『角川春樹句会手帖』
佐藤和歌子著
扶桑社
『entaxi』に連載されていたものが一冊にまとまった。と言っても、私は連載を知らないのだけれど。
今年に入って、いろいろやってみたいことを「年のはじめ」に書いたのだけれど、その一つが「俳句」。
なので、句集なんてものが並んでいる書棚をのぞいては、おもしろそうなものを物色する、というこれまでにない本屋行動パターンができたのだけれど、そのおかげで見つけた一冊。
この本がいいのは、「朝日歌壇」とか「俳句歳時記」を見ても、なにがいいんだか悪いんだかよくわからなかったことが、佐藤氏が事細かに(しかもユーモラスに)書きとめた、角川春樹氏の「添削」話によって、あ~なーるほど、こういう視点でつくるものなのか、俳句って、とやっと少し霧が晴れたような気がしたことだ。(まったくの余談。「霧が晴れた」と書く前に、実はお恥ずかしながら「腑に落ちる」と書いたのだけれど、これ、まちがいですね。「腑に落ちない」というのが正しい)
角川春樹氏のもと、福田和也氏、佐藤和歌子氏の2人が常連で、毎回いろいろなゲストを迎えて句会をし、撰者の角川氏があれこれ特選、佳作を選んで、添削をする。文芸関係の人ばかりでなく、脳科学者の茂木健一郎氏とか、精神科医の斎藤環氏などが入っていて、福田氏佐藤氏をはじめとして、俳句をつくったことがない人が多いのがおもしろい。
著者の佐藤氏が、角川氏の言ったことからポイントを拾って「俳句メモ」をはさんでいるのだけれど、そこでおもしろかったのが「状況説明から脱却せよ」というのと「動詞を省略せよ」という2つ。
角川氏が何かというと「それ、説明的だ」「あったことをただ並べただけだ」として「つまらん句」を酷評するのだが、メモの「俳句は日記ではない。起きたこと、思ったことを単に報告しても仕方ない」という一語に目を見開かされた思い。俳句だけじゃない。日記ではないものを書く。それが「モノを書く」ことのひとつの醍醐味なのだ。いや~、こんなところで気づいた。(「ブログに日記を書く」「それを読む」おもしろさは否定しないが)
「動詞が悪目立ちすると、焦点がぼやけてしまう」。この一言にもドキリ。動詞はとても便利な品詞で、ついつい並べてしまうのだけれど、そうするとたちまち日本語がくさくなってくる。なんかゴミがたまっているみたいな文章になる。わかってはいるんだけれど、ほかの品詞で置き換えられるかを考える手間を省いてはいけませんね。
私が気に入った句をいくつかあげておく。
売場にて日記を選ぶ鈴木かな
聞こえないふりする仕事ぼたんえび
おれがよく言っておくから日本の夏(以上、短歌詩人、斉藤斎藤氏の句より)
パソコンの灯りがともるクリスマス
粉末のココアこぼして冬銀河(佐藤和歌子氏)
銀杏のしきりに落ちる火宅かな
チンピラの一人玉突く除夜の鐘
曼珠沙華繰り返される死者の恋(高橋春男氏)
胃袋は実在してをりこどもの日
長くゐて心通はず洗鯉(寸氏)
句会って楽しそうだなあ......。




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