Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2008年07月

くつ(2).JPG
バーゲンには行けないかも、と涙目だったのですが、どうしてもたまらなくてご近所のセレクトショップにお出かけ。

バーゲン&not バーゲンで楽しみました。あー、しあわせ。

今回の大ヒットは靴です。

私は24・5センチという大足で、しかも甲高段広というおよそおしゃれじゃない足。

この足のおかげで、前半生(35歳までにしている)はほんとにおしゃれがつまらなかった。なんてったって靴で決まりますからねえ、ファッションは。

まず、デザインの選択の余地がない。つまんない黒のパンプスくらいしかないし、しかも5センチのぶっといヒールで、服はいったいどうすりゃいいんですか、というおもしろみのなさ。

靴屋に行くと(シューズショップなんかじゃない、靴屋ね)つねに同じ会話が。

「このなかで24.5センチの靴を全部見せてください」

「恐れ入ります、お客様。当店では24センチまでしか在庫がございません」

しょっぼーん。さようなら。

しかし、1993年ごろ、家族でアメリカに旅行したとき、24.5センチどころではない、26センチ、27センチくらいまで、ふつうにかわいい靴があったのですよ。甲が高かろうが、幅がEEだろうが、ありますあります。おまけに痛くない。もっとおまけにお値段がお手頃。買いましたよ、じゃんじゃん。トランクのなかが靴だらけになるくらい。

なんとなくですが、1995年くらいから、かわいい24.5センチ以上の靴が日本でも増えてきた気がします。私と同じか、それ以上に大きな足の娘にいわせると「09で買うあたしに合うのは、ゼンッゼンッダメ」だそうですが、私は輸入物も買える年頃なので、選択範囲がぐっと広がった。それは大げさにいえば「日本の靴革命」と呼びたいほどの感動でした。

たぶん、前半生のトラウマを引きずっているらしく、私はおしゃれでサイズがある靴を見ると、いても立ってもいられなくなります。まずは靴からスタートして、その靴にあう服を買う。これが最近の買物の常道です。

それで見つけた今回のヒット作。

韓国のシューズデザイナーさんとのコラボでつくったというsuecomma bonnieというブランドのアンクルブーツ(?)です。

見た瞬間、これ、これですよ、と思いましたね。

いま考えているのは、パープルのカラーストッキングに黒いスカートと黒のニットをあわせる、というの。

ストッキングによって、着こなしがいろいろ楽しめそうです。

早く秋がこないかなあ。

なぜかいまひとつ自分のなかで盛り上がりに欠ける「北京オリンピック」

今日、仕事の打ち合わせであーだこーだブレストやっていたとき、一人が「そういや、そろそろオリンピックだし」といいだし、別の一人が「で、いつからだっけ?」「8月だよね」「8月......末?」「はじめじゃない?」「いや、お盆のころだ」「どれくらいやってんのかな?」......なーんだ、いまいち盛り上がっていないのは私だけじゃなかった。あとの3人は若者で、スポーツに興味がある人たちなのだが、なんかどーでもいい感じでそのまま終わってしまった。

オリンピックは8月8日からですよー!

今日、サッカー男子18人の発表があった。

ショックだったのは、青山(直)@清水エスパルスがメンバー入りしなかったこと。たしかにリーグではあまり調子がよくないみたいだけれど、予選を勝ち抜けたのはあきらかに青山選手の力があったからこそ。とても好きな選手だから、ほんとに残念。ガンバから「オリンピックに出たい」というワケわからん理由で移籍したどこかのヘタレよりかはずっとチームスポーツに向いている選手だと思うんだけれどな。

ガンバからは安田ミチが選ばれた。ほっとした。

このところ、ガンバのことを書いていないのは遠藤選手トと播戸選手の病気のことがあって、とても書く心境にならなかったから。とくにヤットは、前のシドニーでのくやしい思いがあるから、オーバーエイジ枠で出てほしかった。その代り、という気持ちでミチにはがんばってほしい。いや、ミチにはミチなりの気持ちでがんばってほしいけれどね。

そこまで言っておきながら、で、日本は予選リーグでどことあたるんだっけ? などとふとわからなくなっている時点で盛り上がり欠如がばればれ。(注:対戦相手はアメリカ、ナイジェリア、オランダです)

オリンピック......私のなかで一番盛り上がったのは、1964年の東京オリンピック。チャスラフスカという体操の選手にあこがれて、できもせんくせに平均台(高さ50センチもない)で片足立ちしてみたり、いまのフェルプスみたいなスピッツという金メダルとりまくりの水泳選手があまりに強すぎて腹立って、向かいの家で飼っていたスピッツをにらんでみたり。なつかしい小学生のころですよ

