Glamorous Life

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2010年08月

ガンバ大阪 1-0 モンテディオ山形

得点者:橋本

 

 まず「いいこと探し」から。

①今季初の連勝(喜んでいいのかどうかビミョー)

②ハッシー、なんやわからん覚醒

③武井が使い物になってきた

④イグノ、うまい! あとちょっとだ!

⑤ガヤ、ありがとう、ほんとにありがとう! フィールドプレイヤーは全員、藤ヶ谷とジェルソンさんに焼き肉をおごるように。

「いいこと探し」もう一個付け加えておきます。

⑥ルーカスの不在をあまり感じないこの2戦です。っていうか「ああ、ここでルーカスがいれば」と感じたことがなかった。セットプレイが危ういときくらいだけれど、でも、ルーカスがいたときから十分に危うかったしな。なぜだろう? 10月にルーカスが復帰したとき、どうなるのかな? そういえば去年、加地さんとフタ、またはハッシーの不在を強く感じたときのようなことが、今季はありません。ヤット、明神さん、山口、と主力が抜けて戦う試合が増えてきたけれど、去年ほどの「あああああ」と頭をかきむしるようなことがないのは、世代交代の時期だとあきらめがついたからなのか。これが「世代交代が進んでいるがゆえ」なのだ、と思いたいです。

 と挙げてみたものの、Y氏解説でなかったにもかかわらず録画を即行消しました。二度と見ないだろうから。勝ったにもかかわらず、私はこの試合は評価しないなあ。前半がいいという人もいるけれど、前半全体のうちよかったのは15分のみ。あとは、うううううううと呻いて、夕飯がのどを通らず(ハーフタイムにかきこんだ)、家族の話もまったく上の空。

そうなった「やめてほしいこと」(これは探さなくても満載)は......

①DF、ほんとにどうにかしてほしい。た~か~ぎ~~、な~か~ざ~わ~、み~ち~、と心のなかで悲鳴をあげっぱなし。どうにかならないんですか? ほんと、ちょっとひどすぎませんか? みんなミチを責めるけれど、あれだけ上下動して、しかもねらわれつづけたらミチだって消耗しちゃいます。私はね、若手に甘いからかもしれませんが、ミチだけは責められない。むしろ去年から比べたら進歩していますよ。問題はCBです。

②はかったように60分から攻撃が機能しなくなるのはなぜなんですか? 60分にもしかすると「ガンバ攻撃終了ホイッスル」がみなさんの頭のなかに響き渡るとか? 開幕時からずっとですから、もうこれは暑さに関係ない。

③フィニッシャーがいない。とくに平井がいなくなってからは、決め手がなくなって、だらだらパス回しのにおいがぷんぷん。唯一、点をとりそうなのがハッシーと宇佐美って、それじゃ相手もこわがりませんよ。(いや、こわがってたのか? わかりません)

④攻撃も守備もガンバの左サイドばっかりにかたよりすぎ。とくに後半になったらプレイするピッチ面積が極端に「減少」。加地さんがテレビ画面に映らなくなって「も、もしかしてケガか?」と不安になったら、赤鬼というより茹蛸のような顔でセットプレイの守備をしてはったのでまた別の意味で不安が。

⑤二川さんの体調不良続行中。1週間、ゆっくりお風呂につかっていいから、早く二川大先生と呼べるパフォーマンスを取り戻してください。

とまあ、勝ったにもかかわらず、不安&不満を述べたてましたが、まあ、この暑さ&コンディションではしかたないのかな。

チームは生き物で、波があるってわかっています。波があまりない鹿島のサポだったら精神的に楽だろうなあと思うこともあるけれど、ぜったいに鹿島サポにはなれないので(体質改善以上に不可能)ストレスをためこみながらガンバサポを続けていくしかないんです、はい。

つぎも(は)がんばれ、超がんばれガンバ!

 

昨日は『少女マンガを読む研究会』というのにいってきました。ひさびさに知的刺激をいっぱい受けて、めちゃめちゃ楽しかった。ありがとうございました、みなさま。お昼過ぎからスタートして、研究会は一応夕方でお開きになりましたが、その後ごはんを食べにいってまたまた盛り上がり、いやしゃべったしゃべった。爽快な気分で帰宅しましたよ。

マンガの話からどんどん発展していって、最後は「メディアリテラシー」について侃侃諤諤の議論に。かなり内容が濃かったので、議論の詳細について紹介することはとてもできないのですが、帰る道々考えていたのは「私はいったいどんな情報を得たいのか?」そして「どんな情報を発信していきたいのか?」ということでした。

iPhoneを手に入れたとき、私はひそかに「これでTwitterがもっとラクにできるようになる」と思っていました。プラス、もっとネットにアクセスする時間が増えて、外出中に調べものがもっと便利にできる、やったね、とうれしかったのです。

ところが......予想とはまったく逆に、Twitterはほとんどやらなくなり、ネットにつなぐことも(ケータイ使用時よりも)減り、じゃ何をしているかというと、iPodに入れた音楽やら中国語のテキストを聴きながら、リーディングのファイルか辞書を読んでます(前も書いたように、私は辞書を読むのが好き)。

加えて、これも前に書いたようにPCでもネットにアクセスする時間がだんだん減ってきていて、iPhoneを手に入れてからというのも仕事するかブログを書くときにしかPCを立ち上げなくなりました。デスクにはついていて、何をしているかというと昔の人(1890年から1960年代まで)が書いた本を読んだり、アナログに万年筆や鉛筆で手紙や作文を書いたりしているのです。

もしかすると世界ではトンでもないことがいっぱい起こっていて(もしかしなくても起こっているでしょう)、PCを立ち上げてその情報を得ないことによって、私はトンでもないリスクを負ってしまっているのかもしれません。以前はかなり本気で「世の中の動きにおいていかれる」とか「知らないとソンをする」ということに、恐怖に近い感情を抱いていました。メディアリテラシーとはつまり、ハード面でのPCやらスマートフォンやらの機能に詳しくなり、ネットに常時アクセスして情報を検索し、そこから「正しい」ものを見つけ出すことだと信じていました。

でもねぇ、なんかちがうような気がする。それに、もういいや。

私が知りたい、見たい、聴きたい、読みたい情報は、ネットでは見つからないように思います。

私は見えないものが見たい、聞こえない声や音を聴きたい。

見えないものが見えて、聞こえないものが聞こえた人たちが書いた言葉を読みたい。

そういう人たちが何を考え、どんなことで笑い、何に涙している(た)のかが知りたい。

ときの流れにまぎれこみ、「時代に合わない」とか言われて忘れられてしまっているかもしれないけれど、なんとか見つけ出したい。

そしてそれを伝えていきたい。

でも、伝えるためのメディアはいったい何なのだろう?

それが今の私にとって、大きな問題なのです。

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