Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

ひとりの作家にハマって、就寝時のベッドタイム読書がその人の作品ばかりということがよくあります。昨年はあさのあつこ、とくに弥勒シリーズにハマってベッド読書タイムだけでなく、移動のときもずっと読み耽っていました。今年も新刊が出てすぐにポチって一晩で読んでしまった。弥勒シリーズの何かが私の「読書琴線」に引っかかったのですが、それはたぶん主人公2人がどちらも裏の顔を持った影のある人物だからではないかと。
今年は三浦しをんにハマりました。こんなおもしろい作品になぜ今まで手をつけていなかったのかがわからないのだけれど、仕事についていろいろと考えることが多かった今年だからこそ、三浦しをんの「仕事」をテーマにした本が響いたのかも。
それとも最初に読んだのが書家が主人公の「墨のゆらめき」だったからかも。それから「秘密の花園」(女子校ものなんだけれど、まるで私が通っていた女子校が舞台になっているみたいで驚いた)「あの家に暮らす四人の女」(刺繍作家)「月魚」(古書店)「きみはポラリス」「私が語り始めた彼は」「愛なき世界」(植物学者と料理人)ときて、ずっしーんと響いたのが「まほろ駅前シリーズ」(便利屋)でした。もちろん「舟を編む」(辞書編集)「風が強く吹いている」(駅伝)という三浦しをんの代表作にも痺れましたが、いまのところ私のなかで何回も読み返してしまうのが「まほろ駅前シリーズ」かな。


ドラマにもなったけれど、私は見てません。読みながら頭のなかでずっと主人公はオダギリジョーが演じていたので、え? 瑛太ですか???と思っちゃって。

そしていまのベッドのおともは川上弘美です。まだ3冊くらいしか読んでいないのですが、早く続きが読みたくてベッドに入るのがどんどん早い時間になっています。今年出た新刊「恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ」はコロナの3年間の日記みたいな小説?で、「私はこのとき何をしていたかな?」とか重ね合わせながら読んで、ちょっと苦しくなりました。

この年齢になったら当たり前かもしれませんが、「いつまで本が読めるだろうか?」「これから夢中になる作家や本にどれだけ出会えるだろうか?」とふと不安になります。もう字が小さい文庫本は目が疲れて読めなくなり、たとえ字が大きくても重い単行本をベッドで読むのは腕が疲れます。だからお楽しみの本はもっぱら電子書籍です。
電子化されていない、ちょっと硬めの本は老眼鏡をかけて机に座って読むのですが、1時間以上同じ姿勢で本に没頭していると、Apple Watchが「そろそろスタンドの時間です」とかいってきて興が削がれます。
読書が趣味です、と胸張って言えるのはあと何年くらいだろう? ちょっと不安になってくる年の暮れです。

 藤春選手が今季でガンバを退団というニュースを聞いて、最初に脳裏にうかんだのはおそらく彼の初スタメン出場となった試合のことです。vs福岡戦で、私も福岡まで遠征していて、スタンドから観戦していました。
 ガンバの左サイドには安田、下平(敬称略)という選手がいて、安田選手が怪我や代表で抜けると下平選手が埋めていたので、大卒で入団したものの、なかなかデビューができないでいました。当時の西野監督はスタメン岩盤固定でしたからね。
 それが何かのめぐりあわせで(覚えていない)福岡戦でスタメンデビュー。それを知ったとき、楽しみ3割、不安7割だったかな。観戦していた席が前半ガンバのディフェンスライン、しかも左サイドラインの真上で、藤春選手の動きがよく見えました。で、何回となく突破され、戻りは遅く、俊足を披露する場面が一度もなく、不安が9割くらいまでに達した前半で交代になりました。それでも試合はたしか勝ったはず。
 その後、あまり起用されることがなかったのだけれど、2011年に安田選手がフィテッセに移籍したあとからは先発起用されるようになり、たしか2012年にはチームでただひとり全試合出場だったんじゃないかな? いや、降格しましたけれどね。
 2013年、J2ガンバでも全試合出場。最終戦となったザスパ草津戦にいったとき、同志やサポ仲間と「藤春、すごかったよね。一年、走り切ったね」とかいったのを覚えています。試合はぬるーーーい引き分けでしたけれど。
 藤春選手の試合観戦しての思い出は多々あるけれど、ぱーっと俊足で駆け上がったのに、なぜか急ストップしてバックパスしている姿が思い出されます。試合中、いったい何回「ふじはる〜〜〜、バックパス禁止やで!」と叫んだことか。いや、これも褒め言葉ですよ、ほんと。
 でもぱーっと駆け上がって攻撃参加よりも、だーっと駆け戻ってクリアしている姿がいまは脳裏をよぎります。
 藤春選手、いっぱいいっぱい楽しませてくれてありがとうございます。
 左サイドの春秋コンビが見られないのがさびしい。
 上から目線でごめんなさいですが、あなたはまだまだやれます。
 新しいチームで、ばーっと駆け上がってクロス、だーっと駆け戻ってクリアする勇姿をこれからも魅せてください。
 まずは一区切りです。お疲れ様、そして、これからもハルらしさを全開させてください。
 フォルツァ、ハル!!!

