先日、父に同行して滋賀県信楽まで旅行してきました。(行って初めて知ったのですが、かの地に聖武天皇が740年に『紫香楽宮(しがらきのみや)』という離宮の造営したことから「しがらき」という地名がついたそうです。そのためか、信楽というよりも紫香楽と書かれている標識のほうが多かったです)。閑話休題。天気もよくて、とても楽しい旅行だったのですが、それ以上に私にとって実りが多いものとなったのは、父とゆっくり話ができたことでした。
これまでも断片的に話は聞いていたけれど、2時間以上にわたって語ってもらったのは初めてで、私はもちろん興味深かったが、父は父で「あれ? 子どもの頃は何して遊んどったんかな?」とか「ちょっと待て。あのおじさんは戦争はどの部隊やったか? そうや、中国北方やな」とか、と記憶を手繰り寄せながら語るのが楽しかったみたいです。
両親ともに昔の記憶をたどっていると、話が佳境に入るのはきまって戦争のときの話です。母は十代後半、父は二十代前半に第二次世界大戦が終戦を迎えたのですが「生れてからずっと、日本はあっちやこっちで戦争ばっかりしとった」と言います。そして「戦争だけはアカン。何があっても戦争だけは阻止せなあかん」というのが話の締めくくり。そのことは私たちがしっかり子どもに伝えなくてはならない、としつこく言います、はい。
それはともあれ、両親からちゃんと聴いて遺しておかねばならないことがいっぱいあります。それが私の世代の役目なんだろうな。
コメント
コメント一覧 (5)
「最後には弾の材料がなくなり、停めてあった軍艦もなくなった。ああ日本は負けるな、と思ってたらホントに負けた。負けるとは言えないから、心で思っていただけだけど。」
「戦争は若い人には歴史に過ぎないだろうが、私らには記憶。明治時代は私らには歴史だけど、おばあちゃん(伯母の母親)にとっては記憶。考えてみたら歴史と記憶って近いよ。」
"歴史と記憶は近い-この哲学的?な言葉が伯母の口から出たのに私は驚き、また、物を捨てられない伯母に苛ついていた自分を反省したのでした。思い出させてくださって有難うございます。改めて反省、これからはもっと伯母に話を聞こうと思います。
伯母さまの記憶をしっかりolivaさんが遺されていくのですね。またお話しくださいね。
で、復活はいつ?
で、復活ですが「もう治るかも」と思うとぶり返し既に2ヶ月近いので…涙。ブログの昔の記事によると「鍼を数回打って治まった」とのことですが、私は今年から定期的に鍼に通っているのに再発、そして鍼を打っても痛みが軽減したことは一度もありません(>_<)。整形外科はハナから治そうという気が無いし、もう何も信じられない(大げさ)。最近は指でお手本をなぞってエア書道です。
いきなり釈迦に説法で恐縮ですが、
「閑話休題」は、逸れた話を本題に戻す時に使うので、この場合、“天気がよくて・・・”の前に挟むのが適当ではないでしょうか。
以前、たまたま見た「verita」で、たまたま実川さんの記事を発見、素敵な本をたくさん教えていただきました。
ブログも拝見して、すぐ怠けココロが起こる自分の生活に、渇を入れてもらってます。
いつもありがとうございます。
にょろろさん、あ、すごく的確な指摘をありがとうございます。おっしゃるとおりです。天気がよくて……の前に入れなくちゃいけませんね。直しておきます!お恥ずかしい。ヴェリタの連載は終わっちゃって残念です。また復活しないかなー。