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(Op-Edに出演させていただいた)

ハンガリーで行なわれたConIFA欧州選手権から帰国後、記事を書くだけでなく、Op-EdというインターネットTVに出演したり、有坂哲さんが経営する裏原宿のフットボールカフェmf(エムエフ)で お話させてもらったり、ConIFAについての発信は続けていた。
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(裏原宿のフットボールカフェmfで有坂哲さんとトークイベント)

今振り返ると、mfのトークイベントは、日本からの加盟と2016年のワールドフットボールカップ(WFC)出場への大きな後押しとなった。 
イベントにはFCコリアのソン・チャノさんが来てくださり、 WFC出場に向けて3歩くらい気持ちが前進なさったようだったし、なんとそのとき聞きに来てくださった比良さんと斉藤さんが「アブハジア行ってみたーい!」と手を挙げられたのだ。彼女たちにはアブハジアで一緒に楽しい時間を過ごすことになるのだが、それは後の話。
そして何回かソンさんとお会いするうちに加盟に向けて、そしてWFC出場権獲得に向けて話はどんどん進んでいったそのとき、なんと木村元彦さんの紹介で、沖縄でサッカークラブの立ち上げに動いていた宮城亮さんから「ぜひ琉球フットボール協会としてConIFAに加盟したい、WFC行きたい!」と連絡をいただいた。ConIFA事務局に連絡すると、「島嶼部地域の加盟には力を入れたい、沖縄にはぜひ入ってもらいたいと思っていたから大歓迎だよ」とすぐに申請書類やらWFC主郡上希望書やら契約書が送られてきた。
ここで一つ、私の中で自分への疑問が湧き起こった。
「うーん、私はどういう立場をとればいいのだろうか?」
最初は取材をするジャーナリストの立場だった。
だが、日本のチームの加盟をConIFAに働きかけ、WFC出場に向けての準備を手伝う、となると、もはやそれはジャーナリストの立場ではなくなってくる。
しかし、日本のチームにはConIFAに加盟してほしいし大会に出場してほしい という気持ちはますます強くなっているし、残念ながら、ConIFAからの送られてくる文書もConIFAとのやりとりもすべて英語で、FCコリアにも琉球にもそれほど英語が得意な人はいない。ConIFAから送られてきた何十ページもある契約書や申請書類を日本語に訳しながらも、「私はどういう立場にいればいいのか?」と迷いは消えなかったが(今も消えていない)、ええいっ、もう今はそういうことを考えずに前に進もう! と振り払った。
そして12月、ソンさんからは「監督と相談して、在日コリアンズだからこそ南も北もない統一コリアとして加盟する。だから協会の名称はUnited Koreans in Japan FAにする」と連絡があり、琉球FAともにサインされた契約書とWFC出場希望を無事にConIFAに送ったのだった。
ConIFA 事務局のデュエルコップから、2協会の加盟受諾の連絡とともに、年次総会の案内が送られてきた。そして公式文書とは別に、彼から「これは私的なアドバイスなんだけれど」と送られてきたメールには「実はWFC出場希望を出しているチームは24ある。それもホストであるアブハジアをのぞいてだから、11の枠を24で争う激戦となる。どうしても出場したい、というのなら、年次総会に出席してプレゼンしたほうがいい。急なことで無理かもしれないけれど」とあった。
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(年次総会のディナーで披露されたワールドフットボール「カップ」。わー、このカップ掲げた日本チームが見たい〜と俄然やる気になった)

