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「翻訳というおしごと」(実川元子著 アルク刊)の刊行を記念して、新宿紀伊國屋でトークイベントが開催されます。
 私、実川と一緒に登壇いただくのは、金融翻訳のトップランナーでいらっしゃる鈴木立哉さんです。鈴木さん、とにかくおもしろくて、とにかくすごい方です。鈴木さんを取材したとき、ファミレスで2時間半たっぷりお話をうかがい、それでも聞き足りなくてそのまま焼き鳥屋でフルコース飲んでしゃべりまくりました。お話はどれも深くて、私はその後翻訳についての考え方が少し変わりました。
そんなことをイベントでお話できたら、と思っております。

翻訳というおしごと」刊行記念イベント!
とき:12月13日(火)午後7時〜
ところ:紀伊國屋書店新宿本店 8階イベントスース

https://www.kinokuniya.co.jp/c/store/Shinjuku-Main-Store/20161126100007.html
本を紀伊國屋書店で購入していただくことがイベント参加の条件になっているのですが、何卒大勢の皆様にお越しいただければと願っております。
詳しいことは、店頭または直通電話 03−3354−0758までお問い合わせください。
翻訳というおしごと(イベント案内)

 


新刊「翻訳というおしごと」
実川元子著
アルク刊 1500円+税
翻訳というおしごと(表紙)

新刊が出ます。今回の本は、翻訳業という仕事を紹介する内容です。翻訳業といっても、たいへんに幅広い。たとえば翻訳は扱う素材によって、大きく3つの分野に分けられます。ビジネス、産業、医学、法律といった分野で発生する素材を扱う「実務翻訳」、映画、テレビ番組など映像に関わる素材の翻訳は「映像翻訳」、小説、ノンフィクションなど書籍については「出版翻訳」と呼ばれます。そういうことも意外に世間には知られていない。ましてや翻訳者がどうやって仕事を受注し、どういうスケジュールで仕事をし、どれくらいの報酬を得ているのか、などは翻訳業界にかかわっている人たち以外はほとんどご存知ない、というのが25年間この業界で仕事をしてきた私の印象です。
かくいう私も、自分が身を置いてきた「出版翻訳」以外の翻訳者もその仕事内容もほとんど知りませんでした。出版翻訳はすでに仕事として成立っていかない状況にあります。書籍の販売が右肩下がりで落ち込み、印税率はもちろん初版部数も下がる一方。だから最初にこの本の企画を編集者に打診されたとき、「翻訳業に未来はないんじゃないの?」とか及び腰でした。だが、翻訳業界全体としては実は翻訳は将来性がある仕事なのではないか、と編集者と話しているうちに思えてきました。
それ以上に、25年間やってきて、翻訳はまーーーったく儲からない仕事だけれど、とてもおもしろいしやりがいがある仕事だ、とは思っていることもあって、しだいに「書いてみようか」という気持ちに傾いていきました。何よりもグローバル化の蓋が開いてしまったこの世界で、翻訳なしに特に日本は産業も文化も社会も成立っていかないことは確かです。翻訳という仕事の重要性は高まるばかり……というか、必要不可欠な仕事ではないか、と私は考えているわけで、だから、翻訳業の重要性、必要性をもっとわかってもらいたい、ということで思い切って執筆を引き受けました。
ただ、私が通じているのは出版翻訳のみ。そこでアルクが毎年出版する「翻訳事典」の編集長である佐藤直樹さんとこの本の編集者である美野貴美さんに、実務、映像、出版を主戦場にしている翻訳者の方々を紹介していただき、取材をすることにしました。現在第一線で活躍しているとてもお忙しい方々ばかりだったのですが、なんと取材を申し込むとすぐに快諾いただき、2時間以上(ときには半日近く)に及ぶ取材に熱く語ってくださいました。それくらい、みなさん、翻訳業の現状と未来について考えるところが多かった、ということです。
よってこの本は、たしかにキーボードを叩いたのは私ではありますが、取材させていただいた方々の思いが結集したものです。よって、ここに感謝を込めて名前をあげさせていただきます。(あいうえお順)
新井珠美さん、井口富美子さん、井口耕二さん、齊藤貴昭さん、鈴木立哉さん、関口佳子さん、仙野陽子さん、野村佳子さん、林原圭吾さん、森口理恵さん、新楽直樹さん、本当にありがとうございました。みなさんのおかげで、「なるには」ではない形で、翻訳という仕事を紹介する本ができました。

