Glamorous Life

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 私は同居人のごはんを1日2食準備している。
 一方で、同居人は365日家で私が用意したごはんを食べる。
 たまに「今日は友人と食事をしてくる」というので、つい目を輝かせて「じゃ、ごはん作るのは1食でいいかな?」というと、「いや、夕飯は外食するけれど、あとは家で食べるから用意してくれるかな」という。ため息をつきながら、一汁二菜を作る。料理は好きで、実は作ることはそれほど苦ではないのだけれど、なぜか同居人の食事を作るのは苦行でしかない。
 会社勤めをしていたとき、同居人は会社で昼食をとり、夜にはたまに外食をすることもあった。「今日は夕飯いらない」と同居人から聞くと、朝から心もからだも軽く、鼻歌まじりで自分用に豪華な夕飯を作ったりしたものだった。自分のためのごはんを作るのはちっとも苦じゃないのだ。
 先日、同居人が朝食をとりながら「今日は夜に友人と食事をする約束がある」というので、学習能力が欠如している私は目を輝かせて「じゃ、今日あなたのごはんを作らなくていいね」というと、「いや、夕方からだから昼食は家で食べたい」とほざく、じゃなくて、おっしゃる。
 がっくりと肩を落として不機嫌になる私。同居人はあわてたように「テキトーでいいよ、適当に用意してくれたらいいから。夜はディナーで豪勢に食べるから」
 思わずかっとなった。
 「テキトーってなに、それ? もしそのテキトーっていうのが、まったく手間をかけないという意味なら、そんな食事はありえないから。たとえ卵かけご飯でも、ごはんをといで炊いて、卵を買ってきて割って、醤油を添えるとかそういう準備がいるんだよ。カップラーメンだって、買ってきてお湯を沸かして注ぐという手間がいる。そして私は卵かけご飯だけとか、カップラーメンをぽんと置いとくだけとかの食事をあなたには出したことがないでしょ。あなたのテキトーに作れる食事って何? その定義から聞かせてください!」
 沈黙する同居人。朝食の食卓に吹き渡る冷たい風。一気に朝食も凍りつく。
 それでどうなったかというと、はい、作りましたよ、同居人の昼食を。野菜たっぷりの豚肉入りあんかけ焼きそばにほうれん草のおひたし、豆腐とわかめの味噌汁という私基準の「テキトー」なメニューです。ふんっ(鼻息)

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(ある日のテキトーに作った同居人のための食事)


アディショナルタイム(11分!)に5点目が入ってから、そそくさと帰り支度を始めて、試合終了前にスタジアムをあとにしました。
その晩はよく眠れず。
始まったばかりなのにどん底。
これがどん底で、これからベクトルは上に向くと信じたい。
慢心はこわいね。私が一番慢心していたかも。

ということで、しばらくまたガンバを封印します。
バイエルンミュンヘン谷川選手の活躍で心を癒そう。

あさってに2025年J1リーグが開幕します。早いなあ。サポーターのオフもあっという間ですね。
昨年は開幕前にどんな期待を書いていたかと過去ログを見直したら、プレシーズンマッチで広島と対戦して勝った、というので期待値がぐんとアップしていました。
今年はどうかなあ。シーズン前に坂本選手とダワン選手が移籍したことがショックで、ちょっと凹んでいましたが、それはいまいる選手に失礼なので、気持ちを上向きにしようといまがんばっています。
キックオフで水谷社長が「サポーターの皆様のご期待に添えるように、戦力アップをはかれる選手獲得に向けてがんばっている。もうすぐ朗報が届けられる」と言われたので、期待ベクトルが少し上向きました。
今年の私が期待する選手は開幕戦をみてから正式に発表することにします……なんてもったいぶることの意味がわからないので、思い切って言いましょう。美藤倫選手です。(なぜもったいぶったかといえば、注目しているとか期待しているとか書くと、海外に引っこ抜かれちゃうから)思い切り暴れて欲しいけれど、暴れるとファウルも多くなりそうなので、まあ、2年目は賢く暴れてください。ダワン選手とはちがうスタイルで鈴木徳真選手とともにボランチでたくさんボールをさわって試合を組み立てほしい。
今日、阿部浩之選手が現役を引退したというニュースをみました。
アベちゃん、18番のときにタオマフ買っちゃうくらい応援していました。
ガンバの三冠に貢献し、川崎にいったらリーグ優勝の立役者の一人となり、名古屋にいったらまたルヴァンでカップを掲げ、ほんとタイトルホルダーとはアベちゃんのことだと思います。勝手にアベちゃんとか呼んじゃってごめん。
大卒ルーキーでガンバに来て、大きく成長してタイトルホルダーになった姿を、同じ大卒ルーキーの美藤選手に重ねています。プレースタイルはぜんぜんちがうけれど、がむしゃらで器用なところは似ているかな。
ともあれ、新シーズンもFORZA GAMBA!

