今日飲んだおいしいお酒とおつまみを日記形式でお届けします。とりわけ通でもグルメでもないけれど、おいしくお酒を飲むために体調を整え、酒代を稼ぐために仕事をして、料理を研究するという飲兵衛が出会う毎日の極上のお酒の報告書です。
ご感想は一日に5人までですが、メッセージをいただけると嬉しいです。
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2007年1月の日記
1月31日(水)
怒涛の1月終了
やれやれ、1月も今日でおしまい。
今日からちょっとだけおやすみをいただきます。
盆も正月もなしに走ってきたから、少し休みたい。
腰が痛い、のどがいがらっぽい、目がしょぼしょぼする、頭が重い……そういう症状をぶっとばしてきます。
ではいってまいります。
No.1841
1月28日(日)
女優コート
MSNの占いによれば、今年のうお座は2月と3月が絶好調で、あとは地を這う運勢なのだそうです。地を這うって……(絶句)
月末までの締め切りが6本。これが終わらないと、絶好調期にも地を這ことになりそうです。月末ってあと3日なんですけれどね(大汗)
それだけあせらなくてはならないというのに、私は今日、シモキタに買い物にいったとき、ふらふらとお店に入って、今年流行するといわれる「女優コート」を買ってしまいました。
女優コートとはいかなるものかというと……今度機会があって気が向いたら画像をアップするけれど、フレアーが入っていて、なんか大げさ&フェミニンなトレンチコートなのです。
VOGUEにも出ていたものね。
VOGUEに掲載されていたドルチェ&ガッバーナの価格の17分の1だったけど
これを着れば誰でも女優です。女優にもピンからキリまでありますが、これさえ着れば私はピンとキリの間くらいはいけるぞ、と思っています。
早く着たいなあ。
その前に原稿書かなくちゃ。
夕飯はラムステーキとほかいろいろ。
No.1838
mariko
2007/01/29/09:54:11
No.1839
ええっ?そうなの?なの?地を這っちゃうのかぁ(わたしもうお座)。かくなるうえは、たまった本が2月、3月に出てくれることを祈ろう。
締め切りがんばってね。
motoko
2007/01/29/10:18:41
No.1840
marikoさんもがんばってね、いろいろ。私も2月3月には本が出る……予定です。
あと今年は目標を高くもつことによって伸びる年なんだって>うお座
1月23日(火)
「事件」が「事件」になるために
今日の日記のTさんへの「感想」で書きかけたのだが、なにせ「感想」は200文字制限なので、書きたいことが書ききれなかった。
『供述によるとペレイラは……』(アントニオ・タブッキ著 須賀敦子訳 白水Uブックス)
ネタばれにならない程度にあらすじを書いておこう。
舞台はポルトガル、リスボン。
時代は1938年。
そう、いうまでもなくヒトラーがオーストリアをドイツに併合した年であり、隣国のスペインでは民主化を求める市民と、それを抑圧しようとするフランコ派との間に市民戦争が勃発しようとしている。ヨーロッパ全土の地下のほうから、ズズズという地鳴りのような不穏な音が響いてきた年である。
主人公、ペレイラは元は大新聞の社会部にいたが、いまは弱小新聞『リシュボア(リスボン、という意味らしい)』という新聞で、この不穏な時代にいったい誰が読むのだろうか、というようなのんびりした文芸記事を1週間に1回書いている。
彼のまわりでは地響きを察知している人が大勢いて、行きつけのカフェのボーイまでもがその一人なのだが、彼自身は新聞社で働いているというのにその音に気づかない。とういか、聞こえないふりをしている。彼に聞こえてくるのは(聞こうとしているのは)、何年も前に亡くした妻の声と、自分の不健康な心臓の音だけ。
毎日、一人暮らしをしているアパートから、街の中心部にある編集室に通い、昼には香草入りのオムレツを食べてレモネードを飲み、仕事が終われば帰宅して、家政婦がつくった冷たい夕食を食べる、という判で押したような日常をおくっている。
