南アフリカ共和国が人種差別主義に基づいた政策、アパルトヘイトを敷いていたことを、世界史の授業で学んだ人は多いだろう。経済的、社会的に白人を圧倒的に優遇し、黒人をはじめ有色人種を弾圧する悪名高いアパルトヘイトは、それに反対する人たちを徹底的に痛めつけた。反対運動を繰り広げる闘士はもちろんだが、白人の気まぐれや感情で投獄された有色人種の人たちは少なくない。形ばかりの裁判を経て、政治囚の刻印をおされて送られた刑務所はどこも過酷な環境であったが、なかでもロベン島刑務所は屈強な闘士であっても怖気をふるうほどの監獄だった。
ネルソン・マンデラがロベン島刑務所に20年以上投獄されていたことは有名だが、彼だけでなく、現在の南アフリカ共和国の要職についている多くが1960年代から1990年代にかけて収監された。
彼らはどうやって劣悪な環境と、人間としての尊厳を踏みにじられるような刑務所の体制のなかを生き延びられたのだろうか?
生き延びただけでなく、自由な国をつくるための力を得られたのだろうか?
答えは「サッカー」にあった。
獄舎のなかでシャツを丸めたものをボールに見立てて蹴って楽しんでいた男たちは、FIFAルールにのっとった試合がやりたい、と刑務所側にかけあう。何年もかけて辛抱強く交渉した結果、ついに本物のサッカーボールを屋外で蹴って試合をすることに成功する。
やがてはサッカー協会を設立し、一部から三部までのカテゴリーに分けてリーグ戦を実施するまでになった。多いときで2000人が収監されていたロベン島刑務所で、選手だけでなく、審判、トレーナー、コーチ、救急班、ピッチ整備、事務、サポーターまで、サッカーにかかわる人たち500人を数えたこともあったという。
そんなノンフィクションを描いた本書は、しかし単なる成功の美談だけを取り上げない。協会とクラブ、クラブ同士、また選手の間の対立もある。審判をめぐる不正もある。ときには選手の獲得をめぐるどろどろしたドラマもある。つまり、刑務所のなかのサッカーも、一般社会と変わらない。だが、外の世界とちがって、サッカーは受刑者同士の団結をはかるうえで欠かせないものであり、刑務所側または外の権力者たちとの交渉力を磨くための手段であり、そして明日の自由な世界をつくるための重要なエネルギー源であった。
なぜアフリカ大陸初のワールドカップが南アフリカで開催されるのか?
その意義と重要性を示す実話である、と思う。
コメント
コメント一覧 (2)
サッカージャーナリストの後藤健生さんがコラムでこの本のことを書いてますね。
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これまで読んだサッカー本で一番面白かったとのこと。
元子さんにこんなことを言うのは大変失礼なことかもしれませんが、外国の本は和訳によって読みやすさが全然違うので、内容もさることながらきっと素晴らしい和訳なのでしょうね。
さっそく僕も読んでみます。
訳文の読みやすさ……私が気を配っているところなのですが、読みやすくすることと、内容を正確に伝えることの兼ね合いがなかなかむずかしい、というか、永遠の課題です。ちがう言語、ちがう発想をすり合わせるのだから当然ですが。
でもおもしろい本ですので、ぜひW杯期間中にどうぞ!サッカーをすることの意義と意味がまたちがって楽しめます。