とりあえずはやりものには手を出す性分なので、MixiもTwitterもFacebookもLinkedinも登録して使ってみます。するとどこに行っても知った顔に会います。そう、22年前に私がはまりにはまっていたパソコン通信の仲間たちです。

22年前はパソコン通信の草創期でした。立ち上げるのにフロッピーディスクが2枚必要で、立ち上がるまでに授乳が終わる、というくらいとろかったパソコンで、私は書き込みとチャットに励んでいたのです。授乳、と書いてわかるように、当時、次女が生まれたばかり。産休中に「パソコン使ってみようかな。時間あるし」といじりだしたら、もう止まりません。しばらくビョーキのようにチャットとフォーラムにはまり、ひんぱんにオフ会に出ていましたね。

そしてそのとき知り合った方々と、いまだにMixiでもFacebookでもおつきあいしているのです。恐るべしパソコン通信仲間。知り合ったころに生まれた子どもがいまや社会人なんですよ。幼稚園から大学卒業まで一緒だった人よりも長いおつきあい。

それで思ったのですが、パソコン通信からFacebookにいたるまで、今ではソーシャルネットワーキングと呼ばれるコミュニティって、参加する人は形がどう変わろうが参加しつづけるけれど、参加しない人はまったく参加しないで一生を終える(大げさ)んですね。そのちがいはいったいどこにあるのでしょうか?

パソコン通信とFacebookをはじめとする今のSNSとは別モノではありますが、でも積極的に参加し続ける人たちには共通しているところは多い、と私は感じています。

一つ目は、人とかかわるのが根本的に好きで、ネットを通してのつきあいを、「自分に役立つことを得る」ことだけに限定しない。単に「人が好き」ということがその動機になっている人が多いような気がします。

二つ目に、「ネットを通してのつきあい」に必要な距離の置き方を知っている。むやみに相手の領域に踏み込まず、相手から得た情報を垂れ流さず、またむやみに自分の情報をさらけださない。ネットを通じてのヴァーチャルな人間関係と顔を合わせてのリアルな人間関係との間にギャップがない。

三つ目に、オフラインで会うことをいとわない。顔と顔を合わせてもちゃんとコミュニケーションをとれる人が、ネット上での人間関係もちゃんと築けている方たちのような感じがします。

22年前のパソコン通信仲間と延々とつきあいが続いていることが私はちょっと自慢です。ネットを通じての人間関係なんて薄っぺらだ、という人もいるでしょうが、私にとっては重みのある貴重な関係だなあ、と思っています。