神奈川県にある県立神田高校で、前校長が金髪や服装の乱れのある生徒を、合格基準点に達していても入学させなかったことが原因で異動させられ、保護者や生徒たちから嘆願書が出た、というニュースを読んだ。
入学試験に外見で判断されることもある、ということを受験者に知らせることなく取り入れた、ということが問題になっているらしい。以前にかなり荒れていて、生徒総数350人中、毎年100人が学校をやめることになる、というような高校だったらしい。それを前校長と前々校長が涙ぐましい努力で立て直した、ということだ。
新聞記事から得た情報しかないので、校長の処分が正しいかどうかの判断はおく。
もしかするとちがう観点の話かもしれないが、私は「人を外見で判断する」ことは大いにありだと思っている。
金髪だろうが、ギャルメイクだろうが、ズリパンだろうが、どんなカッコをしてもかまわないが、そのカッコをした時点で中身は判断される。それをわからなくてはならない。
というか、金髪だのギャルメイクだのは、外に向かっての記号でしょ? 俺は、アタシは、こういう人間なんだよー、わかってんのかー! と言いたいわけでしょ? そのカッコで登場した上で「私はまじめに勉学にはげみ、学校のためにつくし、清く正しい生活を送る高校生なんです。部活が終わればまっすぐ家に帰ります。繁華街なんかこわくていけません」と言ってみたところで、そりゃ誰も信じないわ。根はいい子なのかもしれないが、それをトモダチの輪以外の人間に伝えることができないのは頭が悪い。(だが、服装も外見もさわやか高校生で、学校にはちゃんと通い、陰でえげつなく遊んでいるタチの悪い子どもも多い。タチは悪いが、頭はいい、ということで、これまた困った存在ではある)
私が「外見で判断される」だから「見た目が大事」と痛感するのは、実は高校生をはじめとする若者のわかりやすいカッコを見たときではない。
R50~R70のおじさん、おばさんの集団を目撃したときなのだ。自分もその年齢層に入るので、とかく目に入ってしまうのだが、うーん......もうちょっとどうにかならんのか、と自分のことを棚に上げて思うことが多いです。実用一辺倒の帽子と、運動靴みたいなゴム底靴と、シワだらけのウエストゴムパンツはちょっと......。
おじさんらしいカッコ。おばさんらしいカッコ。その安全圏に逃げ込んでしまうと、たちまち緊張感のない「私、中高年です」と訴えているおじさん、おばさん......と判断せざるを得なくなる。
先日、品川から羽田空港に向かう京急の車内で、前に座った70代くらいの女性にふと目がとまった。
白髪をシニヨンにし、深紅のメンズライクなツイードのジャケットにベージュのワイドクロップドパンツ。深緑のチェック地の薄手で大きなストールをさりげなく首元に巻き、アクセサリーは大ぶりのパールのピアスだけ。足もとはジャケットに合わせたのか琥珀色のカーフ丈ブーツ。大きめのベージュの使い込まれたバッグをななめがけし、単行本を熱心に読みふけっていた。フレームがワインレッドのメガネがまたおしゃれだったなあ。
シワの深さと白髪(そして立ち上がって歩かれたときの足取り)から、たぶん70代半ばくらいの方だろうと推定したのだけれど、世間の70代らしいカッコをいっさい拒否していた。全身から「見られている」緊張感と快感が、そして色気がたちのぼっていて、車内では圧倒的な存在感を放っていた。70代にして、あれだけの色気がかもしだされるんだ、と私は目が離せなかったものね。
外見が大事、というのは、外見によって他人から判断されるから、というだけではない。
自分自身の緊張感をなくさないためにも、外見は大事なんだ。
とまあ、その女性を見送りながら思ったのでした。
何の本を読んでいたのかすごく知りたかったけれど、カバーがかかっていてわからなかったのが残念。