くらくらする暑さから、働けど働けど......という日々から、自分や親や周囲の人たちの老いからの避難場所となってくれるのは、やはり読書です。ページを開けばどこかちがう世界に連れて行ってくれる本は、ほんとにありがたい友だちです。私のたいせつなどこでもドアだな。
というわけで、夏休みのうれしい興奮と、その下にあるかすかなせつない痛みを感じさせてくれた本たちをご紹介。
「しずかな日々」
椰月美智子著 講談社文庫
母子家庭の不器用な小学5年生が、転校先で友だちと出会い、すてきな先生と出会い、何より祖父と出会って同居するようになった最初の夏休みを描いたお話です。児童文学の賞をとった作家の作品で、本書も少年が主人公ではあるけれど、大人にこそ理解できる物語ではないでしょうか。
この本で最高にセクシーなのが少年のおじいさんです。物語のメインはたぶん空き地で草野球をするところなのだけれど、私はおじいさんが出てくるシーンばかりを繰り返し読んでじーんとしました。朝自分で考案した体操をし、おいしいごはんを炊いてもりもり食べ、井戸で西瓜をひやし、縁側のぞうきんがけをし、友人と将棋をさし、庭木の手入れをするおじいさん。自分で自分の生活を律し、でもけっして自分の生き方だけに固執することなく、孫の価値観や生活を柔軟に受け止めて愛情深く見守る。ほんとにセクシー。これがおばあさんだとあたりまえなのに、なぜおじいさんだとセクシーに描けるのか?
「人生は劇的ではない。ぼくはこれからも生きていく」――その言葉が胸にしみます。ついでに、この作者の「十二歳」は別の意味で名作です。
「ツバメ号とアマゾン号」
アーサー・ランサム著 神宮輝夫訳
岩波少年文庫
ずっと版切れだったのがようやく改訳で発刊されました。書評でも取り上げたので読み返し、はじめて読んだ高校生のころを思い出しました。全12巻がつぎつぎ改訳で出るそうで、ほんとに楽しみです。
あらためてこの年になって読むと、高校生のころには見えていなかったものが見えるものですね。高校生のころにはナンシィがかっこいいと思い、またスーザンに自分を重ね合わせて読んでいたのですが、今度はお母さんのふところの深さに感じ入りました。子どもをどうやって自立させるか、それを知っている人なんだわ。社会の「管理」とは何か? また個人の「自由」とは何か? それを子どもに教えられる人なんだな。
「夏休み」が単に「学校が休みだから遊ぶ時間」なのではなく、学校によってきめられている日常から離れた非日常によって、社会的訓練を積む時間なのだとわかります。組織論として読んでもおもしろい。
「丘の家のジェーン」
モンゴメリ著 村岡花子訳
新潮文庫
高校生のころの愛読書。父母が別居して、母親とともにトロントの裕福な祖母の家で暮らす少女ジェーンが、夏の間だけ父とともにランタン丘で暮らします。夏の小さな家の小さな主婦となって、思う存分家事を楽しみ、父と対等に話をすることによって大きく成長していく思春期のジェーンの姿を描いた作品です。トロントの立派な家には使用人が何人もいて、彼女は自分の部屋の掃除をすることさえ許されず、そのためもあってつねに自分が「半人前」だという情けない思いを味わっています。ヴィクトリア朝の流れをひく女性観、子ども観を持つトロントの祖母と、きわめて20世紀的かつ大衆的な子ども観の父親との間を行き来していくうちに、子ども期を脱する少女がまぶしい。
私は高校生のころ、モンゴメリ作品にどっぷりつかっていました。アンのシリーズも好きだったけれど、15歳のときに出会ったこの本と、「可愛いエミリー」を一番読んだかもしれません。ジェーンに料理をし、家を居心地よくするという生活の楽しさを教えられ、エミリーによって書くことの喜びを学びました。いま読み返すと、カナダの当時の厳然とある階級差別、移民・入植者の生活の厳しさや、ヴィクトリア朝的、かつスコットランド的の考え方にへきえきとするところもあるのですが、それでも夏休みの貴重な期間に成長していく少女の姿に胸がきゅんとなります。
夏休みにはイベントがなくっちゃ~と考えるお父さんお母さんは多いかもしれませんが、子どもの心に残っていく夏休みの思い出は、実はドラマなどない平凡な日々のちいさなルーティーンだったりするのかもしれません。そんなことを教えてくれるのも、本たちなんですね。
最後に。
「堕落する高級ブランド」 (ダナ・トーマス著・講談社)が、なんと刊行後1年以上たって、また増刷になりました(5刷)。ほんとありがたい。ありがとうございます。




コメントする