最後のあがきのような残暑ですね。西日本と九州は大雨とか。どうぞお気をつけて......って今から関西に行くんだよ、私は。大丈夫かなあ。 今朝、昨日の夕刊を斜め読みしながら朝食を摂っていたら、「「外国語乱用」で訴訟」という記事が。「日本語を大切にする会」の世話人という方が、NHKを相手どって、日本の公共放送なのに外国語を乱用するのはけしからん、精神的苦痛を与えられた、と慰謝料を請求した、という話らしい。結局、棄却されたのだけれど、「訴訟まではちょっと行き過ぎじゃない?」と思いながらも、私がつねづねひっかかっていることと重なる部分があった。 カタカナと略語にすることで、物事の本質とか重要性(重大性)を軽くしてしまっているのではないか、ということ。 最近、一番引っかかったのが、福島原発の汚染水漏れの件で、東電幹部が福島県副知事に報告にいった、という件がテレビで流れたときだ。東電幹部が意味不明の笑いを浮かべながら(薄ら笑いととられてもしかたない笑みだった)、このたびは本当にたいへんなことになってしまい、ご迷惑をかけて云々と頭を下げたところで、副知事が言ったのだ。 「これはもうヒューマンエラーととられてもしかたない」 私は思わず食べかけていた鯵の干物をポロリと皿に落としてしまった。 なぜヒューマンエラーなどという、聞く人も、たぶん言っている本人もはっきりわかっていないような英語にするのか? 人為的な瑕疵、過誤、いや人為的というのならば、すでに犯罪だろう。わかっていてやったのだから、犯罪ですねこれは、とはっきり言えばいいじゃないか。 そう言ってしまうと「政治的問題」になるから、ヒューマンエラーなどという英語で煙に巻くのか? 責任という言葉の重みが霧散しそうなカタカナだ。 しばらくいらいらして、鯵の干物の味がわからなくなったよ。私の鯵を返せ! NHKのニュースくらいしか私はテレビ、じゃなかった、地上デジタル放送を見ないのだが、その貴重な機会である7時のニュースにも、たしかにワケのわからないカタカナと略語があふれている。(ちなみに、日本語では3文字、もしくは4文字に省略されたところで、その言葉は社会的に定着、というか流行するのだそうだ。セクハラ、パワハラ、コンカツ、シューカツ、マジギレ、イジメ......挙げるときりがない。) それはともかく、カタカナや略語にすることで、事の重大性がぐーっと軽くなることにひっかかる。NHKのアナウンサーのカタカナ英語で最近一番ひっかかったのが「新大久保周辺でレイシズムの発言をふくんだヘイトスピーチを繰り返す集団が問題になっています」(文脈はあやふや)という言い方。レイシズム、とか、ヘイトスピーチ、とか、わかります? 私は頭の中で思わず翻訳してしまいましたよ。人種差別、人種的偏見、憎悪発言、差別発言......。おぞましさが一気に倍増する。人種的偏見に満ちた罵詈雑言を街頭でわめきまわる、とか言えばいいじゃないの。 カタカナ英語は日本ではないのはもちろん、英語でもない。責任回避、問題を不透明にする言語ではないか。カタカナ英語やそれを略した言葉にすることで、思考ががたつく(ノッキングする、と思わず書いてしまい、あわてて訂正しました。こういうときにはノッキングのほうがわかりやすい?)。もしかしたら、聞く人の思考を停止させて事の重要性をうやむやにするためにカタカナ英語を使っているのだろうか? なんかイライラしてきたので、このへんでやめて、では関西に行ってきます!