Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2008年10月

天才シェフ(小).jpg

キンバリー・ウィザースプーン/アンドリュー・フリードマン編

実川元子・松野泰子訳

日経BP社

「世界一流レストランの舞台裏で起きた40の本当のお話」というサブタイトルが示すとおり、今もっとも輝いているレストランのカリスマシェフたちが経験した、厨房でのトンでもないエピソードを集めたコラム集。客の立場ではうかがい知れない一流レストランの裏のドタバタぶりを知ると、レストランに行くのがもっと楽しくなるかも?!おいしいレシピも必見!




ずっと抱えていて、締切を過ぎても終わらないでどーしよーかと思っていた仕事が、やっと終わりましたです。

ふ~。

今年は一気に来てしまって、それがやっとなんとか終わったわけですが、さて来年はどうなることやら。ちゃんと仕事ができますように! 今から心配してもしょうがないので、とりあえず目の前の仕事を一つひとつ片付けるしかない。

で、きのうNHK特集「病の起源」でやっていた「読字障害」の話。前回の腰痛に続いて、今回もおもしろかったです。

なぜ文字が読めないのか、という説明で非常に興味深かったのが、目で見た文字を、視覚から一回音に変えて脳が認識する、というくだりでした。

これ、翻訳のときに私がいつも感じていること。

原書を読むとき、声に出して読まないとイメージが浮かんでこないことがよくあるのです。

文字を追いかけている(黙読)だけで意味がとれず、文法的に分解したり、辞書をひきまくったり、資料にあたってみてもラチがあかないとき。私は音読してみます。すると「なーんだ、そういうことか!」と膝を打つことがしょっちゅう。っていうか、音読して初めて情景がはっきり浮かんで、それまで黙読でやっていた部分のまちがいまで見つけられることさえあります。

視覚と聴覚、言葉のとらえ方がどうちがうのだろう、とつねづね不思議に思っていたのだけれど、そうか、人は脳のなかで一度音読しているわけね。(そういう場合に音読、というのが正しいかどうかわからないけれど、でも聴覚野にいったん行くんだそうだから、やっぱり音読?)

音に変えて読んでいるのと、耳で自分の声を聞いて読むのと、それまた脳はどう区別しているのだろうか、と考えたりして。

声に出して読む、というのは斎藤先生も推奨していらっしゃいますが、とくに外国語を理解するうえではすごーく重要だと思います。声に出してはじめてわかることも多い。

昔、フランスでベルグソンを読まされたとき、ちんぷんかんぷんで頭のなかに「????」がともっていたとき、フランス人の友人と一緒に声に出して読んで、彼女の説明を聞いたら、眼の前から霧が晴れるように理解できたことがありました。

日本語として理解しようとするとむずかしかったけれど、フランス語で書かれたものを読み上げて、自分の耳で聞いてみると「あー、そういうことだったのか!」とわかってしまう。

ちなみに、それを日本人に日本語で説明しようとしたら、まったくダメでした。フランス語では説明できたのに。

つまりは理解していないってことかな。

それはともかく、外国語が苦手、という方にはぜひ「声に出して読む」ことをお勧めしたいです。

何回も読んでいるうちに、きっと上達しますって!

読むものはなんでもいいけれど、私が結構気に入っているのはNHKBSの「ABCニュースシャワー」。字幕が出るので、アナウンサーと一緒に音読すると、自分の英語のヘンさがよくわかってイタ恥ずかしく、いいです!

最近のニュースに頻出する単語が取り上げられるから、時事英語の勉強にもなるし。

夕飯はカレーにしよう。

 

 

ジムにも行ってるけれど、ここのところつまらないです。頚椎ヘルニア直前(先生に「頚椎ヘルニアで......」と言うと、即座に「まだヘルニアにはなっていません。その手前ね」と訂正される)だったので、ヨガはぜったい禁止で、ランニングマシンもサーキットトレーニングもやめておけ、と言われたので、しかたなくバイクをしこしここいで、ストレッチして、かるーくマシンを使って筋トレして......というのでぜんぜん盛り上がりません。汗はかくけれど。

そこでプールに行くことにしました。先生にはプールに行っているのはナイショです。また禁止されるといやだから。

最初は1000メートルくらいのろのろ泳いでいたのだけれど、やっぱりそういうのはつまらない。

そこでここんところは、ちょっとハード目のトレーニングにしました。自主トレです。何のためだか分らないけれど。

アップ200メートル、クロールで。時間にとらわれずゆっくりと流す。

100メートルごとにラップをとって、7本。クロールで。

同じく100メートルごとにラップをとって、7本。平泳ぎで。

ダウン。だらだら200~300メートルをクロールで。

実は得意種目は平泳ぎです。全部平泳ぎで泳ぎたいところ。でも、腰を悪くすると脅かされたので、しかたなくクロールがメインで。

平泳ぎだと、だいたい25メートルをスタートもふくめて6~7ストロークで泳ぎます。でも、北島選手は50メートルが10~12ストロークだとか。すごいなあ。ストローク数はスピードと関係するのですが、スピードをあげようと力むとストローク数が増えてかえって遅くなるというのがおもしろいところ。うまく力が抜けると、すーっと身体が伸びて進むのがよくわかって気持ちいい。

奥田英朗の『イン・ザ・プール』という短編小説に、水泳にはまって中毒になってしまった編集者の話が出てくるのだけれど、「泳ぎたい、泳ぎたい」という気持ちはちょっとわかるな。水に浮かんでいると、人間の祖先は海で生活していた、という説を信じたくなる。でも私は「何時間でも泳ぎたい」という気持ちになったことは一度もないです。

 

