アメリカの金融不安と大統領選の行方を追いかけるのに忙しいジツカワです。
山一証券倒産と今回のベアーズの救済合併が重なる、というトピックスを新聞で読みながら再び考える「日本のバブルとそのあと(始末)」のこと。
いま家の改装中なのですが(と、いきなり話題急展開のようですが、そうではない)、バブル崩壊から18年もたったいまになって、いまだにその影響があるんだなと思い知らあされることがあります。
それは日本における(かなり底が浅いながらも育つ要素はあった)LUXURY MARKETもまた、バブル崩壊によって失われてしまったのだ、ということです。
カーテン一つとっても、上質で、デザイン性がよくて、見栄えがするものが、日本製品には皆無です。
機能性はいい。一見美しげにも見える。値段もaffordable。でも、ぜいたく感、高級感はまったくない。
何百枚もサンプルをめくり、ショールームに通って吟味し、雑誌をめくってチェックを入れ、これぞと思うものをピックアップすると、全部ヨーロッパ製品です。値段はユーロ安もあってnot accessible。日本製の最高級品と比べても、ゆうに2倍の開きがあります。
何回となく販売や営業の人に詰め寄りました。
「なぜ、輸入物と日本製とはこうまでクオリティがちがうんですか?」
「なぜなら、バブル崩壊後、できるかぎりコストをカットして、機能性を付加価値とする方向にすべての製品がシフトしたからです。デザイン性はいまだに二の次だというメーカーが大半です」
私はなにも豪華絢爛の貴族のようなインテリアにしようと考えているわけではないのです。ただ、そう簡単にかけかえられないとわかっているカーテンや、少なくとも20年は毎日見続ける壁紙には、品のよさがほしい。安っぽいのはいやです。飽きがこないものがほしいのです。その程度のLUXURYがほしい。
日本のバブルがもしあともう10年続いていれば、本物のLUXURYを育てることができるMARKETが育ったでしょうか? ヴィトンのバッグをもつことがステイタスなんて哀しい現象ではないLUXURYが。
アメリカでは今回の景気後退で、LUXURY MARKETはかえって(たぶん)大衆から離れて本物の熟成を見せるのではないかと思います。それがいいことか悪いことかは別にして。日本とは富の底の厚さがケタ違いであることをまたもや思い知らされることになりそう。
それにしても、カーテンどうしよう? いつまでもテーブルクロスをガムテープで貼っているわけにはいかないしなあ(はいはい、ビンボーくさいですよ)。ため息。