Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

 世界があまりにめまぐるしく動いて、送られてくニュースに出てくる固有名詞や略語やアクロニム(頭文字をとった略語。たとえば最近ウケたのがTACO=Trump Always Chickens Out)にさっぱりついていけなくて、すぐにAIChatにお尋ねしてしまいます。思い出せないことやわからないことは、もうね、思い出したり調べたりすることに時間と労力を使うよりも、AIにお任せしたほうがいい、きっと。老い先短いんだし、老人こそAIを使おう
 ……なんて実はぜんぜん思っていません。AIを使いこなしたら私の老後生活が充実するとはとても思えないと悲観的です。だいたいにおいて、もうちょっと年取ったらきっと、AIに何をどうたずねたらいいのかわからなくなるだろうし。
 そもそも今でも「私の住んでいる地域で今日は洗濯物を外に干してOK?」とか聞きながら、あれ? 人類最高の発明であるAIさまの使い方の次元が低すぎないか? と自分が恥ずかしくなります。そして聞いたあとから気づくのは、AIは洗濯物を干してくれないってことです。
 先日は「今日の夕飯は何を作ったらいいかな?」と聞いたら、「和風が好みなら鶏肉と野菜の炒め物、カレーライス、パスタがよければトマトソーススパゲッティ、健康志向ならサラダボウル……」とか材料とレシピとともに答えてくれたのですが、あ〜〜〜どれも食べたいメニューじゃない、と以来レシピを聞くのはやめました。AIは材料を買いに行ってくれないし、調理もしてくれない。そういう作業はやはり人間がやることなんだわ。それに、私が何を食べたいか、は、やはり私が考えて決めないといけない。AIさまにそこを決めてもらうわけにはやはりいかないんだわ。
 で、何が言いたいかというと、現役生活を引いた高齢者は、隠遁生活をどうやってAIで充実させていけばいいのか、ということです。洗濯物をいつ干すかとか、今日のごはんは何を作ればいいか、とか日常の瑣末だけれどとても重要な「課題」の解決にAIをどう役立てていけばいいのか? それともそんなことは無理なのか?
 そもそも私のAIの使い方が根本的に間違っているのか?(たぶんそう)

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(最近またペルシャ料理を作る機会が増えました。
めずらしい料理を作るときの一番強力な指導者は料理本です)



パナスタからライトアップされた太陽の塔を眺めながらの帰り道、いっしょに観戦した人がつぶやきました。
「押し込んで押し込んでシュートを20本も打つ試合って、ガンバでは久しぶりなんちゃうかなあ。ながーいこと、シュートを一本も打てんで、押し込まれまくる試合を見せられてきたから、負けたけれどそれほど悔しくないかもなあ」
もちろんプロの試合で、3万2千人以上の観客を集めながら1点もとれずに負けてしまったことは大きな問題だと思います。それにまったく勝てていなくて、降格圏の足音がひたひたと近づいてきている状態で「負けたけれど、楽しかったから、ま、いっか」ではすまされない、でしょう。
でも、太陽の塔を見ながら私も思ったのです。「あんまり悔しくないかな。修正すればきっと勝てるようになるはず」。はい、甘いでしょうね。
それでは修正すべきところはどこなのか?
勝ち切れる試合をするために足りないものは何か?
その夜、考えてみましたがよくわかりません。
失点は一森とDFのミスを責め、レオ・セアラのうまさを褒めるべきでしょうが、それ以外は鹿島に自由にやらせなかった。攻められまくって、スーパーセーブが続いたわけでもない。むしろ攻めまくっていた。黒川キレキレ、宇佐美もうまかったし、相変わらず山下のスピードは相手の脅威になり続けた。
でも何かが足りないのでしょう。
それが何か?
