Glamorous Life

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2月5日(火)
 グダンスク訪問の第一の目的であった「連帯ヨーロッパセンター」の見学を前日にすませてしまったので、ワルシャワに帰る列車の発車時刻である17時前までさて何をしようかと考えていたら、同行者が「ホテルのすぐ近くに第二次世界大戦博物館というのがありますよ。行ってみましょう」と提案。歩いて7分の博物館に行ってみることにしました。 ちょっと見て、おもしろくなかったら旧市街をブラブラしよう、なんて考えていたのですが、これがまたすごい充実した内容で、昼食を食べることも忘れて4時間近くを館内で過ごし、結局グダンスク中央駅まで走るはめになりました。この充実した内容で火曜日は無料、っていうのも驚きでした。
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(建築はやはりユニーク。フィンランド人建築家の設計だそうです)

 展示内容は、まさに「第二次世界大戦とは何であったのか?」をさまざまな角度からえぐったものでした。欧米国が中心ではありましたが、なんと4分の1が日本について割かれていたのです。その見せ方についても、音声ガイドとメインの映像では「歴史的事実」だけが紹介され、あとはモノ(新聞雑誌、配給切符、使われた銃器や戦車、残った瓦礫など)と体験者の「証言」のビデオ画像で紹介され、それを見て聞いた人たちが自分たちで「真実」を考える、という構成になっています。
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(戦争直前のグダンスクの町並みを再現したもの。この薄暗さは灯火管制だったからだけではなく、そのころはモノがなくて、街が薄暗かったそうです)

 日本については、なぜ戦争に踏み切ったのか、アジアの国々にどんな軍隊をどれだけ送ったのか、なぜアメリカは広島と長崎に原爆を落としたのか、日本が「侵略」した国々の人々は日本人に対してどういう感情を持っていたか、というような疑問を提起して、たくさんの画像や証言映像によって見る人がその疑問を解く手がかりを探る、という形で紹介されていました。その疑問提起→証言映像という構成方法はドイツ、イタリア、英国、フランス、スペイン、バルカン諸国、そしてポーランドと同じです。
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(日本がどういうスローガンをかかげて戦争に入っていったかを紹介するコーナーです)

 戦時中の映像や写真には相当に残酷なものもあるのですが、驚いたのは小学生から老人までもが目をそむけることなく熱心に時間をかけて見て聞いていたことでした。日本のコーナーでも大勢の若者たちが音声ガイドを聞きながら映像を見ていました。「歴史教育の重要性」がここポーランドでは認識されている、という印象を持ちました。
 ホロコーストを生き残ったユダヤ人から日本の従軍慰安婦だった人たちまで、多くの証言者たちがビデオで「戦後70年たった今だから話せることがある。自由にものが言えない時代も長かったし、その後も立場の違いから、体験したことの真実を話せないことも多かった」といっていたのがとても心に残りました。
戦争がどれだけ多くの人たちの人生を破壊してしまうか。それを思い知らされて、どっと疲労してグダンスク駅に向かったのでした。

2月6日(水)
 いよいよポーランドともお別れです。私が昼過ぎ出発のフライトなので、お昼前には空港に向かわねばならない。朝食をとりながら「午前中に行き残したところを散歩しよう」ということになり、ショパン博物館とワルシャワ大学日本語学科を見学しに行くことにしました。
 ショパン博物館までわずか5分のところに宿泊していたのに、見学に行くことを考えもしなかった私たちって……。まだ開館前だったので、そこは写真におさめるだけにして、ワルシャワ大学に向かいました。
「日本語学科ってどこだろう?」と右往左往していたら、後ろから「何かお探しですか?」と女性に声をかけられました。日本語学科を探している、というと、「あら、留学したいの?」と聞かれて、いや、したいけれど、そうじゃなくて今はただ見学したいだけ、というと、「私はエコノミストだからよくわからないけれど、きっとここよ!」と連れて行ってくれました。
ショパンが生まれて育ったという建物に入っているオリエンタル学部の一角に、日本語学科はありました。親日のポーランドでは、日本語と韓国語の人気がとても高くて、難関なんだそうです。アンナさん、その難関をくぐりぬけて通訳になっているなんて、すごいなあ! 
案内してくれたアガサさんに「またポーランドで会いたいね!」と挨拶をしてホテルに急ぎ戻り、空港に向かったのでした。

