マリコさんから「本の話はおもしろいよ」と言ってもらったので、「給付金の12,000円でお願い、本を買ってシリーズ」第二弾です。
念 のために言っておくと、これはあくまで私が、たとえば夢中になって電車を乗り過ごしたり、明日はテストだというのにやめられなくて徹夜してしまったり、授 業中に読んで休み時間になったのにも気づかなかったりした本、だということです。ほかの人にとっては、同じ作家でもほかの本がイチオシ、ということもある でしょうし、傑作の評価は別にあるかもしれません。
でも、私が成長した1960年代~1970年代はじめごろ、その後の精神形成に大きな影響を与えたのは、夢中になった本たちでした。
「いつか本に埋もれた生活をしたい」というのが夢だったし、「いつか本を書く人になりたい」というのは大望でした。その夢や大望をかなえてくれるような気がした本を紹介してみたいと思います。
今回は「フェミニズムと性に目覚めさせた(爆笑)本」シリーズで。
「二人のロッテ」ケストナー
岩 波書店の少年少女向け単行本にはすぐれた作品が数多くおさめられていて、幼稚園から小学校にかけての私の精神形成にこれらの作品が与えた影響ははかりしれ ない。当時、美しい装丁のこの本は高価だったので、学校の図書室で借りて読むしかなかった。だが、誕生日とクリスマスのプレゼントとして、父方の祖母に大 手書店につれていってもらって数冊ずつ買ってもらうのが恒例になって、それはそれはうれしかった。
最初に買ってもらったのが、忘れもしないこの本。小学校3年 生のときと記憶していて、デパートの書店で買ってもらったこの本を、最上階にあったレストランで食事する間もおしく、そっと取り出して祖母と母がしゃべっ ている間読み始めたら周りの物音がいっさい聞こえなくなるくらい没頭し、前におかれたアイスクリームがすっかり溶けてしまって母に叱られたのを覚えてい る。
ケ ストナーのシリーズは全部好きで、「エーミールと探偵たち」「サーカスの小人」「飛ぶ教室」のどれも夢中になって読みふけったが、離婚した(別居している だけ?)両親に一人ずつ引き取られて別々に育った双子が、サマーキャンプで出会って取り換えっこして生活する、というストーリーがあまりにベタにステキす ぎて泣けた。だがその後、リカちゃん人形で「二人のロッテ」ごっこを一人空想遊びでやっているとき、ハタと気づいた。
「これって、女が一人で子育てするほうが経済的にも精神的にもずっとたいへんだ、母親に引き取られた子どもは、お手伝いをいっぱいするいい子でいなくちゃいけないんだ。それって、なんかおかしくない?」
はからずも、小学生でフェミニズムに目覚めさせてくれた二人のロッテだった。
「放浪記」林芙美子
たしか中学二年の時、たてつづけに三回くらい読み返したことがある。小学生のころから私は(今もだけれど)モノを書く女にものすごく憧れていて、モノカキ となった女性の話を何冊もむさぼるように読んで、自分がどうしたらその仲間入りができるかを探っていたのだけれど、思春期の初期に出会ったこの本によって 「私にはとてもモノカキになる資質がない」とうちのめされた。嫌いな言葉だけれど「生き様がちがう」と思った。もっと言えば、書きたい欲求を貫きとおす姿 勢、というか、書くための活力、というか、そんなものがちがう。
女であることとモノカキであることの葛藤。やりたいことをやり、好きな男に好きといい、落ち着きたいけれど落ち着けず、書きたい書きたいと筆をとり、そし たらふしだら、とか、あばずれ、とか、後ろ指をさされる苦しさ。自分に耽溺しているようで恐ろしいほど突き放して観察する冷徹さ。
いきなりオトシますが、林芙美子さんがついた多くの職業で私が一番「自分に資質がない」と痛感したのが、女給、でした。理由は「脚が太いから」。そのころの日記に「こんな脚ではキャバレエにつとめられない」とか真剣な悩みがつづられていて、いとをかし。
「牝猫」コレット
この本を読んで以来、「猫を飼っている」「猫が好き」という男が言ったとたん、あ、無理、と遠ざけてしまうようになったことをここで打ち明けておく。
コレット、すごいよ! ここには猫=女の共通点があますことなく書きつづられていて、猫型女にはまった男の悲劇(喜劇)も暴露している。
あのね、猫も女も相手が仲良くしようと寄ってくればくるほど逃げて、相手がそっぽをむくとすりよっていくもんなんです。そこのダンシ、よく覚えておくように。
「愛の妖精」ジョルジュ・サンド 宮崎嶺雄訳
ふ たごの兄弟が、野生の少女ファデット(たぶんジプシーなんだと思う。わからんが)に最初は反発しながらも魅かれていき、活発で単純で「男らしい」弟が結局 結婚する、という少女漫画のようなお話。夢中でした。病弱でうじうじして弟ばかりが頼りで、嫉妬でファデットをいじめまくる兄ちゃんに。これはラブストー リーというより、ダメ兄ちゃんの成長物語だ。
