「白い紙/サラム」
シリン・ネザマフィ
文藝春秋
文学界新人賞と留学生文学賞を受賞した2作品。イランのテヘランで生まれ、日本に留学して現在日本で働く女性が書いた作品だ。
「白い紙」はテヘランからイラクとの国境近くの町へ、医師である父親の仕事の関係で引っ越してきた少女が主人公。田舎の町の小さな学校で、飛び抜けて学業優秀なハサンという男の子に淡い恋心を抱く。だが、イランはイスラムの掟を堅く守り、男女は幼くして席を同じくしない。年頃の男女が口をきいたりしたら、即刻退学の罰がくだる。
そんなはりつめた雰囲気のなかで、病身の母親を連れて、少女の父親の診察を受けるためにやってくるハサン少年と、少女は話すようになる。医者になりたい、というハサン。試験を受けて、テヘランの大学に行きたい、という彼を、少女はがんばれ、と励ます。
だが、イラクとの戦争が勃発し、彼らが住む町も爆撃を受ける。テヘランに帰ることになった少女に、ハサンは「明日の朝、広場に来て」と頼む。いぶかしく思いながら翌朝広場に駆けつけた少女が見たのは、徴兵された少年兵士たちを乗せたトラックにいるハサンだった......。
「未来」を考えさせる作品。というより「未来」がちっとも輝かしいものではない、むしろ絶望を招くものだ、という話。個人の未来と国の未来。こうなりたい自分と、こうあってほしい国のために犠牲になる自分。その二つが対極にあって、どこまでも噛み合わない場所と時代の悲劇。
「サラム」は日本の出入国管理事務所が舞台。アフガニスタンを逃れて日本にやってきた少女、彼女の難民認定の裁判に奔走する日本人弁護士、その通訳のアルバイトを引き受けたイラン人の留学生の3人のかかわりを描く。
日本の難民認定をめぐる矛盾した法律や、アフガニスタンの複雑な民族紛争、あらためて問い直すイラン人としてのアイデンティティ、人道支援とは何か、国と人との関係、など、さまざまな問題がからみあっているのだが、複雑な問題を複雑なまま提起しているところがいい。「こうあるべきだ」「こうあってほしい」というような提案はいっさいない。全員が無力感に打ちひしがれるにもかかわらず、読み終わったあと、なぜだか希望が見える。「白い紙」の最後より、「未来」が明るく感じられるのはなぜなのだろう?
とくに「サラム」がいい小説です。というより、私が好きな小説です。
イランを旅したときのことを思い出しました。




元子さん、こんにちは。偶然にもきのう、「ペルセポリス」という映画を観ました。1978年のイランに生まれた一人の女の子が、革命やイラクとの戦争という時代に、何を考え、どう生きてきたかということが洗練されたアニメーションと音楽を用いて描かれています。キアラ・マストロヤンニやカトリーヌ・ドヌーヴという声優陣の豪華さに惹かれて観ようと思ったのに、作品そのものの魅力にすっかりやられてしまい、イランやイランの人々のことをもっと知りたくなりました。「サラム」、さっそく読んでみます。
にゃじらさん、「ペルセポリス」は私も見ました。絵もとてもいい。絵の色彩の美しさについ見落としてしまいがちですが、中身は深刻です。でもって、私はこの映画を見て、イラン革命を時代に逆行する矛盾の多い革命で、イスラム原理主義を異常なものとしてとらえることも、西欧民主主義の傲慢なんじゃないかと思いました。これまでイラン人作家の翻訳小説を読んできましたが、どれも隔靴掻痒の感があったのは、たぶんイスラム側だけの視点で書かれていたからではないか、と「サラム」を読んで気づきました。ぜひ読んで!
ごめんなさい。コメント内で「1978年のイランに生まれた」と書いてしまいましたが、いま確認したらその時点では9歳でした。