Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

5月31日に開幕したCONIFAワールドフットボールカップ@ロンドンも、あと残すところ1試合となりました。ユナイテッド・コリアンズ・イン・ジャパンは残念ながら11位、12位決定戦にまわり、明日6月9日にチベットと対戦します。
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(チベットは初参加。大会の大人気で、メディアの注目も大きい)

私がこの大会に参加するのは(2015年の欧州選手権も入れると) 4回目となるのですが、回を重ねるごとにサッカーのレベルがあがり、参加チームの意欲というか準備も本格的になりました。
古参の強豪である北イタリアを代表するパダーニアが昨日は北キプロスに接戦の末に敗れて、前回大会に引き続きまたもや3−4位決定戦に回ることになりました。一方で、決勝に勝ち上がったのが今回初参加のカルパタリア。ウクライナのハンガリーと国境を接するザカルパリア・アブラスト地域に暮らす、ハンガリー語を話す人たちのチームです。同じく、ルーマニア内でハンガリーの文化を継承するセーケイランドと戦って圧勝して勝ち上がりました。
北米代表として今回初参加のカスカディアも、スピーディーなサッカーを持ち味として上位につけています。カスカディアがここまでやるとは!! 正直、驚きです。
一方で、前回大会覇者のアブハジアは予選リーグでうまくいかず、決勝トーナメントまで勝ち上がれず。昨日の9−10位決定戦でユナイテッド・コリアンズ・イン・ジャパンと対戦し、決めるところをきっちり決めて2−0で勝ちましたが、ホストだった2年前と違って力強さは今ひとつだったかも。準優勝だったパンジャブも、決勝トーナメントに進んだものの、パダーニアに軽くいなされて5−6位決定戦にまわっています。
ユナイテッド・コリアンズ・イン・ジャパンが試合に負けてがっくりと肩を落とす私に、周囲は「そうそう簡単に勝てるもんじゃないって」「俺たちが一勝をあげるまでどれだけ苦労したと思っているんだ」とかなぐさめともなんともいえない言葉をかけてくるのですが、いやはや、やっぱり悔しいことにはかわりありません!! っていうか、なぐさめられるほどに悔しさがつのるんですけれど。
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(パンジャブに引き分けて予選リーグを突破できず、パンジャブ会長になぐさめられる私)

CONIFAはまだまだ成長過程にある組織だし、全員がボランティアで、しかも大会組織委員会で実務に奔走しているのが4人(!)で、しかも全員が30代という若さで、未熟さもあります。でも、CONIFAのメンバーは、サッカーの国際大会に参加する大きなチャンスを与えてくれるCONIFAに感謝しているチームばかりです。サッカーのためにサッカーをする、というこの大会は彼ら彼女らの大きな希望であり憧れです。
今回の大会でもめ事が起こったときの会議で、アルジェリア北部のベルベル人たちで構成されるカビリアのマネージャーが「CONIFAは自分たちの希望なんです。組織が発展していくように、私たちは全力で協力します」と言ったのにちょっと胸をうたれました。(ちょっと、と言ったのは、対戦したときにいろいろとあったので、差し引きました)
さすがに4回も顔を出していると、他チームのマネージャーやCONIFA役員とは半分親戚みたいになってきました。でも、なれあいにならずに、言うべきことはきっちり言って、やるべきことはきっちりやって、東アジアのサッカーを国際舞台でアピールできるように微力ながらもう少しがんばろう、と自分を励ましています。(はい、正直、いまちょっと疲れているので自分を励ますしかないんですよ。どっぷりつかるとどろどろの人間関係に巻き込まれたりもするから、そうそう明るく元気に頑張ろうとは言えない。)
さあ、あと2日だ!!
毎日晴天には恵まれて、ピッチも小規模ながら毎回100名近い観客がいる最高の雰囲気の中でサッカーができる、そこには本当に感謝です。
 