ソンさんには「無理です」と言われた。いや、そりゃそうだ、1月7日からイタリア、ベルガモで開催される会議に出席しろと、12月に言われてもそりゃかなりむずかしい。
ところが宮城さんは「行きます」とおっしゃるではないか。イタリアまで行く、という発想がまったくなかった私だが、宮城さんのそのひと言で「それじゃ私も行きましょうか?」とつい言ってしまった。なぜならプレゼンは英語でしなくてはならない、宮城さんの英語力が私はあまりわからなかったが、悪いけれどプレゼンできるほどとは思えない、私がやらなくちゃいけないだろう、と思ってしまったわけだ。
最終的に、宮城さんはお子さんが生まれる予定日が1月頭で会議と重なってしまう、というので渡伊をやめられ、私は2協会の出場をかなえるべく、1月7日に日本を飛び立った。飛行機の座席についてPCを広げてプレゼンの仕上げをしながら、私の中にまたもやふつふつと疑問がわいてきた。
「いったいどうして私がイタリアまで出かけてプレゼンするんだ? 当事者でもないのに」
しかし、待ち合わせ場所のベルガモ駅前で、顔見知りのConIFAメンバーや理事たちから「わー、よく来たねー!!」「MOTOKOと再会できて、やっとハッピーニューイヤーだな」とかハグされてキスされるうちに、そういう疑念なんかどうでもよくなった。
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(ベルガモ駅で待ち合わせてチッタアルタという丘のてっぺんまでみんなで上り、ピザを食べた)

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(年次総会で顔見知り&仲良くなったConIFAメンバーたち。その後、メールや電話でケンカした人たちもいるけれど(苦笑)、とりあえず再会したときにはみんなとハグしてキスをする、という間柄)

そして年次総会に出席したことによって、私はConIFAメンバーの信頼を勝ち取って人脈を築けただけでなく、日本とConIFAとの関わりを一歩前進させた、と思う。先日のワールドフットボールカップで、少なくともConIFAメンバーの間では「ああ、彼らがきみのプレゼンによる在日コリアンズのチームだね」と最初から認めてもらえていたし、「きみが推薦したチームだから」と信頼を寄せてもらえた。

会議だが、日本の2協会についてプレゼンし、その後の投票でUnited Koreans in Japanは出場権を勝ち取った。結果論だが、会議出席者の前でプレゼンしたチームのほうが圧倒的に得票に有利だった。琉球には申し訳ないけれど、 United Koreansについては2年越しの根回しが効いた、とも言える。
3日間の会議と打ち合わせが終わって、私は「成果」にかなり満足して帰路についた。
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(会議終了後の記念撮影@イタリアベルガモ)

しかし、United Koreans in Japanが無事にワールドフットボールカップで試合をするまでの道のりはまだまだ遠かったし険しかった。出場権獲得は富士山のふもとにたどりついただけ。それからきつい上り坂が待っているとは予感はしていたものの、想定外の出来事が次々起こって、私はアブハジアに向けて出発するまで何回もブチ切れ、へたりこみそうになったのだった。 

さて、2014年6月、第一回ConIFAワールドフットボールカップから帰国した私は、木村元彦さんのご紹介であちこちにConIFAについて記事を書かせてもらった。「サッカー批評」(当時。現在は「フットボール批評」)などサッカー関連媒体もあったけれど、岩波書店の「世界」、共同通信文化欄など、サッカーというよりも、世界情勢の視点から書かせてもらった媒体が多かった。
書きながら考えていたことは一つ。
「民族問題、グローバリズムとナショナリズム、スポーツの大会の商業主義など、今自分が感じている問題を解きほぐす一つの鍵となりそうなConIFAに、もっと自分自身が関わりたい」
私がConIFAを取材に行くとお話したときから興味を持ってくださった木村さんに、「日本でConIFAに参加する資格があるチームってどこがあるでしょうか?」と聞いたところ、「そりゃ在日コリアンのチーム、FCコリアでしょう」と即答された。
木村さんは在日コリアンのサッカーについて長年取材を続けておられ、数々の優れたルポやインタビュー記事を発表されている。それを読んでいた私も、実はひそかにConIFAに加盟するとしたら、一番にFCコリアを推薦したいな、と思っていたので、大会期間中にConIFAの幹部であるペール=アンデルス・ブランド会長やサシャ・デュエルコップ事務局長に「日本からもどこか加盟してくれないかな?」と聞かれたとき、「実はね、在日コリアンのチームがあってね……」と話をしていたのだ。帰国後、自分が書いた記事を英訳して送ったら、ブランドもサシャもたいへん喜び、Facebookページで「日本でこんな記事が出たよ」と紹介までしてくれた。
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(8ページも書かせてもらった「世界」。いま読み返すと、少数民族の問題や未承認国家を紹介するにあたり我ながら気持ちがはやっていたな、と思うと同時に、2014年から2年近くたって、あのころよりもっと世界はややこしいことになっている、とも気づく)

