振り返れば1980年代、NHKTV番組「シルクロード」でその異境のにおいに魅せられたのがきっかけだったのかもしれません。NHKTVとラジオの中国語講座を視聴し、中国に行ってみたいと夢見て個人旅行で上海→杭州→蘇州旅行し、その後もめぼしい中国本を読んでは想い(笑)をつのらせてきました。完璧に非現実的な片思いでしたが。

ちゃんと中国語を学んでみたいとブログに書きこんだのがきっかけでやっとすてきな師匠に出会えてあらためて中国語を学び始めたのが昨年。なんか最近では中国語を勉強する合間に仕事をしている感じがしないでもないのですが、まあそれはさておき、中国語を学ぶのと並行して中国本を読んでいると、目隠しをしたまま中国という巨大な象(パンダか?)をなでさすっているようなとらえどころのなさを感じます。誰もが言うように21世紀を生きるにあたって、中国という国、民族、政治経済社会文化とまったく無視して生きていくわけにはいかない日本であることは確実です。それなのに、矛盾が多く、大国すぎる国と人々をどうとらえたらいいのかよくわからない。でも、私なりに書かれたものを通してとらえてみようと試みています。いつかは中国語で書かれたものを読んで理解してみたいな、なんて大望を抱きつつ、翻訳本もふくめた私の「中国本読書メモ」をつくってみました。

私が初期に出会って「中国を個人旅行してみたい!」と思わせたのが、1986年に出版された「中国中毒」(新井ひふみ著 三修社/文庫)。中国に留学した女子学生の体験談です。その後、上海に旅行したとき、この体験談のとくに「トイレ話」と「列車の切符の買い方」と「買い物で出会う店員に無愛想と不親切」について「あー、こういうことだったのか!」と深くうなずいたのがなつかしい。

それより以前の1983年の出版ですが「中国の冬」(梁恒+ジュディス・シャピロ著 サイマル出版会)という本も、高校の頃、文化大革命万歳みたいな論調を聞かされてきた私に衝撃を与えました。本の書き方やこの著者の姿勢にはちょっと?を感じたものの、衝撃はやはり衝撃だったかな。その後、映画監督、陳凱歌著「私の紅衛兵時代」(講談社現代新書 1990年)を読んで、若者が国家(というか祭り上げられた権力者?)に翻弄されるありさまに別の意味で衝撃。こちらのほうが「中国の冬」よりも淡々とした描写で、信ぴょう性があったかな。それにしても子どもに「思想教育」はまずいだろう、とちょうど子育て期にあった私はそんなことを思ったり。

その後に大ベストセラーとなった「毛沢東の私生活」(李志绥著 新庄哲夫訳 文藝春秋)が来るわけです。1994年刊のこの書を、正直に言うと私はリアルタイムで上巻しか読んでいませんでした。はい、告白します。最近ようやく通して読んで、いやーこんなにおもしろい本だったのか、と。本を読む醍醐味の一つは「年齢と時代を経ると、視点と読み方がまったく変わってくる」ということにあります。この本なんかそのいい例だな。

1993年、改革開放経済を掲げて中国は「世界の工場」となって躍進し始めていましたが、一方で1989年の天安門事件のショックは尾を引いていました。経済は資本主義、政治は社会主義という矛盾を鄧小平は「白猫でも黒猫でもねずみをとってくればいい猫だ」というような言葉で丸めて、経済開放を進めていましたが、天安門事件はまさにその矛盾が矛盾でしかないことを証明した......ように思えたのです。そこにもってきてこの本。当時の私は「まーた文革暴露本かよ」というような読み方でしか読めなかった。でも、今読むと時代を経たおかげでちがった視点で「毛沢東」という人物を見直すことができます。同時に、今隣国が抱えている矛盾の芽はこの本の著者が主治医になった60年近く前からもう芽生えていたのだ、とよくわかる。

でもって、私はその後の大ベストセラー「ワイルドスワン」(ユン・チアン著 土屋京子訳 講談社文庫)も途中で投げ出していて(いいわけだけれど図書館で借りたのがまずかった。上だけ読んで、その後下巻が借りられないままときが過ぎていってしまい......)、最近になって読み返して、またもや「こんなおもしろい本だったのか!」と再認識。著者のエリート意識が鼻につくところはあるのだけれど(それは1998年読んだときも感じた)、その点を差し引いても、歴史大河ドラマですね。こと中国に関するかぎり、事実のほうが小説よりもずっと奇なり。

その後星野博美さんの中国モノ3部作(と勝手に私が名付けている)に出会って、外国人によるルポものとしてはこの3冊が秀逸だと思っていました。 「転がる香港に苔は生えない」(文春文庫) 「謝謝、チャイニーズ」(文春文庫) 「愚か者、中国を行く」(光文社新書) が、中国への憧憬(?)と実際に現地を歩いたときに出会う心理的ギャップによる落胆(でも勝手に憧れて勝手に落胆する自分を客観視する視線も忘れていない)を描いたルポとして、とても興味深い。

谷崎光さんの「てなもんや中国シリーズ」(これまた勝手に名付けました)も笑って読めて、でも実は鋭い、という外国人ルポとして傑作。体験記って強いなあ。 「中国てなもんや商社」(文春文庫) 「北京大学てなもんや留学記」(文春文庫) はかるーく読めて、実感がこもっていて楽しい。

ほかにも陳舜臣さんによる「中国の歴史」シリーズは、めずらしく最初から最後まで読み切った歴史シリーズものでしたが、とりあえず過去のものは切り上げて、以後は最近の「中国本」のなかから何冊かピックアップ。

「中国女工哀史」(レスリー・チャン著 白水社) とそのパートナーが書いた 「疾走中国」(ピーター・ヘスラー著 白水社 どちらも翻訳は栗原泉)。 以前に「堕落する高級ブランド」(ダナ・トーマス著 講談社)という本を翻訳したときに、「世界の工場」となっている中国の工場で働く女性と子どもたちの話に強い興味を持ったのだけれど、「中国女工哀史」はタイトルとはちがって、その実態を「告発」するのではなく、「温かい目で見守る」視点で書いているのがとてもいい。著者が中国系のアメリカ人であることがプラスに働いているルポルタージュだと思います。そのパートナーであるピーター・ヘスラーは、レスリー・チャンとともに10年間中国に住んで暮らし、働き、外国人でありながら中国人と視点を共有して「疾走中国」の大著をあらわしました。改革開放以後、「成功し発展した(はずの)」中国社会においても、矛盾は矛盾のまま残っている......どころか矛盾がますます肥大しているように思えます。この2冊は外からの視点で淡々と中国の内部を書いたルポとして秀逸かな。

ルポばかりではつまらない、小説はないのか、と探したところで、「上海ベイビー」(衛慧著 桑原道夫訳 文春文庫)、 とか  ハ・ジン著「すばらしい墜落」(立石光子訳 白水社) などを経て今私が読んでいるのが 「白檀の刑」(莫言著 吉田富夫訳 中公文庫)。まだ乗り切っていないうちに上巻が終わった......。

そのほかにも中野美代子さんや武田雅哉さんの著作、池上彰さんの「そうだったのか中国」(集英社文庫)、岩波新書の中国シリーズ(「中国は、いま」とか「中国エネルギー事情」とか「ネット大国、中国」など)も読んでいるのですが、だんだん疲れてきたので一休み。