Have a drink for two
今日飲んだおいしいお酒とおつまみを日記形式でお届けします。とりわけ通でもグルメでもないけれど、おいしくお酒を飲むために体調を整え、酒代を稼ぐために仕事をして、料理を研究するという飲兵衛が出会う毎日の極上のお酒の報告書です。
ご感想は一日に5人までですが、メッセージをいただけると嬉しいです。
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2007年7月の日記

7月30日(月)  ゴッドマザーの自覚
今日のノルマ達成まであと5頁。(挨拶と気合い)

その昔訳した『レッド・ホット・ママ』(コレット・ダウリング著 徳間書店)に、女は50代になると、望むと望まないにかかわらず、家族のなかでゴッドマザー的存在になる、と書かれていた。
ゴッドマザーとは、もともとはキリスト教などの宗教的儀式で母親代わりになると神の前で宣言する人のことなのだが、ここでいうゴッドマザーはそうではない。いってみれば、仕切り屋である。家族というなんともややこしい組織を円滑に運営していくために、構成員の相談にのり、あーせいこーせいと指示をする人である。
私はずっと子どもをやっているつもりで、困ったら親に相談して、親が助けてくれると頼ってきた。家族のゴッドマザーは母親であって、自分ではないと思っていた。
でも、ふと気付くと、私が親から頼られる立場になっていて、親に向ってあーせいこーせいと命じている。
子どもは成人したら、もう口も手も出さないでいいと思っていたのだが、どうもそうではないらしいと最近わかった。私がいざというときに親に頼っていたように、子どもはいざというときに(いざというときでないときも)頼ってくる。
相談を受けたり、決断を促すことのなかには、それこそ人生を決定するほどの重大事もあるのだが、たわいもないことも多い。庭木は何を植えたらいいか、とか、研修に行くのにどのコースを選べばいいか、とか、○○さんのお見舞いには何を送ったらいいか、とか。いちいちそういうことまで頼りにするな、といいたいところだが、ふと気づくと、植木屋に電話をかけて代わりに相談したり、研修旅行のパンフレットを検討したり、お見舞いのカタログを眺めて代わりに注文している私がいる。
「困った」というからついいろいろ言うとうざったがられもし、相談にのったからといって、相手が素直に私のいうことを聞くわけではなく、つまづいたら「あんたが言ったからだ」と責められ、あげくにしりぬぐいをするのはこっちだ。ゴッドマザーは中間管理職やPTAの役員どころではなく、ものすごく損な役回りだ。
だが、たぶん女にはゴッドマザーを引き受けざるをえない時期があるのだと思う。でもって、それができるのは幸せだ、感謝しろ、という人までいて、実にうざい。私はまったく感謝なんかしたくなくて、一日も早くこの役目から解放されたいのだが、この調子だとあと20年くらいは無理だろう。

なんかさ、この2か月くらい、あまりにもたくさんの相談事が持ち込まれた上に、仕事は重なるわ、留学生がきて5人分の家事をやらなくちゃいけないわ、で、ひさびさに「お願いだから探さないでください」と書き置きして蒸発したくなっている。次女に「私がある日突然どこかに消えても、1ヶ月くらいなら捜査願を出さないでね」といったら、「ごめん。その洗濯物、あたしがたたむから。頼むから消えないで」といわれた。

夕飯は「日本産」と書いてあるのを信じて買ったうなぎ。大丈夫だろうなあ。

追伸:自民党大敗について書こうと思っていたのに、なんかグチのたれこぼしをしてしまいました。お目ざわりですみません……って、選挙について書いたら、もっとグチばっかりだっただろうな。
No.1933

にゃじら  2007/07/31/22:43:24   No.1934
ごぶさたしてます。ゴッドマザー・・・私も体は動かさずに口だけが立派なゴッドマザーになりつつあります。でも、これって長女特有の現象なのでしょうか?先日年上の女性と話していて、「私にはぜんぜん人(特に親)の面倒を見る気がない」と言われ、当たり前に思っていた私はすっごく驚きました。彼女は、「次女はそういうことを長女ほど考えないと思う」と言うのですが・・・