答えを見つけたガンバが、リーグの後半戦に着実に勝ち点をあげる、と信じたいです。


WEリーグが今季終了し、やっと落ち着いてJリーグを(つまりはガンバを)眺められるようになりました。ガンバは直近3連敗。またもやルヴァン杯が3戦目で終了してしまった水曜日から中3日で、ACLEで準優勝だった川崎フロンターレと対戦です。
チケットはゴール裏がとれず、等々力スタジアム改装後に初めてメインスタンドで観戦しました。改装前もふくめてメインスタンドに座ったのは1回だけ。いまをさかのぼること20年前。そう、ガンバがリーグ初優勝をとげたとき以来です。いつもいつもゴール裏で、がっかりすることが多かったような記憶が残っていますが、さて、今年はどうかな〜〜とどきどきしながらスタジアムに向かいました。
前半は川崎のマルシーニョと家長の両ウィングにボールを通されることが多く、ガンバは前にボールが運べないように思いましたが、失点してから少しずつ勢いが出てきて、前半終了間際には満田のシュートがポストにあたったりと、チャンスが生まれ始めました。
ハーフタイムでどういう修正があったのか、後半開始からガンバがボールを持ち始めて、小気味良いパスまわしでゴールに何回も迫ります。
そして生まれた宇佐美のすばらしい、もうこれぞ宇佐美というゴール。その前の満田のボール奪取も黒川のマイナスのクロスもすごくすごくよかった。
それからも攻めるガンバ。右サイド(ガンバ側)で宇佐美があげたクロスに足裏で合わせたのは山下。いやもうね、その前にも黒川から山下が飛び込むシーンもありましたが、浦和戦のゴールといい、山下大進化をとげてますね。そして宇佐美のあのDFとGKの間の絶妙なところに落としたクロスのボール。あれはものすごいテクニックだと思います。
しかしその後、川崎がガンバの山下みたいなスピード&テクニックを持った伊藤という切り札(?)を入れてきてから、ガンバはペナルティエリア付近であたふた状態になり失点。
両チームとも最後までゴールを狙ってカウンターの応酬になりましたが、アディショナルタイム9分でも決着つかず。
たらればですが、宇佐美に代わって入ったヒュメットのシュート、あれ、オフサイド判定はおかしいと思うし、その前のペナルティエリアでアラーノがGKと1対1になったときにDFに引き倒されたのはDOGSO判定でしょう。メインスタンドに座っていた私の視線の延長線上にペナルティエリアがあったので、あれ〜〜〜???なんで〜〜〜???となりました。
ま、それでも終わってみれば、2−2引き分けのこの試合は、川崎もガンバも「らしさ」が出た好ゲームだったなと思います。ゴル裏もメインスタンドも試合後挨拶に来た選手たちを拍手で迎えました。勝ち点3をとることはできなかったけれど、楽しい試合だったなと帰りの足取りは軽かったです。

さて、来週は首位様と対戦。鈴木徳真選手が累積で出場停止。満田選手か倉田選手のどちらかがボランチに入るのかな? それはともかく、久々にパナスタに行くつもりです。いい試合になりますように。

 雨がときおり激しく降るなかを、全身登山グッズに身を包んで西が丘にいってきました。
 ベレーザがめざすのは勝利のみ。勝てば勝ち点で並び、得失点差でまさっているINACをおさえて優勝が決まります。できれば複数得点、完封という今季のベレーザらしいサッカーで優勝を決めたいもの。
 対戦したのは、ジェフ千葉・市原レディース。前期で完封負けしている相手です。
 先制点が欲しい。いや、それ以上に失点だけは勘弁。そう思いながら試合を見守りました。
 開始1分もしないうちに絶好の得点機をジェフのGKのスーパーセーブで逃し、勝つんだ! という気持ちをしっかり見せて観客をわかせたベレーザでしたが、その後は結構攻め込まれて、PKこそ免れたものの、ペナルティエリアの外ぎりぎりのところでのFKを与えてしまいます。このときは手に汗と雨を握りしめましたね。そのFKがゴールポストを叩いたときには、スタンドからは悲鳴があがりました。
