Glamorous Life

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2011年03月

 大地震から明日で2週間になります。被災地の惨状、原発の危機的状況、毎日何回となくある余震、放射能被害......あまりにもいろいろありすぎて、たいていのことには滅入らない私でさえもストレスを感じています。被災地の様子を伝えるニュースをテレビで見ると涙が出てきてしまうし、夜にベッドの入ってそれを思い出すとまた泣けてくる。被災地で救助や支援にあたられている方々、また福島で必死の作業を続けておられる方々には本当に頭が下がります。人間のすごい力を感じます。

 被災地の様子を知って、「何か自分にできることはないか」とボランティアに参加する人たちの様子も伝えられています。阪神淡路大震災のときも感じましたが、ボランティアの力はすごい。もちろん、現場ではいろいろとあるでしょうが、それでも無償で誰かのために働きたい、という意志を持つことは、それだけで誰かの助けになるのではないでしょうか。それまでを否定すると、人は支えあって生きていけなくなる。

 私も何かできないか、としばらく考えましたが、今のところは義捐金を送ることしか思いつきません。阪神淡路大震災のときにも思ったのですが、「復興」にはそれぞれの複雑な事情や思いが交錯し、面倒で非常に長い時間がかかります。今回は阪神淡路の何倍もの規模の災害ですから、何倍もの労力とお金と時間がかかるでしょう。先は長い。被災地だけでなく、日本全体で背負っていかねばならない「復興」です。いますぐできることを探すことにエネルギーを使う以上に、今はこれから先、長い年月にわたって(たぶん死ぬまで)できること、またやっていかねばならないことを考えるためにエネルギーを使う時期なのだろう、と心しています。

 こういう時期だからこそ、平常心を保ちたい、と一日に何回も深呼吸をしています。でも、平常心を保つのが今ほどむずかしいことはない。ちょっとしたことで感情が揺さぶられるし、仕事をしていても集中が続かない。ブログやFacebookやTwitterも、開いて一言二言書くのだけれど、続ける集中力とエネルギーがない。平常心を保つのって、これまで考えていた以上にエネルギーがいることなのだ、とわかりました。

 この2週間、いやその前から考えているのは、この先、たぶん10年以上は(もしかすると20年?)地震の前のような「便利で快適な」生活はできなくなるだろう、ということです。必然的に私たちはモノがとぼしく、不便で、めんどうで「貧しい」生活を強いられることになる。(ただ、その「貧しさ」は今の価値観の尺度ではかったものですが)そしてモノをつくることにあくせくして、深夜まで長時間職場で働き、「仕事だ」というのがどんなことに対しても通るいいわけとなる生き方は許されなくなる。もっと速く、もっとたくさん、もっと「豊かに」なるために働く、という労働観や人生観は実践することはおろか、持つこと自体がむずかしくなる。大げさなことを言ってしまうと、私が生きてきた半世紀以上にわたる戦後「復興」時の価値観が、この地震を契機にした「復興」で大きく転換したことがはっきり見えてくると考えています。

 代わって台頭するのは、人と人とのもっと密なつながり、地に足がついた日々の暮らし、今あるものを大事に使おうという気持ち、少しずつ我慢することにたいせつさ、そういう価値観じゃないのかな。価値観の転換は大勢の人にとって痛みをともなうでしょうが、痛みを感じた分だけいい方向に進むのではないか、と私は期待しています。

 戦後「復興」時には一部の人たちだけがいわゆるうまい汁を吸って焼け太りの復興長者になり、それが長く負の遺産となって日本社会をむしばんでいたことは忘れてはならないと思います。今回の「復興」でそういったことが起こらないように、目を光らせていかねばなりません。

