昨日は『少女マンガを読む研究会』というのにいってきました。ひさびさに知的刺激をいっぱい受けて、めちゃめちゃ楽しかった。ありがとうございました、みなさま。お昼過ぎからスタートして、研究会は一応夕方でお開きになりましたが、その後ごはんを食べにいってまたまた盛り上がり、いやしゃべったしゃべった。爽快な気分で帰宅しましたよ。

マンガの話からどんどん発展していって、最後は「メディアリテラシー」について侃侃諤諤の議論に。かなり内容が濃かったので、議論の詳細について紹介することはとてもできないのですが、帰る道々考えていたのは「私はいったいどんな情報を得たいのか?」そして「どんな情報を発信していきたいのか?」ということでした。

iPhoneを手に入れたとき、私はひそかに「これでTwitterがもっとラクにできるようになる」と思っていました。プラス、もっとネットにアクセスする時間が増えて、外出中に調べものがもっと便利にできる、やったね、とうれしかったのです。

ところが......予想とはまったく逆に、Twitterはほとんどやらなくなり、ネットにつなぐことも(ケータイ使用時よりも)減り、じゃ何をしているかというと、iPodに入れた音楽やら中国語のテキストを聴きながら、リーディングのファイルか辞書を読んでます(前も書いたように、私は辞書を読むのが好き)。

加えて、これも前に書いたようにPCでもネットにアクセスする時間がだんだん減ってきていて、iPhoneを手に入れてからというのも仕事するかブログを書くときにしかPCを立ち上げなくなりました。デスクにはついていて、何をしているかというと昔の人(1890年から1960年代まで)が書いた本を読んだり、アナログに万年筆や鉛筆で手紙や作文を書いたりしているのです。

もしかすると世界ではトンでもないことがいっぱい起こっていて(もしかしなくても起こっているでしょう)、PCを立ち上げてその情報を得ないことによって、私はトンでもないリスクを負ってしまっているのかもしれません。以前はかなり本気で「世の中の動きにおいていかれる」とか「知らないとソンをする」ということに、恐怖に近い感情を抱いていました。メディアリテラシーとはつまり、ハード面でのPCやらスマートフォンやらの機能に詳しくなり、ネットに常時アクセスして情報を検索し、そこから「正しい」ものを見つけ出すことだと信じていました。

でもねぇ、なんかちがうような気がする。それに、もういいや。

私が知りたい、見たい、聴きたい、読みたい情報は、ネットでは見つからないように思います。

私は見えないものが見たい、聞こえない声や音を聴きたい。

見えないものが見えて、聞こえないものが聞こえた人たちが書いた言葉を読みたい。

そういう人たちが何を考え、どんなことで笑い、何に涙している(た)のかが知りたい。

ときの流れにまぎれこみ、「時代に合わない」とか言われて忘れられてしまっているかもしれないけれど、なんとか見つけ出したい。

そしてそれを伝えていきたい。

でも、伝えるためのメディアはいったい何なのだろう?

それが今の私にとって、大きな問題なのです。