Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2008年03月

ぶるぶる、なんでこんなに寒いんですか?

クリーニングに出す予定だったダウンをまた引っ張りだしてますよ。

そんな寒さの上に雨が降っていたきのう(3月30日)の万博。

私は東京でスカパー観戦。現地観戦のざぶろうさんにメールしても返事がないと思ったら、手がかじかんだ上に雨が激しくて、とてもメールどころではなかったそうです。

それはともかく、やっとこさっとこガンバリーグ戦初勝利です。公式戦(ACL全南戦にひきつづき)連勝! 

れんしょう、レンショウ、連勝、いい響きです。

きのうのMOMは私としてはルーカス。攻守にわたって実に献身的かつ効果的な働きをしていました。

ガンバの選手のミスがぐっと減りました。相手がトラップしやすいパスを出すので、パスがきちんとつながるようになりました。つまり、意思疎通がやっとうまくいくようになった、ということです。去年はツネさんが抜けたものの、新しいメンバーはいなくて、一昨年の積み重ねの上にチーム作りをしていたので、パスミスをあまり見なかったのですが、今年のこれまでの試合ではパスミス、鬼パス、トラップミスの連続。サイドチェンジをしてラインを割ることなんかめったになかったのに、開幕戦の千葉戦ではプレスがかかってもいないのに安田がラインを割ったのにため息が出ました。

でもきのうはそういう単純ミスが非常に少なかった。相手のヴェルディと比べてもその差はあきらかで、夜にごはんを食べながらFC東京VS京都、神戸VS磐田の試合をチャンネルを変えながら見ていても、ガンバの選手たちの基本的技術のたしかさをあらめて確認しました(多分にひいき目入ってます)

前線からのプレッシングに関しても、ボールの奪い方がうまくなったし、ボールを奪いにいったときにはすでにほかの選手たちがパスコースに入るために走っているので、試合のリズムがぐっとよくなりました。

観ていて楽しかったな。ひさびさに。

それにしても明神大先生がすばらしすぎて、なんかもう、そのプレイの一つ一つに見惚れてしまいます。瞬間瞬間を永久保存しておきたい。

 

もちろん毎日だとまずいのでしょうが、私は「孤食」が好きです。

一人で食べるごはんはおいしい。

自分のことだけを考えて、自分のためにだけつくって、自分の好きなスタイルで食べるのは、実に楽しい。

家族が誰も夕飯がいらないとわかったときは、はりきって6時くらいからごはんを作り始めます。

夜は炭水化物をとらないことにしているので、おかずを彩りよく。

ちょっとだけぜいたくな食材(牛肉ならフィレ、魚なら平目が私のなかではぜいたく)を少しだけ買ってきて、メインには実験的で大胆な料理をやってみます。

平目の刺身用さくを大ぶりに切って酒と塩で下味をつけてカタクリを軽くまぶし、黄ニラときゅうりを中華風に炒めたところにさっと火を通す程度に炒めたものとか。

フィレ肉をあぶってブロッコリなどの温野菜とヴィネガーであえたサラダとか。

このわたとか、ふぐの白子とか、なまことか、山羊系のチーズとか、ほかの家族がけっして口にしない珍味もこの機会に出す。

内緒で上等のワインを開けて、我が家で一番上等のグラスに入れて、うっほっほっとか言いながら食べる。

おいしい。

しあわせ。

というわけで、孤食が何よりもぜいたく、という家のひとりごはんなのでした。

毎日やってたら病気になりそうだけれどね。

............

???????

苛々苛々苛々

怒怒怒怒怒

???????

..................(寝よっ!)

 

 

 

おしまい。

 

 

 

としたいところだけれど、やっぱりひと言いっておきたい。

いったい岡田監督はなにをやりたいんだ? サッカーにかぎらず、代表(クラブもだが、代表はとくに)監督がやらねばならない第一は「ヴィジョンを描いて、それを示す」ことである。

ヴィジョンとは一戦ごとの戦術なんかじゃない。勝敗云々でもない。

日本代表というチームを、いったいどんなチームにしたいのか、ということである。

オシム前監督はそれをドシロートの私にまでわかる形で示そうとしていた。

選手たちも理解しようとしていた。

「日本化サッカー」と呼ばれたそれは、個の力に頼るのではなく、攻撃においても守備においても数的優位がつくれるように、90分間一瞬たりと頭も足も休めないサッカーではなかったのか?

きのうの選手たちは局面ごとにはたしかに走ってがんばっていたが、頭が働いていたのは半分くらいの選手だけで、しかも働いている時間も局面だけだった。つまり、自分の近くにボールがあるときしか頭も足も動いていなかった。

とくに阿部と山瀬と大久保はそれがひどかった。いったいどうしたのだろう? 山瀬と大久保は(オシムのサッカーをやってこなかったから)しかたないとしても、阿部の気の抜けようはただごとではなかった。フィードのよさ、ボールの読み、一番深いところから構築するサッカーの醍醐味を一番わかっているはずの阿部なのに、きのうやっていることといえばまったく意味のない蹴り出しばかり。浦和で頭を使わないことを覚えてしまったのか?

頭も足も使っていないことを端的に語っていたのが、パスコースの少なさだった。ケンゴウがボールをもって出しどころがないことが再三再四。ヤットが入ってなんとかパスコースが2つくらいはできるようになったが、それまでは危ないバックパスをすることしかできない。巻にポストプレーをさせるのは意味がない、ということをどうしてわかってあげないのだろう? スペースをつくろうと必死になって動く巻がせっかくつくったスペースを、無駄につぶしていく山瀬と大久保。途中で涙が出そうになってしまった。巻が不憫で。、

欧州組が入ったら変わる? けが人が復調したらきっともっとよくなる?

