宇仁田ゆみ著 祥伝社
ひさびさにマンガを読んで泣きました。
いや、泣くような内容ではなかったのだけれど、もう1冊ごとにぐっとくるセリフがあったので。
ざっとあらすじを説明すると、30歳のサラリーマンが、おじいさんの葬式に行くと、その子どもという5歳女児がいて、しかも母親がいない。誰もが引き取りたがらないところで、義憤にかられたのと、子どもがかわいそうに思って独身にもかかわらず無謀にも引き取ってしまう。四苦八苦しながら子育てしていくうちに、仕事だけだった日々からは見えないものが見えてくる......というお話。
名セリフがいくつもあるのだけれど。
「子どもなんて、うるさい連中ぐらいにしか思ってなかったのになァ。とはいえ、「子どもはみんなかわいい」なんて、とても思えない俺だけど、できるなら全員笑っていてほしい、と思う」(保育園の卒園式で、おゆうぎや卒園の歌を歌う子どもたちの姿に滂沱の涙を流しながら、主人公がつぶやく)
「俺がりん(引き取った女の子)を育てているのか、俺がりんに育てられているのか、ちょいちょいわからなくなる」
「子どもは熱が出る前に、くっついてきたり、甘えたりすることがあるんです。たぶん無意識に」......というのは、男の子を一人で育てている(美人の)二谷さんにことば。
「仕事の時間も自分の時間だし、子どもと一緒にいるときも自分の時間だし~、自分の時間がほしいっていうのがよくわからないな」(「子どもができると自分の時間がなくなるのではないですか?」という質問に対して、二谷さんが答える)
もちろん、これはマンガで、夢物語です。30歳独身男子が幼い女の子を引き取れるか、というと、それはいろいろ障害がありすぎるだろう、というのもわかります。
でも、働きながら子育てしてきた私には、涙なしには読めないマンガです。
この国は、子どもが育てやすい国ではありません。ましてや働きながら育てる環境は、整備されているとはいいがたい。子どもが少なくなってきたいま、ますます子育て環境は厳しいです。それは、「子どもを育てる」という経験をしている人が、あまりにもかぎられているから。しかも「子どもを育てる」ことを、頭のなかだけで語っている人が多すぎるから。
一人の人間を育てるのは、きれいごとではありません。しかも、つまんないことの繰り返しです。子どもが小さかったとき、私の頭の中は「おしっこ」「ウンチ」「メシ」「睡眠」でいっぱいでした。いつ、どこで、おしっこさせて、ウンコさせて、何を食わせて、どうやって眠らせるか。そればっか。でも、考えてみたら、人間の営みの基本はそこにあるかもしれません。どんなエライおっさんでも、どんな美女でも、その基本をおさえてなかったら、生きていけませんもんね。
子どもの不安、親の不安、子どもの喜び、親の喜び、どれも日常のほんのささいな(主人公の言葉を借りると「ミミッチイ」)ことばかりです。ささいなことなんだけれど、親にとっても子どもにとっても「人生の一大事」。それを一つひとつ乗り越えていくことで、親も子も少しずつ強く、大きくなっていく。そんなことを、ミミッチイことから一番遠いところにいる独身男性に経験させる、という視点があたらしい。「PAPA TOLD ME」よりずっと現実味がある。
子育てが(ほぼ)終了している私にとって、働きながら子育てした20代、30代、40代は、怒涛の日々であると同時に、充実した楽しい日々でもありました。失敗も後悔もいっぱいありますが、子どもがいなくては得られないものも多かった。子どもが生まれる前と後では、世の中を見る目がまるで変わりました。
子どもが病気をしたとき、はーはーと高熱にうなされる子どもを見ながら、「変わってやりたい」と切実に願う主人公がいます。この「変わってやりたい」という思いは、子どもを育てなくてはわからなかった気持ちでした。自分ではない誰かを、自分以上にたいせつに思うこと。私はその気持ちを、子どもが生まれるまで知りませんでした。
そんなことを思い出して、笑ったり泣いたりするマンガです。
ああ、また読み返しちゃおう。くにこさん、教えてくださってありがとうございます!