「愛おしき隣人」

監督:ロイ・アンダーソン

 

 キムラさんに勧めていただき、試写にいってきました。

 北欧の映画の試写にいく、といったら、次女が「それなら私も」と一緒に行くことに。

 なんともふしぎな空気が流れている映画でした。

 ストーリーがあるのか、テーマは何か、そんなことはどうでもよくなる。

 何組もの恋人や夫婦や集団が出てくるのだけれど、誰も相手にとコミュニケーションがとれていない。投げかけた問いに、満足のいく返答をもらえなくて、いらいらと地団駄を踏むのだけれど、いらだっていることさえも理解してもらえない。

 スウェーデンといえばモデルが多くて美男美女がいっぱいでてきそうなものなのに、登場人物が全員ブス&ブオトコ。いやもうそれは見事なくらい。(しいていえばロックスターだけちょっとかっこいいけれど、メイクが濃いために顔の造作まではわからない)

 半分くらいの人たちが「夢を見た」と語り出して、夢のストーリーがそのまま映像化される。わけもわからず裁判にかけられて死刑をいいわたされる怖い夢だったり、憧れのロックスターと結婚する甘い夢だったり、ディナーに呼ばれてテーブルクロスを引き抜く芸をして失敗する突拍子もない夢だったりする。一つ一つの夢が妙に現実にシンクロしていて、どちらが夢でどちらが現実かわからない。でも夢がよけいに現実の哀しさを増幅させる。

 いってみれば、アパートの窓の一つひとつに繰り広げられている人間劇みたいな感じ。外から遠く離れて一棟のアパートで、近寄って見ると滑稽で、いじましくて、でもだからこそ愛おしい人間の悲喜劇が織りなされている。そんな感じ。 一つ一つのエピソードで登場人物が独白のようにつぶやいたり、叫んだり、うめいたりする姿に、思わず笑ったり、どきどきしたりする。

 でも、この映画のすごさは映像にある。カメラはほとんど動かない。たとえば激しい雷雨があがるのを狭いバス停に人々が身を寄せ合っているシーンがある。誰ひとりなにもいわない。目も合わさない。ただ黙って前を見つめているだけ。そこに一人の男がコートをかぶって走ってくる。なんとかそこに入れてもらおうとするのだけれど、バス停のなかの人は相変わらず何もいわず、身ぶりもせず、ただ「ここはもう無理」という目でちらりと男を見るだけ。男はしかたないね、という感じでまたコートをかぶって駆け出してつぎの雨宿りの場所を探しに行く。

 たかが2分程度の映像なのだけれど、セリフの一つもなく、人の演技も何もないのに、観る人の想像力を刺激してドラマをつくらせる力がある。

 どれだけセリフをつめこんでも、どれだけ迫力のある動きや演技を見せても、何も伝わってこない映画が多いなかで、これはすごいことだと思う。

 いや~、おもしろかったです。

 ただ、北欧スウェーデンらんらんらん、と一緒にいった次女は、見終わって「うーん、お願い、何がいいたかったのか説明して」といいました(汗)焼き鳥を食べながら感想を話し合ったんだけれど、私がまったく見ていないものを彼女が見て「あそこがポイントでしょ?」といったり、私の解釈とまったくちがったりして、この映画は観る人によってちがう感想をもつんだなと思いました。監督が何がいいたかったのかを私がここでぐだぐだいうことは、もしかすると無駄なことかもしれません。

 ま、とにかく観て。ぜったいにソンはないから。

 GWに恵比寿ガーデンシネマで公開です。