 他力ながら、先週の広島戦(負けたけれどね)で残留が決まりました。同志は「惨留」と言ってましたが、私も同感。セレッソ戦以降、一番私が使いたくない表現「いったい何がやりたいんだ?」があてはまる試合内容で、同じ負けるのであっても、あれはないだろうと頭を抱えたくなる……どころか目をそむけたくなりました。
 今年の前半、負け続けていたときにはそれでも「きっと何かきっかけがあればうまくいくようになるって」と信じる気持ちがあって、中盤に連勝が続いたときには「ほらね、やっぱり新生ガンバなんだよ」と思っていたのも束の間、また勝利から遠ざかってしまうという終盤。
 今季のガンバをどうとらえていいかわかりません。
 言えるのは「これでいいのか?」だけ。歯がゆいです。
 監督、選手、スタッフ、クラブ、そしてサポーター、ファン、誰もが「これでいいのか?」という歯がゆさを感じているのではないでしょうか。
 私がガンバサポだと知っている関西のトラキチの友人が「タイガースはずっとそんな歯がゆさを感じてるよ。たま〜〜〜〜に歓喜があって、あとまた沈むねん。たとえ30年に1回でも歓喜があるから、ファンはやめられんわ」といってました。そうなのか……。
 ま、それでもやめられんわ、といえるほど私のガンバ愛は熱くない、というか冷めていってしまっているみたいです。
 どうか来季はほんのちょっとでいいから「歓喜」が味わえる瞬間がありますように。

 3ヶ月にわたって取り組んできた我が家の断捨離が、ようやく9割がた完了までこぎつけました。先日も「これで終わりだ」と思ってブログに書いたのに、まだ出てくる「不要のモノ」。そしてこれだけ捨てまくっているのに、「ああ、とっておけばよかった〜〜」というものがいまのところひとつもない。どれだけ不要なものに囲まれて生活していたんだ、私。
 親の家の片付けから始まって、私の60代は断捨離に明け暮れました。すっきりしたというか、がらんとしてすーすーと何かが抜けていくみたいな部屋の真ん中に立つと「もうモノは増やさないぞ」と強く心に誓うのです。
 とくに粗大ゴミで処分しなくてはならないものを買ってはいけないぞ。
 どうしても必要だとか、欲しくてたまらなくなったら、まずリサイクルできるかどうか確かめてから購入すること。
 そんな殊勝なことを思うのですが、いつまでこの誓いが守れるか。