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5月31日に開幕したCONIFAワールドフットボールカップも大会の前半が終了。残念ながらユナイテッド・コリアンズ・イン・ジャパンはグループD3位となり、ノックアウトステージ(決勝トーナメント)には進出できませんでした。CONIFAの設立目的は「サッカーの国際試合をするチャンスがないチームにそのチャンスを与える」ことにあるので、すべてのチームがあと3試合ずつ、順位決定戦を行ないます。そのステージは明後日から始まります。優勝はなくなったけれど、順位を決める試合も非常に重要。気を抜かずに戦っていかねばなりません。
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(5月31日に行なわれた開会式で、初参加のマタベレランドは陽気なダンスを披露しました) 

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(ユナイテッド・コリアンズ・イン・ジャパンは開会式にやってきた地元の人たちと記念撮影)

とか言いながら、ようやく時差ぼけもとれて、ロンドンでの生活にも慣れてきた私は、大会の雰囲気を楽しんでいます。顔なじみの人たちとおしゃべりしたり、新しいチームに話しかけてみたりする余裕も出てきました。やはりね、スポーツの国際大会の醍醐味は、自分たちとは異なる文化や社会背景を背負っている人たちと、スポーツを通して交流することにあるのですよね。
明日は人に会いがてら、ロンドンの街中にも行ってみようかと思っています。宿泊先はロンドン郊外で、試合会場もロンドン近郊のスタジアムなので、まだ到着したときにパディントン駅でおりたくらいで、いわゆる「ロンドン」はまだ見ていないのです。いわゆるロンドンがどんなものかはわからないけれど。
 
それではもっと余裕が出て来たら、またレポートします。 

乳房文化文化研究会の運営委員になってはや20年以上がすぎました。研究活動にほとんど何も貢献していない運営委員でありますが、10年ほど前に北海道大学で中国の文化、文学、芸術を研究しておられる武田雅哉先生が書かれた「楊貴妃になりたかった男たち〜<衣服の妖怪>の文化史」(講談社選書メチエ)という本を読んですごくおもしろかったので、研究会にお呼びして講演をしていただきました。
武田先生としても、乳房文化なんてものを研究している会があることに刺激を受けられたようで、その後、ご自身でも中国だけでなくロシアや日本の乳房の図像から、歴史、文化、社会を 探っていく研究会を立ち上げられました。
研究会に呼んでいただき、日本のバストについてお話ししたことがきっかけに、中国文学、演劇を専門に研究しておられる田村容子先生に乳房文化研究会でお話しいただいたり、ご縁が深まりました。
そんな長年にわたる研究成果の集大成が、このたび岩波書店から発刊された「ゆれるおっぱい、ふくらむおっぱい〜乳房の図像と記憶」です。
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私は「日本のバスト70年〜「身だしなみ」から「自分らしさ」へ」という総論を書いています。
研究、というよりも、私的なバスト観、自分のバストに寄せる愛憎半ばする思いを書きました。身体測定データや統計は極力省き(最初は入れていたのですが、限られた枚数では数字を入れると流れがさえぎられてわずらわしかったのです)、バストを意識しはじめてから50年以上の記憶と、20年以上にわたって乳房文化研究会で聞いてきたいろいろな先生たちのお話を折り込みながら書きました。

私の原稿はともかく、22人の共著者たちが「乳房」をさまざまな視点から取り上げたことにより、乳房の奥行きと幅がぐっと広がった本になっています。乳房というと、つい女性の胸のふくらみを考えてしまいますが、男性にも乳房はあります。それなら男性は自分の乳房をどう見ているのか? 女形の役者はどうなのか? LGBTの人たちにとっての乳房は? とどんどん広がっていく乳房をとことん追いかけまくったのがこの本なのです。
日本での呼び方ひとつとっても、ちぶさ、にゅうぼう、ちち、むね、おっぱいとなんと多様なことか。 それなら中国では? ロシアでは? 政治体制が変わると乳房の見方や呼び方も変わるのか? 興味のある方はぜひ書店で手にとってください。豊富な図版を見ているだけでも、きっとくらくらしてくるはず。
 
