「静かなノモンハン」

伊藤桂一著 講談社文芸文庫

 

 自分が生きてきた昭和という時代を、実はまったく知っていなかったということに気づいて愕然とすることがあり、少しずつだけれど、その当時のノンフィクションを読んでいる。

 なんとなく本屋で見つけて購入し、翌日から出張に出かけて飛行機のなかで読み始め、帰りの新幹線で読了。最後の著者と司馬遼太郎の対談の一言ひと言が胸に突き刺さった。

 関東軍とソ蒙軍とが、満蒙国境で戦った凄惨な記録である。

 戦略も戦術も、もっといえばまともな兵器や食糧・水さえも与えられず、何の役にも立たない重い荷物を背負わされて徒歩で砂漠地帯に放り込まれた日本の兵士たちが、死に物狂いで戦って......というか、殺されて、無残に敗退していった有様を、詩人の著者が3人の兵士たちの聞き書きでつづっている。

 鈴木上等兵、小野寺衛生伍長、鳥居少尉の3人は、大半が戦死したなかで奇跡的に生き残った人たちである。著者のインタビューにもなかなか応じてくれなかったそうだが、重い口を開いて、自分の目で見て、耳で聞いて、からだで感じた戦争を語った。

 全員、ノモンハンに送られたときは若かった。鈴木氏と小野寺氏は2人とも北海道出身。10代、20代の若さで召集され、ろくに訓練も受けないうちにいきなりの実戦がノモンハン事件だった、という。

 ノモンハンを世界地図で探してみた。平凡社世界地図にはのっていない。著者が「集落というより蒙古人たちが名づけた地名」であり、「遊牧民たちが、そこにときどき、パオの群落を築くだけの、寂しい場所でしかない」というような砂漠のなかにあるらしい。こんな何もないところに放り込まれて、歩けども、歩けども見渡すかぎり砂漠で、地平線の向こうから戦車が列をなしてやってくるのを見たときには、どんなに恐ろしかっただろうかと、地図の上からでも想像する。

 昭和14年5月、外蒙兵が日本の警察を攻撃してきたことをきっかけに戦闘が起こり、8月末に停戦にこぎつけるまでに、日本側の死傷者はざっと計算したところ、14505名にのぼった。出動人員のじつに33%が犠牲になった。数字を見ただけで、たった数ヵ月間にこれだけの犠牲を出して敗退し、しかもその後も愚かな戦いを続けたのはなぜだったのか。

 著者は、砂漠のなかをソ連軍の戦車に追い回され、まわりで大勢の仲間たちがなすすべもなく殺されていくのを歯がみをしながら眺め、爆弾が落下した穴のなかに息をひそめて隠れるしかなかった兵士たちのなまの声を淡々とつづっている。死のぎりぎりまで追いつめられた人間が、そのとき何を思ったか。のどが渇いた、痛い、苦しい、息ができない、そんな人間の本能的な欲求や生理を超えて、なまの感情があふれだす、というところがすごい。うれしい、ありがたい、恐い、くやしい、恥ずかしい......肉体的に極限状態にあり、精神的に絶望の縁まで追いやられても、人はそんな感情を抱いて、しかもそういう感情をもったシーンを克明におぼえているものなのだ。そして、全員が共通しておぼえるのが「虚脱感」である。何をすることもできず、仲間も救えず、ただぼろぼろになって帰ってきただけ。いったい自分はなにをしたのか、何もしていないではないか、という虚脱感。

 最後の対談で、戦争体験者である司馬氏と著者が、なぜ日本は愚かな戦いをしたのか。そして、敗戦してもちっとも学んでいない。それなのに自覚がない、という話をしている。

 2人ともけっして戦争を美化しない。劇画のように描かない。砂漠のなかに生えている、羊が食べる草をかみながら行軍したという小さなエピソードを連ねながら戦争を語る。そうしないと、戦争の生の姿が見えてこないのだと思う。

 戦争をまったく知らない世代の人間は、こういうノンフィクションで戦争の実態をせめて頭で理解したほうがいい。

 愚かでない戦争、かっこいい戦争なんてあるわけない。どんな戦争も愚かで醜い。でもそれがどんな風に醜く汚く、そしてばかばかしいのかを知るために、こういう本こそ読んだほうがいい、と思う。