7月30日(月)
ゴッドマザーの自覚
|
|
|
今日のノルマ達成まであと5頁。(挨拶と気合い)
その昔訳した『レッド・ホット・ママ』(コレット・ダウリング著 徳間書店)に、女は50代になると、望むと望まないにかかわらず、家族のなかでゴッドマザー的存在になる、と書かれていた。 ゴッドマザーとは、もともとはキリスト教などの宗教的儀式で母親代わりになると神の前で宣言する人のことなのだが、ここでいうゴッドマザーはそうではない。いってみれば、仕切り屋である。家族というなんともややこしい組織を円滑に運営していくために、構成員の相談にのり、あーせいこーせいと指示をする人である。 私はずっと子どもをやっているつもりで、困ったら親に相談して、親が助けてくれると頼ってきた。家族のゴッドマザーは母親であって、自分ではないと思っていた。 でも、ふと気付くと、私が親から頼られる立場になっていて、親に向ってあーせいこーせいと命じている。 子どもは成人したら、もう口も手も出さないでいいと思っていたのだが、どうもそうではないらしいと最近わかった。私がいざというときに親に頼っていたように、子どもはいざというときに(いざというときでないときも)頼ってくる。 相談を受けたり、決断を促すことのなかには、それこそ人生を決定するほどの重大事もあるのだが、たわいもないことも多い。庭木は何を植えたらいいか、とか、研修に行くのにどのコースを選べばいいか、とか、○○さんのお見舞いには何を送ったらいいか、とか。いちいちそういうことまで頼りにするな、といいたいところだが、ふと気づくと、植木屋に電話をかけて代わりに相談したり、研修旅行のパンフレットを検討したり、お見舞いのカタログを眺めて代わりに注文している私がいる。 「困った」というからついいろいろ言うとうざったがられもし、相談にのったからといって、相手が素直に私のいうことを聞くわけではなく、つまづいたら「あんたが言ったからだ」と責められ、あげくにしりぬぐいをするのはこっちだ。ゴッドマザーは中間管理職やPTAの役員どころではなく、ものすごく損な役回りだ。 だが、たぶん女にはゴッドマザーを引き受けざるをえない時期があるのだと思う。でもって、それができるのは幸せだ、感謝しろ、という人までいて、実にうざい。私はまったく感謝なんかしたくなくて、一日も早くこの役目から解放されたいのだが、この調子だとあと20年くらいは無理だろう。
なんかさ、この2か月くらい、あまりにもたくさんの相談事が持ち込まれた上に、仕事は重なるわ、留学生がきて5人分の家事をやらなくちゃいけないわ、で、ひさびさに「お願いだから探さないでください」と書き置きして蒸発したくなっている。次女に「私がある日突然どこかに消えても、1ヶ月くらいなら捜査願を出さないでね」といったら、「ごめん。その洗濯物、あたしがたたむから。頼むから消えないで」といわれた。
夕飯は「日本産」と書いてあるのを信じて買ったうなぎ。大丈夫だろうなあ。
追伸:自民党大敗について書こうと思っていたのに、なんかグチのたれこぼしをしてしまいました。お目ざわりですみません……って、選挙について書いたら、もっとグチばっかりだっただろうな。
No.1933
|
|
にゃじら
2007/07/31/22:43:24
No.1934
|
|
ごぶさたしてます。ゴッドマザー・・・私も体は動かさずに口だけが立派なゴッドマザーになりつつあります。でも、これって長女特有の現象なのでしょうか?先日年上の女性と話していて、「私にはぜんぜん人(特に親)の面倒を見る気がない」と言われ、当たり前に思っていた私はすっごく驚きました。彼女は、「次女はそういうことを長女ほど考えないと思う」と言うのですが・・・
|
|
|
|