Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2008年03月

アメリカの金融不安と大統領選の行方を追いかけるのに忙しいジツカワです。

山一証券倒産と今回のベアーズの救済合併が重なる、というトピックスを新聞で読みながら再び考える「日本のバブルとそのあと(始末)」のこと。

いま家の改装中なのですが(と、いきなり話題急展開のようですが、そうではない)、バブル崩壊から18年もたったいまになって、いまだにその影響があるんだなと思い知らあされることがあります。

それは日本における(かなり底が浅いながらも育つ要素はあった)LUXURY MARKETもまた、バブル崩壊によって失われてしまったのだ、ということです。

カーテン一つとっても、上質で、デザイン性がよくて、見栄えがするものが、日本製品には皆無です。

機能性はいい。一見美しげにも見える。値段もaffordable。でも、ぜいたく感、高級感はまったくない。

何百枚もサンプルをめくり、ショールームに通って吟味し、雑誌をめくってチェックを入れ、これぞと思うものをピックアップすると、全部ヨーロッパ製品です。値段はユーロ安もあってnot accessible。日本製の最高級品と比べても、ゆうに2倍の開きがあります。

何回となく販売や営業の人に詰め寄りました。

「なぜ、輸入物と日本製とはこうまでクオリティがちがうんですか?」

「なぜなら、バブル崩壊後、できるかぎりコストをカットして、機能性を付加価値とする方向にすべての製品がシフトしたからです。デザイン性はいまだに二の次だというメーカーが大半です」

私はなにも豪華絢爛の貴族のようなインテリアにしようと考えているわけではないのです。ただ、そう簡単にかけかえられないとわかっているカーテンや、少なくとも20年は毎日見続ける壁紙には、品のよさがほしい。安っぽいのはいやです。飽きがこないものがほしいのです。その程度のLUXURYがほしい。

日本のバブルがもしあともう10年続いていれば、本物のLUXURYを育てることができるMARKETが育ったでしょうか? ヴィトンのバッグをもつことがステイタスなんて哀しい現象ではないLUXURYが。

アメリカでは今回の景気後退で、LUXURY MARKETはかえって(たぶん)大衆から離れて本物の熟成を見せるのではないかと思います。それがいいことか悪いことかは別にして。日本とは富の底の厚さがケタ違いであることをまたもや思い知らされることになりそう。

それにしても、カーテンどうしよう? いつまでもテーブルクロスをガムテープで貼っているわけにはいかないしなあ(はいはい、ビンボーくさいですよ)。ため息。

kimono1.JPG
大学の同級生の結婚披露宴に招かれました。

前夜、私が夫に「あした結婚披露宴だからいってくる」というと、夫が「...息子さんの?」

いえいえ、友人のほうですよ。

純白の豪華なウェディング・ドレス。(とっても美しかったです!)

ケーキカット。

新婚さんいらっしゃいクイズ。

花束贈呈(ただし、それぞれの息子さん、娘さんたちに。みなさん成人なさっていらっしゃいます)

ひさびさにフルコースの結婚披露宴でした。

しかも祝辞がみなさん非常にうまい!カップルはお二人とも第一線で大活躍だし、人脈がとても広い。

マイク真木さんのバグパイプ演奏やら、落語家さんのお話やら、ジャズの演奏やら、アトラクションもすごかったです。

何よりも、2人がいろいろあった半世紀以上の人生を経て、これから一緒に歩んでいこうというところが、若者の結婚式とちがって感動的でした。

お子さんたちがみんなとってもすばらしい方たちばかりで、お父さんとお母さんを尊敬しながら、あたたかく見守っていくという大人の姿勢で、好感がもてました。

......それじゃ私も「いいなぁ。私ももう1回結婚したい」と思ったかって?

いやー、ごめんなさい。もう結構。結婚するエネルギーを別のことに向けたいです。なんていうのは、すれた夢もロマンもない50代の感想でした。

 

恥ずかしながら、あとで着物姿をアップしてみます。

うーん、こうやってみると、着物がいまいちだったかなぁ。母のいうとおり、ちゃんとした訪問着にすればよかった。一応、紋が入っている着物なんですが、結婚披露宴には地味だったかなぁ。

帯ともあってないような気がする。

でも、今回の経験で、母や祖母たちから譲られた着物をちゃんと生かしていきたいなという気になりました。

試合後に思わず歌っちゃいましたよ。

♪ちょんぶりころころ

ガンバんこ

どつぼにはまって、さーたいへん。

ミネイロ出てきてさようなら

ルーカスありがと、また今度♪

 

なんかもう、国際的恥さらしみたいなガンバでありました。

ミネイロが左SBとしてスタメンで出場した時点で、ひそかに「終わったな......」とへこみ、明神大先生がスタメンじゃないと知って「失点やむなし」のいやな予感が。

でもって、いやな予感以上の悪夢が待っていました。

いや~酷かった。守備も攻撃もまったく形にならず、全部酷かった。全力でミネイロとヤットのしりぬぐいをさせられたフタと智に私は同情を禁じえません。

この負のスパイラルにはまりつつあるガンバを救えるのは指揮官、にしのんのみ。

その監督は「今年は性格を変えなくちゃ」とおっしゃっとります。

そう、いまこそ性格を変えてください。

固まらないで、涙目にならないで、いまこそ大決断を!