2週間のポーランド滞在で、たくさん考えさせられ、おおいに発奮、啓発されました。
もちろんたったの2週間でポーランドの何かがわかったなんておこがましいことは言えません。でも、この国は過去の(悲惨な)歴史を振り返り、二度と残酷で悲惨なことを起こさないようにしなくては、という思いがとても強いことは伝わってきました。
ひるがえって日本はどうなんでしょうか? 過去の歴史に学んでいるのだろうか? 私自身も自分の国の歴史をあまりにも知らなさすぎることを痛いほどに反省しています。 その意味で「歴史を学びなおそうと決意した旅」であったとも言えます。

2月3日(日) 
ポーランド・ユダヤ人博物館見学というやや重いテーマを追いかけた前日だったので、午前中は少しゆっくりしてから、レギア・ワルシャワのスタジアム見学に出かけました。ポーランド・リーグは現在中断期間中。残念ながら試合観戦はかなわなかったのですが、クラブの歴史を紹介する展示を観ていると、同行者が「実川さん! スタジアムツアーがあるそうです!」と走って呼びにきてくれました。
大急ぎでチケット(一人、20ズウォチ=600円)を買って、お兄さんが案内してくれるツアーに参加しました。男の子を連れたお父さん、おそらくレギア・ワルシャワのファンであるお兄さん、そして私たちでツアーに出発。まずはエレベーターで4階まであがって、最上階のメディア席と貴賓席からスタジアム全貌を眺めると同時に、隣に立つ練習場(冬場は屋根に覆われています)を見ました。
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(レギア・ワルシャワのスタジアムは31000人収容のスタジアム。吹田スタジアムよりちょっと小さい。年間60試合が行われるそうです)

1階ずつおりていきながら、ゴールドサポーター、シルバーサポーターの席に座ったりして、最後はピッチへ。そして記者会見場で監督のまねっこをして撮影会。最後に選手ロッカールームとクラブのレジェンドの写真がずらりとはられたミックスゾーンを見学してツアー終了。感想は、ポーランドリーグで最多優勝を誇り、サポーターの数も一番多い(案内してくれたお兄さんの弁)クラブにふさわしい立派なスタジアムだなあ、です。吹田スタジアムも歴史を経てこんな感じになるといいなあ〜。
スタジアムの隣にあるワジェンキ公園でショパン像を見てから帰ろうということになり、だらだら歩いていくうちに寒さが身にしみて、公園での散歩を楽しむというよりも、トイレを探すほうに力点が置かれてしまい、ついに入場料を支払ってベルヴェデーレ宮殿のトイレに飛び込むことになりました。ポーランド最後の王様で、ロシアのエカテリーナ女帝の愛人だったスタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ(在位1764年〜95年)が夏季の別荘とし、文化人や知識人を集めてもてなしたとされる宮殿です。そりゃ美しいけれど、レプリカの彫像が雑多に並べられた広間にはあまり感動できず、そそくさと失礼しました。ショパン像も「見たぞー!」というだけで終わってしまった。すみません、フレデリック。