そしてサシャ・デュエルコップから「きみに言われて在日コリアンについてこちらでもいろいろ調べた。ConIFAの趣旨にぴったりだと思うから、もしもFCコリアに加盟の意志があるなら申込書類一式を送る」と言って、手続き方法とともに書類が添付されてきた。
そこで、木村さんにFCコリアの李清敬監督を紹介してもらい、申込書類とともにConIFAについて書いた記事を持って会いに行った。
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(ConIFA加盟にお話を持っていた最初から乗り気だったFCコリア李清敬監督)

李監督は乗り気で「国際大会に出るチャンスを逃す手はない」と言いつつも、「まずはFCコリアがどんなチームなのか、自分の目で見てください。その上で、手続きを進めましょう」と言われた。 関東社会人リーグ1部に所属するFCコリアは、ちょうどそのときリーグ戦の最中だったので、さっそく試合を観戦に行った。
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(2014年秋、FCコリアの試合を見に行った)
しかしその後、話はなかなか進まなかった。私も気になりつつも仕事が多忙だったり、家庭でもバタバタがあって、FCコリアをフォローする余裕がないまま日々が過ぎていった。やはり日本からの加盟は無理なのかなあ、とがっかりしつつも、それでも翌年に開催予定の欧州選手権には行く、と決めていた。ConIFAの事務局もメンバーも、ポール青年が太鼓判を押したとおり、open&generousで気持ちのいい人たちで、大会はサッカーをする喜びがあふれていた。ウステルシュンドで味わった感動と楽しさは、私にとってあまり経験したことのないものだったから。またみんなに会いたい、みんなの話をもっと聞きたい、と強く思った。

そして2015年年明け、ConIFA事務局より6月に開催する欧州選手権の開催地を、当初決まっていたマン島からロンドンに変更する、という連絡が届いた。マン島に行く気満々で、早々とホテルを予約していた私は、あわててキャンセルしてロンドンのアパートを予約した。ところが、5月に入ってから「ハンガリーに変更した」というではないか! しかも最初はブダペストと言っていたのに、すぐにデブレッツェンだと知らせがあった。デブレッツェン、それどこ? である。ウステルシュンドのときと同じく、私はまた地図を広げてデブレッツェンを探し、飛行機を探し、旅程を組んだ。
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(デブレッツェンはブダペストから列車で2時間ほど東にあるハンガリー第2の都市。ブダペストのこの美しい光景とはまったく無縁の、社会主義のにおいを強く感じさせる工業都市だった)
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(デブレッツェンの街の中心部。こう言っちゃなんだが、観光名所っぽいものは影も形もない)
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(街で一番おいしいというレストランはイタリアンだった。でも確かにおいしかった! イタリアン、すごいわ)

