いまさらですが、上原菜穂子さんの「守り人シリーズ」と、荻原規子さんの「勾玉」三部作、そしてローズマリー・サトクリフさんの「ローマン・ブリテン」三部作にすっかりはまってしまい、GWは1日1冊の勢いで読み続けました。5駅先(乗り換え1回)の図書館まで8キロジョギングし、本を借りては早足で帰ってきて読書、ということを繰り返したGW。頭の中は、新ヨゴ皇国やカンバル王国(守り人シリーズ)、神話時代の日本(勾玉シリーズ)、そしてローマ帝国に支配されるブリテンをぐるぐるジョギング。楽しいですわー。充実していましたわー。 どのシリーズも名作で、サトクリフさんのはもはや古典の名著であるのは言うまでもなく、日本の作品は海外で翻訳されて静かなベストセラーになっています。守り人シリーズも勾玉シリーズもNHKでアニメも放映されていたらしいから、聞いたことがある人も多いはず。 これらのファンタジー名作の基本テーマは「少年少女の成長」です。それも10歳から13歳までの年代に限られる。なぜその年代なのかというと、7歳までの子供はまだ神の世界のほうにいて人間としての生命が不安定であり、14歳以上になると、人間として次世代を作ることの方に一生懸命になってしまい、つまり人間世界だけで生きようとしてしまう。つまり日々の生活と自分のことだけで精一杯になってしまう。 でも10歳から13歳までは、神の世界(想像世界)と人間世界(現実世界)を行ったり来たりする力を持っている、と神話の時代から考えられていたからだそうです。 自分のことを振り返っても、中学に入る前後あたりは、想像と現実との間の境界があいまいで、夢で見たことを本当かと思い込んでしまったり、現実の手触りがしかとつかめずにふわふわしてよく「現実の自分を見なさい」と叱られていた記憶があります。大人でもない、子供でもない、というのはそういうふうに境界を行ったり来たりすることなんですね。 ファンタジーシリーズで主人公たちが成長する過程では、現実世界をしっかり認識しながらも、想像世界の豊かさを自分のうちに育んで行くことの大切さが強調されています。空想しているだけの夢見る夢子(男)ちゃんの幼さは捨てなくてはならないのだけれど、それに代わって他人の痛みや、世界の多様性について、知識だけでなく想像力をふくらませていく力を養うこと、そのたいせつさが強調される。 これは、今大人たちにこそ求められているのではないでしょうか。 自分が見たいものだけ見て、聞きたいことだけ聞き、信じたいことだけ信じている人を、この世の中はとかく「大人」だと言いたがります。 でも、そうではない、ということをファンタジーの名作は教えています。 どれほど過酷な「現実」も、豊かな想像世界を自分の中に持っている人は、しっかり見て、聞いて、自分の信じる道を歩んでいくことができる。逃避するのではなく、見方を替え、いやなことを聞いても消化し、自分にとって信じられる真実を追求できる。 ファンタジーは大人にこそ、生き方を問いかけている分野だと思います。 最近読んだ本たちを、記憶かわりに画像でのっけておきます。 「驚きの介護民族学」六車由美著 医学書院 「男は邪魔! 「性差」をめぐる探求」 高橋秀実著 光文社新書 についてはまた書きます。 th_DSC03820.jpg