大地震から明日で2週間になります。被災地の惨状、原発の危機的状況、毎日何回となくある余震、放射能被害......あまりにもいろいろありすぎて、たいていのことには滅入らない私でさえもストレスを感じています。被災地の様子を伝えるニュースをテレビで見ると涙が出てきてしまうし、夜にベッドの入ってそれを思い出すとまた泣けてくる。被災地で救助や支援にあたられている方々、また福島で必死の作業を続けておられる方々には本当に頭が下がります。人間のすごい力を感じます。
被災地の様子を知って、「何か自分にできることはないか」とボランティアに参加する人たちの様子も伝えられています。阪神淡路大震災のときも感じましたが、ボランティアの力はすごい。もちろん、現場ではいろいろとあるでしょうが、それでも無償で誰かのために働きたい、という意志を持つことは、それだけで誰かの助けになるのではないでしょうか。それまでを否定すると、人は支えあって生きていけなくなる。
私も何かできないか、としばらく考えましたが、今のところは義捐金を送ることしか思いつきません。阪神淡路大震災のときにも思ったのですが、「復興」にはそれぞれの複雑な事情や思いが交錯し、面倒で非常に長い時間がかかります。今回は阪神淡路の何倍もの規模の災害ですから、何倍もの労力とお金と時間がかかるでしょう。先は長い。被災地だけでなく、日本全体で背負っていかねばならない「復興」です。いますぐできることを探すことにエネルギーを使う以上に、今はこれから先、長い年月にわたって(たぶん死ぬまで)できること、またやっていかねばならないことを考えるためにエネルギーを使う時期なのだろう、と心しています。
こういう時期だからこそ、平常心を保ちたい、と一日に何回も深呼吸をしています。でも、平常心を保つのが今ほどむずかしいことはない。ちょっとしたことで感情が揺さぶられるし、仕事をしていても集中が続かない。ブログやFacebookやTwitterも、開いて一言二言書くのだけれど、続ける集中力とエネルギーがない。平常心を保つのって、これまで考えていた以上にエネルギーがいることなのだ、とわかりました。
この2週間、いやその前から考えているのは、この先、たぶん10年以上は(もしかすると20年?)地震の前のような「便利で快適な」生活はできなくなるだろう、ということです。必然的に私たちはモノがとぼしく、不便で、めんどうで「貧しい」生活を強いられることになる。(ただ、その「貧しさ」は今の価値観の尺度ではかったものですが)そしてモノをつくることにあくせくして、深夜まで長時間職場で働き、「仕事だ」というのがどんなことに対しても通るいいわけとなる生き方は許されなくなる。もっと速く、もっとたくさん、もっと「豊かに」なるために働く、という労働観や人生観は実践することはおろか、持つこと自体がむずかしくなる。大げさなことを言ってしまうと、私が生きてきた半世紀以上にわたる戦後「復興」時の価値観が、この地震を契機にした「復興」で大きく転換したことがはっきり見えてくると考えています。
代わって台頭するのは、人と人とのもっと密なつながり、地に足がついた日々の暮らし、今あるものを大事に使おうという気持ち、少しずつ我慢することにたいせつさ、そういう価値観じゃないのかな。価値観の転換は大勢の人にとって痛みをともなうでしょうが、痛みを感じた分だけいい方向に進むのではないか、と私は期待しています。
戦後「復興」時には一部の人たちだけがいわゆるうまい汁を吸って焼け太りの復興長者になり、それが長く負の遺産となって日本社会をむしばんでいたことは忘れてはならないと思います。今回の「復興」でそういったことが起こらないように、目を光らせていかねばなりません。
もうひとつ。日本を一つに、という声が高くなると、まとまろうとするあまり内向きな力ばかりが強くなって、外の世界に出ていこうとする、または外の世界を受け入れようとする柔軟性が失われがちだけれど、それでは本当に日本は貧しくなってしまう、と心配です。人も企業も、これを機にもっともっと世界に出ていかねばならないし、世界から人やモノや文化や価値観を受け入れなくてはならない。グローバル化、と呼ばれる流れはもう押しとどめられないし、その流れのなかで生き残っていかねばならないのが現実です。だから、日本以外の場所で暮らそう、働こう、起業しよう、という人たちをもっと力強く応援していかねばならない。そういう人たちに対して「日本を逃げ出すのか」とめくじらたてるなんてとんでもないです。
まあ、そんなおおぎょうなことを考えている今日このごろ。そんなことを考えるのも平常心ではないからかな。
最後に。被災地の皆さんが口をそろえておっしゃる「ふだんの、ふつうの生活がしたい」という希望が一日も早く実現してほしいと願っています。