マン島→ロンドン→ブダペスト→デブレッツェンと開催地が短期間に変更になった理由はいろいろとある。まずアイルランド海に浮かぶマン島には、ロンドンから飛行機もあるが便数も席数も少なく、英国のマンチェスターからのフェリーで渡るのが一般的だ。ところが6月は世界中から人が訪れるオートバイのTTレースがあるのと、島の短い夏を楽しもうというリゾートシーズンで観光客が多く、チームのためのフェリーの席とホテルが確保できなかった。「僻地や島嶼部など、国際試合をするチャンスがない人々にそのチャンスを与える」がConIFAの理念であるが、現実問題、交通の便の悪い地域での開催は出場チームの足に大きく影響する。
ロンドンでの開催はスタジアムも宿泊場所も確保できたものの、マン島開催に比較すれば倍以上にふくらんだ予算にスポンサーが首を横に振り、開催地選びは振り出しに戻った。その後ブダペスト郊外のスタジアムに一時決まりかけたのだが、欧州への難民流入の入口となることで神経をとがらせていたハンガリー行政府、特に首都ブダペスト市が、アブハジアや北キプロスなどの未承認国家の選手たちを受け入れることに渋った。
そこで立ち上がったのが、スポーツ関連の訴訟を手がけるハンガリー人で弁護士のクリストフ・ヴェンゼルである。元バスケットボール選手のヴェンゼルは、プロスポーツ選手の契約や移籍を専門とする法律家で、ConIFAのNPO設立や法律問題に関わっていた。ブダペストでの大会開催が頓挫して途方に暮れていたブランドやデュエルコップに、「それなら自分の出身地で開催しよう」と奔走し、なんと6週間で開催のめどをつけた、というのだ。それもバスケットボールの人気選手で、しかも法律家という彼の人脈と実力があったからこそ、成し遂げられたことだ。
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(クリストフ・ヴェンゼルConIFA Vice President)
6月17日〜21日までデブレッツェンで開催された欧州選手権は、当初予定していた12チームの半分がビザの関係で参加できず、結局地元チームをかき集めて9チームの参加で開催。日程も短縮され、順位決定戦もなかった。老朽化したスタジアムで、観客もまばらな中での開催だったが、そんなところにチームが出場もしていない日本から取材にやってきた、というので、逆に私はハンガリーのメディアからいろいろと取材された。
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(老朽化した、というのか、ちょっと寂れた観のあるスタジアムだが、地元の少年たちが日常的にボールを蹴っているところらしい)
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(小規模といえど、勝利は嬉しさいっぱい。2014年大会で優勝したカウンテア・デ・ニッサは決勝進出を決めて大はしゃぎ)

そのとき彼らがしつこく私に投げかけた質問が、私をあらためて「よし! 次の大会にはぜひとも日本からチームを出場させよう!」と奮起させた。
その質問とは「日本には民族問題も人種差別もないでしょ? スタジアムでレイシズムの弾幕を出したり、あからさまに民族差別のチャントを歌ったりする人たちがいるわけでもないでしょ? それなのになぜきみはConIFAに興味を持つのか?」である。
浦和レッズのホームスタジアムで「Japanese Only」と掲げられたり、在日コリアンに対する醜いヘイトスピーチが問題になっているときだった。知り合いのサッカーファンから「俺たちのチームにコリアンやチャイニーズはいらない。そんなやつらをチームに入れたら、俺たちはクラブに抗議するし、それでも入れるというのならサポーターをやめる」とはっきり言われて、ショックと怒りで言葉が出なかったことが何回もある。
ハンガリーの記者たちに「いや、日本にも人種差別や民族問題は厳然とある。スポーツの場でそれが醜く出されることも欧州と同じだ」と答えながら、私は李監督にもう一度働きかけて、ぜひともConIFAに加盟して大会に出場してほしい、と思った。ConIFAの理念を日本にもっと紹介したい。スポーツを通しての交流が、経済効果だけではない大切なものを生むことにもっと光をあててほしい。
折しも2020年オリンピックを東京に誘致する運動が繰り広げられていた。そして「イスラム国」の台頭が世界を揺るがしていた。日本は「国」「民族」「人種」の問題にどう向き合うのか? ヘイトスピーチを黙認しておきながら、世界中からやってくる人々を本当に歓迎できるのか? この複雑な世界の、多種多様な人々を受け入れるにあたって、「お・も・て・な・し」だけではすまない対応が迫られるはずだ。
デブレッツェンからブタペスト経由で日本に帰国する間、どうやったら日本のチームを来年2016年に開催されるConIFAワールドフットボールカップに出場させられるか、を考え続けていた。

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(2016年のワールドフットボールカップにはぜひFCコリアを出場させて、とブランド会長に頼み込んで、「既成事実」のように木村さんが持参したユニフォームを持たせて写真を撮った……苦笑)

 