7月24日(火)  量が質を決める
 相変わらずノルマが達成できないジツカワです。突発的に何かが起こってそれに手を取られているうちに、一日が終わってしまう。今日は、ホームステイしている留学生の具合が悪くなって、やれ薬だ、病院だ、と騒いでいるうちに半日終わりました。とほほ。大丈夫そうなので、お弁当をつくって食べさせて、私はひたすらノルマ達成に向けてがんばる! といいながらこんなもんを書いているわけですが。

 さて、間があいているうちに何をしていたかというと、母校で講演(?)をしたり、9月に出る本の宣伝用対談&写真撮影したり、アジア杯を応援したりしてました。

 20年ぶりくらいに足を踏み入れた母校ですが、変わっていたりいなかったり。2号館がわからなくてうろうろしましたが、1号館は昔私が授業を受けていたときのそのままで驚きました。30年前も古ぼけていたのに、いまも古ぼけたまんま。ときが止まっているんじゃないか。
 母校の学生は……私がいま教えている大学とあまり変わらなかった。素直で、勉強熱心で、のびのびしている。昔の私はどうだったんだろうな。
 一時期、授業中にケータイを鳴らしたり、私語が多くて授業が落ち着かなかったり、ちっとも勉強しなかったり、と大学生はさんざんないわれようとしていたこともありましたが、少なくとも私が見るかぎりでは、そんなことはまったくありません。反応はいいし、レポートを書かせたらおもしろいし、終わったら質問に来て話しこんでいくし、いろいろ考えているし、教えがいがあるってもんです。
 今回も学生たちから鋭い質問をいっぱいもらって、ほんと楽しかった。刺激を受けました。
 質問のひとつに「学生のいま、やっておいたほうがいいことはありますか?」というのがあって、私は「なんでも量をこなしておいたほうがいい」とお返事しました。
 かたっぱしから本を読む。映画を手当たりしだい見る。友だちといっぱいしゃべる。部活にひたすら打ち込む。なんでもいいんだけれど、「こんなことやって役に立つのかな?」とかあーだこーだ考えずに、時間もエネルギーも思う存分注ぎ込めるのは、学生時代しかないし、その時期にたとえムダと思っても量をこなしておけば、それがのちのちの大きな財産になると思うから。
 別に学生時代だけじゃないし、これはあくまでも私のやり方であり考え方なのだが、効率を考えずに量をこなすことによって、質が高くなっていくってことは多々あるんじゃないかと。
 とくに私のようなタイプの人が、私のような仕事をする場合には、たくさん仕事をすることによって、はじめていいものが書けるし訳せる。
 だから、私はこれからもたくさん仕事をしつづけることによって、もっともっといいものが書けて、いい翻訳ができるようになる、と信じているんだな。ま、そう思わなきゃやってられないくらい、労働集約型かつ経験蓄積型産業なんですよ、文筆業っていうのは。文筆業者の「才能」として大きな比重を占めるのが、机の前に座りつづけても苦にならない才能、だと思う。文章なんて誰でも書けるんだけれど、一定の質のものを大量に長期間にわたって書きつづけていけるかどうかが、お金をもらえるプロになれるかどうかの差のような気がします。

さて、ノルマはあと6ページ。がんばろうっと。

夕飯は鶏のピーマンとカシューナッツ炒め(でもアメリカ人はピーマンが食べられないので、なんか別のメニューを考えないと)、豆腐とさつまいもの味噌汁、ごはん。
No.1932

7月18日(水)  やれやれ
 一日のノルマを決めているのですが、どうもそのノルマがきつすぎるらしく、これまでにこなせたのが2日しかありません。は〜。
 ストレスになるだけだから、ノルマを自分に課すのはやめようと思うのだけれど、何がなんでも終わらせなくてはならない仕事があるしなあ。でも何をもって「何がなんでも……」と私は思うのだろうか。
 そんなこと考えている間に、さっさとやればいいのにね。
 ま、ここまでがあいさつ。

 最近「ああ、楽しい」「ああ、うれしい」「ああ、よかった」と心の底から思うことが、ただひとつ、ガンバのサッカーを見ているときだけっていうのは、人生、さびしいのかまちがっているのか。HDDレコーダーを買ってもらったので(夫に)、朝、歯を磨いているとき、夜、就寝前、録画しておいたガンバの試合を見て、精神を高揚/鎮静させています。どんなにいやなことがあっても、お気に入りのゴールシーンを見たら、「ま、いっか」と切り替えられるもんね。
 人生50を過ぎるといやんなっちゃうことのほうが多いんだから、こういう精神安定剤がないとつらいのよ、と自分にいいわけしています。

