50歳を迎えたとき、「あわわ、もう50やんか」というややあせりもあって「やりたいことは、全部やる!」と決めました。年賀状にも書いたもんね。体力、気力、家族との関係(育児とか介護とか)、過去を振り返り、将来を見据えて考えると、私がやりたいことができる時間は実は50代の10年間だけなんじゃないか、と思ったからです。
で、その50代も半分を過ぎ、今のところやりたいことはかなりやっているかな。
やるべきことをやって、しかもやりたいこともやるためには、効率のいい時間の使い方が重要だ、と50代突入時には思っていました。
ところが、ですね。半分すぎてわかったのは、効率のいい時間の使い方なんて、実はないんですね。
人間は機械じゃない。体調や気分ってものがあって、日によって体力や気力のコンディションがちがいます。何時から何時までにこれを片づけて、何時からあれをして......なんていくら計画を立ててもそのとおりにいくわけがない。こまかいスケジュールもさることながら、一か月単位、一年単位で考えたスケジュールも思うようにはいかない。いきなり仕事が入ることがあれば、いきなり仕事がなくてぽっかり時間があいてしまうこともある(今の私)。「効率よく」とはつまり、「計画通り」「思った通り」に時間を使うということに通じますが、そうはいかないためにストレスを感じるようであれば、本末転倒。
生活の面倒事を別の人に任せきりにできる人(おもに男性ですね)は、たぶん仕事のことだけを考えていればいいので、効率のいい時間の使い方が実行できるのだと思います。仕事第一、というか、仕事だけでいい、となれば、そりゃ効率よくいきます。でも、家のことも、家族のことも、仕事以外の人間関係も、もちろん仕事も、趣味も、全部とっても大事、という私のような人(おもに女性)にとっては、効率よく使わなくてはならないのは、時間ではなく気分(気力、といったほうがいいか)。
やらなくてはならないこと、やりたいこと、どちらに対しても「やらなきゃ!」「やりたい!」という気分を盛り上げる。反対に、切り替えもさっさとやる。すんだことはくよくよしない。
かつだらだら、ぐでぐでした気分のまま、まったく何もしない一見ムダな時間を過ごしても、自分を責めない。つぎのやらなきゃ、やりたい気分を盛り上げるための「アイドリング」もしくは「整備モード」と考える。そういうモードのときには、手抜きできることは、思いっきり手抜きする。手抜きしたことでも、自分を責めない。なんくるないさーで流す。そういう時間があるからこそ、やる気も出てくるってもんです。
生活に最低限の規則正しさは必要だけれど、規則正しい(つまりは効率のいい)時間の使い方に固執すると、やらなくてはならないことだけに追い回されて、やりたいことはできない。
なんてことを考える午後。やる気がわいてくるのを待ちながらアイドリング中。(ゲラ読みにちょっと倦んでいる......)