Brexit、英国が国民投票によってEUからの離脱を選択した、というニュースにショックを受けている。つい先日、フランスで知り合ったイングランド人数人に「EU離脱/残留問題」を聞いたら、彼らは全員が「EU残留に決まってんだろ」という調子で軽く笑い飛ばしていたけれど、投票箱のフタを開けたら離脱賛成が過半数。EURO観戦でフランスにやってきて、カテゴリー1という高額チケットが購入できる(つまり英国ではアッパーな)彼ら残留派の楽観の根拠は何だったんだろう? そして近代国家の枠組みの箍が外れてしまっているこの世界で、あえてあらためて「国家」という形を選択した英国は、いったいどういう枠を組もうとしているのか? もう少し情報を得てから考えてみたい。

さて、昨晩はNHK BS1「国際報道2016」で独立系サッカー連盟Confederation of Independent Football Associations 略称ConIFA(コニファ)について、なんと10分以上が報道された。サッカーと民族問題に取り組んでおられて、名著「悪者見参」「オシムの言葉」などの著者であるジャーナリストの木村元彦さんがアブハジアまで来て撮られたビデオを見せながら、紹介された。ああ、ConIFAもここまで来たんだ、日本でこういう風に(大々的に)紹介されるようになったんだ、と胸が熱くなる思いだった。

そこで私がConIFAに出会ったきっかけと、深く関わるようになった経緯をあらためてまとめておきたいと思う。
そもそものきっかけは、英国のサッカー青年、ポール・ワトソンに彼の著書"Up Pohnpei"(ポンペイ万歳)を読み、メールでインタビューをしたことにあった。イングランド代表のあまりのふがいなさに苛立ったポール青年が、「俺だって代表選手になれる国があるはずだ」と探し、南太平洋に浮かぶ小さな島国(米国の統治下にある)、ポンペイを地図で見つけ出す。早速手紙を書いたら「英国人ならきっと我々のサッカーを強化してくれるだろう。コーチとして来てほしい」と返事をもらい、「よーし、いきなり代表監督だ!」と勇んで飛び立つ。何回も飛行機を乗り換えながら2日がかりでたどりついたポンペイ島で彼が見たのは、グラウンドといっても蛙が飛び跳ねているぬかるみで、島民は軍事目的でアメリカが統治下においており、食糧や生活物資がほぼ無料で支給されるとあってすべてにやる気がなく、肥満率ばかりが高い、という現実。それでも意識高い系の若者たちを集めてチームを作り、自腹でユニまで調達し、ついにはグアムとの海外試合で勝利をあげる、という話だ。
Paul Watson@Soccer Critique(1)

インタビューをして記事を書いたのは、FIFAワールドカップ ブラジル大会が開催される前年2013年の後半。ブラジル行った事ないから行ってみようかな、と観戦チケットを申し込んだけれど、何回申し込んでも全滅。しかも飛行機代とホテル代を調べたところ、5泊7日でも100万円近くする。こりゃーダメだ、とついに私はブラジル行きをあきらめた。
記事が出たあともポールと何かとメールでやりとりをしていたとき、彼が「ConIFAといってFIFA非加盟の国や地域が加盟している団体が、5月末からスウェーデンのウステルシュンドでワールドフットボールカップ(WFC)を開催する。ぼくは出場するダルフール・ユナイテッドというチームのコーチで行くかもしれない」と言ってきた。彼に教えてもらったConIFAとWFCのサイトを見た私は興奮した。「クルディスタン、アブハジア、南オセチア、オクシタニア、アラメアスルヨエ……何、これ? 全然知らないところばかり」。すぐにネットで出場チームの歴史や社会・文化背景を調べた私は、調べれば調べるほど興奮して身震いし、即座に決めた。「ブラジルなんか行ってる場合じゃないぞ。これこそ私が行くべき、取材すべき大会だ!」
ポールに「私、ウステルシュンドに行くことにする。あなたともそこで会えるよね」とメールすると、彼からは「ぼくは行けなくなった。ダルフールに行くビザが取れなかった。でも、ConIFAの人たちはきみを歓迎してくれるよ。UEFAやFIFAの連中と違って、とてもopenでgenerousだから」と言ってきた。ポンペイ代表監督のときもだが、その後に関わったモンゴルのクラブチームの仕事でも、彼はUEFAとFIFAとの折衝に苦労しつづけたらしい。open&generousという彼の言葉の意味を、私はスウェーデンで実感することになる。
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(ウステルシュンドの街。郊外とかではなく、これが街中、という牧歌的で閑散としたところ。向かって左手が湖で、仕事が終わると湖岸で家族連れやカップルがピクニックをしていた)