この本を読んで私が学んだことが2つ。
① 美しくセクシーだが、男の従属物にならずに一人の女として生き延びるためには、この人しかできない、という才能を磨いて人助けすることが重要。(ファデットは「薬草で治療できる」「精神医学の知識がある」ことで、性的魅力を隠すことなく生きていけた)
② フランスパンは外側の硬いところが美味。私がこの本に夢中になった1960年 代後半当時はまだ「フランスパン」なるものが日本で普及しておらず、たまにフランス料理やにつれていってもらったときには、硬いところを捨てて、中の白い やわらかいところだけを食べていた。でも、それはナンジャクモノのすることだと知って、以来、硬いところをガマンして食べるようになった)
「愛する時と死する時」エーリッヒ・マリア・レマルク 山西英一訳
「西部戦線異状なし」と「凱旋門」が代表作のレマルクだが、私は最初に出会ったこちらの本にすっかりハマってしまい、「西部戦線~」のすごさに気づいたのはずいぶんあとになってからだった。
ナチス時代のドイツの歴史に翻弄される男女のメロドラマ。美しく、清純で、でも強く生きている女性と、正義感あふれ、でも矛盾を抱えつつ戦いにいかされる 男性。なんといってもこの二人が会えそうで会えなくて、会ったらすぐに別れざるをえなくて、いったいいつになったら結ばれるのか、とじりじりしながら読み 切らされるところがたまらない。長じてから読み返したら、あまりのメロメロメロドラマっぷりにのけぞったのだけれど、ま、16歳くらいの女の子を骨抜きにするストーリー展開だったな、と納得。
その後、最後に必ず別れがあるけれど、そのおかげで究極のラブストーリーになるメロドラマに私は夢中になることがよくわかった。映画でいえば「ターミネーター」(爆)とか。
「中世炎上」瀬戸内晴美
想 い出深い本だ。高校二年の時、だったと思う。授業中に読んでいて、シスター(私は厳格なカトリック校に通っていた)に没収された。しかも、読んでいた箇所 が強烈な濡れ場(死語)で、ヨダレがたれそうなほど夢中になっていたので、シスターがすぐそばにいるのに気づかなかったのだ。
あとで呼び出しをくらって、親に渡すようにと「まだ読むには早すぎる本があると思いますので、ご家庭でもお子様が何を読んでいるかを把握なさり、アドバイスなさるように」とか書かれた手紙を託された。渡さなかったけれど。
後深草院の寵愛を受ける二条という女御が主人公。天性の色気があって、彼女を見た男はみんな「いけない、いけない、この人は院のオンナ」とわかっていながら忍んでいってしまい、そのカラダにすっかり溺れてしまう......というお話。どう? 16歳が夢中になりそうでしょ? 週刊誌に連載されていたのをこっそり読みふけり、単行本になったときに内緒で買い求め、授業中に読む、という暴挙に出た。だって、やめられなかったんだもん。
シスターに見つかったときに読んでいた箇所は今もはっきり覚えている。
妊娠した二条のはちきれんばかりの丸い乳房にほたるがとまって、静脈が浮いているその乳房をほんのり照らす。で、ほたるで二条が感じてしまって、院だったか誰だったか、その男がむしゃぶりついてしまう、というところ。今書いていてもエロチックすぎ。
寂聴さんはやはりこういうものを書いたその先に出家なさったのだろうか。
「序の舞」宮尾登美子
新聞小説で連載されていたときに、朝が来るのが待ち遠しいくらいだった。
上村松園という女流画家を知って、図書館でその作品集を探し、本書のタイトルになっている「序の舞」を特別な哀しみをもって眺めたのを覚えている。
な んとなく、で確かめたわけではないが、宮尾作品に一時期ハマりまくっていた私には、今読み返すとこの「序の舞」のときに、宮尾さんがほとばしるような勢い で書いていた気がしてならない。上村松園という女性の画家に自分を重ね合わせて、一人の創作者としても喜びや苦しさをともに味わいながら書きすすめたよう な気がする。それはまた、上村松園がモデルとして描く女性たちへの思いを重ね合わせているのと似ている。
創 作者として認められたい、でも描きたいものを描きたい、という二つの欲求が有名になるほど開いていくことへの葛藤。さまざまな挫折のなかで、それでも筆を とりたい、これを描きたい、という創作欲求の激しさ。そんなものが私生活の波乱万丈とともに一本貫かれている。今も忘れられない一冊だ。




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