寝床に入ってから、どうしても活字を読まないと眠れません。
元気があるときは、書評用や資料用の頭を使う本や、「明日は早く起きなくてOK」というときにはエンタメ系のぶあつい本を抱えていそいそベッドに入ります。
でも、疲れ果てたり、心配ごとやいやなことがあって落ち込んだときには「逃避の読書」が必要になります。
頭を使わなくていい。ただ、文字を追っているだけで許される。
登場人物に気を使わなくていい。(読者が気を使ってあげなくてはならない登場人物っていうのがよくいますよね。な~に考えてんだ、こいつ!とか)
後味が悪くない。(→意外にこれがむずかしい)
いつでもページを閉じられるキリのよさがある(日本語としておかしいけれど、つまり、つづきが気になって仕方ない、という盛り上げをしていない)
そんな本。
あらたに手に取る本もあるけれど、ほとんどが何回か読んだ本になります。
私の「逃避の読書」担当だった作家は――
藤沢周平、隆慶一郎、宇江佐真理、司馬遼太郎、山本周五郎という歴史エンタテインメント作家の系列。
モンゴメリ(なんといっても「丘の家のジェーン」と「可愛いエミリー」です)、オルコット(「若草物語」の続編。ジョーのお話が好き)、ウェブスター(「あしながおじさん」ですね)というモノカキになりたい少女小説系列。まあね、私の原点だから。
それと、古いハードボイルド系列というのもあって、ロス・マクドナルド、サラ・パレッキー、ドン・ウィズロウなんかは、結末も展開もわかりきっているのに、繰り返し読んでしまってあきない。
ただ......「逃避の読書」をしていると、どんどんめいってくることもあるので、そういうときはベッドの横にうず高く積まれた「逃避の読書」作家たちの本をまとめて段ボールに詰めて、しばらく目の届かない所に「隠遁」してもらうこともあります。
ただいま、歴史作家たちが隠遁中で、ハードボイルド系列がのしてきています。
ハードボイルドとはいえないかもしれないけれど「三銃士」をまた読んでしまってます。
ああ、「三銃士」と「モンテ・クリスト伯」というデュマ親子作品は、もうちょっとモダンな訳で読みたいなあ。すごいおもしろいのに、なんか侍がしゃべりそうなセリフだ。