 さて、あと2ページ終わらせたら今日のノルマが終わる。がんばろうっと。

夕飯は肉じゃが、モロヘイヤとオクラのねばねば和え、鯛のカルパッチョ、水茄子の漬物、ごはん
No.1931

7月12日(木)  本気で泣いた
 U−20調子のりジャパンVSバカデカ・チェコ戦。
 最後のチェコのPKが決まったとたんに、選手以上に立ちあがれず涙にくれる私。
 あきらかに日本のほうがいいサッカーをしていて、実際点も2点先取しておきながら、わけわかんない審判で負けるなんて……まだ受け入れがたいんだけれど、でもこれが引き戻すことができない現実。
 ほんと、いいチームだった。
 今日で解散だけれど、きっとつぎのオリンピックでは彼らはやってくれるよ。
No.1929

7月10日(火)  ネットの不気味
 ネットというものをはじめてから19年になる。
 ひぇー、もうそんなになっちゃうんだ、といま書いていて愕然とした。
 はじめはパソコン通信で、1988年の草創期のころにチャットにはまった。当時、私は次女を出産して職場に復帰したばかり。なのに、深夜に子どもたちを寝かしつけた後にチャット→徹夜。いったいなにをやってたんだか。で、その次女がもう今年の年末に20歳になっちゃうんだ。パソコン通信→ネットとともに成長したわが子。わ、かわいそう。
 そのころに知り合った人たちといまだに交流がある。いろんな人と知り合って、それが楽しくてたまらなくて、何かというと「オフライン」という会合を繰り返し、相当に濃密な関係を築いていた。
 といいつつも、パソコン通信を知らない人には「パソコン通信で知り合った仲間」なんてことは言わなかった。あやしげな集団に入っている、あやしい人間と思われる可能性があったから。
 長続きしていまだに仲がいいのはかぎられているといいつつ、30人くらいは軽くいる。当時、パソコン通信なんていうあやしげなものに手を出していた人たちと、たぶん私はどこかで共通項があったのだと思う。新しもの好きとか、発信したがりとか、軽度(重度という人もいるだろうが)のオタクとか。
 だが、インターネットが爆発的に普及しはじめた10年前から、ネットはうさんくさいものになった。ネットを通じて知り合って仲良くなる、なんてことはもはや「アリエナイ」ことになってしまった。私はオフライン会なんてもう10年以上行ってないし、ブログやHPへの書き込みも顔を合わせたことのある知り合いにかぎっている。
 パソコン通信のときには、おぼろげながらにでも書き込みやチャットをしている人の顔が見えたし、問題人物を排除する(もしくは牽制する)力も働いたし、オフラインで顔を合わせてぎょっとすることはそれほどなかった。でも、最近は問題人物が多すぎてしまって(というより、問題人物のほうが多くなってしまって)ほんとにコワイ。
 ここでいう問題人物とは、ネット上だけで暴力的な人のことである。顔を合わせたら、あまりにもふつうの人すぎて、それがかえって衝撃という人である。しかも面と向かうと、なんにもしゃべってくれなかったり、にまにま愛想笑いしたりする。目さえも合わせてもらえない。不気味だ。
 それならmixiにしたら? といわれるのだけれど、なぜかわからないけれど、どうしてもmixiが続かない。一度思い切って1週間mixiに毎日行って日記を書いてみたのだけれど、すぐにあきた。ふと気付くとまた1ヶ月以上ごぶさで、パスワードを忘れてしまっている。どうも私はmixiが苦手らしい。
 と、まあ、ここまでが前置きで(長い!)、何がいいたいかというと、そろそろこのHPを改装しようと思っています。
 もう7年以上続けてきたわけですし、ここらで一新するのもいいかな、と。まだ計画中ではありますが、秋ごろにはなんとか。

夕飯はステーキ、ナスとじゃこの炒め物、穴子とズッキーニの酢の物 
No.1927

リエ  2007/07/10/18:14:08   No.1928
19年かあ、私も同じようなものですね(^_^)。今でも私はときどきネットで知り合った人に会うけど、オフラインパーティーというのはしなくなりましたね。電車男見ていても、なんで応援している皆が会おうとしないのか不思議だった。

motoko  2007/07/13/21:45:27   No.1930
リエさんともたぶんもう13〜4年の知り合いになるはず。長いですね。長く、密な関係を築けるネット社会というのもあるのだ、とリエさんたちと会うたびに思います。

