Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

私の身体には「食べものスイッチ」というのがあって、たとえば「牛肉スイッチ」が押されいると、考えること、見るもの、聞くもの、全部が「肉、ニク、にっくにく」となってしまいます。限界点まできたところで、あああ、もうダメ......と肉屋に走ってステーキを買ってきて、レアでかぶりつき、そう、これ、私の身体が求めていたのは......ちょっとエロイ? でもそれくらいの欲求です。先祖の血が呼んでいる、とはいいません。先祖はそれほど肉を食べていたとは思えないから。

そして最近は「寿司スイッチ」がONになっていたので、友人たちとの忘年会が「築地でお寿司」と聞いてからは、頭のなかをシブがき隊の「スシ食いねえ!」が延々と回り続けるという始末。

(いきなり話が飛びますが、シブがき隊の歌には「スシ食いねえ!」(「Oh!SUSHI」という英語ヴァージョンもあるの、知ってました?)だけじゃなく、文字通り飛んじゃっているものが多いといまふり返って思います。だって「飛んで火にいる夏の令嬢」ですよ! 「処女的衝撃」(ヴァージンショック)」ですよ!)

行ったのは築地の「すしざんまい」

特選 すしざんまいコース 3000円。

突き出し、サラダ、トロ、赤身、うに、いくら、平目、鯛、イカ、帆立、鰺、赤貝、ぼたん海老(私はほかのものに替えてもらったが)特大穴子、赤だし。

これだけで十分おなかいっぱいのはずなのに、雰囲気で「スシ食いねえ!」がまた回り始め、ネギトロと穴きゅうの巻物を4人前(4人で行ったのです、念のため)追加し、「もう食べられない」「しばらく寿司はいいです」というところまで食べたおしました。ビールも飲んで、一人5千円を切るお値段。シャリがちょっと甘いのがナンだけれど、ネタはそこそこよし。

築地は犬も歩けば鮨屋にあたる、という「寿司しかない地区」。今度シブがき隊が鮨屋の格好で踊り始めたら、ここに直行ですね。

ビョーキと言われれば、そう、そのとおりです、とうなだれるしかないのだが、年末の多忙ななか、高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会準決勝に行ってきました。

ガンバ大阪ジュニアユース VS 京都サンガFCU-15

結果は3-2でガンバ大阪ジュニアユースの勝利。

その前に、先週行なわれたクラブユースの大会、サハラカップの準決勝 ガンバ大阪ユースVS柏レイソルユースの試合も行っていて、そのときも、どのユースチームもトップチームとあまり変わらないスタイルのサッカーをする、という発見がありました。

サイドをうまく使ってスピードのあるパスをつあにで攻撃を展開するレイソルのスタイルはユースでも見られたし、サハラカップで同じく決勝に駒を進めたFC東京は球際の粘り強さとすばやく縦につないで効率よく得点する、というスタイルで勝負していました。

で、ジュニアユース、つまり中学生たちもそれぞれスタイルは明確に出ていました。

ガンバは足技がうまく、ボールを持てば簡単にとられず、狭いところでもパスをつなごうとし(成功するかどうかはともかく)高い位置でボールを奪ったときに一番得点のにおいがする、というところが同じ。しかも、ディフェンスがゆるゆるで、ペナルティエリアのなかに簡単に侵入を許してシュートを打たれ、セットプレーではキーマンをドフリーにするところまで同じ。WOWです。

際立って印象に残ったのは7番大森くん。ガンバユースにはいま7番をつけている大塚くんというFWがいるのですが、ポジションは違っても同じにおいがして、しかもパワフルな中学3年生でした。

この選手と、10番をつけているい望月くん(名前がなんと聖矢、せいや、という)、9番のキャプテンをしている原口くんというのが中心でしょうか。3人とも日本代表に選ばれています。

つぎのアポまで時間があったので、第二試合のFC東京VSヴェルディ(どちらもジュニアユース)の試合も前半の終わりぐらいまで観戦しました。

こちらもまた、ユースと同じスタイルのサッカーをしていました。前半終わった時点で、これはFC東京が勝つかな、と思っていたのに、終わってみればヴェルディが2-1と逆転。わからないものです。

印象に残ったのは、FC東京17番の東くん。ボール扱いがうまいというより正確で、ポジショニングがとてもいい。ボールにちゃんとからむ動きをしていました。頭のいい子なのかな。

ヴェルディでは14番の小林くん。中盤をパワフルに動き回り、こちらも大事なところには14番という働きっぷりでした。

 

 

「サラエボの花」

監督:ヤスニラ・ジュノビッチ

公式サイト:http://www.saraebono-hana.com/

 