1月には区が主催する2つのセミナー(トークイベント)に参加しました。
1つは世田谷市民大学が主催した、阿古真理さん(日本の生活史・食文化研究家)による「家事は誰が行うべきなのか?——ジェンダーの視点で家事について考える」というテーマでの講義です。
2つめは世田谷文化生活情報センター主催の「対話の効能——<わたし>と<あなた>のあわい」で、熊谷晋一郎さんの「当事者研究」の講演&トークイベントでした。(「対話の効能」は一昨年行われたVol1のときから参加しています。昨年12月に開催された小松原織香さんの「修復的正義」のトークも聴きました)
ここでは阿古さんの家事についての話がおもしろかったので記録しておきます。
まず、家事は世間では(社会的に)「仕事」とは認識されていない。家族(主体的に担っているのはほとんどが母親や妻や娘という女性)が家事をしても「働いている」「仕事をしている」と家族も家事担当者も考えない。「仕事」とはお金をもらってやるものであり、家事は無償労働だから。そして家事は簡単で誰でもできるものだと考えられている。
といった世間の「常識」を、阿古さんは具体的にデータを上げながらそれが思い込みに過ぎないとくつがえしていきます。
その話のなかで私がうんうんと何度もうなずいたのが、10年くらい前から言われている「名前のない家事」がいかに労力と時間をとっているか、という話でした。
たとえばゴミの処理ひとつとっても、いくつもの「名前のない家事」がからみます。自治体が指定するゴミ袋を用意する。分別する。資源ごみのたとえば瓶ならきれいに洗ってから出す。再利用が可能な牛乳パックなどもきれいに洗って切り開いて乾かしてから出す。ペットボトルもきれいに洗い、ラベルをはがして蓋は別にする。生ゴミの水をしっかり切る、などなど。
一つひとつはささいなことだけれど、時間も手間も経験も知識も必要です。ゴミの分別くらいは名前がつくけれど、ほかの作業には名前がつきません。でもゴミの袋を「はい」と渡されて、収集場所まで持っていくことはゴミの処理の最終段階におけるほんの一部でしかありません。
よくお父さんたちが「ゴミ出しはぼくの役割」とかいって胸を張っているけれど、いやいや、それはほんのほんの一部だから。
どうしても家事は家族のなかの一人(たいていは女性)が全面的に負担するようになってしまうのだけれど、家族みんなでシェアしたほうがぜったいにいい、と阿古さんは主張なさいます。
家事を分担することによるメリットは、たとえば家事の分担について話し合うことを通して家族の関係を深めるよいチャンスになること(我が家の場合はちょっとでも分担について話し出すと喧嘩になって家族関係は悪化しますが)。家事を通すと世の中がよくみえるようになること(そうだよ、家事は政治経済に直結していますよ)。環境を整えないと始められない家事が数多くなると知って生活面でお互いへの配慮が学べること。……はい、もうそのとおり。でもそのメリットは家事を担っている人を慰めるものでしかないかも。
そして家事には経験と技術が必要で、経験を積んで技術を磨かないと家事はまわっていかない、という言葉にもうなずきました。経験を積み、技術を磨いた人には敬意を払って欲しいもんだ、と心のなかでつぶやきながらですが。
最後にとどめのひと言。それが「仕事は生活を支える、家事は命を支える。どちらも欠かせない人間の営み」。もうね、ほんとその通りですよ。
ただね、こういう言葉が響かない人(多くは男性)のほうがずっと多いんですよね。そうか家事は大事だな、よし、明日からせめて朝ごはんくらいは自分で作ろう、ゴミの分別くらいはしよう、自分の部屋の掃除くらいはしよう、と腰を上げる人はほんのほんの一部だろうと思います。
阿古さんのお話は家事を担ってきた人にとっては響くことばかりなんだけれど、これまで家事を何一つやってこなかった人にとっては、響かないどころか理解不能だろうと推察します。
話を聞いて帰ってきてから、同居人のごはんをぶつぶつ言いながらもやっぱり作ってしまい、洗濯物をたたんでしまう私にとって、このセミナーは自分をなぐさめるだけだったような気がしないでもありませんでした。
でも私は阿古さんのお話を聞いてより強く思いました。
家事はつまらない「仕事」ではない。生きていくうえで欠かせない営みであるばかりではなく、人を人間的に成長させ、人生を豊かにするものだ、ということを。
これからどれだけの時間、今のように家事ができるかわからないけれど、自分の命を支えるために家事をしているという意識を持って暮らしていきたい、とそう思っています。

