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来週週末、1月25日(土)、26日(日)の両日に、横浜市開港記念会館にて、ヨコハマ・フットボール映画祭が開催されます。
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イベントの一つとして、フットボール文化祭が開催され、CONIFA in Japanは趣旨や活動について紹介するブースを出展します。
これまでのCONIFAの活動をパネルなどで展示したり、チラシを配布したり、CONIFA in Japan(CIJ)オリジナルデザインのTシャツを販売したり、と盛りだくさんです。
もちろん上映作品もとても興味深いラインアップだし、フットボール芸人さんたちのイベントがあったり、存分にお楽しみいただけます。
来週週末、ぜひ横浜(というか関内ですね)に足をお運びください。

ヨコハマフットボール映画祭
 におけるヨコハマ・フットボール文化祭
開催日時:1月25日(土)、26日(日) 
     12時〜18時
開催場所:横浜 開港記念会館

 
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年が明けてからも昨年からのあわただしさを引きずっていて、いまだ師走をやっているみたいな日々です。つぎのエントリーでお知らせしますが、1月25日、26日の週末に、横浜(というか関内)で開催されるヨコハマ・フットボール映画祭のイベントのひとつとして開催されるヨコハマ・フットボール文化祭にCONIFA in Japanがブースを出展します。その準備に追われている、というところ。

さて、毎年恒例?の年頭抱負表明です。
今年の目標、ですね。自分にプレッシャーかけるためにもここで表明しておこうかな、というところ。
仕事における目標は「自分から仕掛ける」です。この年齢で、もう「待ちの姿勢」はダメでしょう。私はこれがやりたい! これをやるからね! と宣言して仕掛けていく。そう、ガンバの福田選手みたいに、U23の相馬選手みたいに(なんか飛躍している?)去年から仕掛けているつもりなんだけれど、まだ押しが足りないので、もうあと2人ほどDFを抜いて、せめてシュートまで持っていく勢いをつけたいなあ。

私生活における目標は「できないことはできない、と勇気をふるって宣言して断ち切る! やめる!」です。 これがね、ほんと私は苦手なんですよ。頼まれたら、つい「それじゃやります」とか言ってやってしまう。そして自分で自分の首を絞めることになる。去年も、一昨年も同じことを言い続けているけれど、どうしてもできない。情に流されて、つい他人のことに手を出してしまう。すると自分にとってはもちろん、手を出された相手にもまったく良くない結果をもたらす。それがわかっているのに、できない。もうすぐ66歳になるんだから、私に残されたエネルギーも時間もだんだん減ってきている。おだてられ、すがられ、押しつけられたことを全部やっていたら身がもたない。
自分に言い聞かせています。「できないことはできない、と断ろう!」

今年も「これまで行ったことがないところに行き、食べたことがない料理に挑戦し、ジャンルとして学んだことがない分野を学び、新しい人脈を広げていく」という昨年からの(もっと前からかも)目標は変わりません。
今年こそ、南アフリカとナミビアに行きたい! 
と、高らかに宣言しておこう(実現に向けた努力はまだしていないのだけれど)
 

ガンバ大阪の2020年シーズンが始動しました。
YouTubeで配信されたキックオフミーティング(って呼ぶんでしたっけ?)をライブで見ました。
新加入選手の中で印象に残ったのは、鳥栖から加入の小野裕二選手と、関西学院大学から加わった山本悠樹選手でした。どちらも目力が強かったのと、自分の言葉を持っていると思わせました。もちろん新加入選手も含めたチーム全員に期待していますが、この2人は「やってやる!」という気迫がありありと見えたので、より期待です。
そして今朝、報知新聞のこの記事にはもう涙涙……
小野瀬選手の「チャレンジ」を今年はぜひとも結実させてほしい。私もね、精一杯応援しますよ、今シーズンも。
そういえば、AIが跋扈する(あえて跋扈って言葉を使いますよ。むしろAIで人を管理しようとする人たちが跋扈しているのでしょうが)時代には、自分のことよりもほかの人たちのことを優先して考える人、いまだけでなく、長期的視野に立ってものを考えて動く人が生き延びるのだそうです。
だから「誰かのために」がんばる、という気持ちでガンバに残留した、という小野瀬選手は、まさにこの時代を一番力強く切り開いていくといっていいのではないでしょうか。