 一発の銃弾が撃たれることがない。

 暴力シーンは一つもない。

 ときおりつぶやきのように語られることでしか、その街に悲劇があったことはわからない。

 描かれるのは、サラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナの首都)のグルバヴィッツァ地区にあるさびれたアパートで暮らす母と12歳の娘の日常である。

 仕立て物とバーでの夜間のウェイトレスの仕事でひたすら働く母と、サッカーに興じて男の子とケンカしたり、同級生とくったくなく笑い転げる娘の日常。

 その街の、その地区でたった10数年前に恐ろしい戦争が起きて、街の大半の人が死んだり行方不明になったことは、たとえば廃墟になった建物が林立している光景や、母娘が暮らすアパートになまなましく残る銃弾痕や、人々の日常会話のはしばしでしか察することができない。しかしユーモアをまじえて語られるその会話から、その戦争がどれほど人間の醜い面をむきだしにした理不尽な事件であったかがしのばれる。いや、しのばれるなんてものじゃない。ひそやかなあきらめたようなしのび笑いとともに語られるからこそ、戦争の恐ろしさが脊髄にまで到達するほど痛く重く響いてくる。

 修学旅行の費用200ユーロを工面するために、母はあちこちに頭を下げて借金しようとしたり、昼夜働いてお金を書き集めようとするのだけれど、200ユーロは大金だ。娘は母に「先生が、家族に、戦争で亡くなったシャヒード=殉教者がいたら、その証明書を出しさえすれば費用は免除になるといっていた。私のお父さんはシャヒードだっていってたよね。証明書を出してよ」というのだけれど、母は「うん、探すね。どこいったかな?」などとはぐらかして、お金の工面をするのをやめようとしない。いぶかり、自分の出生に疑いをもつ娘。

戦争で深く傷つき、絶望していた母に訪れる静かな恋。

恋する母を見て、自分が捨てられるんじゃないかと怯える娘。

その娘にも淡い恋が芽生える。お互い父親がいないもの同士のその初恋にも、戦争が暗い影を落としている。

語りすぎず(どんな思いも語らないことで生き延びてきた)、感情をむきだしにせず(感情を抑制することでしか生き延びてこられなかったことがわかる)、大げさなところがワンシーンもない。愛している、とも、憎い、ともいわない。

だが、これはこれほど人間の愛情を謳った映画はない。

私はこの映画で3回泣いたのだけれど、それはどれもなんということのないシーンだった。

そんなところで泣かす監督(弱冠32歳)はすごすぎる。

上映館は岩波ホール。

すばらしい映画です。お正月に見るのにふさわしいかどうかはともかく、「アイ・アム・レジェンド」や「恋空」を見るよりはずっと心があたたかくなり、人生が豊かになると感じられる映画です。

肩書きは「翻訳家/ライター」

「肩書きを教えてください」
 そう言われるたびに、困惑します。翻訳家とライターと使い分けているのですが、そんなエラソーな肩書きを自分が名乗っていいのだろうか、とフリーになって10年たったいまでも思います。
 とはいうものの、エラソーだと思っているのは本人だけで、翻訳家とライターという肩書きは、世間的にはまったく認知されていません。数年前に住宅ローンを組むとき、銀行から慇懃無礼に「で、いったいどんな仕事なんですか?」と何回となく訊かれました。しかたなく著書や訳書や、連載している新聞・雑誌を並べましたが、銀行員の目は最後まで疑しげでした。
 税務署に呼び出しを受けたときも、「ブンピツギョウです」というと、若い税務署員が大まじめに「分泌業」と書いたくらいです。「ちょっと待ってくださいよ。私が何を分泌してるって言いたいんですかっ!」。税務署員は赤くなって、私の言うとおり「文章の文、ふでの筆」と言いつつ書き直しましたが、できれば「フェロモンを分泌してるでしょう」くらいは突っ込んでもらいたかった。
 それはさておき、世間はホントは、なんてウサンクサイ職業なのだろうと思っているのかもしれません。それがわかるので、よけいに肩書きを名乗る声が小さくなるのかも。

 いいわけを並べましたが、あらためて肩書きは「翻訳家/ライター」です。

この仕事を始めたきっかけ

 学校を卒業してから、14年間OLをしていました。外資系会社の広報部で、PR誌の編集や記事を書く仕事です。イギリスに本部があり、そこから送られてくる英文記事を訳してプレスリリースにしたり、業界を取材して記事にしていました。そこで、なんの根拠もなく「英語が得意だ」と周囲からは思われてしまったのです。英語圏に住んだことは一度もなく、特別 に英語を使う環境にいたわけでもありません。会社で、英語を日本語に、またはその反対の作業を毎日やらされているうちに、どんどん「英語がデキル人」という誤解が積み重なっていき、気がつくと本人もその気になっていました。虚像の一人歩きはマズイかな、と小説の原書を読んだり、雑誌や新聞を訳してみたりとこっそりと勉強をしていましたが。