いったん宿泊しているアパートメントホテルまで帰って、夕方からのバレエ鑑賞にそなえました。
ワルシャワ国立オペラバレエ団には日本人が7人も所属しているそうです。そのうちプリンシパルが2人。すばらしい!
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演目は「椿姫」。この日主役をはったのはロシア人のChihara Alizade。Yuka Ebiharaさんでなくてちょっとだけ残念だったけれど、Chiharaさんもすばらしかった! ショパンのピアノコンチェルトにのせた踊りはただただ美しかった。あっという間の3時間で堪能しました。街ではそれまでまったく出会わなかった日本人にここで何人か出会って、そうか、日本ではバレエへの関心は高いんだなと思いました。
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2月4日(月)
朝8時25分ワルシャワ中央駅発の列車でグダンスクへ。ポルトガル鉄道体験はこれで3回目。前の2回には危うく乗りそこねるかも、という不安があったのですが、さすがにもう乗り方がわかりましたね。
 やってきた列車はプレミアム・トレイン。日本の新幹線よりも設備が充実していて、USBや電源や照明も整っていて、おまけに「無料でお茶やコーヒーが配られる!!」。最初、まさか無料とは思わず、「いりません」とかワゴンを押してきたお姉さんに堂々と断ったのだけれど、無料と知って満面の笑み。ブログを更新しているうちに3時間弱で無事グダンスクに到着しました。
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(気持ちのよく機能的設備を誇るプレミアム・トレインですが、価格はワルシャワ〜グダンスク320キロが3300円ほど。安いわー)

ポーランドに二週間滞在中に、晴れたのは3日くらいでしたが、運良くその1日がグダンスクにあたりました。運河沿いの散歩道も気持ちよく歩けたし、グダンスクに行った一番の目的である「連帯・ヨーロッパセンター」まで20分ほどを、旧市街を通り抜けて観光しながら歩けました。
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センターはグダンスクのレーニン造船所跡に2014年にオープンしました。ワルシャワでガイドをしてくださったアンナさんに「グダンスクでは何をしたらいいかしら?」と聞いたら、「連帯博物館!(正式名称は連帯ヨーロッパセンターなのですが、連帯博物館というのがぴったりです)」と即答だったので、その時点で一番の目的となったのでした。そしてオススメ通り、興味深いことこの上もない充実の内容でした。
1970年12月16日、食料品の突然の値上げ宣告に端を発してグダンスクの造船所の労働者たちがストライキに突入。周辺の企業の労働者も同調したところで、警察隊、そして正規軍が発砲したことで暴動への発展して何人も犠牲者が出ました。当局の発表で28人。でもそれ以上の犠牲者が出たことはまちがいない、ということです。犠牲者たちのメモリアルとして、博物館の前には大きなモニュメントが建てられ、かたわらに立つ壁には労働者たちが歩んできた軌跡が紹介されていました。
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社会主義国でのストライキはありえないし、ソ連が軍を送り込んでチェコの二の舞になるのではないか、と不安が高まりましたが、このときは政府が労働者を力で抑え込みました。しかし社会主義政権下の経済が破綻しているいことはあきらかで、国民の生活は非常に苦しく、不満は高まっていきました。
1980年7月、またもや食肉の突然の値上げがきっかけで、グダンスクのレーニン造船所でストライキが始まります。主導したのは、若き電気工のレフ・ワレサ。ワレサたち労働組合の幹部ははやる労働者たちをなだめつつ、ストライキ権の保障、表現出版の自由などの項目をあげて政府と粘り強く交渉し、ついに要求を通して「本物の自由、本物の権利」を勝ち取るのです。全21項目をすべて認めさせ、真の労働組合tになったことを労働者たちに伝えたワレサの演説のビデオを大画面で見て、私は危うく感動で泣いてしまいそうになりました。何回もテレビのドキュメンタリー番組で見てきたはずなのに、1970年からの民衆の抑圧された生活を辿って見てきたところでの、ワレサのシンプルな言葉で伝える演説には、力があった。平日にもかかわらず、大型バスでどうやらポーランドだけでなく欧州各地から大勢の人たちが見学にやってきているのもわかる気がしました。
でも「勝利」はその後の不断の努力がなくては続きません。ソ連の崩壊、壁の崩壊、中東欧諸国の民主化へと時代はなだれをうって変化するのですが、その中で「連帯」はその精神をどう実現していくのか、ずっと模索を続けます。現在にいたるまで、1980年に連帯が勝ち取った自由や権利は、多くの犠牲を出しながら、必死に追求されている、、、という内容でした。
連帯博物館の扉には「Europe starts here」というプレートがはってあります。その言葉が実感を持って響いてきました。
そして博物館からトラムに乗って、グダンスクのスタジアム、PGEアリーナグダンスクにも足を伸ばしました。これで4都市のスタジアム見物を成し遂げたってことで。
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(ちょうど夕陽が沈むときで、スタジアムが美しく輝いていました。ここも2012年EUROに合わせて新設されたスタジアムです)