7月9日(月)  経験の幅
 日記じゃなくて、週記になっていますね、ここ。
 3冊並行進行とアメリカ人留学生のお世話で、自分の頭の切り替えの遅さを痛感している今日このごろです。午前中翻訳して、午後にゲラ見て、あわてて夕飯つくって、夜に入稿の最終調整っていうのは、ちょっと無理あるかも。ちょっと前にやっていたことを、ずるずる引きずっちゃうんですよね。
 でも、ようやく明日で大学の授業が終わります。明日は試験。課題はもしかすると大学生にはむずかしすぎるかも。うーん、ま、いっか。一週間に一回の講義といえども、準備やレポートのコメントなどで結構な時間をとられるので、これが終わってくれるだけでも心底ほっとします。9月末まで、解放されるよ。

 そんなことはさておき、高校生や大学生と接していて思うのは「経験の幅を広げなくちゃな」ということです。10代のころに、幅広い経験を蓄積していく訓練をしておかないと、その後の人生がずいぶんまずしいものになってしまうだろうな、ということです。それは何も旅行して見聞を広めろとか、友だちをたくさんつくれ、ということにかぎらない。(もちろんそういうことも重要)。10代のころに、いろいろなものを見よう、聞こう、表現しよう、という姿勢を訓練しておかないと、年齢を重ねるにしたがって、急激に頭も身体も柔軟性を失っていくように思います。
 自分とはまったく合わない(と思いこんでいる)人とも話をしてみる。
 聴いたことがないジャンルの音楽も聴いてみる。
 苦手と思う科目もちょっとだけでいいからかじってみる。
 食べたことがない料理も味見してみる。
 敬遠しがちな人にも接近してみる。
 そういう素直な好奇心をもっていないと、経験の幅はぜったいに広がらない。と私は思う。
 ウチにやってくる娘の友だちやホームステイする海外の留学生たちを見ていると、出された料理をとにかく味見してみようとか、こちらの話に耳を傾けようとする子どもたちは、話がおもしろくて、人間味も豊かだ。彼ら彼女らはきっと豊かな人生をおくるだろうな、と予想できる。
 たしかに10代というのは、かっこ悪く見えることがすごく恥ずかしいし、自信もないから、新しいことに挑戦して失敗するのがこわいのかもしれない。
 でもね「それは自分らしくないから」という一見かっこいい理由をつけて、最初から新しい経験から逃げてしまうのはどうだろう? そもそも10代や20代のはじめの子どもが、「自分らしい生き方」とかいうと笑っちゃうんだよね。「自分らしさ」なんて口にするのは、30年早いよ! 
 経験を積んで、幅を広げて、やっと自分らしさが出てくるのではないか。
 だから周囲の若者には「なんでもやってみて! ダメだったり、失敗しても、取り返しがいくらでもきくんだから」とできるかぎり背中を押しているんだけれどね。こればかりは「親の生き方」が反映してブレーキになっていることも多いから、むずかしいです。

夕飯は穴子をいただいたので、穴子丼。アメリカ人留学生は食べないだろうなあ、たぶん。
No.1926

7月2日(月)  7月になったので
とりあえず記しておきます。

朝、ベントーをつくりながらU−20W杯@カナダ、日本VSスコットランド戦を見て、やたらと元気をもらいました。
めったに思わないけれど「若いっていいなあ」としみじみ。
得点とるごとに、ビリー・ザ・ブートキャンプのパフォーマンスをやって、ピチブー@サンフレッチェ広島のマネをした弓矢を射るマネ。終了後には全員でやっていたもんなあ(爆笑)
得点はどれも気持ちよかった。けっして楽勝ではなかったけれど、「がんがんやったるでー!」という思い切りの良さが100%でて、見ていていらつくことがほとんどなかった。ミスも多かったけれどね。
福元くんというキャプテンをやっている選手に惹かれるものがあって、脳内福元カメラがずっとまわりつづけました。なんか……おばさんから見るとけなげで。キャプテン&ディフェンダーだしね。

さて、そろそろ寝よう。

今日の夕飯。
サーモンフライ、ナスとズッキーニの素揚げ添え、アボガドとトマトとタコのサラダ。
No.1925

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