 実は先週シンガポールに行ってきました。あちらは常夏。着古した夏服を持っていって、捨てさせてもらいました。シンガポールにいってまで断捨離。ごめんなさい、シンガポール。
 おしゃれを諦め、思いっきり好きなだけ好きなものを食べまくって、はい、おみやげは体重です。シンガポールはマレー系、インド系、そしてもちろん中華系の料理がビュッフェにずらーっと並ぶので、毎日新しい料理を食べても食べつくせません。1日3食どころか、おやつもたっぷりで4食は食べてました。帰国前日の夜にやっとシンガポール名物のバクテーにありついたのですが、それがまたおいしい! バクテー食べるためだけに、もう一回シンガポール行きたいとまで思ってます。
 観光はまったくできなかったけれど、おいしいものをいっぱい食べられたから、ま、いいか。

 帰国したらガンバがヤバいことになっていると知りましたが、もう何事もなるようにしかならないといまは達観気分です。(達観するなよ、と思うけれど)粛々とあと2試合、来季につながるような試合をしてくださいとしかいいようがない。
 断捨離したことだし、来年は心機一転といきたいな。ガンバも私も。
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骨付き豚肉を煮込んだスープをごはんにかけるバクテーです。ぜんぜんおいしそうに見えないかもしれませんが、おじや好きの私にはたまりませんでした。

阪神タイガース、ついに日本一になりました。おめでとう!
何度も繰り返される「38年ぶりの日本一」。生涯2度目のタイガース日本一です。(といっても、以前ほど阪神に興味があるわけではありませんが、一応出身地のチームだから)
当時からは日本一になるためのレギュレーションが大きく変わっているなか、昨年優勝のオリックスをきわどくかわしての優勝の価値は大きいと思います。
 
1985年、日本一が決まった瞬間を、私は出張していた北海道で、ローカル線に乗ってつぎの目的地に向かう車内で聞きました。
スマホなど影も形もない時代。持参したラジオにイヤホンをつけて、窓の外の終わりかけの紅葉を見ながら、ハラハラドキドキその瞬間を待ちました。優勝が決まった瞬間、思わず大きなため息をついたことも覚えています。安堵のため息だったのかな。
阪神はその後も数回リーグ優勝はするものの、日本シリーズに進めなかったり、日本一には手が届かなかったり、そもそも大半は優勝からは遠く「低迷」していましたね。いまのガンバみたいに。

1985年は長女が5歳でした。その年のプラザ合意後に日本はバブルに。
次女が生まれたのはその2年後。3ヶ月の産休中、昼になると「笑っていいとも」を見ながら授乳していました。タモリはいつも好調だけど、この時期は絶好調だったような。
1990年、会社を辞めてフリーランスに。バブル崩壊の直後だったかな。初めてMyPCを購入しましたが、まだ原稿の納入はFAXがメインで、長いものになるとプリントアウトして宅配便でした。
1991年、訳書が初めて世に出ました。翌年、自著も出版されて、翻訳業とライター業で仕事していく覚悟ができました。このときも原稿はまだ長いものはFAXではなく宅配便で送っていて、締め切りに間に合わせようと夜中でもヤマト運輸の配送センターまで自転車(もちろん電動ではない)を30分以上走らせることが月2、3回ありました。インターネットも高速回線ではなかったので調べ物はもっぱら国会図書館をはじめとする大きな図書館。メールでのやりとりは「失礼にあたる」とかいわれて、ちょっとした打ち合わせでもわざわざ都心に出向いていました。
いま振り返ると、インターネットが本格的に活用できるようになって、調べもののために図書館に通うことがあまり必要なくなったのって、2000年代に入ってからなんですね。少なくとも私は。300ページの本の原稿をメールで送れるようになったのも、2000年代半ばから。原書が紙でなくデータで送られてくるようになったのは、2010年代からでしょうか。
私がスマホ(iPhone)を購入したのは2009年。スマホも仕事のやり方を変えました。
人によるでしょうが、私にとってPC→インターネット→スマホ(タブレット)は仕事のやり方を変えただけでなく、生活全般に及ぼした影響ははかりしれず。

「タイガース、38年ぶりの日本一」の連呼のおかげで、この38年を振り返ることができました。
38年はひと昔前だってことがよくわかった。
私も、日本も、世界も、この38年の間におそろしく変わりました。
振り返るチャンスを与えてくれた意味でも、タイガース、ありがとう!

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