 その時間帯で選手たちも攻め急がない、カウンターには気を付ける、と緊張感があがったせいか、むやみに前の人数を増やすのではなく、じっくりパス回ししながらラインをあげていき、中盤の優先を保とうとしている、ように見えました。
 待望の先制点が生まれたのは前半も半分以上終わったころ。
 右サイドでパスを受けた山本柚月選手がドリブルで持ち込み、ペナルティエリアの外からファーサイドにロングシュート。今季何回も見た柚月選手得意のパターンです。
 その後、左サイドの松田紫野選手がドリブルで持ち込んで胸がすくような見事なゴール。
前半を2−0で折り返したとき、なんとINACが先制されていることを知りました。でも、たぶん、いやまちがいなくINACは逆転するだろうと思いました。そしてそのとおり、結果的には3−1で逆転しました。
 後半にも山本選手の、またも右サイドからスパーッと直線のスピードの速いロングシュートが決まって3−0。あとは失点せずに試合を終わらせることがミッションとなります。
 最後を締めたのは、ベテランの宇都木選手と岩清水選手。ミッションクリアで、他会場の結果を待ってですが、優勝を決めました。
 今季、数えてみればWEリーグとカップ戦、皇后杯もふくめて女子サッカーの試合を15試合ほど観戦しました。 スタジアムが行きやすいということもあり、一番多く見たのはベレーザの試合ですが、ほかのチームの試合にも足を運びました。ベレーザは一番(私好みの)魅力的なサッカーをしていて、選手一人一人のテクニックがプロにふさわしいうまさで、楽しかったのはたしかです。でも、ベレーザはついに今季も浦和とINACには勝てていません。強いな、と感じたのは浦和とINACのほうだったし、カップ戦では優勝した広島レッジーナに試合運びのうまさと強さを感じました。新潟もあなどれなかった。
 ベレーザは松田監督は今季で退任。INACのフェリペ監督も退任。浦和もたぶん新しい監督が来るのでしょう。来季WEリーグの勢力図はどうなるのか? 楽しみでなりません。
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今年は配信ドラマに夢中になれる作品がないのと、仕事が開店休業状態なので、映画館で映画を見る機会が多いです。はい、ティピカル高齢者の日常ですね。昼間の映画館はすいていて、座っている大半はおそらくアッパー65。落ち着いて観られます。
で、観た映画を記録しておかないと忘れてしまって、また配信で見てしまって、途中で「あれ?これ見たことがあるな」とか思ったりするので、記憶に留めるために感想とともに記しておきます。
1月に見た映画は『ブラックバード、ブラックベリー、私は私』。このジョージア映画については感想をブログでも書きました。
『侍タイムスリッパー』
TOHOシネマズ新宿で鑑賞。この映画についてもちらりとふれた記憶がありますが、主演の山口馬木也さんがブルーリボン賞の主演男優賞を受賞し、受賞スピーチで涙で声をつまらせたところでは、私もじーんときました。
久しぶりの日本映画、それも時代劇で、しかも低予算で必死に作りました感たっぷりでしたが、予想外のおもしろさでした。いま配信で見られるようなので、おひまなときのエンタメにぴったりとおすすめしておきます。時代劇のなかでもとくに殺陣が好き、という人は、楽しめると思います。
『室町無頼』
TOHOシネマズ新宿で鑑賞。『侍タイムスリッパー』に誘ってくれた友人たちが、予告編でやっていたこの映画も見たいと言ったので、また時代劇を見ました。ちょっと荒唐無稽感ありでしたが、権力者が民衆の飢餓や苦しみをまったく顧みないため、無法状態になっている社会を立て直そうとする一匹狼の侍(大泉洋)の憤りは伝わってきたかな。