そんな彼が、ふとしたきっかけでロッシという一人の青年と知り合ったことから、地響きの振動がやっと彼にも伝わってきて、いつか振動の方向を変えようとする一人になっていく。
だが、ペレイラは地響きに対してどういう態度をとればいいのかわからず、とても悩むのだ。
そこで療養所の若い医師に「なにやらじぶんの人生にたいして悔やみたいような気がするのです」なんて打ち明ける。
そしたら医師が「あなたの生活は最近どうだったのでしょう? なにか事件があったのではないですか?」とたずねる。そして事件についてこんな説明をするのだ。
「事件というのは、心理学のことばでしてね。私はフロイト一辺倒ではありません、折衷主義ですから。でも、事件ということについては、フロイトは正しいと思うのです。事件とは、私たちが暮らしているなかで、なにかそれまでじぶんが信じてきたものや私たちの精神の均衡を揺るがしたり、気になったりする、そんな具体的な事柄をいいます。かいつまんでいうと、事件とは、じっさいの生活のなかで起こったことで、私たちの心理生活に影響するといった、そんな事柄です」
一人ひとりの日常が異なるように、一人ひとり「事件」となる事柄はちがう。
マスコミで報道されるから「事件」になるのではない。自分のなかで信じてきたものや、こうあるべきだと思っていたことを揺るがす事柄こそが、「事件」となりうる。
あふれるほど発信されるさまざまな情報のなかから、「事件」として自分に届く言葉はどれほどあるだろうか? というか、「事件」としてとらえる感度を自分はもっているのだろうか?
そういうことを考えさせる小説で、これを読んだことはたしかに私の「事件」だったな。
夕飯は(といきなりずっこける日常に引き戻す)豚肉のしょうが焼き、キャベツの千切り添え、大豆もやしとさつまいもの味噌汁、菜の花のゴマソースかけ、ごはん。
No.1837
1月23日(火)
ちょっとだけ休みたい
きのうは朝から打ち合わせつづきで、夜は5年ぶりくらいにお会いする出版社の方と神楽坂で飲んで終電で帰宅。5年会っていなかったとは思えないくらい、会って数分後に5年前からしゃべり続けたみたいな調子で話が弾む。終電まで、本の話、映画の話、スポーツの話、音楽の話で盛り上がった。
しかし、終電に揺られながら「ちょっとばかり疲れたな」と肩をさする。やたらとアクビが出てしまう。
火曜日はゴミ出しのない貴重な朝寝坊の日なのだが、日曜日に6時に目覚ましをかけて、そのまま遅くするのを忘れてしまっていたので、うっかり目を覚ましてしまう。
でも起き上がる気がしないので、ぐずぐずベッドのなかでミラン・クンデラを読む。本好きのレイコさんが「最近、またクンデラにはまっているんですよぉ」と新年のメールで書いてきて、そのとき偶然にも私はアマゾンで『無知』を取り寄せたところだったのだ。レイコさんは『笑いと忘却の書』が好きなんだそうだ。すぐに読もうと思っていたのだが、その前にアントニオ・タブッキにちょっとはまっていたために、クンデラを読み始めたのは今日から。
私はクンデラを『存在の耐えられない軽さ』と『笑いと忘却の書』と『冗談』くらいしか読んでなくて、去年、「亡命文学」の話をしていたときに、文学好きの人に「ぜったいに『無知』を読め。あれは亡命文学(というジャンルがあるとしたら)の傑作だ」と勧められた。読み始めたばかりだけれど、これは言葉を失うこと、見つけることの物語のような気がする。ただの予感だけれど。
タブッキについても、『インド夜想曲』『遠い水平線』くらいしか読んでいなくて、タブッキの、というより須賀敦子さんの文体に急にふれたくてたまらなくなって、『逆さまゲーム』と『供述によるとペレイラは……』を取り寄せた。
先日、後者の本を小田急線の電車のなかで読み終わり、しばらく茫然とした。
すごい小説。
いや、これでは表現が稚拙だな。
すごみがある小説。
まだ弱いかも。
文学が、そして言葉が何をなしうるか、についてひと晩くらい考え続けた。
未読の人には、ぜひ読んでもらいたい。こういう本に出会えるから、小説を読むのはやめられない。
なんてことをやっている時間は本当はないはずなんだけれど、ほんと、ちょっとだけ休みたいのですよ。肉体的にも精神的にも。
