オリンピックがどうもあまり好きになれません。スポーツを見るのは大好きなんだけれど、オリンピックのように「国の威信をかけて」とか叫ばれたり、選手個人ならともかく家族まで引っぱり出して「感動のストーリー」をつくりあげてわーわー言われたりするのがうざったいです。オリンピック期間中にテレビをつけるときは、解説や実況のアナウンサーの声が聞こえないように音声をあらかじめ消してからスイッチを入れるようにしていました。そこまでして別に見ることはないか、と先日やっと気づいたので、期間中はHDDに見たい映画や海外サッカー番組を録画しておいて、それだけ見ることにしました。ニュースはネットで見るだけ。ニュースが選択できるのがインターネット時代のいい面ではないでしょうか。エラソーに聞こえるかもしれませんが、何も日本のメディアが伝えるニュースを見る必要もないわけですよね。今は世界中のニュースがスマートフォンからでも見たり聞いたりできるので、むしろ日本では伝えられていないニュースを知るほうがいいかもしれない、と思ったりしました。 オリンピックは苦手で見ない、と言うと非国民とか言われるので、よけいにいやになってしまいます。「あまちゃん」を見ない程度でも非国民呼ばわりされるからなあ。非国民ってそもそもどういう意味? なんかキナ臭くないですか、その言葉。それに「日本中を感動の渦に巻き込んだ」とか言うアナウンサーに、「ちょっと待て。その日本中に私は入ってないからね」とダメ出しをしたくなります。あ、そうか、私は感動の押し売りがいやなのかもしれないです。感動というきわめて個人的かつ身体的反応をともなう情動を、ほかから押し付けられたくない。私が感動するものは、私が決める。日本人だから感動すべき、とか言われたくない。日本人という属性に関係なく、自分の中から湧き起こってくるものを感動と名づけたい、と私は思う。 冬のオリンピックには採点競技が多いことも苦手な理由かも。特に日本人選手が活躍する競技に採点で決まるものが多くて、テレビや新聞で大きく取り上げられるのはそういう競技ばっかり......のように思えます。採点競技はシロウトには何が得点で何が減点なんだかよくわからず、実力の差が見えない。フィギュアスケートで、踏切が回転がエッジが、とか何回言われてもよくわからない。ハーフパイプやモーグルなんてオリンピックでしか見ないから、技の名前やら難易度なんてさっぱり。めったに見ない競技だし、関心が向かないから覚えられない。そういう人に見てもらわなくちゃいけないせいか、解説者や実況アナウンサーが誰にもわかる苦労話や家族の応援エピソードをがんがんしゃべる。うざったさの悪循環です。がんばっている選手の皆さん、どうもすみませんです。って、別に私が応援しようがしまいがどうだっていいか。(そういう私もアイスホッケーのロシアVSUSAは手に汗握って見てしまった。すごい試合だった。やっぱり得点競技はいいわ) ああ、あと少し我慢すれば、テレビをつけるたびに、電車に乗るたびに、いやでも目に耳に入ってくる「日本選手を応援しよう」「感動をありがとう」を見ずに聞かずにすむかと思うとほっとします。