Have a drink for two
今日飲んだおいしいお酒とおつまみを日記形式でお届けします。とりわけ通でもグルメでもないけれど、おいしくお酒を飲むために体調を整え、酒代を稼ぐために仕事をして、料理を研究するという飲兵衛が出会う毎日の極上のお酒の報告書です。
ご感想は一日に5人までですが、メッセージをいただけると嬉しいです。
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2007年11月の日記

11月30日(金)  ひまになったら……
「年をとって、ひまになったらゲームしようかな」
「年とってからだが弱って旅行に行けなくなったら、ネコを飼おうかな」
 などとときどき妄想にふけります。
 娘に言ったら一蹴されました。
「いまやらないことは、どんだけひまになってもやらないよ。それにゲームはひまになったからってやるもんじゃない。ゲームが好きだから、やりたいからやるものだ。ペットだって、いま飼いたいと思っていないのが急に飼いたくなるはずがないし、そもそも世話するのが面倒なんだから、年とったら無理じゃん」
 そ、そう、そのとおりです。なんであの人はずばずば正論をいうのだろうなあ。
 でも、年をとったらボケて、そういう理性的な判断ができなくなって、いきなりプレイステーション買ってくるかも。
 ゲームなら「やーめた」と放っておいてもいいけれど、ペットショップでネコ買ってきたらどうしよう。生き物は放っておくわけにはいかない。あ、だからペット放置が社会問題になっているのか。
 そもそも「年をとったらひまになる」となるかどうか。
 両親やその友人たちの様子を見ていると「死ぬまでにこれだけはやっとかんと」と、まあ、忙しいことったら。
「え〜、私が年をとってひまになったらやりたいのはねぇ、ガンバの練習見学に通うこととか、サッカーを観にヨーロッパに行くことかな」といったら、またもや娘から「それ、いまでもやってるじゃん」と突っ込みが。
「し、試合は見に行っているけれど、練習見学は行ってないもん」と弱々しく反論してみたけれど、鼻で笑われて声は消えていきました。
 そもそも「ああ、年をとった」という自覚ができるのは何歳くらいなのだろう?
 母は70歳を超えたときにガクッときたそうです。父は75歳だといってました。人によるのかな?

 明日から12月。1年の終わりはまたまたあわただしくなりそうですね。

夕飯はうどん(いろいろ具をのせてみた)、ひじきと大豆の煮物、湯豆腐。
ただいま絶賛ダイエット中。いや〜、太りました。冗談じゃなく、デブまっしぐら。ついに無視できない現実(ウエストがきついパンツが出てきた)を突きつけられて、ジムと筋トレと食事制限中です。
 


No.2027

11月27日(火)  ブログ化
いまさらながらですが、このサイトをブログ化します。近々。
みんながミクシィに移動しているというこのときに、いまさらながらブログ。
ブログにしても何も新しいことはやりませんが、少し気分も雰囲気も変わるでしょうか。
ブログになったところで、いつも来ていただいている方々に、「新装開店特別企画」をやるご案内を出そうと思っております。お楽しみに!!

話変わって。
長女は「成人式なんかやりたくない!」と拒否したので、あっさりスルーしたのですが、とりあえず人がやることは全部やりたい次女は「成人式には当然着物着て、地元の式に出る」と言い張ります。
なので、しかたなくその手配。あれこれ調べたけれど、結局ホテルのお任せセットが一番面倒でなく、すべてのクオリティが保障されるとわかって、ヘアメイク、着つけから写真まで一括で頼んでしまいました。着るのは、私の母の振袖。母→母の妹→私→長女→次女と50年以上にわたって受け継がれている、というと「まあ、家族の歴史が……」と思われるかもしれませんが、着物や帯の柄が歴然と古い。地味。
いろいろな写真館の成人式の写真というのを見たのですが、最近の着物、とくにたぶん貸衣裳ではないかと思われる着物は、色も柄も50年前とはえらくちがいます。同じ振袖とは思えないほど。もしかすると、次女はこういう派手なのを着たいかもしれない。派手、というと語弊があるな。それじゃモダン? ぷっ
でも、成人式のときには祖母の着物を着るのもいいんじゃないかと思い直しました。「大人の女」の先輩たちの何かが染み込んでいる着物を着るのも乙ではないかと。
次女がもうすぐ二十歳。はたち。あっという間に成人しちゃうのですね。