2014年5月30日にスウェーデン北部の小さな街、ウステルシュンドで開幕したConIFA第一回ワールドフットボールカップには、12チームが参加した。ConIFAとはどういう組織なのかがわかっていただけると思うので、チームの集合写真とともに紹介してみたい。
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(北イタリア地域の代表、パダーニア。このときはイケメンが揃っていた……ような気がする。カメラを向けると全員「ちょっと待て」と鏡を出して髪を直す、というので苦笑した。2016年の大会ではこのときのメンツが2人くらいしかいなかった。バロテッリの弟もいなかったし。パダーニアといっても、実にイタリアらしいサッカーをやっているのがおもしろかった)
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(アゼルバイジャンから独立を宣言したアルメニア人の国。まだ国際的には承認されていないナゴルノカラバフ。カフカース山脈の山岳地域にあり、地震が多発するとか。ヴォーニオン会長に「地震の共通項があるので日本には縁を感じる。一度ぜひ来てくれ。飯はうまいし、景色はきれい。最高だよ!」と誘われた。行ってみたいな、ナゴルノカラバフ)
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(イエス・キリストが話していたというアラム語と、キリスト教の信仰によって結ばれているというアラメア・スルヨエ。アッシリアのあたりらしい。すでに何世紀も前に世界中に散っていて、主として北欧、ドイツ、アメリカで暮らしている。ゾロアスターだよね、これ、と旗を指差すと、厳しくアラメア・スルヨエだ、と言われた。いまだにアラメア・スルヨエがどういうものなのか不明な私。今年1月に会長のメルケ・アランに再開したときも「きみはまだアラメア・スルヨエをわかっていない」とダメ出しされたw)
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(ジョージア北東部に位置する南オセチアも国際的に承認されていない独立国家。まだ紛争がときどき起こるらしいが、彼らは「ま、そんなもんさ」とたいして気にしていない様子だった。英語を話すのがロシアの大学に在籍しているという1名のゴールキーパーだけで、あとは私がインタビューしようと近づくと逃げたw。無愛想でぶっきらぼうだけれど、ロシア語通訳を介すると饒舌だった。ちなみに隣接する北オセチアはロシアに入っている)
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(ブリテン島とアイルランド島にはさまれたアイルランド海に浮かぶマン島は、エラン・バニンというチーム名で参加。チームの3分の1は英国、アメリカに移住した人たちで、祖父母のどちらかがマン島で生まれていればチームに加わることができる)
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(クルディスタン。イラク内にあるクルド自治共和国内のプロリーグから選抜された選手を主とするが、イランのクルド人も入っている、とのこと。イラクとかイランとかどうでもいいんだ、俺たちはクルド人だ、と何回も念を押された。まさか2年後にクルディスタンとこんなに仲良くなるとは、当時は思ってもみなかった)
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(タミル・イーラム。スリランカ東部とインド南部にいるタミル人は、長年にわたる内戦で世界各地に散った。英国に移住した人たちが中心のチームなので英語で話を聞きやすかった。タミルの文化を誇りに、と言いながらも、移住後2世、3世の若者たちのメンタリティはすっかり英国人だった。監督のラゲシュとは仲良くなって、今もメールのやり取りをしながらチームの現状について情報をもらっている)
 
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(2016年WFCホストとなったアブハジア。当時から選手もスタッフもすごく気さくで温かかった。この大会ではロシア語通訳がついたので、アブハズ自慢もいっぱい聞けた。実際に行ってみるとちょっと「あれ?」ということもあったけれど、人があたたかい、ということだけは自慢するだけのことはあった。このときの大会では失点が多くて8位。当時の監督は「出発2日前にようやくビザがとれた選手でチームを組んだからこの成績でもしかたない。本当はもっと強いんだよ」としつこいくらい念を押していた。ほんと、自国でやったら強かった。アブハズのサッカー熱を2年後に実感)
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(南仏のオック語を話す人たちのチーム、オクシタニア。アミエル監督は選手たちに「おい、挨拶くらいはオック語でしろよ」とインタビューのときに言っていたが、それもフランス語だった。選手に聞いたら「おじいちゃんあたりでもうオック語は終わっているかも」。でも「オクシタンであることは俺のルーツ」とマジな顔でみんなうなずきあっていた)
 
