よくぞ引き分けた、というべきか、それともこれも想定内でOK、とするか、見方は分かれます。ただ、振り返ってみると、昨年も長谷川監督が言う「第一クール」7試合の内容も似たようなものでした。問題は、昨年はJ2にいて、しかもレアンドロというストライカーがいたってことです。だから攻撃も「ショボっ!(怒)」となってもまだそれほど不安がらずに過ごしていられたのですが、今年はJ1。しかも宇佐美というストライカーが負傷離脱中。厳しいですね。 ただ、新潟や仙台のように「まずは守備から」と東口&岩下両兄貴を頼りながらしのいでいくのが、一番現実的なのかもしれません。現実はえてしておいしくない、どころか、呑み込むのに喉にひっかかること魚の骨以上ではありますが、今は暴れず「忍」と書いては呑み込みながら試合を見ましょう(←自分に言い聞かせている) さて。Jリーグを見続けているものとして、今回の浦和ダンマク事件について一言ふれないわけにはいきません。物議を醸すからスルーする、ということも頭をよぎったのですが、それはダンマクを見て気になりながらも、「サポーターと揉めたくない」からスルーしていて事を大きくした浦和のスタッフやサポーターたちとあまり変わりがないと思ったので、やはり書いておきます。 「Japanese Only 」と書かれたダンマクが、日の丸と並んでスタンドへの入口に掲げられた写真を見たときになんとも言えない不愉快な思いがこみ上げました。それは、一昔前フランス留学中に「日本人とドイツ人は仲間に入れない」と言われて、生徒主催の学校の行事から仲間はずれにされたときの不愉快さに通じるものがありました。1970年代はまだ第二次世界大戦の記憶がぬぐい去れていなかった時期で、人種、民族や歴史を背景にした差別にまだあいまいなところがありました。断固差別を許容してはいけない、という人と、「だってあいつらは〜だから」と人種、民族、国で人を一括りにして決めつけ「嫌いなものは嫌いだ」と言い放つ人とそれに喝采を送る人とが、一応リベラルな先進国だったフランス国内でも混在していたように思います。街を歩けば「ジャップ(日本人の蔑称)」「チーノ(中国人の蔑称)」と私の後ろで鼻をつまむガキどもを、大人たちが血相を変えて叱る一方で、日本人の私をあえて誘う人はいない、というそんな時期だったのです。私がダンスパーティで誰も踊ってくれず、旅行に誘ってくれず、融け込めないのはシャイだから、フランス語が下手だから、と最初は思っていたのですが、そのうちに「日本人だから嫌われる」という現実を知ってため息をついたもんです。学校では「あなたが好き」と言ってくれる仲間が何人もできて、数ヵ月経つと難なく融け込んでいましたが、当初の仲間はずれの記憶が後々まで尾を引いて、何となく壁を感じたのは確かです。 そのときのあいまいさは、少なくとも今はだいぶ減じています。大戦の悲劇から学んだ人たちが、必死の努力で変えようとし、なかなか変えられない感情を変えるために、教育に力を入れ、使ってはいけない言葉を明確に規定し、ときには法律で規制して今に至っています。今ではたとえ街のレストランでも「○○人はお断り」なんてことを言おうもんなら、国際問題に発展し、言った人も、言わせてしまった社会も断罪される、そういう時代です。でも、差別を糾弾し、「嫌いなものは嫌いだ」と言わせないだけでなく、思わせないためには、やはり地道な教育しかありません。私の後ろで「ジャーップ」と言って鼻をつまんだガキを殴りつけたお父さんのように、まずは親が、そして周りの大人が教えないといけない。 自分ではどうしようもないこと、生まれとか、肌の色とか、性別とかを理由に、輪の中に入れない、だって「嫌いなものは嫌いだから」と言ってはいけないし、やってもいけない、というのは、意識的に社会が、大人がやらなければならないことです。反対に、そういうことを言ったり、ましてや大書して掲げておいて「そんなつもりはなかった」と言ってしまうのは、当人だけでなく、周囲(見て見ぬふりをしていた人たちはもちろん、それについて処分が下るまで何も発言しなかった私も含める)がとても危ないガキだ、と断罪されてもやむをえない。 同時に思うのは、差別は自分がされないと自分も差別していることがわかりにくいし、人に向かって差別的発言をしてしまうのは、自分もまた差別されている不愉快さを(たとえ無意識にでも)日々痛切に感じているからだ、ということです。 今回の件は、浦和レッズだから起きたことではまったくない。どのクラブでも(もちろん我がガンバでも)、どのスタジアムでも起こりえたことです。スタジアムだけではない、学校でも、会社でも、隣近所でも十分に起こりえる......というか起こっています。「そんなつもりではなかった」......その言葉こそが、本当に恐ろしいのだ、と思います。