今年に入ってからあまり仕事をしていません。あまり......どころでないかもしれない。ぜんぜんしていないな。

大震災後、私はいったい何をすればいいのかなと、ぐずぐず立ち止まって考えているうちに3か月も過ぎてしまいました。

何か行動を起こさなくては、と気持ちはあせるのですが、その一方であせってはだめだ、とはやる気持ちをおさえる自分もいます。

最近、というのは震災前、それも5年ほど前から思っているのは、自分のためではなく、つぎの世代、またそのつぎの世代の人たちのことを考えて動きたい(働きたい)な、ということです。

そしてまた、つぎの世代の人たちの足を引っ張ってはいけない、ましてや負の遺産をのこすようなことをするのは許されない、ということ。

いま自分が便利だから、気持ちいいから、ラクしたいから、というだけで、エネルギーや資源をじゃかすか使うような仕事や生活をするのは、確実につぎの世代、そのまたつぎの世代に迷惑をかけてしまう。

「効率」「快適」「成長」「成功」という言葉の定義をいまのまま見直さずに社会を維持していくこと、そういうことに価値を見出すことに、私はいますごく疑問を感じています。でも、戦後、日本や世界の先進国で追求されてきたことに代わる価値観が見つけられないでいます。「勤勉」の価値はこれからも変わらないでしょうが、コスト意識高く、効率よく働き、たくさん稼ぐことが「働くことの目的」であり、それができる人が「成功者」だと定義されたままだと、次世代の人たちにとんでもない負の遺産をのこしてしまう。

私があとこの地球にいるのは、どうがんばってもあと30年でしょう。(自分の予定としてはあと20年で世を去りたいけれど......)でも、娘たちはあと60年以上生きていかねばならないし、自分の子どもたちを安全で安心できる環境で育てていかねばなりません。子どもたちのことを考えると、いまのままでいいはずがない、と私は思います。

そう考えると、いま私ができる仕事は何なんだろう、と考えてしまう。

昨日、久しぶりにずーっとなかよくしている友人と話をしました。病気と怪我に悩まされた1年だった、と彼女はため息をついたあとで「でもね、2人目の孫が生まれるのよ。命は続いていくんだなと励まされるわー。この先は、つぎの命のために働きたい」と言ったのがとても印象的でした。

命を続かせていくためにも、なが~い気持ちでできることを探していきたいです。

あせらず、あわてず、あきらめず。

あと20年だか30年だかわからないけれど、つぎの世代のために働いていきたいです。