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(ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北部に暮らすサープミ。サーミの方が通りがいいのだけれど、彼らにサーミというといちいちサー「プ」ミと直されるのでちゃんとpを入れた表記にする。トナカイを飼って、橇に乗って移動し、湖で魚釣って生活しているイメージがある、とか言ったら、まじめな顔で「今でもそうだよ。トナカイの飼育と狩猟と漁業は我々サープミの生活そのものだ」と言われた。ちなみにトナカイの肉はうまい! 今は高価食材だけど、北欧を訪れたらぜひ一度食べるべき!)
 
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(2014年大会で優勝したカウンテア・デ・ニッサ。ニース市周辺地域は、伯爵領だったんだけれど、ときにはイタリアに、ときにはフランスに組み入れられて政治的には揺れていたとか。独自の言語(方言、ということもいえる)を持ち、独自の文化を誇る。ニース市が全面支援し、大会優勝後にチームも地域のサッカーも大いに盛り上がっている。2016年大会は来られなかったけれど、2015年にハンガリーで開催されたConIFA欧州選手権では選手もスタッフも自信をつけた様子だった)
 
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(ポール・ワトソンがコーチをするはずだったダルフール・ユナイテッドは、スーダン政府のダルフール地方から逃げ、現在チャドにある難民キャンプから選抜されたチーム。米国の支援団体とConIFAメンバーの支援を受けて参加した。初めてスパイクをはいた、という選手もいたくらいでダントツの最下位。2016年に出場したチャゴス諸島やラエシアも惨敗続きだったが、ダルフールほどではなかった。まったくサッカーをやったことがないほどのチームの参加については、ConIFAの会議のたびにあがる議題だ。ただ、ダルフールが出場するというので、メディアが集まったのは確かだ)

先日取材(というかなんか私、コーディネーター&通訳広報&雑務係&仕切り隊長でしたが)に行ってきたConIFAワールドフットボールカップについて、NHK BS1にて本日5月23日(木)夜10時からの「国際報道2016」で放送があります。あるはず、あるだろうな、あるといいな……英国のEU離脱国民投票の報道があるのでちょっとわかりませんが、とにかく予定はされています。
 
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ConIFAの趣旨は「サッカーの国際試合をする機会に恵まれない地域(交通の便がひどく悪い僻地や島嶼部)、少数民族などの人々に、サッカーを通して友情の橋を架ける」ことにあります。
ワールドフットボールカップでは、出場チームはピッチでアンセムを歌い、旗を掲げることはしても、目的はサッカーをすることにある、ときっちり線が引かれています。政治活動を繰り広げるのではなく、スポーツをすること、スポーツを通して世界の人々と交流すること、そこに意義を見出すチームが参加する大会です。オリンピックやFIFAワールドカップが商業主義にまみれ、開催国となる目的が経済効果と国際政治における発言力アップに置かれている現在、もう一度原点に戻ってスポーツの国際大会の意義を見直そうよ、というのが、FIFA非加盟の人々が加盟するConIFAを立ち上げた人々の思いです。
その思いに共鳴したサッカー協会は、南米大陸をのぞく世界37にのぼります。日本からは在日コリアンズを中心とするユナイテッド・コリアンズ・イン・ジャパンFAと、沖縄の文化と社会を世界にアピールしようという琉球 FAが参加しています。
2年前に東アジアからたった一人取材に出かけ、そこで出会った世界各地のConIFAな人々に感動し、今回、日本からの出場権獲得に奔走した私にとって、先日の第2回ワールドフットボールカップはことさらに思いの深い大会となりました。
ご覧になっていただければ、とってもうれしいです。 