夕飯はみぞれ汁(と名付けたけれど、よくわからない。鮭と根菜ときのこの汁椀に、大根おろしといくらをのっけて、三つ葉とゆずを散らしたもの)、さつまいもサラダ、キャベツとベーコンいためブロッコリ添え。
No.2020

ken7  2007/11/27/22:00:39   No.2021
2度目です。楽しく拝見。次女さんの誕生日は、10.11でしょうか、エじっとピアフ、ジャンコクと、ファーブル。ちなみに、種田山頭火、

motoko  2007/11/28/18:26:38   No.2022
ken7さん、いらっしゃいませ。
いえ、次女の誕生日は年末です。誕生日とクリスマスとお年玉を一括される、といつもブータレています。
私はジーコとピクシィと同じ誕生日です。あと、中日落合監督も。

 2007/11/29/12:00:40   No.2023
はじめまして、
私も成人式を迎える娘がいます。振袖のことでは随分迷いました。色も柄も今の振袖とは大違いですが、私の振袖を着ることになりました。お互いに素敵な成人式になればいいですね。

yummy  2007/11/30/09:47:00   No.2024
ずっと隠れ読者だったのですが、カミングアウトします(笑)。かつてお世話になった「人脈力」の訳者です。ブログ化大賛成! mixiに移行されたら、私は読めなくなってしまいますので…。楽しみにしております。
成人式――私もその昔、母のお下がりの着物を着ました。ちょっと周囲と柄が違ったけど、それはそれで思い出になりましたよ。

motoko  2007/11/30/10:28:20   No.2025
杏さん、わ、お仲間ですね。ウチの娘(とその友だち)は成人式で盛り上がっています。イベントが好きな世代なんでしょうか?
杏さんのお嬢さん、きっとお母さまの振袖を着ることをうれしく誇りに思っていらっしゃいますよ!! ところで、髪型をどうするのか、とウチの子がしつこく聞くのですが、どうなさいますか?

motoko  2007/11/30/10:34:21   No.2026
yummyさん、カミングアウトしてくださってありがとうございます。某Uさんから、すばらしい翻訳家さんがいらっしゃる、と常々うかがっておりました。
成人式……一時期すたれたように思っていましたが、また盛り返しているのですね。子どもが20歳になるというのは感慨深いものがあります。成人式をやるかやらないかは別にして、ひと区切りですね。

11月19日(月)  幸福感
 よく「苦労した人のほうが人間が大きくなる」とか「努力はきっと報われる」というようなことがいわれますが、50年生きてくると、さすがにそれはちょっとちがう、とわかってきます。苦労知らずでも器の大きい人は多いし、むしろ苦労でつぶれてしまう人のほうが多い。できれば苦労なんかしないほうがいいし、したくない、というのが本音ではないでしょうか? 少なくとも私はそう。
 それに「努力すれば報われる」といえるのは一部の成功者であって、報われない努力のほうが実はずっと多い。
 そんなことは人生の半ばをすぎたところで誰でもわかっているのだけど、口には出さない。それを認めてしまうと、それじゃ何のために生きているのかわからなくなってしまうから。
 と、まあ、こういう暗い後ろ向きなことをいうのは、今日話をしていた友人が「幸福感と努力することは無関係なのに、あたかも努力すれば幸福になれるような錯覚を起こさせるから、ウツになったりする人が増えるのだ」と言い出したため。
 ああ、そうだよね、と私も頷きました。
 生き方の選択肢が増えたために起こる、幸福飢餓感。おなかいっぱい食べられれば味わえた幸福感が、いまでははるかに高いレベルのものが満たされないと味わえなくなっている不幸。「おなかいっぱい食べること」という単純な命題であれば、努力の効き目もあるかもしれない。でも「人はパンのみに生くるにあらず」とかいわれちゃって、幸福の付加価値はどんどん複雑に高度なものになっていく。
 それでも、努力すれば、望んでいた何かが手に入って、それで幸福感が味わえる……という幻想にひたっていられればいいのだけれど。そもそも何を望んでいるかがわからないんだよね、と私がいうと、友人は「望みは決まってるじゃないの。幸せになることよ」と大真面目でいいました。ははは(うつろな笑い)
 今日は暗いです。いろいろあって。

夕飯はブロッコリのタルト、キャベツと豚肉のXO醤炒め、カリフラワーのポタージュ、トマトと玉ねぎのマリネ
料理は努力が報われて、おいしいものを食べられる、という実に単純で簡単な幸福への道です。 
No.2017

