『岩佐又兵衛―浮世絵をつくった男の謎』
辻惟雄著 文春新書
表紙に、女性が刺されて血を流している胸をはだけ、瀕死の表情を浮かべている絵が妙になまなましくて、思わず手にとってしまいました。
そしたら、本文に入る前に、20ぺージほどにわたって掲載されていた絵が、これまたおかしく。
たとえば龍の絵には、こんなコメントが。
「『雲龍図』は手法こそ室町水墨画風だが、鼻毛を思い切り伸ばし口元をゆがめ、横目を白く浮き出させた表情が人間臭い。威張っているようで、なにかおどおどした目つきに、かれの心理が投影されている」
コメントのとおり、龍がちらっとこちらを見ている顔には「そんなに見んといてや」といわんばかりの表情が浮かんでいます。
描いたのは、豊臣秀吉の時代に福井で画作に励んでいた岩佐又兵衛。戦国の武将で、伊丹あたりを統治していた荒木村重の末子として生まれながら、織田信長に楯ついた父のせいで、母を含む一族が処刑され、寺に預けられて育った、という人です。私も名前くらいは聞いたことがあったけれど、どういう人物だったかくわしく知ったのはこの本を読んで、でした。
本書で何がおもしろいかったかといえば、日本の美術史専門家である著者が、どの絵が岩佐又兵衛の手によるものなのかを実証していき、それが江戸の浮世絵にどうつながっていったか、という道筋をあきらかにしていく過程です。しかも、著者の「熱」がじんわり伝わってくる。まるで、あこがれの遠い親戚を語っているかのように、情熱をこめて書いていらっしゃいます。
16世紀後半に生まれ、17世紀に画家として独立した岩佐又兵衛は数々の作品を遺した、はずです。しかし、どれが岩佐の作品なのかについては、論議が絶えなかった。そこで岩佐の筆によるとされている作品を、岩佐研究では第一人者である著者が時代ごとに取り上げ、構図、色使い、こまかく描きこむ背景や衣装の紋様といった共通点探しをします。シロートが見ると、時代によって一見同じ人が描いたとは思えないくらい画風がちがいます。専門家のなかでも長く意見が分かれた作品も数多くあったそうで、著者自身も「これは岩佐の絵ではない」ときっぱり断じていたことを、最近になって「やっぱり岩佐の絵だった」と意見をひるがえしたこともあった、と告白(?)してらっしゃいます。
浮世絵の始祖は菱川師宣とされていますが、もっと早い時代の岩佐又兵衛の風俗画(「舟木屏風」)にその源流を見ることができるのではないか、という自説を披露なさっていて、そこも興味深かった。
それに加えて、岩佐の絵のおもしろさ、今見ても斬新なところが、著者の説明を聞くとよくわかりました。表紙になっている『山中常盤物語絵巻』で、常盤(牛若丸のお母さん)が山中で強盗に襲われ、刺殺される場面にしても、表情の一つひとつ、指の動きまでもがリアリティにあふれていて、しかも色気が感じられます。著者は「マンガのようだ」と言っていますが、そのとおり、日本のマンガの原点はこのあたりにあったのか、とうなずくところも多い。
あまりにおもしろかったので、『浮世絵』(大久保純一 岩波新書)も今読んでいます。そのなかに「日本の絵は生活のなかの楽しみとして描かれることが多かった」というくだりがあって、日本の生活文化の奥深さをあらためて感じます。浮世絵なんか、庶民が競って買い求めて鑑賞していたわけで、その意味では絵画の市場もしっかり存在していたわけですよね。
日本の生活文化、あなどれず。




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