No.1833
T
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2007/01/23/20:45:24
No.1834
『供述によるとペレイラは……』は私もかなり衝撃を受けました。政治に対して消極的なペレイラはまるで現代の日本人みたいで、「これは他人事じゃないなあ」と身につまされたおぼえがあります。「供述によると〜」を枕にした冷たい観察にはぞっとしましたし、何より運命に翻弄されて自分の行く道を定めるペレイラには思わずぐっときました。
motoko
2007/01/23/21:25:51
No.1835
あ。Tさん、書き込んでいただいて感激です。『供述によると……』でカルドーゾ医師が「事件とは、私たちが暮らしているなかで、それまでじぶんが信じてきたもの(中略)を揺るがす具体的な事柄をいう」というくだりを私は何回も読み返しました。
motoko
2007/01/23/21:31:04
No.1836
私はペレイラが運命に翻弄されたとは思わないんです。「事件」が内的なものであることに気づいた彼は、自ら事件を事件たらしめたといえるのでは? 翻弄されているのはむしろロッシ青年ではないかと思いました。
1月21日(日)
力を抜く
今日は朝6時に起きて、いそいそサッカーの試合に。(ま、きのうの夜も遅くまでやっていたわけだが)自分のパフォーマンスはさておき、すごく楽しかった。負けましたがね。でも、結構いい形はできていたので、いいことにする。
サッカーだけじゃないが、スポーツをやると私が必ずコーチに言われるのが「肩に力が入りすぎ」である。
ほんとそうなんだよね。
上手に力を抜くことができない。
ふと気がつくと、力いっぱいやってしまう。
だから、スポーツは何をやらしても下手だ。
運動神経がない上に(というか、力が入るっていうのは運動神経がないからか?)力が入るから、うまくならない。
力を上手に抜くことから、上達は始まる。
それがわかっているのに、私はつい全身の力を入れてやってしまう。
そこで考えた。
もしかすると、仕事で苦労してしまうのも原因がそこにあるのではないか?
「ま、いっか。このへんで」ということがなかなかできない。
「ま、いっか。このへんんで」という人がなかなか許せない。
「ま、いっか」という人がやった仕事で、気に入らないところを、ついいじってしまう。
なんか、そういうのってよくない、と思う。
前の日記でリエさんが指摘するように、8割くらいのゆとりがあれば、8割くらいでやった人のこともおおらかに許せるんだと思う。
そういいながら、こうやって何十年もやってきた私としては、きっと一生このままやり続けるんだろうな、と思う。
夕飯は鶏団子鍋。奮発して比内地鶏のひき肉を買ってしまった。でもあまり味は変わらなかったような。
No.1832
1月19日(金)
優先順位
いま7件のプロジェクトを同時進行させているわけだが、毎日起き上がる前にベッドのなかで考えるのは「優先順位」である。
今日、今すぐにどうしてもやらなくちゃいけないことを考えること。
それが非常に重要。
優先順位をつけることができたら、仕事は3分の1が終わったも同然。
自分で決めた優先順位を付箋に書き出してモニターの上部に左から右へとはりつけ、その順番にしたがってやっていけばいい。
でもね、優先順位はあくまで「やっていく順番をつけること」であって、右端にあるからといって手抜きしていいってことじゃない。
優先の「優」は、優劣の「優」じゃないのだ。
どんな仕事であっても、仕事に手抜きは許されない。
と、私は思う。
たとえ自分が得意と思っている仕事でも、いや、得意と思って、長年やっている仕事だからこそ、100%以上の力でがんばるべきだな、と私は思う。
その仕事にかかわっている人たちをリスペクトしなくちゃね。
だから、7件のプロジェクトのすべてに私は精一杯全力であたっているつもりなのだよ。
しみじみ、5件くらいが私の限度かなと思う今日このごろ。
あああ、午後のひとときを、ワイドショーでおどろおどろしい事件のネタを仕入れて過ごしたい(そ、それか? 私のやりたいことは!)