「ゆれるおっぱい、ふくらむおっぱい〜乳房の図像と記憶」
武田雅哉編 
岩波書店(2800円+税) 

 22年前、この家に引っ越してきたとき、最寄駅の駅前には小さいながらも書店が1軒ありました。歩くと8分の隣駅にも2軒ありました。今では隣駅の駅ビルの中に1軒あるだけです。本当に寂しい。歩いて20分のところにある書店も昨年閉店しました。書店は生き延びられない運命にあるようです。
 私は書店が好きです。いや、もう「好き」という段階を超えて、愛している、いや、もっとだ、書店なくしては私は生ける屍、と言ってもいいほどです。何を大げさな、と言われるでしょうが、8歳のときから私にとって書店は「第二の自分の部屋」みたいにくつろげて楽しい場所だったし、なくてはならない居場所でした。
 電車通学だった私は、学校からの帰り道に隣駅まで寄り道して書店に立ち寄るのが楽しみでした。15歳まではお小遣いが少ないので、買うでもなく、立ち読みするでもなく、ただ、本の背表紙を眺め、ぱらぱらとめくり、あああ、大きくなったら本屋さんになろう、と思うだけでしたが、高校生になると「何を買おう」と思ってよけいに心躍る場所になりました。
 お小遣いはほぼ本に消えました。「大人の本」として初めて自分で買った箱入りの単行本は、安部公房の「無関係な死」でした。値段は覚えていないけれど、1ヶ月分のお小遣いはすっ飛びました。いや、足りなかったかも。でも、うれしかった。「幽霊はここにいる」の舞台(田中邦衛主演)を見てから、安部公房に取り憑かれていたから、どうしても彼の本が欲しかった。「図書館で借りなさい」と言われても、それじゃダメなんだと思いました。そして文庫本しか並んでいなかった自分の書棚に、赤い函に入って、薄紙のカバーがついた憧れの作家の本が並んだときは、もう誇らしくて身震いしました。
 私が通いつめた「宝盛館」という阪神芦屋駅前の書店は、今もあります。実家に帰省したとき、たまに立ち寄って存在を確かめたりしていました。
 書店ラブな話を書こうと思ったのは、昨日の日経最終面の文化ページに、作家の小野正嗣さんが寄稿なさった「書店という文芸共和国」という文章を読んだからです。
 胸、どころか、胃袋にまでしみわたるようないい文章で、最後の数行に私はとくに感動しました。ちょっと長いけれど、引用します。
「自己や他者、そして世界とよりよく向き合うために、書物を、とりわけ異国で書かれた作品を読むことを必要とする人々が確実に存在する。既知に安住することなく、異なるものへたえず好奇心を向ける読者たちが、本への愛と情熱を共有する場所としての書店。そこには、国家間の力関係からは自由な、想像力と共感を紐帯に人々が平等に交流しあう<文芸共和国>が開かれている」
 記事の内容は、出版総数に翻訳書が占める割合が3%にすぎないアメリカにあって、翻訳書を中心に扱っている書店が全国にあちこちある、という話です。うらやましい。「異なるものへたえず好奇心を向ける読者」がそれだけ存在していることがうらやましいだけではありません。そういう読者を発掘しようとする書店員の努力があり、異国の作家を呼んで読書の夕べを開く文化があること、それがうらやましいのです。
 日本の書店も相当の努力をなさっています。それでも、<文芸共和国>として経営が成り立っていく書店が、いったい日本に何軒あるでしょう? いや、それ以上に、学校帰りに子どもが気軽に立ち寄って、見知らぬ世界に存分にふれる機会をあたえてくれる書店は全国にどれくらい残っているのでしょうか?
 本は勉強のため、知識を得るための道具ではない、と私は思います。そして書店は、情報や知識や時間つぶしのための消費財を置いているスーパーではないのです。少なくとも、私にとって書店は、昔も今もワンダーランドです。何に出会えるのかわからなくて、でもきっとすてきな経験へと導いてくれる予感でわくわくと胸が高まる不思議の国、それが書店です。行ったことがない国、食べたことがない食べ物、味わったことがない感動、そんなものに出会えるワンダーランド。
 書店のない国には住みたくないです。  

