Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

「サッカーが勝ち取った自由」は今日から配本らしいです。Twitterで出版社の方から教えていただきました。(ええ、Twitterやっています、こっそり。意外なところで意外な方とつながって、久しぶりにメールを差し上げて交流復活しています。なかなかブログでは言えないグチやため息がつけるのがいいところかも。時間の無駄ってこともありますが)

私になんか訊いてどうするんだろう、と思いますが、W杯代表メンバーが発表されて以来、いろいろなかたから「岡田ジャパンをどう思いますか?」と訊かれます。岡田ジャパンって言い方がそもそもいやなんだけれど、とケンカをふっかけたくなるのを抑えて「応援していますよ」と答えることにしています。今月号のNumberのオシム氏のインタビュー記事を読んで、「私たちが応援しないで、勝てるはずがない」と思うから。否定からは何も生まれません。否定することでいいことは何もない。もう駄目だ、と言ったときから負けは始まってしまいます。

今回のW杯を、私は楽しもうと決めています。理由は「初のアフリカ大陸開催だから」。

サッカーは世界的なスポーツではありますが、やはり中心はヨーロッパ、それも西側諸国です。優れた選手や監督はもちろん、先端をいく戦術も、ルールも、お金も、すべてがヨーロッパを中心に動きます。世界最強のチームはヨーロッパにあって、欧州選手権こそ世界最強国を決める大会だとヨーロッパの人たちが主張する気持ちがわからないでもない。南米だ、ブラジルはどうした、という声が強く上がっても、ブラジル代表のスターたちがプレイしているのは、ヨーロッパのチームでしょう。

だからこそ、ヨーロッパ以外の地域でW杯が開催されることには大きな意味と意義があります。しかも政治的・社会的にさまざまな問題を抱えたアフリカ大陸の、しかも一時期、FIFAから除名されていた(1992年に復帰)南アフリカで開催されることは、世界のなかのサッカーの位置づけが大きく変わるのではないかと期待したいです。

「国」という概念が大きく揺らぎつつある現代、代表チームは何を代表しているのか、とよく考えます。1998年のフランス代表チームでは移民たちのチームにさまざまな意見が出ましたが、いまやそれどころではないほど「国」の定義は揺らいでいます。でも、アフリカではまだ「国」をつくることに大きな意味があるし、そのためにサッカーが欠かせない力を与えていることは否めません。W杯で自分たちの代表チームに声援を送ることが、アフリカの人々にとってアイデンティティの確立と団結心の昂揚にプラスに働いているはずです。(一歩まちがうと、他の「国」を攻撃する民族主義を引き起こしかねないリスクははらんでいますが)

サッカーが持つ力を見るのに、今回のW杯ほどふさわしい大会はないはず、と思いたい。

そんな気持ちで観戦したいです。

南アフリカには行かないけれど。(「サッカーが勝ち取った自由」のあとがきに書いたこととちがってすみません)

「グラマラスライフ」は2000年5月19日にオープンしました。

来週で10周年を迎えることになります。10年間、続けてこられたのはひとえに読者の皆様のおかげ。なかには「10年間ずっと読んでいます」とおっしゃってくださる方もいらして、感激します。

そこで、いつも本サイトをごらんいただいている方に、感謝のプレゼントを贈呈しようと企画しました。

前々から10周年は何かやりたいと思っていたのですが「いやいや、こんな弱小サイトで記念品贈呈なんて実はおこがましいんじゃないか」とうじうじと考えてしまいました。でも、今朝になってようやく「自分のサイトなんだから、好きにやればいいじゃないか」と決断した次第です。

それに......どなたに、どういう形で、どんな記念品を......といろいろ考えて遅くなっていた、というのもあります。

カルトクイズを出す(クイズを考えるのがたいへんすぎる、でボツ)、コラムを募集する(以前、ニフティのFBOOKで私は「コラム道場」なんてのを主催していたことがありました。なつかしいなあ。でも私が採点するのもおこがましい......というのでボツ)......など考えては打ち消しているうちにはや1か月。

そこで無難(?)なところで、

5月19日午前0時にアップする記事にコメントを書いてくださった方に記念品をプレゼント

することにします。

ただし、コメント欄の仕様上、最大5名様まで、となります。

プラス、できれば何かしらのメッセージを書いていただけますか?

