「台湾紀行」

司馬遼太郎「街道をゆく」40巻

朝日文庫

 

台湾に行く、と決めたときに一番に手に取ったのが本書です。1980年代に台湾を訪問したときの紀行ですから、たしかに古いといえば古い。世界は30年間で大きく変わり、世界地図における台湾の位置づけも変わった......はずです。

ところが、台湾から帰国するときに飛行機の中と成田エクスプレス車内でこの本を再読して、司馬遼太郎が書いている台湾の在り方が、30年たっても変わっていない、というか、司馬氏が「予言」したように動いていることにかなりの衝撃をうけました。

今回お世話になった台湾の方々が「私たちは客家です」と誇らしげにおっしゃるのを聞き、自らを「本島人」と呼び、「大陸では」と中国について語るのを実際に自分の耳で聞くと、思わず心のなかで「司馬さん、あなたの洞察力はすごい!」とつぶやきました。

この紀行の冒頭の一文が、台湾を、というよりも、世界を考えるときの一つの手がかりを与えてくれます。

「国家とはなにか。

というより、その起源論を頭におきつつ台湾のことを考えたい。これほど魅力的な一典型はないのである」

孫文の言った

「中国には、ただ家族主義と宗族主義があるだけで、国家主義というものはないのです」

という言葉から、中国には公私の概念がなく、上に立つものが国を私のものと考えてきたのが中国の歴史なのではないか、と司馬氏は考えます。

それを考えながら、台湾の客家について紹介するのです。

客家について語れるほど私はくわしくないのですが、中国大陸や台湾だけでなく世界各地に居を構えながら、客家語という言語と文化を共有している人たちのことを指すそうです。

今回お目にかかった客家の方々も、台湾だけでなくアメリカ、日本、オーストラリア、中国、と世界のあちこちに「家」や「仕事場」があり、「そのどれがホームなんですか?」と聞いたら、「どれもホームです」と言われました。

こないだ読んだアルジュン・アパデュライの「さまよえる近代」(平凡社)に出てくるディアスポラ(流民)そのものですね。

台湾における客家は少数派で、多数派は福建系らしいのですが、経済は実は客家がにぎっているのではないか、という感じがしました。司馬氏は「客家には構想がある」と語っています。世界をとらえる構想、自分たちがどう生きのびていくか、という構想、それは「国家」とか「領土」の枠を超えたものなのかもしれません。

巻末に李登輝元総統との対談が掲載されています。これを読むだけでもこの本を購入する価値があります。

国家とは何か?

初めて訪れた台湾は、たしかにそれを考えるのに絶好の一典型でした。