぎりを差し入れていたことが話題になっていました。movementをになうのは男性、女性はそれをsupportする、という構図なのだと思っていた私が、この映画で「そうか、女性が社会のmovementを起こすのも許されるし、そういう女性を魅力に思う男性が現れるのだ」と初めて気づいたのです。いや〜晩稲だったね、私。

2)「ローズ」 1979
ジャニス・ジョプリンがモデルとなったこの映画は、1980年に日本公開され、観にいった会社の同僚が大興奮で「絶対に観るべき!」と息巻いて1週間くらい語り続けていました。そんなにすごい映画なら、とまだ赤ん坊だった子どもをベビーシッターに預けてこっそり観にいったという記憶があります。そしてそれだけの価値がある映画でした。ベット・ミドラーが演じるジョプリンが、ヤク漬けになったり、男にいいように使われたりしながらも、ステージに立つとものすごく強くて存在感があって、輝いていました。ジョプリンのまわりにいる人たちは、親、恋人、プロモーター、どれもこう言っちゃなんだがくずみたいな人間ばかりで、救ってやるみたいなことを言って近づいてくるけれど、結局は食い物にするばかり。それじゃ女の弱さを描いているのかというと、全然そうじゃない。ジョプリンは結局精神も肉体も破綻してしまうのですが、それでも輝きは残るのです。
ベット・ミドラーが今年のアカデミー賞授賞式で映画の主題歌「ローズ」を歌ったのですが、「Some say love, it is a river that drowns the tender reed, Some say love, it is a razor that leaves your soul to bleed……」と彼女が歌い出したとたん、新宿の映画館に座って涙を流しながら聴いたことが思い出されました。

3)「セント・エルモス・ファイアー」1985
私は30代、働くお母さんやってました。ビデオが出回りだしたころで、ビデオデッキを購入して、近所のレンタル・ビデオ屋で借りてきたビデオを子どもと夫が眠った深夜に見るのが最大の楽しみでした。ジョージタウン大学を卒業した仲間たちが、キャリア形成や恋愛に悩みながら大人になっていく過程を群像劇で描いたこれぞザ・青春映画「セント・エルモス・ファイアー」は、1回観終わって興奮が冷めやらず、3回くらい観て夜が明けた、という記憶があります。当時のレンタルビデオは1泊2日で料金取られていましたからね。
30代の私は流行りの「キャリアウーマン」というのに憧れていたのだけれど、実態はほど遠く、お茶汲みと雑務仕事しか与えられず悶々としていました。実際、自分の実力からしてそれくらいしかできなかったと今はわかるんだけれど、でも当時は焦燥に駆られていました。アメリカのキャリアウーマンはもっと輝いているんだろうなあ、と思って観たこの映画で、デミ・ムーアが演じる大手企業に就職した「キャリアウーマン」が、仲間の手前見栄張っちゃって無理を重ねるうち、経済的にもキャリア的にも破綻して自殺未遂をしてしまう、というところに痛いほど共感しました。いま見直したらチープさに辟易するかもしれないけれど、あのころの私には刺さったなあ。

4)「テルマ&ルイーズ」1991
あの結末はどうなんだ、とか、やっていることは犯罪じゃないか、とかいろいろと批判はあるでしょうが、主人公2人の決死の逃避行が痛快で、これまた私は3回くらい観ています。ジーナ・デイヴィスとスーザン・サランドンが大好きになって、しばらく2人の出演作を私は追っかけ続けていました。
2人は男から、警察から、追われて逃げるはめに陥るんだけれど、決して屈しない。それがいいことかどうかはともかく、暴力を振るわれたらふるい返し、女と思ってなめらればかにされることを逆手にとって、立ち向かって相手をひるませる。これまで腐るほど描かれてきた男の友情とか絆とか、そういうものが薄っぺらく見える女の友情物語、でした。いざというときに頼りになるのは、やっぱり女友だちだよね、ということをこの映画で認識し、それは年をとった今は確信になっています。

5)「下妻物語」 2004
この映画、大好き! 巌本野ばらさんの小説「下妻物語 ヤンキーちゃんとロリータちゃん」もすごく良かったけれど、映画になってますます巌本ワールドにのめりこみました(事件で残念な思いをしたけれど)。ロリータ・ファッションを愛する竜ヶ崎桃子を演じた深田恭子と、ヤンキーの白百合イチゴを演じた土屋アンナは、もうこの映画だけで映画史に残る大女優になった、とまで私は思っています。女の友情といっても、この映画では悲壮感は皆無で、爽快痛快! 茨城県下妻という微妙な田舎vs東京、ロリータ・ファッションvsヤンキー・ファッション、令嬢vs下町のビンボー娘、という両極端にあるような要素が、裏返り、溶け合い、共闘を組むってところがこの映画の面白いところ。女子高校生ブーム、お嬢様ルック、ワンランク上のライフスタイル、とかいうマーケティングの流行語が、いかに薄っぺらいかを教えてくれました。

と、ここで時間切れ。明日続きを書きます。
6)「ゴースト・ワールド」
7)「フラガール」
8)「オフサイド・ガールズ」
9)「リトル・マイ・サンシャイン」
10)「少女は自転車に乗って」
を取り上げるつもりです。


 

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