ところで新ユニ。アウェイのデザインがきにいりました。加地さんの言うように「昇竜」みたい。ガンバの上昇を期待して、アウェイの14番を買おうかなあ(8番じゃないんかいっ! と言うツッコミはなしでお願いします。今年の飛躍を期待しているんですよ、福田選手には。ホームユニはまた8番にしようかな)
ところで、今年のキャプテンはぜひとも倉田秋選手でお願いします!!!
 

私が運営委員を長くつとめている乳房文化研究会の主催で「文学と乳房〜日本と中国、中世から現代までの文学作品に、乳房は誰のものとして描かれているか?」というテーマで定例研究会が開催されます。
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今回はコーディネーターを引き受けて、以前から「ぜひお話を聞きたい」と願っていた3名の方々に快諾いただき、念願のテーマで、念願の内容でお話いただく企画が実現します。

まず、日本中世文学、いや、日本文学の筆頭にあげられる「源氏物語」を、乳房を切り口に読み解いた本「乳房は誰のものか〜日本中世物語にみる性と暴力」(新曜社)を書かれた木村朗子さんに、「源氏物語」に描かれた乳母、母、父、子それぞれにとっての乳房から権力構造と家族関係を読み解く」というお話をしていただきます。木村さんとは「ゆれるおっぱい、ふくらむおっぱい」(岩波書店)の共著者というご縁で、何回か飲んだのですが、もう話がとまらない勢いで弾むはずむ!!お話がとってもおもしろく、内容が濃い〜〜〜!
つぎに中国近現代文学からは、濱田麻矢さんに「恋する乙女の胸のうち〜中国女性の乳房と足が解かれたとき」というテーマでお話いただきます。自由恋愛を研究テーマにしていらっしゃる濱田さんには「中国が愛を知ったころ」という張愛玲作品の翻訳作品があります。李鴻章の外曾孫として1920年に香港に生まれた張愛玲は、ただ愛し愛されることのみを求める女性の喜びと苦しみを描き、現代中国文学に足跡を残しました。濱田さんも「ゆれるおっぱい、ふくらむおっぱい」の共著者のお一人で、収録されている「中国文学むねくらべ」は実に興味深い内容です。
そして3人目として、日本の近現代文学に描かれた乳房を語ってくださるのが藤木直実さん。「にせもののおっぱい、ほんもののおっぱい」というテーマは、聞いただけでも何が出てくるかとワクワクします。藤木さんを知ったのは「妊婦アート論」という刺激的な書の共同執筆者としてですが、多岐にわたるその活動から、乳房を切り口に近現代文学を論じられると、いったいどんなおっぱいが描かれるのか楽しみでなりません。

乳房文化研究会定例研究会「文学と乳房」
日時:2020年2月1日(土)13:30〜17:30
場所:(株)ワコール本社ビル 会議室(JR西大路駅より徒歩4分)
参加費無料
お申し込みは以下より
https://www.wacoal.jp/nyubou-bunka/upcoming/post-44.html

