先日、某週刊誌で連載されている親子対談の取材を受けました。

 そのとき編集の方から「お子さんには早期英語教育をなさったのですか?」と聞かれて、「え?!」と一瞬言葉に詰まりました。編集の方にしてみれば、子どもを2人とも留学させているし、夫婦とも外資系企業で働いていたのだからさぞかし英語教育に熱心だったのだろう、と思われたようです。でも、留学と言っても1人はチリでスペイン語圏だし、1人はフィンランドと韓国で英語とは縁がないんですよね。

 実は長女には赤ちゃんのときに英語のテープを聴かせたり、英語の絵本の読み聞かせをしたりしたのですが、2歳のときに「エーゴでごよん(ご本)読むの、やめて」と強く拒否されてあっさり敗退やめました。次女には早期英語教育などいっさいせず。意図的にしなかったわけではなく、忙しくてそんなヒマがなかったからです。

 ついでに言えば、私は英語圏への留学経験がなく、帰国子女でもなく、そもそも英語圏にあまり旅行したこともない。そんな私が日本で暮らしていて子どもに英語で話しかけるのはいくらなんでも不自然でしょう。親の私が不自然だとか無理と感じることは、こと教育に関してはしないほうがいい、と私は思っています。そんなことは続かないもん。

 早期英語(もしくは外国語)教育の是非をうんぬんできる私ではありませんが、自分の体験から「あまり意味ないなあ」と思っています。自分の意志を持って話してみたいと思わないかぎり語学は身につかないし、周囲がみんな日本語をコミュニケーション手段にしているなかで、ぺらぺら英語を話すガキ子どもって見世物の珍獣と一緒でかわいそうじゃないですか?(ただ、英語に限らず、この世界には母語(ここでは日本語)以外に何百、何千という言語があって、別の言語を用いて暮らしている人たちは自分たちとは社会常識も発想方法も感情の表わし方もちがう、ということは幼いころから教えておいたほうがいいように思います。)

 でも、思春期に差し掛かり、親の庇護のもとから抜け出てより広い社会への関心が高まる小学5年生あたりからは外国語を教えることの意味があると思っています。それは何も英語に限らない。何かしらきっかけを作ってあげれば、この時期の子どもはみるみるうちに語学を習得する力があるし、そのときに覚えた外国語習得能力(勝手に名付けました)は生涯役立つはずです。

 次女はテレビで、タレントが世界のどこかの地域に行って、一人でサバイバルするという番組を見てフィンランドに興味を持ち、フィンランド人がフィンランド語でなんて言っているか知りたいとインターネットで調べたり本を読んだりし、ついにはフィンランドに留学してしまいました。また、中学2年の時に日韓共催ワールドカップ関連で放送された歌番組でKPOPにはまったのをきっかけに、韓国語を習得。今は英語、韓国語、フィンランド語が話せます。きっかけはそんなものでいいのだな、と私は彼女から教えてもらいました。

 私と同じく語学大好きの次女を見ていて思う外国語習得能力とは、①好奇心、②勇気、③根気、です。

 「この人、何を考えて、何を伝えたいと思っているのだろう?」とか「そこに行ってみたい」とか「この人たちが話していることを知りたい」とかそういう「好奇心」は、こと外国語習得においては「性格」とか「資質」ではなく、一つの「能力」だと思います。好奇心がないところに、語学習得なし。

 そして勇気。日本人はすぐに"I cannnot speak English"とか"Je ne sais pas parler le francais"とか"我不会说汉语"とか言うけれど、それだけ話せたらもう「話せる」んですよ。「私は外国語が話せます」という勇気がないために、能力に自分で蓋をしている、と私は生意気にも思います。話せないのではなく、話す勇気がない。恥ずかしい、とか、通じなかったらメンツがつぶれる(→意外に若者に多い)と思ってしまう。思い切って知っている単語を並べて話す勇気を持っていると、もう飛躍的に語学は伸びます。だから、勇気もまた、性質ではなく能力です。

 そして根気。これに関しては言うまでもありませんね。外国語語学習得には終点とか完成ってものはありません。いや、外国語だけじゃない。日本語も同じです。言葉は「もうこれでいいや」と思ったときから錆びついていきます。つねに謙虚に学び続けることが大事。

 それとネイティブ並みに話をすることが目標です、という人がいるけれど、その目標にしているネイティブっていったい誰? と私はツッコミたくなります。ネイティブ・スピーカーの母語語学力も千差万別。外国語習得の目標は、自分の言いたいことや気持ちをきちんと伝えられ、また相手の意志や感情を理解できることだ、と私は考えています。ネイティブ並みの発音で「元気ー?」「どうしてるー?」とか言うよりもずっと高い目標だと思うんですけれど。

 で、その目標をめざすために必要なのは「読む、聴く、話すを毎日ながーく続けること」。もうこれにつきます。

 とここまで書いて気づくのは「語学を学ぶのに遅すぎることはない」ってこと。むしろ、人生経験を積んで、他人との差異についても十分な知識を持っている年長者のほうが、3つの能力を発揮しやすいかもしれません。

 なーんてことを考えて、今日も中国語学習に励む私なのでした。