本書の発刊を記念して、新宿紀伊国屋でトークイベントを行ないます。それについて、つぎのエントリーで紹介させてください。

本格的に書道に足を突っ込んで(という表現はおかしいか?)そろそろ8年になります。
振り返れば2008年の年末、ガンバがアジアチャンピオンになったシーズンに、どうにかしてかっこいいフラッグを作りたい、ゆくゆくは弾幕も書いてみたい、そうだ、書道を始めようと思って筆や硯を揃えました。そして「30日で書ける書道」なんて入門書を買って独習しましたが、当たり前の話、まったくうまくいきません。「こりゃ誰かに少し教えてもらわなきゃだめかな」とネットで検索して、家の近所にある書道教室の門を叩いたのでした。しっかーし、先生(60代後半のおばさま)に「書道を始めようという動機は?」と聞かれ、ついうっかり「サッカーのフラッグにかっこいい字が書きたいから」と正直に答えたら、先生、理解不能で困惑して固まっちゃったんですよ。当然「世界へ羽ばたけ GAMBA」とお手本を書いてください、というお願いができるはずもなく。書道界とサッカー界、接点ないわ。
そこでまたまたやむなくカルチャースクールの見学に出かけ、今の師匠に出会ったのでした。そのときはフラッグのお手本を何枚か書いてもらったら、もうそれでいいかな、と思っていたのに、3枚書いてもらってもやめる気配なし。というか、3枚書いてもらったあたりから、のめりこんでいきましたね。そのうちフラッグはだんだんどうでもよくなって、ガンバがJ2降格しそうになってますますフラッグ書けなくなって、ようやく書いたのは三冠達成しそうになった年だった、という。
さて、今年で8年たったことになるのですが、ぜんぜん飽きません。最近気づいたのですが、私、飽きっぽくないわ。特に、いったんのめりこむとなかなかやめないどころか、ずぶずぶとはまっていってしまう性格だったんだわ。62年たって気がつきました。 
上達するからおもしろいんだろう、と思われるかもしれませんが、違います(きっぱり)。ぜんぜんうまくならないから、おもしろいんです。やればやるほど、自分の下手さ加減、できなさ加減にあきれてしまう。翻訳にも通じるのだけれど、これで完璧、到達しました、というものではないんですよね、書道って。だからやりがいがある。
書道のどこにそんなに惹きつけられたのか、と自分に問いかけてみました。もちろん「これ!」という答えは出ませんが、自分なりにここかな、と思うのは「シンプルなのに(シンプルだからこそ)複雑」なことでしょうか。
紙(たいてい白)の上に、筆(たいてい1本)に墨を含ませて文字を書く。白の背景に黒のみ。なんというシンプルさ。でも、書かれるものは文字であり、それ自体にメッセージがある。そしてどう表現するかでメッセージの内容は変化する。しかも墨がたっぷり入ったところと、かすれたところを出すことで、立体的な表現になり、その文字(言葉)の印象はまた変える。黒と白の対比をどうつけるという構成によっても、書かれた文字が伝えるニュアンスは大きく変わってくる。
文字(言葉)を筆と墨で書く、というシンプルさの極みでありながら、紙の上に一つの宇宙を作る、その創造主になれるのが書道のおもしろさだと思います。まだまだ宇宙を作るところまではいきませんし、どんな宇宙を作りたいのかもわかっていませんが、書き続けていれば、いつか、宇宙がどこかからおりてくるかもしれない、そんな 期待で来年ものめりこんで書いていきたいです。
最後に今年の毎日書道展入選作品を(ものすごく恥ずかしいけれど)乗せておきます。
 