この日はポーランドに来て一番のご馳走に舌鼓を打ったのですが、それについては「ポーランドで食べたもの」の中で書くつもりです。 

ポーランド滞在中には2月2日までしか「滞在日記」が書けず、昨日、帰国しました。一応、無事帰国しました、という報告をしておきます。「滞在」ではなくなるけれど、「日記」は2月6日までちゃんと書きますからね(自分に言い聞かせている)
あ〜〜〜〜あと2ヶ月くらい滞在したかったなあ〜〜〜、ポーランドに、と帰国直後からポーランドシック。「楽しかった」という以上に、「充実していた」2週間でした。日々、単位時間あたりの密度が非常に濃かった気がしています。頭もからだもフル回転していた感じ。日本では「あれやらなくちゃ、これやっといたほうがいいな」と、should doit/had better to do itに追われて時間が流れていく「日常」生活なんですが、ポーランドでは「あれやりたい、これやろう」would like to do/will do と自分の意志で動いている「非日常」生活でした。
2014年、 CONIFAのワールドフットボールを取材する目的で、単身、スウェーデンのウステルシュンドに旅したとき、あまりの解放感と充実感に味をしめて、その後に年1回ひとり旅をするようになりました。今回もひとりで行くつもりだったポーランドですが、同行者ができて2人で回ることに。正直、行く前は2週間も海外で同行者とうまくやっていけるかと少し心配していたのですが、まったくの杞憂に終わり、むしろ行動半径が一人のときよりも広がり、楽しさも倍になり、気が合う同行者との旅もいいものだと見直しました。ひとりにこだわることはなかったんだ。
きっと夏のほうがポーランドは日照時間が長く、緑が美しく、イベントも多く、観光は楽しめるのだと思うのですが、真冬のポーランドも捨てたものではありません。観光客が少ないから名所も博物館もすいていてゆっくり鑑賞できるし、宿泊費も安くあがります。今回は「すいているから」と言われて、私は2箇所のホテルで部屋をグレードアップしてもらえました。そしてなにより、最近は地球温暖化で年々冬が暖かくなっており、思ったほど寒さは感じませんでしたね。気温はだいたい最高気温3度、最低気温マイナス1度くらい。雪に降られたのは2回で、通してみればくもりが多かったけれど、気持ちよく晴れた日も数日ありました。そして室内が十分に暖房がきいているので、ダウンジャケットの下に着込まないほうがいいくらい。私はヒートテックに薄手のセーターやカットソーの上に、外に出るときにはダウンを着て耳まで隠れる帽子をかぶって、「寒い!」と思ったことは一度もなし!
「日記」で書くつもりですが、食事も美味しかった! 日本食に通じるところがあるし、どんなメニューにも野菜がたっぷりなので、私好みでした。
 それでは「ポーランド日記」の続きを書きますね。

昨日からグダンスクに来ています。幸いに天気は晴れで、運河沿いの散歩も昼間は気持ちよくできたし、グダンスク訪問の一番の目的といってもよい「連帯・ヨーロッパセンター」もじっくり見学できたし、PGEアリーナ・グダニスクにも行けました。
というとこころで、日記のほうは2月2日(土)ワルシャワで訪れた「ポーランド・ユダヤ人歴史博物館 」を中心に書くつもりです。「つもり」というのは、もうすぐ朝ごはんを食べにいくつもりなので、まずは画像だけアップして、あとで詳しく書きます。アウシュヴィッツ博物館見学もそうですが、そう簡単に語れるものではないので、よく考えながら感想を書きたいと思っています。