ヤットを休ませる決断ができるのは、あなただけです。

正直、試合が終わったときにはACL予選リーグ敗退はもうしかたない、Jリーグも下位低迷じゃないの? 今年のガンバはもう終わっちゃうかも......とへこんだくらいでした。

それを察してか、同行者が「まだ終わってへんよ。まだまだや。あきらめたらあかん。あきらめなかったらきっと何かがある。何かわからへんけど、何かがあるねん」と同じく涙目で励ましてくれました。ありがと、そんきちさん。あの一言がなかったら、私はあの場でチケット全部破り捨てていたところでした。

石垣島の人口が増えている、という話を聞きました。

若い夫婦が南の島で子育て、というケースもあるそうですが、引退後にあたたかい場所で暮らしたいという、いわゆる「シルバー移住計画」に乗っかってやってきた人も多いそうです。

あとほんの少しで我が家も「定年」「引退」の二文字が見えてきます。でも、私には田舎暮らしはぜったいにできそうにありません。無理。というか、「田舎で暮らしたい」という発想そのものが、ない。虫が嫌いな夫も、一言のもとに「無理」といいます。虫だけじゃなく、田舎の濃密な人間関係も2人とも苦手です。だから、シルバー移住計画は計画にもならないで終わりです。

でも......私は生まれ故郷の芦屋には戻ってもいいと思っています。もちろんかすかに、ですけれどね。それも両親がいるから、ということもおおいに関係していると思います。親がいなくなったとき、はたして40年以上離れていた地に帰ってやっていけるかといわれれば、やっぱりさびしいかなあ。友だちも仕事も全部東京にあるわけで、本拠地はやっぱりここで、ここで老いていくのが心身ともに一番いいことかも。

といいつつ、私は芦屋のほどほど都会でほどほど地方なところが気に入っています。親にそういったら「何いってるの。芦屋は田舎やないわよ。都会です。東京よりずっと都会」といいきられました。私は田舎なんていってないんですけれどね。

私が住みたい地(友だちや仕事抜きで)の条件は、1)おいしいパン屋さんがある、2)気軽に外食できる店がある、3)交通の便がいい、4)図書館や美術館など文化施設が充実している、5)ごみごみしていない、ということなのですが、芦屋はまさにその条件が全部そろっています。

震災で大きく変わりましたが、それでも私が育ったころ(1950年代末~1970年代はじめ)の芦屋の空気はあまり変わっていないような気がします。めまぐるしく変わる東京と違って、そこが地方としての芦屋のいいところなのかも。

とぐだぐだ故郷のことを書いているのは、家の事情でいまひんぱんに往復しているから。明日からまたしばらく行ってきます!

遅ればせながら土曜日の開幕戦。

実はひさびさ......いや、はじめて万博の開幕戦に行きました。そのほか地域のガンバ開幕戦には行ったことがあるんですけれどね。

開幕はわくわくしますね。公園東口駅を降りながら急ぎ足でバックスタンドに向かう途中、思わず指を折って数えてしまいました。

うん、あと10か月はわくわくが続くわけだよ。がっくりくることも多いだろうが。

さて、試合のほうはといえば。

つまらなかった。

開幕は毎年、あれ? な感じが多いのですが、なんか波に乗れないというのか、いくら新メンバーがいるとか、代表組7人があっていないとか、いいわけを探してみても、つまらない。ガンバのパスサッカーはいったいどこに消えたのでしょうか?

その最大の原因は

遠藤の不調

そしてつぎに大きいのが

そんな遠藤をスタメン、フル出場で起用する西野監督

にあります。

遠藤は不調なんてもんじゃなかったですね。フィジカル、メンタルともにすでに燃え尽き症候群。どうするんですか? 開幕から燃え尽きちゃってるJリーガーなんて。カネ払って見せるパフォーマンスじゃない。客に失礼だろ、おまえ、と何回となくつっこみました。

しかも彼に引きずられてほかの選手まで冴えなくなる。土曜日はほんと、川★みたいに「こんなガンバは見たくない」と席を蹴立てて帰りたかったですよ。

西野さん、今年は性格を変えるんじゃなかったんですか? ヤットは絶対じゃないんです。ヤットも駒の一つでしかないんですよ。あなたが一番いやがって取り除いてきた「くさったイチゴ」に通じるものがありましたよ、きのうのヤットは。

ゲームを通してずーっといらだち、ミスのたびにいたたまれなくなり、最後にはすっかり沈黙してしまったダメサポの私ですが、ただ二つの光明は「水本と佐々木」でした。

佐々木は加地のケガがなければベンチ入りもなかったと思うけれど(たぶん倉田を入れていたはず)、加地よりはるかに希望の持てるクロスを右から上げ続けていました。

水本は「これでガンバの10年は安泰だ」と思わせるくらい能力が高かった。水本さん(いきなりさんづけ)、ガンバに来てくれてほんとにありがとう。

そしてもうひとつ思ったこと。

このチームの中心は、実は山口(守備)と二川(攻撃)になるんじゃないか。

ガンバに欠かせないのは遠藤だとずっと思ってきたけれど、どうもちがうような気がするこの2年。ヤットはジャパンの中心になってもらって、ガンバにはときたま顔を出してくれるのでいいよ。調子がいいときだけ。それくらい土曜日のヤットには幻滅した。

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