ふじもとゆうこ  [E-Mail] [URL]  2007/11/20/11:05:51   No.2018
おお、画面のまえで深々と頷いてしまいました。

幸福感と達成感を混同しがち……というか、達成感なしでの幸福はありえないというのもまた錯覚ですよね。よくスポーツのコーチングで「おまえなんかダメだダメだとイジメながら育てる」か「上手だねえ天才だねえとほめて育てる」かで、日本はたいてい前者のパターンだと思って、悲しくなったことがあります。

motoko  2007/11/20/17:20:48   No.2019
幸福というとらえどころ、つかみどころのないものを人生の目標にする、ということ自体がまちがっているような気がします。
ところでふじもとさん、ブログの「気になる本」がとっても気になります。私が気になるところと共通しているところ多々ありで。

11月16日(金)  『狩野永徳展』と『ブラッド・ダイアモンド』
 ばたばたしていて、しばらく日記をお休みしていました。日記どころか、ネット自体をのぞくひまもない1週間で、メールのお返事ももっぱら電話にしたりで、それでも毎日はまわっていってます。もちろんインターネットは生活に欠かせないものにはなっているけれど、なければないで1週間くらいはどうにでもなるのですね。というか、私自身もいなければいないで、1年くらいどうにでもなるかも。いや、1年といわず、このまま消えても「あれ? 最近見ないね」ですんでしまうか……汗。

 さて、先週末から大阪に帰っていたのですが、そのとき京都で『狩野永徳展』を見てきました。
 NHKで特集番組を見て事前にお勉強していったので、歴史的背景や狩野一門のあらましや見どころについては押さえていました。今回の展覧会の見どころといえば、国宝である『洛中洛外図屏風』や『唐獅子屏風』で、テレビでも詳しく紹介されていたので私も楽しみにしていました。
 ところが……実物を前にしても、いまひとつ感動がわいてこない。「ふーん、すごいね」というだけ。『洛中洛外……』は、こまかく描きこまれている人々の表情や服装や動きをひとつひとつ見ていくとおもしろいし、全体の色づかいや構図も斬新だとは思います。でも、大興奮というほどではない。
 『唐獅子』にいたっては、「大きいだけじゃない? ちょっと雑だなあ」という感想を抱いてしまう。シロートはこういう生意気なことをいうから困ります。
 で、私が一番感動して、何回も舞い戻っては眺めたのが京都聚光院『花鳥図襖』と、弟子に渡していた下絵でした。墨で描かれたもののほうが、きんきらきんの色どり豊かな絵よりもはるかに狩野永徳の才能を感じさせます。というか、彩色画の大きなものになると、弟子が描いてしまうので、なんだかおもしろくない。様式の大胆さもないし、木でも動物でも人物でも、20代のころに墨で描いたものに比べるとはるかに勢いがありません。初期の墨絵では、鳥の羽ばたきまで聞こえてきそうだし、花をそよがせる風まで感じさせる筆遣いだというのに。
 抱えきれないほどの注文に応じ、寝る暇もなく働いて過労死した画家、狩野永徳。才能が絵を描くことだけにしぼられていたらよかったのだけれど、仕事をとってきたり、弟子を食わせたりと、政治力やマネージングの能力においてもすぐれていたことが、彼のある意味での不幸だったかも。もちろん不幸なんて彼自身も狩野一門の誰も思っていなかったでしょうが。

 ついでといってはなんだけれど『ブラッド・ダイアモンド』を観ました。アフリカのダイアモンド採掘が引き起こす内戦に題材をとっている映画で、レオナルド・デカプリオが主演しています。前評判が高かったし、実際かなり興行成績もよかったのではないかと思うのですが、私はがっかりでした。
 描き方が陳腐で、問題の掘り下げがあまりにも浅い。アフリカに対する先進諸国の傲慢さえ感じてしまいました。うーん。。。。私とレオナルド・ディカプリオの相性はほんとに悪いなあ。