 重箱に煮しめなどを詰めて「おせち料理」と呼び、一般庶民にまで普及するようになったのは戦後、それも本格化するのは1960年代に入ってから、と知ったのは割に最近です。もともとは中国で五節会に作っていた特別料理が日本に伝わり、江戸時代には、節会の中でも一番豪華な料理が作られていた正月に、武家が床の間に三方にご馳走(ごはん)を盛って飾っていたのが起源だそうです。
 それが明治時代になって、飾るものとお重に詰めて食べるものとに分けて用意するようになり(床の間にある家に住んでいる階級での風習でしょうが)、そのうちお重に詰めて家族や親族で食べるものになった、とか。今みたいな彩鮮やかで、豪華食材を使ったおせち料理が普及するようになったのは、ごくごく最近の話。
 以上、おおざっぱな説明だし、日本各地でおせちに在り方は異なるようなので、とりあえず私のおぼろげな知識に基づいたおせち料理基本情報です。
 つまり、何が言いたいかというと、お正月におせち料理を家族揃っていただく、なんてのを「日本の伝統」と言ってよいものかどうか、ということです。
 私は思春期に入ったころから年末年始が近づく12月になると、ゆううつでため息しか出なかったのですが、それは正月という時期に「日本の伝統」の圧がぐぐぐーっとかかってくることが原因でした。
 私が思い出す実家の正月は、挨拶にやってくる親戚たちの分までおせちやら特別料理を準備する手伝いをさせられ、正月は朝早くから料理を出したり皿を洗ったりごみを始末したりすることに追われ、やっと一息つく午後には「年始の挨拶に行くから早く着替えろ」とせっつかれる。疲れてふくれ面になると「正月からなんだ、その顔は」と叱られ、手伝いに抵抗すると「お年玉をあげないよ」と脅される。
「正月には家族そろって晴れやかに新しい年を祝う」ことまで「日本の伝統」と言われ続けたけれど、その「伝統」とやらを守るために誰が犠牲になっているか考えたことがあるのだろうか、伝統信奉者たちは! とか思っていましたね。
 その「伝統」が、私が小学校に入学するころから一般庶民に普及したにすぎない「風習」で、しかも普及させたのがデパートの商魂だったと知ると、ヘナヘナと崩れそうになります。返せ! 私の青春(半分本気、半分冗談)
 そんな愚痴を毎年毎年正月にブログに書き続けてはや20年が経ちました。

 2020年代がスタートする今年は、「伝統」とか「常識」にとらわれないだけでなく、きっぱりさよならする一年にしたいと思っています。とかなんとか言いながら、今年もおせち食べて、お雑煮食べて、家族と一緒に過ごしちゃいましたけれどね。言い訳すると、伝統だからやったんじゃないよ。自分がやりたいからやっただけなんだからね。(と自分に言い聞かせている)
 年末年始は、新装復刊されたメイ・サートンの「回復まで」と「独り居の日記」を読んで過ごしました。
「回復まで」(中村輝子訳・みすず書房)は、66歳から67歳にかけて書かれた日記です。病を経験して体力の衰えを感じ、恋人と切ない別れを経験したメイ・サートンが、それでも創作への意欲を失わず、自然の営みに喜びを見出し、孤独を愛おしむ姿が伝わってきて、しみじみと共感する言葉にたくさん出会いました。たとえば病から回復途上にあるメイ・サートンが、小説を読んだ92歳の読者からの手紙に励まされて書いた言葉。
「不自由になったからだは、そうした事実(私注:自分が年をとってできないことがいろいろと出てきたことや、親しい人たちとも別離など)を肉体的に証明しているように思える。しかし、炎からふたたび立ち上がる不死鳥は、別のことをわたしに告げる。わたしたちの肉体が弱れば弱るほど、心は虚飾を捨て、もっとも必要なものへの要求が強まり、ありのままの自分であることや感じるままの自分であることを恐れなければ、もっと自然で、愛情豊かになれる、と」
 一方で58歳のときに書かれた「独り居の日記」では、メイ・サートンが自分の中に沸き起こる怒りや悲しみをどう処理していいかとまどい、深い喪失感に打ちひしがれながらもがく姿にときどき息苦しくなりましたが、失うものばかりが増えていく中で、それでも生き続ける意味と気力を見出す姿に励まされます。
 女性がものを書いて生計を立て、同性愛者であることを公表し、60歳前になって住み慣れた土地や人間関係を断ち切って農場に独り移り住む、というのは、メイ・サートンがこの2冊を書いた1970年代当時はもちろん、現代でも「常識破り」な生き方だったと思います。 私がその生き方を真似たいという訳ではありません(真似ようにもできっこない)が、少なくとも常識や伝統にとらわれないで生きていく姿勢は見習いたい。そしてメイ・サートンが貫き通したように、孤独に向き合い、人は独りで生き死んでいくことを噛み締めて、愚痴をできるだけこぼさないように生きる強さを持ちたいと思います。
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