『エミリア・ペレス』
Bunkamuraル・シネマで鑑賞。メキシコが舞台で、マフィアのボスという超マッチョな男性が性転換して女性になり、かつて自分が苦しめた人たちを救う「聖母」になる、とこれまた荒唐無稽なあらすじをミュージカル仕立てにした映画です。クイア映画でもあるし、フェミニズム映画でもある、というふれこみで見に行ったのですが、うーん、ちょっと浅かったかなあ。エンタメにしてしまうには、扱っているテーマが重すぎたのかもしれない。
『海から来た娘たち』
ヒューマントラストシネマ渋谷で鑑賞。ル・シネマに置かれたチラシで「アメリカ黒人映画傑作選」のイベントを知り、取り上げられた作品のひとつに、私が敬愛する研究者(現代アラブ文学、パレスチナ問題、第三世界フェミニズム思想が専門)の岡真理さんが、著書『彼女の『正しい』名前とは何か』で触れていた『海から来た娘たち』があったので即チケットを購入。
素晴らしい映画でした。ジュリー・ダッシュが監督をつとめ、アフリカ系アメリカ人女性が監督した長編映画として初めて劇場公開された作品(1970年代)です。奴隷解放後の1902年に大西洋に浮かぶ島で暮らしていた黒人の一族が、よりよい未来を求めて北へ移住しようとする。でも長老のナナは、夫の墓があるこの島にとどまるという。出ていくべきだと主張する人たちと、ここに残ろうとする人たち、また奴隷を増やそうとした白人の地主にレイプされて生まれた女性のなかには、いったん島を離れたけれどまた戻ってきて島でやり直そうとする人たちもいる。1日とひと晩の出来事のなかに、アフリカから奴隷として連れてこられた前の世代の人たちの記憶が盛り込まれていて、アフリカの祖先の豊かな歴史と文化が食事や語りのなかに重低音として響いている。
別れの前に一族の記念写真を撮ることになり、子供たちも含めてみんな着飾っているシーンでは、女性たちの純白ののドレス、男性たちのスーツ姿がまぶしいほどかっこいい。別れの宴の料理も、彼ら彼女らの祖先が生まれ育った土地の文化の豊かさを伝えていました。ビヨンセがこの映画に影響を受けて、2016年のアルバム「レモネード」を作ったというのもよくわかります。もう公開されないのかな? (トランプの時代では)配信もむずかしいのか? でも機会があればぜひもう一度見たいです。
『トレンケ・ラウケン』
下高井戸シネマで鑑賞。アルゼンチンの監督ラウラ・シタレラの代表作。Part1,2合わせて4時間超の大作。南米のマジックリアリズム、フェミニズム、クイアとテーマが盛りだくさんで、エンタメの要素もたっぷりのミステリーとも見ることができて、ジャンルはもうしぼりこめないくらいです。主人公も、彼女を探す人たちも、地平線がどこまでも広がるパンパのなかを彷徨う、彷徨うだけならともかくはまりこんで抜け出せない迷宮をぐるぐる回っている。この映画を見る人も、いったいどこに連れていかれるかわからないまま彷徨っている、というような映画です! とにかくちょっとやそっとではまとめられないのだけれど、とにかくおもしろかったです。
Part1では、アルゼンチンのトレンケ・ラウケンという中部の街で、突然姿を消した若い植物学者(女性。植物学者というのがたぶんキモになっている)を探すために、彼女の恋人というブエノスアイレスからやってきた教授と、彼女の植物採集の運転手をつとめていた男性が、行方を尋ねてあちこち車で探し回ります。2人とも、なぜ女性が姿を消したのかさっぱりわからない。教授は「彼女は仕事も順調で昇進間近だったし、私生活でも私と二人で家を建てているところ。前途洋々、順風満帆だったのにそれを捨てるわけがない」と主張。運転手のほうは「彼女は図書館の本のなかに隠されていた、どうやら不倫らしい男女のエロい往復書簡を見つけて、それに夢中だった。それが何か関係しているのではないか」という。でも、女性と親しかったほかの女性たちは、男性たちのそんな話を聞くと肩をすくめて、わかっちゃないね、という顔をして「彼女なら心配ない。戻ってくるかどうかわからないけれど、彼女は大丈夫」とあっさりしたもの。