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昨年、2015年が多忙度人生におけるクライマックスな1年だと思っていたのだけれど、甘かった。2016年は昨年以上に多忙でした。一番のんびりしていたのが、2週間のフランス滞在時期だったな、とすでに遠い過去になったあの時期を懐かしむ気分。
特に忙しかったのが「仕事」でした。括弧付きにした理由は、これを本当に仕事と呼んでいいのか、「ボランティア」じゃないかと思ってしまう「仕事」が多かったからかな。とくにConIFAの件とかは、ボランティアだなあ。ただ、将来的には「仕事」らしくなってくる可能性が高いので、よしとしよう。
6月に帰国して以降今までの最大の仕事は「翻訳というおしごと」という本の取材・執筆でした。12月初旬に刊行されたら大々的にこちらでも宣伝しますが、すでにプロモーションは始まっています。校正段階ですでにトークイベントに出演させていただいたり、取材させていただいた方を巻き込んでのイベントの準備をしていたり、とバタバタしています。
私のようなものがエラソーにこんな本を書いてもいいのか、と内心びくびくものだったのですが、校了して宣伝のイベントの準備をしているうちに「これはやってよかったし、私がやるべき仕事だった」という気がしてきました。
何がよかったって、あらためて翻訳の世界を俯瞰して見ている方々、またそこでがんばっている方々のナマの声が聞けて、それが残せたことです。 翻訳業の世界は広くて奥が深い。私がかかわっている出版翻訳はそのほんの一部にすぎない。業界全体を眺めて、あらためて翻訳の仕事の重要性に気づくチャンスをもらったことは、これからの仕事人生にも大きな糧になりそうです。
そう、私の仕事人生はまだまだ終わらないよ、というかこれからだよ、と思っています。これからまたひと踏ん張り、ふた踏ん張りがんばっていくからね、という元気が出てくる仕事でした。

今年は仕事を通して大勢の方と知り合うことができました。2年前に200枚名刺を作って、なかなかなくならないなあ、これを配り終わったらもう名刺をつくることはないかな、と思っていたら、今年は足りなくなってまた200枚作ってしまいました。
しかも、出会った方たちがみなさんたいへん個性的で、おもしろい方たちばかりで、なんかこの出会いをきっかけにまた新しい世界が広がっていきそうです。
こと仕事に関しては、そういうわけで私の2016年は充実していました。ものすごく忙しかったけれど(まだ忙しさは続くけれど)元気に乗り切れそうなことに感謝です。 
トップの画像は、すでに我が家で6年も紅葉を楽しませてくれている 黄櫨の盆栽です。小さな鉢で精一杯成長してくれてほんとけなげ。
 

 昨日、次女が新居に引っ越していきました。私たちは友人家族とランチに出かけていたので、引越を見送れませんでしたが、帰宅して洗濯物を取り入れようと娘の部屋に入ったら、彼女が中学生のときから壁に貼っていたポスターや写真が全部なくなっていて、ああ、そうか、巣立っていったんだ、と実感しました。海外駐在で不在のときも、部屋に入ると韓流スターがにんまり笑って出迎えてくれたのに、昨日はドアを開けた先には真っ白な壁。景色が違いました。
 毎朝、6時半過ぎに娘がバタバタドタドタと準備する(かなりにぎやかな)音を聞いて飛び起きるのですが、今朝は目を覚ましたら7時半。飛び起きたものの、キッチンに入って「あ、そうか、今日から娘のお弁当を用意することはないのだ」とそのとき初めてちょっと寂しさを感じました。だいたいにおいて、28歳にもなった娘のお弁当をいまだに作っていたところに私の甘さがありますね。(今年3月まで、同居していた長女と次女2人分のお弁当を作っていた、というアホ母親でした。ったく、自分の甘さに舌打ちですよ)
 そういうわけで、今日から私たち夫婦はまた二人暮らしに戻ります。一抹の寂しさはありますが、それ以上に安堵しています。人生の大きな仕事をまた一つ片づけた、という気分。娘たちに人生をともにする伴侶がいる、と思えることがどれほど私たち親の気持ちを楽にしてくれるか。
 もちろん、これからも私たちが手助けをしなくてはならないときがあるでしょうし、反対に娘たちに助けてもらわなくてはならないことも増えてくると思います。でも、娘たちがまず第一に助け合わねばならないのは自分たちの家族であり、私たち親ではない。これからは一歩ひいたところから、お互い助け合って、応援していけたらいいな、と思っています。うん、もうお弁当は作らないよ(→孫の運動会だ、遠足だというとはりきって作りそうな予感がするので、自制する意味でも書いておきます……)
 

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