パリのシャルルドゴール空港までやってきました。ボーディングまであと1時間を切っています。借りてきたルーターを使いつくすぞ。飛行機に乗ってしまえばこっちのもの(こっちってどっち?)
まだ旅行中でホットな気分のところで続きを書いてしまっておきます。

今回の旅では、アブハジアでの仕事と欧州選手権観戦以外は何かする計画をいっさい立てませんでした。これを見ておきたい、あれをしておかなくちゃ、ということはもう日本で日々いやになるくらいやっているので、あえてやらない時間を作ろうと思ったからです。(って実は何も考えていなかっただけなんですが)
これが3)の無理せず、融通をきかせる、になりました。毎朝、目が覚めると「今日は何をしよう」とベッドの中でぐでぐで考えます。それが至福の時間。何をしたっていいし、何もしなくたっていい。
結局、起き上がってからはあれこれやっちゃうのですが、それも結構思いつき。外に出て「さて、今日はどっち方向に歩こうかな?」という感じでした。歩いていって、おもしろいものに出会えればそれが楽しいし、出会わなければ引き返す、と。基本は歩くけれど、疲れたら地下鉄に乗るのもよし、もっと疲れればUberでタクシーを呼んで宿泊場所に帰る。ガイドブックを読んでいないので、地下鉄に乗って適当なところで降りて、案内板とか地図を眺めておもしろそうな感じのところに歩いていってみる、ということも結構やりました。でも、無理はしない。歩き始めて「なーんかちょっとあやしいところだなあ」と思ったら引き返す。1日平均12000歩歩いていました。
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(パリ中心部はお散歩にぶらぶらするのが気持ちのいい街です)
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(フランスは今、極右が勢力を伸ばしています。彼らの攻撃対象は実はユダヤ人。前々からぜひ行ってみたかったユダヤ博物館前はものものしく厳重警戒でした。行ってよかった、と思えた展示内容でした。がら空きだったけれど)
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(リヨンで宿泊していたペンションはお庭がとても素敵。机の前の窓から、木々の間を飛び回る鳥やリスを眺めているだけでも楽しかったです)
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(マダムが丹誠を込めて手入れしているお庭はいま薔薇が真っ盛り。毎朝、食卓にはこんなブーケが置かれて楽しませてくれました)

疲れたから夕方まで本を読みながらグデグデ過ごす、という日も何日かありました。この1ヵ月で読んだ本は20冊ほど。仕事と関係のない本ばかり。全部Kindleです。10冊分を入れてきたけれど、すぐに読み終わったので、こちらでも10冊以上ポチリました。ふだんはなかなか読めない長編も集中して読めるから2日くらいで読み終わるし、読書タイムは至福タイム。近くの公園にビールとスナックを持って行って朝からベンチに座って読みふける、なんてことも。たくさん読めて幸せでした。
ふと思い立って、3ツ星レストランで1人ディナーっていうのもやってみました。散歩途中で見かけたレストランに入って行って「明日の晩、ディナーを予約したい」と言ったら「マダム、D'accord」と言ってくれたので、精一杯おしゃれして気取っていってきましたよ。
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(三ツ星レストラン、ラ・テラス・ドゥ・リヨンにて。1人でディナーの客はもちろん私だけ。しかも東洋人の女が1人座っているのは目立ったかも。目障りではなかった、と信じたい)

4)の語学力。これには本当に助けられました。というか、旅をするのに使えるだけの英語とフランス語(とロシア語)がなかったら、充実した一人旅は無理だったかも。道を聞くのでも、チケットの買い方でも、いいレストランや観光スポットも、とにかく聞く、それが一番有効なんですが、それができるのも語学力があるからこそ。でも、旅に必要な語学力って実はたいしてレベルが高くない、と思います。だって、必要な単語は少しでいいし、返ってくる答えもだいたい見当がつくから。方向、数詞、曜日、挨拶くらいで旅外国語はだいたい事足りる。
ただ今回、非常に困ったことは「英語(たいてい下手でわかりにくい発音)で話したがるフランス人にどう対処するか?」でした。それについては次のエントリーで書きます。

あれ〜〜〜そろそろボーディングだそうです。ではでは続きは日本で書きます。
 

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