今年も毎日書道展に漢字Ⅱと近代詩文書の科でそれぞれ応募して、漢字のほうが入選しました。
一昨年の創玄展から始めて、今回の毎日展で書道展に応募するのは4回目となります。最初は「作品にすることを考えて」「これでは作品にならない」などと先生に言われても、何がなんだかわからなかったのですが、4回目にしてようやくほんのちょっとだけ「作品にする」とはどういうことなのかが見えてきたような手ごたえを感じました。これまで「超初心者」と自他ともに認めてきたのですが、ほんのちょっと見えてきたことから、これからは「超」をとって「初心者」と名乗ることにしますw
書道を本格的に習い始める2年半前まで、私の中での書道のイメージは「先生に書いてもらったお手本を上手にまねして書くこと」でした。もう少し進んで「楷書だけでなく、隷書とか草書とかかなとかいろいろな書き方で字が書けるようになる」程度の知識(?)はあったかな。私の場合、ふざけたことに「ガンバ応援のためのゲーグラを書く」ことが第一の目標だったので(2008年にはいろんなゲーフラをつくったよ......「アジア制覇!」「世界のGAMBAへ」とか)、大きな字でインパクトのあるメッセージを書きたいっていう思いはあったけれど、それは非常に特殊で(あたりまえだ)、始める動機として一番多いのは「きれいな字が書きたい」ではないでしょうか?
とにかく「大きな紙(ゲーフラの場合には布)に大きなインパクトのある文字を書きたい」というのが一つの目標だったので、始めてから1年たたないうちにやってきた書道展作品出品のチャンスに「やりたいです!」と手を挙げました。先生、うろたえながらも道具をそろえるところから(つまり初歩の初歩から)指導。そのかいあって入選したことに味をしめて、課題を与えられて制作する条幅作品に毎月応募し続け、現在にいたっています。
半紙に書くのも楽しいけれど、大きい紙に字を書くとよけいに「書道ってほんと楽しい! おもしろい!」と実感します。墨と紙と筆の3つの道具しか使わないのに、こんなに多彩な表現ができるのかとその奥の深さにはまりますね。
さてさて、今回書きたかったのは、ほんのちょっとだけつかんだ作品づくりの手ごたえのことです。
最初は先生にお手本をいただいて書く、ということで精いっぱいだったのですが、先生から「お手本をもらって書いているだけだとお手本を越えるものは書けないよ。(→お手本の足元にも及ばない力しかないのに、越えるなんてありえないのですが、とつぶやいていたことはナイショ)自分で考えないと作品づくりはできない」と言われて、それなら素材探しや書体を工夫することもやってみよう、ということになりました。書道教室の先輩たちが漢詩や詩の本を何冊も読み、字典をひいてはノートをとっている姿をずっと見ていたので、私もまねっこ。「作品になる詩文」とはどういうものかをいろいろ教えてもらって、まずは鉛筆でノートに書くところから始めました。
でもってですね、今回、この過程に一番時間がかかったのです。仕事そっちのけでノートにいくつも漢詩や詩文を書き、字典をひいて書体をいくつか書き写すこと1ヵ月以上。「これならいけるかな?」と思うと、実際の紙サイズを縮尺した寸法に半紙を切り、筆で書いてみることもやりました。なかなか大きな紙を広げて書いてみるところまでいかず、しかも素材が決まらず、で途中ちょっとあせったのだけれど、先生が「試行錯誤をしていくその過程が作品づくりにはとても重要」と何回も力説なさったので、がまんがまん。
3.11で合宿が中止になったので、一日練成会なるものに参加。今回初めて、ほかの人の作品を見ることがいかに勉強になるかを知りました。それまでは自分のことで精いっぱいだし、そもそも自分が「作品をつくっている」という意識がからきしなかったので、ほかの人のを見ても「うまいね~」と感心するだけだったのですが、今回は少しちがいました。素材を選んだ意図、書いているときの姿勢、墨の入れ方、筆の動かし方に始まり、空白の使い方、立体的に見せるための工夫と技巧、「見せ場」の字とそのほかの字の配置、といったことも見えてくるところがありました。先生方の寸評の言葉一つ一つの意味もようやくわかってきたし。
その結果、漢字にいたっては締切の10日前から書き始めた素材(尚想臥龍図)で提出。近代詩文書はあーでもないこーでもないと書き方を変えた挙句、最後の最後に書いた一枚で応募しました(でも落選したけれどね)
今回の作品づくりを通しておこがましくも、当初の目標設定基準値を少し(だいぶ?)あげました。先生方や先輩たちの作品を見ていて「あ~、こういう作品を書いてみたい」と私が思う作品は、立体的(三次元)であるだけでなく、時間の流れも感じさせる四次元的要素がある、ということがわかってきました。風が吹き抜けていく数秒間だったり、喜びや悲しみをかみしめる数分間だったり、生まれてから死ぬまでの一生だったり、ときには永遠だったり、時間の長さはいろいろなのだけれど、たしかにそこに時間が流れていることが感じられる作品っていうのがあるんですね。そういう作品に私は感動します。いつになるかわからないし、もしかすると一生書けないかもしれないけれど、目標はそこだな。
もちろんガンバのゲーフラも一つの作品。今年は書くぞ!
最後に、とても気に入っていた近代詩文書(落選、しつこい?)の画像をのっけておきます。小池昌代さんの「夏の弟」という詩。小池さんの詩がとても好きです。また続けて書いていきたいな。
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