 そのうちにときどきアルバイトで英文記事の翻訳を雑誌社から頼まれたり、記事をまとめる仕事もするようになり、発作的に会社を辞めたときに、レギュラーの仕事を数本持っていました。いまさらほかの仕事といっても、36歳ではツブシもきかず、たぶんそのときやっている仕事が一番向いているのだろうと、翻訳とライターに本腰を入れると決めたわけです。

今後の抱負

 誰に頼まれたわけでもなく、多大な労力と時間とお金をつぎこんでこういうホームページを作ったりしているのもわかるとおり、私はモノを書くことが好きです。

 ただ、仕事となるとまた別で、お金をもらって書くのは、楽しみ半分、苦しみ半分です。頭脳労働だと思われるようですが、7割くらいは肉体労働で、体力がモノをいいます。それにこんなことを言ってはいけないけれど、原稿料も印税もたいへんに安いし、仕事は不安定です。夜中にせっせとキーボードをたたきながら、ふと「10年後はどうなっているんだろう?」と背筋が寒くなることがあります。考えてもしようがないけれど。

 それでも一ヶ月に一回くらい、この仕事をやっていてホントによかったと思える瞬間があります。われながら「うまい!」とうなりたくなるほどの訳語が見つかったとき。取材先で思わずはっと目を見開かされるようなひと言を聞いたとき。眠るのを忘れてしまう本に出会ったとき。道を歩いていて頭の中にピカリとアイデアがひらめき、走って帰ってパソコンを立ち上げるのももどかしく打ち込むとき。そういうときには、10年後も20年後も、この仕事をしていたいなあと思います。幸いにして、自分で自分をリストラしないかぎり、仕事は続けていけます。収入が途絶えて廃業の憂き目を見る心配は大いにありますが。
 仕事をする上で最低限のことでしょうが、できるかぎり納期を守り、クォリティの高いものを納品することをだいじにして、できるだけ長く翻訳とライターの仕事を続けていきたいと思っています。
 これまでどんな仕事をしてきたのか、著書と訳書の紹介は「これまでのお仕事(書籍紹介」に書いてあります。あわせてどうぞごらんになってください。

『ヴァギナ・モノローグ』
イヴ・エンスラー著
岸本佐知子訳
白水社

 今週末に「性を語る」という座談会に出席することになっていて、錚々たるメンバーを見てくらくらきているところです。
 何を語ればいいのか......たぶん99%聞き役になりそう。圧倒されそう。
 で、最近読んだ性にまつわる本を探していて、一番印象に残ったのがこの本。
 イヴ・エンスラーは劇作家で詩人。ヴァギナについて200人の女性にたずねたインタビューをもとに「一人芝居=モノローグ」を書き、1996年からソーホーの劇場で上演しました。その舞台は大あたりで、賞もとり、いまも世界中でロングランを続けています。
  この本はその作品をもとに、エンスラーがインタビューした女性たちのエピソードやヴァギナについてのさまざまな問いかけとその答え、新聞記事のクリッピン グなどを集めたもの。断片的なものが連なっているのですが、読みとおすとそこから浮かび上がってくるのは、女性の「性」について真正面から(あまりにも真 正面から)対峙したときの素直な感動です。フェミ的立場からだったり、恋愛がらみだったり、思春期や妊娠や更年期といった婦人科系の話だったりすることは あっても、ごくふつうにヴァギナと対峙することは女性にはないんじゃないでしょうか?
 対峙して「感動」なんてあるのか? という人こそ、この本を読んでほしいと思います。
 たぶん男性たちはあまり感動しないと思う......っていうか嫌いなんじゃないかな。そもそも男性は「対峙するのは、男だけに任せといてほしい」とか言い出しそう。
 それはともかく、そういや渋谷のブックファーストでこの本を買ったとき、レジカウンターの若い男性の店員さんの手が一瞬留ったような気がしたのは私の気のせいでしょうか? たぶん気のせいね。

 今日は次女の誕生会で、お友だちの若いきれいなお嬢さんたちがどっといらっしゃいました。パーティーのメイン料理はコート・ダニョー。ケーキも果物を満載したのをつくりました。20歳。ぱーっと花開くような年齢ですね。

↑このページのトップヘ