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(ようやく梅の花が咲き始めました)

広島でサッカー観戦した後、友人……といっても娘と同世代だから友人とかいうと申し訳ないかも……一家に会いに尾道に立ち寄りました。
私の母方の親戚は倉敷、岡山から福山に散らばっており、福山までは子どものころに何度か行ったことがあるのですが、尾道は初めて。原田知世主演の『時をかける少女』を見て、いつか行ってみたいと憧れながらなかなかチャンスが見つけられないでいました。ところが数年前に友人が「尾道の古い家を改造してあちらに移住します」と宣言したとき、これはご縁ができたかもとひそかに機会をうかがっていました。
広島から尾道までは乗り換えの待ち時間も入れて約1時間弱。新幹線で福山に出て、山陽本線で20分ほどです。尾道の駅に降り、駅舎(2階に宿泊施設がある)も駅前ロータリーもこじんまりとしていながら華やかさがあることに驚きます。そして観光シーズンとはいえない1月末なのに、観光客らしき人が多い。いや、多くはないけれど私が想像していた以上ににぎわっていました。
尾道について調べていたなかで見つけたホテル・サイクルに向かって海沿いのデッキを歩きます。ホテルはU2という昔倉庫だったところを改造し、ショップ、レストランやカフェが入っている建物のなかにあります。名前のとおり、しまなみ海道を自転車で走ろうというサイクリストたちに、基点として利用してもらおうという意図をもった宿泊施設です。
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(対岸の向島までは渡し船で5分。でも通勤通学に利用されているので、土日祝日は運休とのこと)
1月25日は尾道映画祭のイベントとして、U2内ではトークイベントが開かれていました。私の大好きな映画『Perfect Days』が上映されるとかで、イベント登壇者をみたら役所広司さんをはじめ錚々たる俳優やプロデューサーの名前が並んでいます。宿泊者はイベントに参加できるということでしたが、友人一家と食事の約束をしていたのでそそくさと失礼しました。(翌日、千光寺山を歩いていたら、イベントに登壇していたらしい森山未來さんと狭い道ですれちがいました。オーラが出てました)
友人が予約してくれたのはkado Onomichiというおっしゃれーなワインバー。メニューもおしゃれかつ美味なる創作料理で、私は苺入りのサラダがとても気に入りました。
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翌日はロープウェイで千光寺山の頂上展望台まで登り、みはらし亭や天寧寺三重塔をみながら千光寺道をおり、途中で曲がってLOGという昭和30年代に建てられたアパートを改造し、ホテル、ショップ、カフェバー、レストランなどが入っているところでトイレを拝借し(汗)、小さなパン屋さんでピザやパンを買い、もっと小さなコーヒーショップで買ったコーヒーを持って休憩所でお昼にしました。
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(尾道水道は1000年以上前から交通の要所、だったそうです。しまなみハイウェイがかかって対岸の島から四国までつながって人やモノの流れも大きく変わってます)

朝10時からお別れするまでの3時間、友人の4歳と1歳の娘さんたちは急な勾配の坂道もとっとと歩き、疲れただの歩けないなどと泣き言も言わず、いっぱいおしゃべりしてくれて楽しそうでした。さすが坂道を歩き慣れている! だけでなく、すくすく心身ともにすこやかに育っている子どもらしい子どもだなあといっしょにいて楽しかったです。
昼食後に一家とお別れしたあと、ひとりで天寧寺、信行寺、宝土寺、光明寺、持光寺と古いお寺や、昔志賀直哉が住んでいたという住居を見学し、平地におりてからは林芙美子の碑を眺め、映画「東京物語」もここで撮影だったかと眺め、有名な観光名所である尾道本通り商店街をひやかしながらはしからはしまで歩いて、大満足で尾道から東京へと帰りました。
文化度の高さを感じた尾道市でしたが、移住となるとちょっと考えちゃうかな。もう20歳若かったら2拠点生活の1箇所として真剣に考えたかも。でも、また訪れてみたいと思ういい町でした。

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