とPart1で仕込まれた伏線が、彼女の視点からどういうことだったのかが語られていくのがPart2。
でも、謎解きは映画を見る人にまかされていて、正解というか解明されるオチみたいなものはいっさいない。なので、Part2でなぜ女性がパンパを彷徨するのか、なんていうことをぜひとも知りたい人にはおすすめできません。とにかくおもしろかったです。もう1回見てもいいかな。
『リー・ミラー』
Uplink吉祥寺にて鑑賞。リー・ミラーは1907年ニューヨーク州生まれ。7歳(映画では10歳となっている)のとき、知り合いの男性にレイプされて淋病にかかるという悲劇に襲われたが、母親はそれを恥じて決して口外させなかったという。しかも父親は彼女が幼いときからティーンエイジャーになるまでヌード写真を撮り続けたというトンでも家庭で育った。思わず人が振り返るほどの美女に成長したリーは、18歳ときVOGUEなどの雑誌を出版するコンデ・ナスト社のオーナーであるコンデ・ナストに街で見初められて(自動車事故を装って目にとまるようにリーが画策した)、VOGUEのモデルになる。でも生理ナプキンのCMに出演したことで、モデルを続けられなくなり(当時は一流モデルが生理用品のモデルになるなどたいへんなスキャンダルだった)、裏方の仕事にまわされた。
やがてヨーロッパにわたり、シュールレアリストの芸術家たちと親交を深め、マン・レイのもとで写真を学ぶ。マン・レイだけでなく、数々の芸術家たちの恋人、そしてミューズとなるが、写真家としての実績をしっかりと積んでいった。
映画は彼女がそんな芸術家の一人であるロバート・ペンローズと出会って恋に落ちる1930年代後半から始まる。ロバートと結婚し、ロンドンのVOGUEで写真家&ジャーナリストとして仕事をするが、欧州は第二次世界大戦に突入。リーは周囲の反対を押し切って、アメリカ人であることを利用して従軍カメラマンとなり、逃げ惑う女性や子どもたち、また爆撃で亡くなった人々や傷病人たちを撮り続ける。やがてLIFE誌の従軍記者である(恋人でもあったらしい)デイヴィッド・シャーマンとチームを組み、最前線での取材活動にたずさわるようになる。いよいよ終戦となったとき、帰ってきてほしいと懇願する夫を振り切り、デイヴとともにドイツにジープで乗り込むリー。映画はここからそれまで自信のある強気なリーではなく、苦痛に苛まれながらも使命感から対象に勇気を持って踏み込んでいくリーの姿を描く。ケイト・ウィンスレットの表情や所作の変化がすごい。リーはホロコーストの犠牲になった人々を撮影し、そしてヒトラーが自殺した日に、ヒトラーが愛人と暮らしていた豪邸で風呂に入る写真をデイブに撮らせるところがクライマックスとなる。
終戦後、英国で暮らし、子どもも生まれたが、PTSDに苦しみ、アルコール依存症となり、肺がんで亡くなる。70歳だった。
VOGUE誌創刊100年を記念して出された分厚い写真集を私は大枚はたいて購入し、何回となくページをめくった。だからモデル時代のリー・ミラーの、うっとりするほど美しい姿は見ていたし、その経歴もだいたいのところは知っていた。だが、従軍カメラマンとしてホロコーストの現場に足を踏み入れ、軍人でさえも目をそむけたくなる収容所の犠牲者を撮影したことは知らなかった。映画館のあかりがついたとき、立ち上がるのにしばらく時間がかかった。


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