夕飯はトマトソースとブロッコリのスパゲッティ、菜の花のオリーブソテイ、チーズケーキ。
No.1823
宇都宮徹壱
2007/01/20/01:59:25
No.1824
>優先の「優」は、優劣の「優」じゃないのだ。
恥ずかしながら、目からウロコです。
私も肝に銘じたいと思います。
ところで。
いただいた年賀状、今年の「初(笑)」とさせていただきました。
実は今度「大事な男」にお話を伺うことになりまして、対面したらちょっと噴出しそうでコワイです(笑)。
とまれ、本年もよろしくです。
motoko
2007/01/20/12:24:03
No.1825
宇都宮さん、私がエラソーなことをいえないんですけれどね。
「大事な男」といった人物が問題ってこともありますよね。でも対面して噴き出してください。今年干されそうな某若手がとっても心配。
リエ
2007/01/20/18:20:35
No.1826
水を差すようですが、私は80%の力で過不足なく、のほうが仕事がやりやすいですね。ゆとりというかたわみというかが欲しいな。
motoko
2007/01/20/22:23:07
No.1827
リエさんはいいの、すごく実力があるから8割の力でも十分。でも8割でゆとりをもたれえてしまって、納期が間に合わない、判断ミス多すぎ、こちらからチェックを入れても修正もできない、というのではやっぱり困るなあ、と。自分の実力と相談してやってもらいたいです。
zaburou@120%
2007/01/20/23:00:22
No.1828
また、水を差すようですが、
>今年干されそうな某若手がとっても心配。
誰?アキ?
リエ
2007/01/21/17:57:44
No.1829
う、元子さん苦労してるのね。それを元子さんが全部かぶっているわけね。
motoko
2007/01/21/20:38:40
No.1830
zaburouさん、そのとおり。アキが心配だったのですが、明神と一緒にランニングして「今年は健康オタクになる」宣言をしたことで、あ、大丈夫か、と。そんなことまで心配しなくちゃいけない私って…。
motoko
2007/01/21/20:40:19
No.1831
リエさん、今日考えていて、もしかするとリエさんのいう「ゆとり」と、私がいう「全力」とは意味あいがちがうような気がしました。それについてはあとで。
1月16日(火)
続けていくことが大事
ふ〜。
一冊、終わった。いや、まだまだやらなくちゃいけないことはいっぱいあるのだが、とりあえず編集者に送った。
明日は校正を仕上げなくちゃいけない本が一冊。
なんでもね、続けていくことが大事なんだ、と自分に言い聞かす。
「ええいっ! もうどうでもいい!」と投げ出してしまうことは簡単だけれど、それだとやっぱりいい仕事はできないんだわ。
あきらめずにしつこくやり続けること。
自分には向いていない。
やっていても楽しくないことがある。というか、つらい。
報酬がいいわけでもない。
ま、そういう仕事をやってるんですわ。
それでも、いったん引き受けたのであれば、できるかぎりいい作品に仕上がるように、最大限がんばる。
私にはたいして才能はないけれど、しぶとく続けるということは一種の才能かもしれない、と自虐的に思う今日このごろ。
夕飯は(きのうのことだけれど)干し貝柱でだしをとったかぶらのスープ、青梗菜のクリーム煮、酢豚。(食べることだけが楽しみな日々)
No.1822
1月11日(木)
