韓国に留学していた娘が言います。

「韓国社会で圧倒的な力を誇っているのはおばさんだ。おばさんには誰も、警察でさえもかなわない。バスや地下鉄で、酔っぱらってわめいているおじさんとか、足を大きく広げて座っている若者とか、大声ではしゃいでいる女子高生とかがいると、つかつか行って『あんた、うるさいわよ。みんなが迷惑している。静かにしなさい(もしくは、降りなさい)』というおばさんが必ず登場する。おじさんが注意するとケンカになるけれど、おばさんが厳しく言うと誰も逆らえない。不愉快な思いや、危険なシーンからおばさんに何べん救われたかわからない。ほんとにありがたかった」

話を聞いていて思いました。

「あ、それ、大阪のおばちゃんとおんなじ」

大阪のおばちゃんは基本的におせっかいです。電車のなかや道でいとも気軽に見知らぬ他人に話しかけます。東京ではあまり見られません。

で、私は大阪の血を引いているためか、なんか困ってそうな人がいるとどうしても話しかけたくなります。目が悪い人には「どこにいらっしゃるんですか? よろしかったらご案内しましょうか?」とか聞いてしまうし、街中で地図を見ている外国人には「どこに行きたいのですか?」と訊いちゃうし、電車のなかで騒ぐ子どもには「静かにしようね」と言ってしまう。

はい、おせっかいです。かなりリスキーな行為だとわかっています。

でも、社会において「おせっかい」はおばさんに課せられた使命ではないか、と私は思うことにしています。

拙訳書「人はなぜSEXをするのか?」にも、なぜヒトをはじめとする霊長類のメスがオスよりも長生きをするのか(生殖能力がなくなってからもながながと生き続けるのか)について、群れもしくは種の存続のうえで、次世代育成を手伝う役目をになっているからだ、という説が有力なのだ、とありました。人間はともかく、チンパンジーの社会では血のつながりのない子どもも群れのおばさんやおばあさんが率先して面倒をみるのだそうです。

オス(男)がおせっかいをすると、そこには「損得」とか「競争」「序列」がからむのでケンカになりやすい。若いメス(女)だと「性的魅力を競う女の序列」もしくは「ジェンダー」がからんできて、これまたケンカに生みやすい。

でも、体力も気力もまだまだ十分あって、周囲への関心が旺盛で、社会にかかわれる力があるおばさんは、性衝動や競争からやや距離を置いているので、「おせっかい」があつれきを生みにくい。

韓国のおばさんに負けず、私も「おばさん」の使命を果たしていかねば!

っていうか、私の社会における存在意義って、そういう「おせっかい」をすることで初めて明確になるんじゃないかとさえ思っています。自己責任というお題目のもとに、保身に走る人ばっかりだと救う人も救えなくなる。「おばさんのおせっかい力」を封じてしまうようだと、弱者がどこまでも虐げられる生きにくい社会になると思うんですけれど。