先週から風邪をひいて、ちょっとよくなったと思ったらまた悪化させるという連続で、なかなかよくなりません。40代までは風邪なんかひいたことがなかったのに、ここ数年はどうもいけません。
そんなところで、今年読んだ本のなかで印象に残ったものをいくつかあげていきます。
『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』
水村美苗著 河出書房新社
翻訳をやっている立場から、ここ数年ずっと「日本語とはなんだろうか?」と考え続けています。翻訳はほとんどを英語から日本語にするものです。以前は、同じ英語と呼ばれている言葉であっても、何系かもふくめてアメリカ人、イギリス人、アイルランド人それぞれの「英語」があることを意識していました。ユダヤ系アメリカ人の使う英語と、大英帝国支配下にあったアイルランドの英語とは、はっきりちがう言語だ、というくらいは私にもわかり、英語の歴史についてはちょっとは勉強してきたつもりでした。
最近、それではその英語をどんな日本語にするのがいいのか、という疑問から、そもそも私が選んでいる日本語はどういう歴史を経てこうなったのか、などと考えるようになりました。昨年、「言海」を編んだ大槻文彦氏の伝記『言葉の海へ』(高田宏著)を読んで、日本語が国語になるまでの過程を知り、『日本語の歴史』(山口仲美著)で文字ができあがった歴史を垣間見て、あらためて日本語とは何かを考える視点を得ました。
そしてこの本でした。衝撃でした。英語が公用語として使われているいま、世界のなかで日本語が置かれている立ち位置。日本語でしか表現できないもの(とくに文学)を「保護」していくことが緊急課題であること。うっすらともっていた危機感が、どんな形のものなのかを非常に明確に示された、と思いました。この本はたぶん、しばらく何回も読み返すものになると思います。
『わたしを離さないで』
カズオ・イシグロ著 土屋政雄訳
早川書房
読みながら、せつなくて、哀しくて、でもその哀しさにいつまでもひたっていたい、という気持ちにさせられ、読み終わるのがおしくてたまらない小説でした。エンタテインメントとしても秀作。まちがいなく、カズオ・イシグロの作品のなかでは、『日の名残り』につぐベストワンでしょう。
『漢字』
白川静著 岩波新書
平凡社新書『白川静』(松岡正剛著)を書評で取り上げたのがきっかけで、白川静氏がすっかりマイブームになり何冊か読みました。そのなかで、白川氏が1970年代にはじめて一般人向けに書いた本がこれ。
漢字が成り立ちを、古代中国の人たちの生活や思想に即してわかりやすく解説しています。自然観、死生観、信仰、国と王のありかたなどを漢字から読み解いていて、あらためて表意文字としての漢字のすごさを認識しました。本当におもしろい本で、あまりにもおもしろかったので言葉大好きな次女に勧めたら、めずらしく興奮して読んでました。で、いま『常用字界』(白川静著 平凡社)を居間に置いてあって、次女は何か気になる漢字があるとそれをひいて「ほっほー!」と読んでます。
『フロスト気質』
R.D.ウィングフィールド著 芹沢恵訳
創元推理文庫
上下巻にもかかわらず、ほぼ徹夜で一気読み。推理小説を読む楽しさを満喫させてくれたのはさすがフロスト警部。あまりに楽しかったので、またまたフロストシリーズを読み返しました。
そのほか、マリコさんに大量に貸していただいた東直巳のなかで『残光』がおもしろかったし、クニコさんに貸していただいたマンガのなかで小玉ユキが衝撃のおもしろさだったし、エンターテインメント系についてはまた機会があれば。
あああ、早く風邪を治さないと。
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