今日は娘の誕生日なので、誕生日ごはんをつくりました。

鯛の姿焼(失敗した。娘はほとんど手をつけず。ウーム)、松茸の土瓶蒸し、生たらこの甘辛煮、ゆばの刺身風、蕪とニンジンのマリネ、赤飯。

チーズケーキを焼いたのだけれど、これまた失敗。なんかもう失敗だらけだな。食べたけれど。

株価が暴落した。

バブル崩壊以来の下げ幅。

私がフリーランスになってまもなくバブルが崩壊し、失われた10年が始まった。

よくこんなときにライターだの翻訳だの、誰がどう見てももうからない仕事を始めた、と自分でも思ったものね。いや、あのころは世間知らずでありましたゆえ、今一つわかっていなかったかも。

それからすでに18年たち、出版不況は延々と続き、モノを書いておカネがいただける場所は紙からしだいにネットへと移行し、でもネットでのモノカキの職業としてのビジネスモデルはまだ確立しておらず(というかモデルもなにも存在しておらず)、言葉はどんどん空虚にネットのヤミに消えていくものとなり、そこにやってきたこのアメリカ版バブル崩壊の余波で、今度こそどうなってしまうんだろう、と不安ばかりがつのる。

私は基本的にものすごいオプティミストなんだが、小心者なので何かあるとひどくペシミストになる。

モノカキになったばかりのころは、モノカキの仕事がまったくなくなったらほかの仕事をしようと考えていた。

でも、自分ではよくわかっている。私はモノカキ以外の仕事ができない。ほかの仕事は無理だ。考えてみれば、幼稚園のころから「本を読む」「文章を書く」以外のことには興味もなかった。性格がまじめだから、学校の勉強は手を抜かなかったし(でも夏休みの計算練習帳とか、家庭科でブラウスを縫うとか、そういうのは大胆にもいっさいやらなかった)何しろ文字を読んでいさえすれば幸せだったので、物理だろうが化学だろうが教科書はもらったその日から読み始めて、たいてい春休み中に読み終わるというような人だったから(理解はまったく別。ただ読んでいただけ)成績はそこそこだったが、国語と英語と歴史以外はまったく興味がなかった。

会社勤めは楽しかったし、大好きだったけれど、事務系の仕事は得意でなかった。よくモノをなくしていたし。たぶん興味がなかったのだと思う。それでも長く続いたのは、文章を書く仕事だったからだ。

だから、年齢とかそういうことに関係なく、私はモノカキ以外の仕事はできない。一生これをやっていくしかない。でも、はたして私が死ぬまで(78歳で死ぬつもりでいる)モノカキという職業が成立しうるかどうか、はなはだ不安だ。

そんな不安にさいなまれる今日の私はペシミスト。

ま、悩んでいてもしょうがない。

書き続けるしかないからね。

夕飯はポテトグラタン、プチトマトのサラダ、鶏肉のポトフ。

関係ないけれど、ごはんのとき、レーシックの手術をした娘が、視力がいきなり1.5になって、何もかも見えすぎてぎょっとするといっていた。視力があがると、そりゃ世界も変わるだろうなあ。

 

 

ガンバ1ー1 浦和

得点者:細貝(浦和)

     遠藤(ガンバ)

 

 前半はぐでぐで、後半はもりもり、という試合内容。

 後半は攻めまくってくれたおかげで、盛り上がってすごく楽しかったけれど、全体としてみればどちらもミスが多く、攻めにアイデアがとぼしかったかな。とくにガンバに。

 浦和は攻める気があまりなかったみたいだった。どちらかといえば、守り倒そうという気でいたみたい。それが浦和の戦術で、たぶんガンバはそれにうまくはまってしまったんだろうなあ。

 もちろん負けたわけじゃないし、22日の第二戦にどちらも「つないだ」という気でいるのだろうが、ガンバとしてはかなーり厳しい結果となった。浦和の術策にはまった、という意味での試合内容もふくめて。

 でもね、だめだめだった開幕、へろへろだった夏を思えば、なんとまあよくぞここまで日本人選手だけで持ち直した、とある種の感動さえ覚えておりまする。決定的な仕事ができる外国人が誰一人いないなかで、よくがんばってるよ。しみじみ。ガンバの歴史を振り返っても、そういう外国人選手が一人もいないときはあまりなかった。エムボマ、ニーノ・ブーレ、マグロン、アラウージョ、マグノ・アウベス、バレー......。チームの骨となる外国人がいないことは、いまのJでは決定的だ。

「ガンバは強力外国人FW頼み」と非難する他チームだが、それじゃ外国人に頼らずに上位にいるチームっているだろうか? 浦和にはエメルソン、ワシントンなど確実に点を取る外国人がいたし、いまの不振はポンテとエジミウソンが今一つだからだ。鹿島にはマルキーニョスがいる。大分を支えているのはボランチのブラジル人だ。名古屋はヨンセンとバヤリッツァが土台骨になっている。外国人をいかにチームにフィットさせるか、がいまだにJで勝ち抜くための大きなポイントだ。ただ、それは「外国人頼み」のチームをつくるという初期のころとはまったくちがう。あくまでも外国人は「骨」。肉体は(心臓もふくめて)日本人選手だ。

Jリーグのレベルが低下している、としたり顔でいう人が多い。たしかになかなかむずかしいところに来ている、という気はする。華のある(有名だ、という意味で)選手が減ってしまったし、試合数が多すぎて、いいパフォーマンスがなかなか望めないからだ。

でもね、世界中探しても、これだけチーム力が均衡しているリーグはありませんぜ。万年降格争いチームが、骨と肉の付き具合をよくするだけで、たちまち優勝争いにからめるようになるんだから。

まあそれだけ、フロントや監督の力が大きくなってきているってことかもしれない。

そんなこんなを万博で純和製のガンバを見ながら考えました。

 

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