 
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(ゲットーの中心に戦後建てられた記念碑)

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(ポーランド・ユダヤ人博物館から歩いて5分ほどのところには、ゲットーのユダヤ人が強制収容所に送られるために集められ、貨車に乗せられたオンシュラット・プラッツがあります。「私の血が消えないように、私の叫びが公正に聞こえるように」というプレートが掲げられています)

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(ポーランドにユダヤ人がやってきた13世紀から現在にいたるまでのその文化と生活が紹介されている「ポーランド・ユダヤ人博物館」には、実は飾られている「モノ」が極端に少ない。戦争でほとんどその文化は抹殺されました。この祈祷書も現代の若者たちが創作したそうです)

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(ワルシャワ・ゲットー蜂起の中心人物だったモルデハイ・アニエレヴィッツたちは蜂起が失敗したのを悟ったのち、互いに銃を向けて自殺しました。破壊されたゲットーの瓦礫を盛ってつくられた彼らの墓です)

今日は2/4(月)。ワルシャワからグダンスクに移動中のICプレミアムトレイン車内でこれをiPhoneで書いてます。プレミアムトレイン、豪華!というか最新設備を備えていて、座席も快適です。新幹線の上をいってるかも。iPadを出せばいいんだけど、面倒でスマホでやってます。
ワルシャワは吹雪でしたが、今は曇。列車は北に向かって走る、走る。♫早いぞ早いぞ、窓の外、雪原も飛ぶ飛ぶ、森も飛ぶ〜 、、失礼、古い歌を歌ってしまいました。あまりに雪原と雪におおわれた森が美しいので。
さて、旅日記の続きです。

2月1日(金)
泊まっているアパートメントホテルは一般住宅やオフィスも入っている住宅なので、キッチンはついているけど、食堂はありません。歩いて5分くらいのカフェのvoucher をくれるので、近くのカフェまで朝ごはんを食べに行きます。朝8時すぎ、カフェは朝日が差し込んでいます。
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ヴロツワフにはアートの街なのか、あちこちに謎の作品や、それを並べたアートショップが並んでいます。
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(地元テレビ局前の歩道にはこんなオブジェも。「これ何?」と聞いてもはっきりとした返事はかえってきませんでした)

この日は遅めの朝食後、パッキングのためにいったんホテルに帰り、少しのんびりしてから飛行機の時間まで散歩に出かけることにしました。荷物を預かってもらって、公園をだらだら散歩。旧市街にもどって、見つけておいたミルク・バーでランチを食べました。ロールキャベツ、ライス、紫キャベツのサラダで15.6ズウォチ=500円ほど。おいしいし、量としてもちょうど良くて、ミルク・バー、気に入りました。
今日はポーランド時間3時からアジアカップ決勝があるので、早めに空港に行って、空港のWiFiで試合を見ようとしたのですが、なかなか難しく、結局、同行者の家族の方にスマホでテレビを映してもらい、スカイプでつないで観る、という離れ業で観戦成功。前半の2失点でなえ、南野ゴールで盛り上がり、PKでまた萎えましたら、実力差を感じたなあ。
飛行機に50分で乗ってワルシャワへ。市の中心部にあるアパートメントホテルに落ち着きました。ひとつ問題は、エレベーターがなくて、えっちらほっちら日本でいう6階の部屋まで登らなくてはならないこと。荷物はお兄さんが持って上がってくれたからいいけど、1日歩いて、一杯やった後に6階上がるのはつらいです。
でも、アジアカップ決勝の惨敗の苦さは、その晩のポーランド飯でいくぶんか癒されました。
 

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