夕飯は大根と手羽先の煮込み、さつまいもサラダ、肉団子と春雨スープ
No.2016

11月8日(木)  はじめて本を買ってもらった日
 6歳のときだった。
 父方の祖母の家に遊びにいったら、祖母が目を細めて「もとちゃん(と私は呼ばれていた)、よう来たな。今日は好きなもん買うたるわ。何がいい? 何でもいっていいよ」と言ってくれた。
 私は祖母の手を握りながら「ご本とアイスクリーム」と答えた。
 祖母は喜んで、駅前の小さな本屋に私を連れていって「なんでも好きな本、選び。せやけど、ひとりで読める本にしや」といった。いまから考えると、子どもに読みきかせをするのは面倒くさかったのだと思う。子どものことは嫌いではないが、子どもと遊んでくれるようなことはけっしてしない。そういう人だった、祖母は。
 私が選んだのは「ピーター・パン」だった。講談社の児童文学全集に入っていた一冊だったのように思う。なぜ講談社とまで覚えているかというと、講談社という漢字が全部読めなくて、祖母に「これなんて書いてるの?」とたずねた記憶があるから。小学館と岩波書店なら読めたんだけれどね。
 そして帰り道に、駄菓子屋でカップ入りのアイスクリーム(いまでいえばアイスミルク)を買ってくれた。森永製菓の赤と青の線が入っていたのだと思う。
 祖母の家に帰ってから、私はいそいそアイスクリームを取り出し、木のヘラみたいなスプーンでカップの蓋にくっついたアイスをこそげとって食べ(そこが一番おいしいと思っていた)、ゆっくり本のページを開いて読み始めた。
 なぜそんなことを覚えているかというと、それが私が一人で読みとおした絵本以外の本だったからと、はじめて食べたカップ入りのアイスクリームだったから。私が育った家庭では、おやつといえばもらいもののカステラとか鶏卵ソーメンとかきびだんご(同居していた母方の祖父母が岡山出身だったので……)とかで、駄菓子類は食べさせてもらえなかったのだ。お菓子屋で売っているアイスクリームは衛生面で問題があるとかで、買ってもらえなかった。
 「ピーター・パン」は何もかも忘れて夢中になるほどおもしろかった。
 アイスクリームはこれ以上ないほどおいしかった。
 何がいいたいかというと、はじめての読書体験と、はじめてのアイスクリーム体験を同時にできたことは幸いだったな、ということ。
 どうもその体験が強烈だったらしく、いまでも記憶にくっきり刻まれている。子どもを本好きにするには、おいしいものと同時にというのがポイントなのかもしれない。

夕飯は肉じゃが(里芋を使ってみました)、大根とわかめの味噌汁、子持ち昆布、大根おろし
No.2015

11月6日(火)  『キンキーブーツ』
私はドラァグ・クイーンを取り上げた映画が好き。
『プリシラ』は最高!で、何回も見てしまったし、それをパクった(?)『3人のエンジェル』とか、いまや古典の『MrレディMrマダム』とかもいい。ドラァグ・クイーン映画ではないけれど、やはり男性/女性のボーダーの危うさを描いた『ヘドウィグアングリーインチ』『クライングゲーム』『プルートで朝食を』(あれ? 最後の2本はどちらもニール・ジョーダン監督だわ)もお気に入り。

そしてまた一本、お気に入りに追加された映画が。
『キンキーブーツ』
ジュリアン・ジャロルド監督(BBCでテレビ映画を撮っていた人らしい)
オフィシャルHPはこちら↓
http://www.movies.co.jp/kinkyboots/

なんてったって、主演のドラァグ・クイーン、ローラ役を演じているキウェテル・イジョフォーが最高!
もうこの人は、登場しただけで迫ってくるものがある。
舞台出身の俳優で、イギリスではじめて黒人のハムレットを演じた人だとか。わかります。演技力だけじゃなく、存在感がほかを圧倒する力がある。
舞台に立っているシーンはド迫力だし、女装した姿も「きれい」という生半可な賛辞を超越した美しさ。それにもまして、ジーンズにセーターの「男装」がいい。肉体や服装で性を表現しようとしたときの矛盾が彼(彼女)のしぐさの一つひとつにあらわれていて、笑えるというよりも、哀しみが伝わる。
この映画を見て、というより、この俳優を見て、なぜ私がこのテの映画が好きなのかがわかった。
人が生きていくときのおかしみとかなしみが浮き上がってくるから。
ドラァグ・クイーンは世間の規範という見えない厚い壁を日々いやというほど自覚させられている。そのズレにどう立ち向かうのか? 闘うのか? 自虐的になるのか? ズレを隠しとおすのか? 世間に合わせようと自分を殺す努力をするのか? 揺れ動きながら、それでも生きていかなくちゃいけない。
誰だって、多少の差や自覚の有無はあっても、世間の規範からはずれてしまったところがある。映画を見ながら感じるのは、ズレている自分を客観視するのは勇気がいることだし、客観的に見た自分のズレを自覚しながら生きていくのはエネルギーがいるってことだ。
主演のドラァグ・クイーンのローラは、ひたすら闘う人だったのが、しだいに相手に合わせるやさしさも見せるようになってくる。そのあたりの変化を、キウェテル・イジョフォーがみごとに演じている。
ズレを自覚しながら、やさしく生きていくことだってできるんだ、ということが、しょぼい靴工場で働く彼の表情が教えてくれる。
靴屋の兄ちゃんとその恋人はいまいちだったけれど、それもキウェテルの引き立て役に徹した、と考えればぴったりだったかも。

ほんと、いい映画でした。
No.2014

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