85歳をすぎると半数の人が認知症になるのだそうです。認知症……(深いため息)に恐怖心を抱いている私は、本を読みまくり、すでに認知症になった気分でいるのですが、いやまだこの程度じゃすまないのが認知症らしいです。
85歳というと、あと21年。西暦2039年です。「未来の年表」(河合雅司著)によると、「深刻な火葬場不足に陥る」そうです。つまり、死ぬ人が増えすぎて、火葬場が追いつかないという状態に。日本の人口は1億を切るくらいのところまで減少し、子どもはますます希少で貴重な存在になっているとのこと。
2039年、85歳になる私の認知症元年まであと21年。世の中はどう変わっていくのでしょうか?
そもそもこの20年、44歳のときから現在まで、私の生活も、取り巻く環境も、どれほど大きく変わったことか!!
1954年生まれの私は、なんという激動の時代を生きているのか、と考えるとおそろしいような気分です。
1985年、長女が保育園の年長さんだったとき、アルビン・トフラーの「第3の波」を読んで衝撃を受けました。この子(長女)が成人するころ、私の20歳のときとは環境も社会も激変しているにちがいない、それなのに教育は戦後からほとんど変わらず、変化に対応していない。この子は20歳になったときに社会人としてまっとうに生きていけるのだろうか、と結構深刻に将来を憂えたのを覚えています。 
その後、我が家にもトフラーの予言通りITの波が押し寄せました。長女はポケベルからケータイが生活必需品となり、次女は中学生のときから父親に買ってもらったパソコンでホームページを作り、 2人とも大学の論文はワープロではなくパソコンで製作し、IT化という情報化の波に自ら楽々とのっかって今に至っています。
先日、85歳の母が「あんたの持っているほら、あれ、なんか電話のようなカメラみたいなの、あれ、私は使えんかねー」とまたもや言い出しました。実はスマホが出始めたころから、同じことをときおり突発的に言い出すのです。78歳くらいのとき、ある日突然購入してきたこともあります。(Do✖︎Mo年寄りだますのもええ加減にせい!)結局、初期設定から私に丸投げで、2回ほどさわっただけで「無理」となり、お蔵入りとなりました。解約の手間とか、ほんと無駄だったわ。
母(父もですが)はもう第3の波は乗れなかったし、乗らないですみそうです。
でも、母と21歳違いの私は乗らないと社会人として生きてこられなかった、だろうと思います。
そして私と24歳違いの娘は、物心ついたころからなんということなく第3の波に乗り、今では第4、5、6くらいの波に乗っかっています。私と31歳ちがいの次女は中学のときに父親にもらったノートパソコンで、なんなくホームページを作り、パソコンの機能を家族の誰よりも(父親よりも)駆使しました。
長女も次女も、モノを欲しがりません。流行を追いかけることにもさして興味はない。服や靴も安いファストファッションで十分、と言います。ブランド品に高いお金を払いたいとは、2人ともまったく思わないらしい。グルメな外食にも興味なし。いまだにファッション雑誌を読み、服や化粧にお金をかけている私に「遅れてるね」と言います。つまり、モノに対する姿勢、というか、価値観が私と大きく異なる。
次世代とはこれだけ価値観やものの見方が違うのだな、と思うことが、娘たちと話していて驚かされます。
そしてあと21年後、2039年、認知症元年を迎える私は、娘たち世代の価値観をどれくらい理解できるのでしょうか?
もう一度言います。
私の世代は激動の時代を生きています。これからもっと世の中は大きく変わります。
その中で、どうやって生き延びていくか。
真剣に考えて日々過ごさなければならない、と身震いしています。

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