家族はむずかしい
世間を騒がせている2件のばらばら事件は、どちらもウチの近所です。
近所っていったって、歩いていける範囲というくらいの近さだけれど(十分近所か)テレビで映るたびに、どきっとします。
あまりくわしいことを知りたい事件ではないので、通りいっぺんのことしか知らないからいい加減なことはいえないけれど、家族という、同じ家で暮らしている逃げ場のない密接な関係だからこそ、お互いに対するどろどろした感情がどんどん煮詰まっていきがちで、ふとしたことで決壊すると恐ろしいことになってしまう、というのはちょっとわかる気がします。
家族こそ、人間関係としてもっとも距離のとり方がむずかしい。
愛情というのはどんな形であれ、ある程度エゴが入ってくるものなんだと私は思っているのだけれど、お互いのエゴをどうぶつけていくか、そこのところがむずかしい。相手のエゴをリスペクトする気持ちをつねにもっていないと、愛は簡単に憎しみに変わるように思います。
なんてことは、よくわからない外部の人間が推測でいうことじゃないですね。
それにしても年明けからなんかもうばたばた。
どうしてこうすいすいすいっといかないのだろう…っていうのは自分の仕事の話です。
今日は一日中キーボードを叩きつづけて全身がばりばりいっている。
夕飯はきのうのおでんの残り。
No.1821
1月8日(月)
皮膚? 体脂肪?
こいつら
この方たちの体温調節機能はどうなっているのか? と首をかしげたのが、トルコでチャンプオンズリーグ決勝 リバプールVSミランを観戦したとき。
リバプールの
デブのおっさんたち
ふくよかな体型のおじさまたちは、私が長袖のコートを着てふるえているそばで、半袖ユニ一枚で鳥肌もたてないでビールを流し込んでいた。
ニューヨークは暖冬だというけれど、気温6度というのにタンクトップでジョギングしている方々が……。
そういや以前に、気温25度くらいのロンドンのハイドパークで、厚手ウールのコートを着ているおばさんと、タンクトップ、ホットパンツのおねーさんとが、隣り合わせでアイスクリームを食べていたのを見たことがある。
わからない。
私はいまだに理解に苦しむ。
人間は「気の持ちよう」とか「慣れ」とかで、体温を調節できるものなのだろうか?
それとも、皮膚の温度察知機能が人種によって異なるのだろうか?
それとも、たくわえた体脂肪が氷河期を生き抜いた祖先をよみがえらせるのだろうか?
私は寒いのは平気で、みんなが「寒い寒い寒い」とふるえているそばで、薄手のセーターでうろうろしたりする。
しかし、一応セーターは着るからね。半袖じゃ耐えられないからね。
体脂肪はしっかりあるけれど、それでも暑さ寒さの調節はある程度衣服でするからね。
No.1818
Hiroko
2007/01/08/17:25:47
No.1819
遅くなりましたが、おめでとうございます。
私は「皮膚の温度察知機能が人種によって異なる」に1票。いくら暖冬とはいえ、1ヶ月前近所の海でドイツ人のオジさま&オバさま(退職者)が泳いでいるのを見たときはぶったまげましたよ。日本人なら間違いなくあの世生きです。
motoko
2007/01/08/19:02:24
No.1820
Hirokoさん、今年もよろしくお願いします。
近所の海って、冬はやっぱり寒いんですよね? いやー、ドイツ人もすごいね。やりますね。でもなんで泳ぐ? そこがわからない日本人のあたし。
1月7日(日)
ようやく新年気分
って、遅いか?