お名前だけではちょっとさびしいので。

コメントをいただいた方は、その後恐れ入りますが右コラム INFORMATIONの「お問い合わせ」よりお名前と住所、メールアドレス、そして自分のプロフィールをお送りください。

http://www.motoko3.com/contact.html

プロフィールをいただくのは、その方にふさわしい、喜んでいただける記念品にしたいからです。

ガンバサポでもないのに、宇佐美選手のユニをもらったら困惑するでしょう?(ま、それは冗談)

日ごろ読んでいただいている感謝をこめての企画です。

来週、5月19日水曜日にお待ちしております。

新明解国語辞典より

「意志=困難や反対が有っても、最後までやり抜こう(絶対にすまい)という積極的な意向」

「意思=そうしたい(したくない)という本人の気持ち」

ものすごく感動したとき、またはつらいことがあって落ち込んだとき、新明解や字解を開いて今の自分に必要な言葉を探します。私は言葉によって救われる。というか、言葉しか私を救ってくれるものがいない。読むことと書くことで、はじめて前が向けます。

眠れない夜を過ごしていた昨晩、ため息をつきながら新明解を開いて「意志と意思」のちがいを眺め、今こそ自分に必要なのは「意志」だな、と考えました。

そんな大げさな気持ちを持ったのは、そう、ACLラウンド16でガンバが城南一和に完敗したから。(そんなことで、と言わないでね。私にとっては一大事)

正直、河南に引き分けたとき、「ああ、これは厳しい」と思ったし、Jリーグで川崎と引き分けたときも「今年は無理かな」と思いました。いや、そういう予想を抱いたのは昨年からです。「ガンバのこのサッカーではきついな」と思い始めたときまでさかのぼると、2007年、マグノアウベスが中東に逃げたときからかな。

それでも意志を強く持てば、道は開けると思うのですよ。

まずは一サポーターとして私が「どんなことがあってもガンバを応援する」という意志を持つことかな。

しっかし、ここ数年、私の意志の強さをおもいっきり試してくれるガンバさんだなあ。

今日は日本代表メンバー発表の日。でも私は仕事で今から出かけるので発表は見られません。残念......なのか?

発表があるといよいよW杯に向けて盛り上がっていきますね。私も盛り上がろうっと。

今日は出張講義で、昨日は準備に追われました。締め切りもあったし。

3月半ばに入稿以来、仕事に関してはちょっと気持ちが切れてアイドリング状態が続いていました。でも、W杯をにらんだ本も出たし、つぎの本のゲラも出たし、つぎにやってみたい企画もあるし......で、アイドリング脱出。エンジンをかけました。

アイドリング状態のときこそ、つぎの仕込みだな、と思います。

で、先日、ここで「春のむずむず、中国語をやってみたい」と書いたら、なんとお返事をいただいてすばらしい老師にめぐりあい、始めましたよ。鏡を見ると、我喝酒(wo he jiu)とか、何日是帰年(he ri shi gui nian)とかつぶやいて、口の形を研究したりして。eとuがうまく言えません。四声も気を抜くとまったくちがう言葉になっとるし。

言葉を学ぶと世界が広がります。コツコツだけれど続けていきたいものです。

 

サッカーが勝ち取った自由(小).jpg

南アフリカ共和国が人種差別主義に基づいた政策、アパルトヘイトを敷いていたことを、世界史の授業で学んだ人は多いだろう。経済的、社会的に白人を圧倒的に優遇し、黒人をはじめ有色人種を弾圧する悪名高いアパルトヘイトは、それに反対する人たちを徹底的に痛めつけた。反対運動を繰り広げる闘士はもちろんだが、白人の気まぐれや感情で投獄された有色人種の人たちは少なくない。形ばかりの裁判を経て、政治囚の刻印をおされて送られた刑務所はどこも過酷な環境であったが、なかでもロベン島刑務所は屈強な闘士であっても怖気をふるうほどの監獄だった。

ネルソン・マンデラがロベン島刑務所に20年以上投獄されていたことは有名だが、彼だけでなく、現在の南アフリカ共和国の要職についている多くが1960年代から1990年代にかけて収監された。

彼らはどうやって劣悪な環境と、人間としての尊厳を踏みにじられるような刑務所の体制のなかを生き延びられたのだろうか?

生き延びただけでなく、自由な国をつくるための力を得られたのだろうか?

答えは「サッカー」にあった。

獄舎のなかでシャツを丸めたものをボールに見立てて蹴って楽しんでいた男たちは、FIFAルールにのっとった試合がやりたい、と刑務所側にかけあう。何年もかけて辛抱強く交渉した結果、ついに本物のサッカーボールを屋外で蹴って試合をすることに成功する。

やがてはサッカー協会を設立し、一部から三部までのカテゴリーに分けてリーグ戦を実施するまでになった。多いときで2000人が収監されていたロベン島刑務所で、選手だけでなく、審判、トレーナー、コーチ、救急班、ピッチ整備、事務、サポーターまで、サッカーにかかわる人たち500人を数えたこともあったという。

そんなノンフィクションを描いた本書は、しかし単なる成功の美談だけを取り上げない。協会とクラブ、クラブ同士、また選手の間の対立もある。審判をめぐる不正もある。ときには選手の獲得をめぐるどろどろしたドラマもある。つまり、刑務所のなかのサッカーも、一般社会と変わらない。だが、外の世界とちがって、サッカーは受刑者同士の団結をはかるうえで欠かせないものであり、刑務所側または外の権力者たちとの交渉力を磨くための手段であり、そして明日の自由な世界をつくるための重要なエネルギー源であった。

なぜアフリカ大陸初のワールドカップが南アフリカで開催されるのか?

その意義と重要性を示す実話である、と思う。



 

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