『かつてノルマンディーで』

監督:ニコラ・フィリベール

出演者:ノルマンディの村の人たち

 

 『ぼくの好きな先生』以来、すっかりこのドキュメンタリーの巨匠(と言われるのはいやだろうなあ、ご本人は)の作品にはまっているのですが、いかにも、なフィリベール節が見えながら、これまでとちがって自分が前面に出てきている作品でした。

 大学在学中にルネ・アリオ監督が撮影した『Les Camisards』という映画の助手をつとめ、フィリベールはアリオ監督に傾倒します。結局、それがきっかけで彼はのちにドキュメンタリーを撮る映画監督になるわけです。そのアリオ監督は、ノルマンディーで19世紀初頭に起きた殺人事件に材をとった映画を30年前の1975年に撮影し、彼が助手をつとめました。

 ノルマンディー地方の農家の息子が、母親と妹と弟を殺し、1か月森を放浪したのち逮捕され、裁判にかけられ、精神鑑定もされるのですが、結局死刑宣告を受けます。(のちに国王から恩赦を受けて終身刑に。5年後に刑務所で自殺)裁判を受けているときから、彼は自分の罪を事細かに書き記し、心境などもつづったメモを残しました。それを読んだミシェル・フーコーがいたく刺激を受けて本を著し、その本に啓発されてルネ・アリオが脚本を起こして映画を制作しました。

 映画の出演者は、裁判官や法務関係者以外、主人公となる犯人も含めてすべて地元の村人を俳優として起用。ドシロウトの村人たちは、1世紀前の事件の関係者たちを見事に演じきって評判になったそうです。

 フィリベールはそのときの出演者たちに会ってインタビューするために、ノルマンディーを訪れます。30年前にティーンエイジャーだった犯人の妹役(殺される人と殺されなかった人の両方)2人、殺された母親役、父親役、母親の愛人役(このおじさんとその家族がすごくおもしろかった! 娘から「なんでパパが愛人役なの? その顔は愛人顔じゃないでしょう!」とかさんざんツッコマレ、いかにも人の好さそうな小太りのおっさんが「たまたまだよぉ」とか苦笑いするのです。奥さんが後ろ向いてしゃべると「ほらほら、カメラ目線じゃないとカットされちゃうよ」とか言うし)。最後に主人公の犯人を演じた男性も登場(昔はかわいかったのに、48歳になった今はオタク顔のおじさん)。

 当時のことを語らせる以上に、フィリベールは「その後、どんな人生を歩んできたか」を追いかけます。ずっと独身を通して、今は引退しているというおじさんは「独身だけど、女にはふしぎと不自由しない。いつも女がいる」とか堂々と言っちゃう。養豚業者の男性を追いかけるシーンでは、豚の出産から解体まで事細かに映像はとらえます(豚を殺すシーンはちょっと見られなかった)。リンゴの木の枝をゆすって実を落とし、圧搾機械にかけてシードルをつくっていくおじさんもいれば、50代になって結婚する人の結婚式も出てきます。映画撮影が終わってから10年して、娘が精神の重い病にかかり、その後の20年は絶望のぎりぎりのところをさまよった夫婦が語る言葉は、一言一言が本当に重かった。脳溢血で2週間意識不明の状態から復活したら、言葉を失って苦しんだ、という女性(元左翼のパン屋さんで、議論好きだった)が、必死に言葉を探しながらしゃべる表情は、もどかしいながらも緊張感があってとてもよかった。

 牧畜業や農業やパン屋や工場労働者や知的障害施設で働く人たちは、若いころに「映画出演」という「ハレ」の場に立ったことを誇りにし、数か月の撮影で見たこと聞いたことをなつかしがりながら、でも、地元で地に足のついた生活を30年続けてきていました。主人公役の男性以外。彼はパリに出て俳優になり、映画出演をはたしたものの、映画になじめずカナダに移住。宗教団体に入って、今ではハイチで布教活動をしているそうです。

 ところどころにルネ・アリオの映画の断片がはさまり、インタビューがあり、映画撮影時のエピソードを語るフィリベールのモノローグがあり、人々の生活シーンがある、という編集なので、最初はちょっと入り込みにくかったのですが、そのうちじっと見入ってしまいました。働く人々の姿を一箇所に据えられたカメラが追いかけていく、セリフが一言もないシーンが美しい。「働くことは、生きることだ」という言葉が、地に足がついた人々の表情から実感として迫ってきます。

 賛否両論ありそうなドキュメンタリーですが、私にはじわじわと胸にしみるものがありました。「ときの重み」なんてものが、どんときました。

 

......とまあ、今日は歯の手術だったので、DVD鑑賞して麻酔が切れたあとの痛みに耐えていたわけです。手術あとになまなましいソーセージづくりの映像を見るのはまちがいだった、とあとで気づきましたが。