※いやはや、ショランダーでしたよ。東京オリンピックで金メダルをいっぱいとったのは。まちがいを指摘してくださった方、ありがとうございました。

 それにしても8月の北京。かまどじゃないのかな? コンディションを保てるかどうかが、勝負を分ける気がする。 

今年は仕事だけでなく、家庭内も正月からばたばたしていて上半期終了......って感じです。え? もう半年たっちゃった? いつ? いつ、そんなに時間が流れた? と誰かの胸倉をつかんで問いただしたい。誰かといっても誰もいないので、自分で自分のTシャツをつかんで、「いったい私はなにをしていたのよ、この半年に!」といってみました。

自虐プレイ。

おまけに7月に入っていきなり暑くなり、暑さに弱い私はすでに「はやく冬にならんかなあ」とつぶやく始末。

だもんで、今週末、いきなり「そうだ、北海道に行こう!」と決めました。暑いのはいやなんだもん。少しでも涼しいところに行きたいんだもん。何年ぶりかで、夏休みをとります。とるったらとるんだからね。しかも月末にしたよ。一番忙しい時期だ。締切前倒しだね。一ヵ月前の今から計画的に進めなかったら、たいへんそうだな。

決めると行動が早いのが、私のいいところなんだか欠点なんだか。行先は道東と決め(はやりの世界遺産、知床にいってみようかと)航空券を押さえ、ホテルも押さえ、レンタカーも予約しました。

ネットで調べているうちに、ひとつだけゆううつなことが。

私は北海道のごはんがどうも合わなさそうです。ホテル(っていうか旅館か?)の豪華御膳の写真を見て、げんなり。毛ガニ、ホタテ、食べられません。いくら、シャケ、ウニ、あまり好きじゃない。食事に期待しちゃだめだな、こりゃ。

 怒涛の締切ラッシュも、さっき4本入稿してなんとか峠を過ぎ(、、、、、過ぎたよね? ちょっと一息ついてOKだよね? ね? ね?)ひたすら思うのは「ヨガ行きたい!」です。はい。もう1週間行ってない。そろそろヤバイカラダになりつつあります。

 それはさておき、きのう副都心線にのったときに、W大学のどこかのサークルの男女数名の会話を聞くともなく聞いていました。

「おまえ、なんのバイトやってんだっけ?」

「居酒屋のホールだよ」

「どんな感じ?」

「めっちゃ忙しい。なんかさー、店長が仕事割り振るんだけど、あとのやつがぜんぜん働かなねーんだよ。で、オレばっか、めんどいことやらされてさ」(盛大なため息)

「どんなこと?」

「テーブルの片付けとか、飲み物つくったりとか、ゴミ捨てたりとかさぁ~」

「めんどいってかさ、それ、ふつうにホールがやる仕事じゃん」

「でもやってんのがオレばっかでさ、ほかのやつらは注文とったりとか、そんなんばっかやってんだよ」

「ほかの人もやってるけれど、忙しくて○○くんは目に入ってないんじゃない?」女の子が鋭くツッコミました。

たぶん、その女の子は気づいていたのでしょう。文句垂れている男の子が「オレばっかソンしている症候群」略して「オレソン族」だってことに。

オレといってみたけれど、女の子にも多いし、老若男女を問わず「オレソン族」はいっぱいいます。最近、ここ3年くらいで一気に増えているような気がします。

ワタシばっか働かされてワリ食っている。

オレ、気がいいから押しつけられて、さんざんこきつかわれて、おいしいところをみんなもっていかれてる。

そういったことをいう人がすごく多くなってきた気がします。

で、こういっちゃなんだけれど、オレソン族にかぎって、たいして働かない。視野が狭いせいか、気が利かない。被害妄想になっているので、敬遠されがち。

いやいや、私もオレソン節をとなえているかもしれない。気をつけなくちゃ。

忙しい、忙しいって言っている人ほど、オレソン族になりがちだもんね。

 

関係ない話。家事代行を家族にお願いしたんだけれど、一番役立ったのは長女でした。やっぱり一人暮らしを経験しているとちがうね。朝「あ、ゴミの日!」と思って飛び起きたらもう捨ててあったし、「パンがないから帰りに買ってきます」とメールくれるし、洗濯物はいつの間にか取り入れてたたまれているし、いや、助かった。この調子でしばらく忙しいことにしておこうかなぁ。