なにせ12月があまりに忙しく、そのまま年を越してあっという間に1週間たってしまいました。いつ2006年から2007年に切り替わったのかはっきりした認識がない。
しかし、仕事がちょっと片付くと、新年気分になるもので。1冊仕上げると、すっかり新年気分。一年の区切りは仕事でつける。
あらためて、自分のなかでの仕事の比重の重さを実感します。
さあてと、来年度のシラバスを仕上げちゃわなくちゃ。
4月からまた大学でセンセーをします。私なんかが教えちゃっていいのかなぁ、と不安になるけれど、若い学生さんたちからはとてもいい刺激をもらえるので、もう1年がんばってみようかな、と。
ところで、いま我が家にはブラジル人の男の子がホームステイしています。
きのうはみんなでポルトガル料理を食べにいってみました。ポルトガル料理、うまい! ブラジル料理とはちょっとちがうそうですが、似たものもいっぱいあるとか。どれも素朴な味でした。
んでもって、今日は初蹴り。ほんとは3日に蹴りにいくはずだったのだが、家庭の事情でドタキャン。みなさん、ノロウイルスには気をつけましょう。
ボール蹴りにブラジル人を誘ってみたのだが、固辞されてしまった。ブラジル人ならみんなサッカーをやると思ったのだが、サッカーはいやだというブラジル人もいるのだ。
No.1817
1月4日(木)
運VS意志
元旦には近所の神社に初詣に行き、おみくじをひくのが恒例です。
いままでずーっと「小吉」で、きっとこの神社では私の顔を見たら「よーし、この人は例年どおり小吉を渡しておかんとね。ほどほどがええっつー顔しとるわ」(なぜか大阪弁)と決めつけてるのかなとかんぐっていたら、6年ぶりくらいに「大吉」が渡されました。うっほほーいと喜んでサイフにしまったのですが、ガンバは負けるし、お正月を一緒に過ごしていた親が突然具合が悪くなってバタバタやったし、なんやねん、この「大吉」は〜〜〜(エコー はぁはぁ)
というなかなかたいへんなお正月だったわけですが、さっき新幹線まで親を送り、帰る道々考えたのは、年齢を重ねるほどに、運をかるーくいなしたり、意志の力でねじふせていく技と気力が必要なのかな、ということです。
自分の力じゃどうしようもないのに、自分のほうにどさっとふりかかってくる災難(?)が、年齢に比例して増えていく気がします。友人のマリコさんは「自分ではどうしようもないことでは悩まない」といいます。きっぱりいいきるその横顔を見ながら、ああ、そうだねぇ、時間と労力の無駄だよね、と私はうなずくのですが、哀しいかな、悩んじゃったりするんですよね。「まったくツイてないなぁ」とか。
そういうときに、ちょっと見方というか、悩む方向を変えて、「自分の力でやれることってなんだろう」と考えてみたらどうかな、なんて思ったんですね。
「これをやる!」という目標をしっかり定めていれば、いろいろ障害が出てきても、「ツイてないなあ」と悩んだり、「だからあきらめようか」と投げ出したりせずに、時間はかかっても達成はできるんじゃないか、とかね。
暮れの30日からお客さんつづきだった上に、あれやこれや重なってたぶん疲れていたから気弱になっていたせいだと思います。「正月からツイてないな」なんてぼやいたのはね。
山手線のなかであらためて「大吉」のおみくじを取り出して、まずは意志の力を信じて、それから運の力に後押ししてもらおう、と思い、破り捨てるのをやめました。
そして目標。今年もしっかり仕事をしよう!
No.1815
mariko
2007/01/05/05:50:41
No.1816
そうだよ元子さん、自分でやれることは何かを考えて、それをやればいいんだ。結局どうにもならなくても、少なくとも気分はすっきりする。
1月1日(月)
あけましておめでとうございます
初日の出を拝む間もなく眠ってしまいましたが、朝8時に起床すると、とても美しい朝日が浴びられました。
穏やかで、あたたかな元旦です。
今年もグラマラス・ライフをよろしくお願いいたします。
みなさまにとって、すてきなすてきな一年でありますように!
No.1812
No.
PASS
OR
AND
スペースで区切って複数指定可能
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