バカいってんじゃない。

監督にヴィジョンがないかぎり、誰が入ろうが、誰が復調しようが、サッカーはよくならない。

オシムさんが築こうとしていたあのサッカーが、砂の城のように洗いながされていくのを見た気分で、哀しく、むなしかった。

岡田さん。ヴィジョンをもってください。描いているヴィジョンが魅力的なものなら、結果はおのずとついてきます。

 

は~、うつ。

「沈黙のファイル  「瀬島龍三」とは何だったのか?」

共同通信社社会部編

新潮文庫

 

旧陸軍参謀本部作戦課のエリート参謀。30歳で事実上、対米英戦の作戦主任となり、「陸軍大学校開校以来の頭脳」といわれた俊才。

戦後、11年間のシベリア抑留を経て帰国。伊藤忠商事に入社。10年で専務、20年で会長になる。

中曽根康弘、竹下登らの指南役といわれ、政財界の影のキーマンとささやかれた男。

瀬島龍三はどうやって生き延びてきたのか? 表舞台に出ていながら、つねに背後に暗い闇をのぞかせていた人である。彼にまつわるエピソードには、どこかうさんくささとあやしさがともなっていたような気がする。本書はその男の多くの謎に迫ったルポルタージュであり、彼が亡きあとに出されたたぶん「瀬島龍三評伝」の決定版だろう。

前半は広範囲の取材によるルポルタージュで、後半に瀬島氏と深くかかわった人たちのインタビューが掲載されている。

冒頭から話はなまぐさく始まる。戦後のアジア(とくにインドネシア)への賠償に瀬島氏がどのように暗躍したかを、伊藤忠商事で瀬島氏とともに働いた小林氏の証言によって語られる。戦後「賠償」とは名ばかりで、実はヒモつき借款のからくりがあったことが暴かれる。デビ夫人がはたした役割や、日韓関係改善に向けて瀬島氏が裏で果たした仕事などが紹介され、実になまぐさい。

第二章では、瀬島氏が第二次世界大戦で参謀役として何をやってきたかが検証されている。なぜ無謀な戦争に日本が駆り立てられていったのか? 誰が被害をここまで大きくしたのか? 戦場を自分の目で見ることのないまま、参謀たちが「作戦」を立て、戦場はただ盲目的に従っていたことが、戦争をより悲惨なものにしていく様子が元兵士たちの証言によって語られる。

第三章ではシベリア抑留から帰国まで。ソ連の旧日本兵のシベリア抑留が、対米、対日政策をにらんだもので、現在の日ロ関係につながっていることがよくわかる。

そして第四章。かつての参謀たちがよみがえり、日本の政財界をいかに牛耳っているかの検証が行われて圧巻。ロッキード事件、政界と官界の汚職事件など暴かれたのはほんの一部。日本の政治・経済の底辺にあるのは、敗戦という汚点の責任をとらないばかりか、目をそむけてなかったことにしようとする日本の「体質」だという。

KCIAにいた崔英沢(チェヨンテク)氏、瀬島氏とともに大本営にいた井本熊男氏、シベリア抑留の指揮をとっていたイワン・コワレンコ氏のインタビューも、これまた「よくもここまで」という内容で読み応えがあった。単に私が無知だったからだけなのだが。

瀬島龍三氏がどんなことをやってきたか、というのはさほど大きな問題ではない。「瀬島龍三的なもの」がいまだに日本に根強く息づいていて人々の行動を動かす力があり、つまり日本において「戦後は(まったく)終わっていない」ことが問題なのだ。誰があの戦争の責任をとるのか? つぐないは誰がするのか? すべてうやむや。

防衛庁の数々の「失態」、自衛隊の海外派遣の問題、靖国参拝......根っこにあるものが少しだけ見えた気がする。

新幹線のなかでほぼ一気読みしたあと、次女に「ぜひ読みなさい。これを読まなきゃいまはわからない」と押しつけた。東アジアにはまっている彼女には、どうしても読んでもらいたい。

 

週末は京都におりました。

この1ヵ月での飛行距離は多忙なサラリーマン並みです。

そんなことはさておき、土曜日の夜に喉が痛くて目が覚め、寒気がして、これはマズイと起き上がり、イソジンでうがいし、エアコンをつけて眠りました。

翌日(昨日)から、鼻水が止まりません(汚くてすみません)。

今朝一番でまた医者に駆け込み(この1ヵ月で歯医者と見舞いも含めて、10回目くらい。ここ5年の総数を上回りそうです)、なんとかしてくれ、と迫ったら、花粉症用の強い薬をくれたのですが、服用してもいっこうによくならない。だって、これは風邪だから。たぶん。ま、いっか。とりあえず花粉ってことで飲み続けよう。

今年に入ってから、何もせずに休んだ日が一日もない、という疲労の蓄積が問題かも。年末から怒涛の90日間でしたからね。カルピスの原液くらいの濃い日々。それなのに、今日はどうしても○○しなくちゃ、とあせるような気持ちで起き上がり、ああ、また今日も××がまだできていないと落ちこみながら眠る日々。私はいったい何をどうしたいのだろうか?

あ、花粉より、そっち(どっち?)系のアレルギーなのかもしれません。

ああ、つらい。

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