でも、ごはんは結局私がほぼ毎日つくっていました。

今日のヒットは「肉団子のトマトソース煮」小さな肉団子をあらかじめオーブンで焼いてから、たまねぎとトマトでつくったソースのなかに入れて煮込む、という簡単料理なのですが、これが自分で「うまい!」と言いたくなるおいしさでした。ニンニクたっぷりだったから、明日がこわいけれど。

「静かなノモンハン」

伊藤桂一著 講談社文芸文庫

 

 自分が生きてきた昭和という時代を、実はまったく知っていなかったということに気づいて愕然とすることがあり、少しずつだけれど、その当時のノンフィクションを読んでいる。

 なんとなく本屋で見つけて購入し、翌日から出張に出かけて飛行機のなかで読み始め、帰りの新幹線で読了。最後の著者と司馬遼太郎の対談の一言ひと言が胸に突き刺さった。

 関東軍とソ蒙軍とが、満蒙国境で戦った凄惨な記録である。

 戦略も戦術も、もっといえばまともな兵器や食糧・水さえも与えられず、何の役にも立たない重い荷物を背負わされて徒歩で砂漠地帯に放り込まれた日本の兵士たちが、死に物狂いで戦って......というか、殺されて、無残に敗退していった有様を、詩人の著者が3人の兵士たちの聞き書きでつづっている。

 鈴木上等兵、小野寺衛生伍長、鳥居少尉の3人は、大半が戦死したなかで奇跡的に生き残った人たちである。著者のインタビューにもなかなか応じてくれなかったそうだが、重い口を開いて、自分の目で見て、耳で聞いて、からだで感じた戦争を語った。

 全員、ノモンハンに送られたときは若かった。鈴木氏と小野寺氏は2人とも北海道出身。10代、20代の若さで召集され、ろくに訓練も受けないうちにいきなりの実戦がノモンハン事件だった、という。

 ノモンハンを世界地図で探してみた。平凡社世界地図にはのっていない。著者が「集落というより蒙古人たちが名づけた地名」であり、「遊牧民たちが、そこにときどき、パオの群落を築くだけの、寂しい場所でしかない」というような砂漠のなかにあるらしい。こんな何もないところに放り込まれて、歩けども、歩けども見渡すかぎり砂漠で、地平線の向こうから戦車が列をなしてやってくるのを見たときには、どんなに恐ろしかっただろうかと、地図の上からでも想像する。

 昭和14年5月、外蒙兵が日本の警察を攻撃してきたことをきっかけに戦闘が起こり、8月末に停戦にこぎつけるまでに、日本側の死傷者はざっと計算したところ、14505名にのぼった。出動人員のじつに33%が犠牲になった。数字を見ただけで、たった数ヵ月間にこれだけの犠牲を出して敗退し、しかもその後も愚かな戦いを続けたのはなぜだったのか。

 著者は、砂漠のなかをソ連軍の戦車に追い回され、まわりで大勢の仲間たちがなすすべもなく殺されていくのを歯がみをしながら眺め、爆弾が落下した穴のなかに息をひそめて隠れるしかなかった兵士たちのなまの声を淡々とつづっている。死のぎりぎりまで追いつめられた人間が、そのとき何を思ったか。のどが渇いた、痛い、苦しい、息ができない、そんな人間の本能的な欲求や生理を超えて、なまの感情があふれだす、というところがすごい。うれしい、ありがたい、恐い、くやしい、恥ずかしい......肉体的に極限状態にあり、精神的に絶望の縁まで追いやられても、人はそんな感情を抱いて、しかもそういう感情をもったシーンを克明におぼえているものなのだ。そして、全員が共通しておぼえるのが「虚脱感」である。何をすることもできず、仲間も救えず、ただぼろぼろになって帰ってきただけ。いったい自分はなにをしたのか、何もしていないではないか、という虚脱感。

 最後の対談で、戦争体験者である司馬氏と著者が、なぜ日本は愚かな戦いをしたのか。そして、敗戦してもちっとも学んでいない。それなのに自覚がない、という話をしている。

 2人ともけっして戦争を美化しない。劇画のように描かない。砂漠のなかに生えている、羊が食べる草をかみながら行軍したという小さなエピソードを連ねながら戦争を語る。そうしないと、戦争の生の姿が見えてこないのだと思う。

 戦争をまったく知らない世代の人間は、こういうノンフィクションで戦争の実態をせめて頭で理解したほうがいい。

 愚かでない戦争、かっこいい戦争なんてあるわけない。どんな戦争も愚かで醜い。でもそれがどんな風に醜く汚く、そしてばかばかしいのかを知るために、こういう本こそ読んだほうがいい、と思う。

↑このページのトップヘ