仕事で必要なことがあったので、ケータイ小説を読んでみた。

映画やTVドラマにもなった「恋空」ほかいくつか。

いやはや......いやはやと首を振るしかない。私はビョーキのように活字につねに飢えているのだが、読むのがこれほどつらい活字はなかったな。

ケータイ小説は、小説と銘打ってあるが小説ではない。少なくとも、私が定義する「小説」のジャンルには入らない。だってプロットってものが皆無なんだから。プロットってなんだったっけ? としばし考えてしまった。

もっと言えば、日本語の文章としても首をかしげざるを得ない。絵文字を使うのは許す(五十歩下がるが)。しかし「............」と言いよどめば、お互いの気持ちがすぐに通じ合ってコトに及ぶっていう定石はいかがなものか。

「ぼくは......」

「でも、あたし......」

〇〇(男)は××(女)を抱きしめて押し倒した。

という表現が何回も出てくると、私はたたらを踏んで百歩下がってまっさかさまに落ちるぞ。落ちた先がどこかわからないが。

しかも誤字だらけ。愛の告白で一番盛り上がるときに「ケータイが振るえる」とか出てくると、脱力するしかない。

ツッコミどころが満載、というのを超えている。いや、ツッコメないな。どこにもツッコミようがない。ずぼずぼ。

これ読んで、ハーレークイーンはエライと思いましたね。少なくともハーレークイーンというジャンルは成立しうる。水戸黄門のようなものだ。だが、ケータイ小説というジャンルは成立しえない。

水村美苗さんじゃないけれど、「日本語は亡びる」と頭を抱えたくなった。

明日にでも書くけれど、水村美苗さんの「日本語が亡びるとき」は、翻訳をやっている私にとってこれ以上ないほど耳の痛い、でも、心にしみる本だった。今年のNO1かな、これが。