先日、翻訳業という仕事についていろいろ聞かれる、という機会があり、最後に司会者の方が「つまり翻訳がお好きなんですね。好きなことがお仕事になってうらやましい」とか言われて思わず絶句しました。
そもそも、私はそれまで「今、翻訳することの意味を見いだせないと、翻訳しつづけるモチベーションは上がらない」という話を延々としていたので、その「つまり」という接続詞はどこから出てきたのか、と小一時間問いただしたいところでしたが、最後のまとめに入っているところで時間がなかったのであきらめました。
そのときは場の雰囲気を読んで(あ~いやな日本人的感性だ)、「好きなこと」についての反論はしなかったのですが、この場を借りて(苦笑)ちょっと書いてもやもやしたものを晴らしておこうかな、と思いました。
たしかに翻訳業を始めてからすでに20年がたち、数えてみると50冊近く翻訳してきているわけなので、好きか嫌いかどっちなんだと迫られれば、まあ、好きのほうにふれるかな、と思います。でも、趣味ならともかく、仕事って「好き」と「嫌い」でやるものなんでしょうか? 少なくとも今の私は、翻訳しているときに「わー翻訳好き好き楽しいなあ、るんるん」じゃあないなあ。そういうときもありましたが、そのときはまだ翻訳が仕事だ、という認識は低かったと思います。
そもそも「翻訳(するの)が好き」とはどういう感情なのか?
翻訳は頭脳労働だと思われていますが、私がやっていてときどきため息をつきたくなるのが「肉体労働だなあ、こりゃ。それもかなり厳しい肉体労働」ということです。体調が悪いと翻訳できない。根をつめる体力がないと、とてもこなせない。仕事にするためには、やはりお金をいただかなくてはならず、そうなると納期も守らなくてはならないし、量もこなさなくてはならない。規則正しい生活をして健康状態を維持し、モチベーションをつねに一定に保っておかないと、すぐに効率が落ちて、翻訳をすること自体いやになってしまう。そうなると、理性が働かなくなる。どよーんとした気分になって、好き嫌いでいえば、このときははっきり「翻訳、大嫌い」になってしまうわけです。そう、好きか嫌いかでこの仕事をやっていると、風邪をひいたくらいでも嫌いになるのは実に簡単です。
それと、いかにも一人でできる仕事に思われるでしょうが、編集者をはじめ、原著者や下訳の方や読者やそのほか大勢の人たちとの分業です。ほとんどの仕事と同様です。だから人間関係のわずらわしさもいっぱいあります。(もちろん、人間関係の楽しさやおもしろさのほうがまさっていますけれど)
好きな分野の好きな作家の本だけを訳していてすむのだったら、そりゃ好きっていえるかもしれないけれど、そんなことができる人は大学の先生とか、ベストセラーに当たった人とか、ほんとわずかでしょう(いや、ほかにもいるかもしれないけれど)。好きな分野ではなくても、おもしろい! これは訳したらいいね! という分野を幅広くもって、自分が今まで知らなかった考え方や感じ方をおもしろがる。それがないと、仕事にはならない。
私は、できるかぎり「好き嫌い」とか「楽しいつらい」とか、そういうことを翻訳をしているときに持ち込まないようにしています。もくもくと辞書を引き、もくもくと百科事典を読み、もくもくと原書を繰り返し読み、毎日体調に気を配り、モチベーションを落とさないように気をつけながら、キーボードをたたき続けていきたいです。