 もうひとつ。日本を一つに、という声が高くなると、まとまろうとするあまり内向きな力ばかりが強くなって、外の世界に出ていこうとする、または外の世界を受け入れようとする柔軟性が失われがちだけれど、それでは本当に日本は貧しくなってしまう、と心配です。人も企業も、これを機にもっともっと世界に出ていかねばならないし、世界から人やモノや文化や価値観を受け入れなくてはならない。グローバル化、と呼ばれる流れはもう押しとどめられないし、その流れのなかで生き残っていかねばならないのが現実です。だから、日本以外の場所で暮らそう、働こう、起業しよう、という人たちをもっと力強く応援していかねばならない。そういう人たちに対して「日本を逃げ出すのか」とめくじらたてるなんてとんでもないです。

 まあ、そんなおおぎょうなことを考えている今日このごろ。そんなことを考えるのも平常心ではないからかな。

 最後に。被災地の皆さんが口をそろえておっしゃる「ふだんの、ふつうの生活がしたい」という希望が一日も早く実現してほしいと願っています。

 

 今日(水曜日)は生協の配達が届く日です。17年間、毎週生協から配達される食糧&日用雑貨で生活している実川家ですが、注文票で頼んだものの4分の1しか届かなかったのは今回が初めてです。野菜、果物と乳製品が全部届かず。配達のお兄さんが「品物はあるのですが、産地からここまでの配送ができません」とのこと。流通ルートが確保できなければ、物品はあっても手に入らないことをあらためて実感。

 しかたなく底をついていた生鮮食料品を買い出しに行ったのですが、もう今日は花粉が飛ぶ飛ぶ。花粉症歴26年で、準備を怠らなかった私も帰宅してからしばらくくしゃみ鼻水涙がとまらず。

......とここまでは、試合のことを書きたくないための前ふりです。

はい、負けました。

昨晩は悔しさのあまりしばらく唇をかみました。

それで気づいたのですが、ガンバの選手たちは「ぜったいに勝たなくては」と意気込むあまり、動きがかたかったですね。いわば完敗だったのでいいわけはできないけれど、監督が「日本を背負って......」とか言ってしまったために、それが重かったような気がします。

でも、下を向く必要なないし、悲観的になる必要もない、と私は思っています。金正也選手のCBはたのもしかったし、武井選手のボランチからの攻撃参加も去年から比べて格段に力があがっています。アドリアーノとイグノの2トップは脅威になるだろう、という予感もあったし。

負けたのは本当に痛いしくやしいけれど、また、内容がいいわけではなかったけれど、今後に生かせる「反省要素」はいろいろあったと思ってつぎの済州戦にかけるしかないですね。

ひさびさにガンバのことを書いてみました。

こういう時期に「サッカーなんかに一喜一憂するんじゃない」と叱る人もいるでしょうが、サッカーに一喜一憂することでわいてくるエネルギーもある(かもしれない)と思っています。先のことを考えると悲観的になって暗くなるけれど、とにかく今を生きていくこと、自分が今できることをやっていくこと、そのためのエネルギーとしてサッカーのことを考えるのももありかな、と考えることにします。

 朝、起きる。

窓を開けて空気を入れ換える。

新聞を読みながら朝食をとる。

家族の出勤を見送ったあとPCに向かって仕事をする。

夕方、買い物に出る。

夕飯をつくる。

家族が帰宅する。

ごはんを食べる。

お風呂に入って寝る。

 今まで何も考えずに過ごしてきたそんな日々。なんということのないordinary life。

 それが半日で変わりました。

 やっていることに変わりないのだけれど、変わりないことができることに対する後ろめたさ、変わりないものにしようとする自分に対する苦々しさが入り混じった日々を送っています。実はこういう生活が続くこと自体がextraordinaryであると気づかせられました。あらためて。

 地震直後はTV,ネット、Twitter,Facebookと見ていたけれど、チェーンメールが回ってきたり、ガセの情報が飛び交うのを見て、2日目以降はやめました。生き延びるためにはある程度の情報収集は必要だけれど、その「程度」は量的なものじゃなくて質的なもののはず。被災者の方々への救助活動や、行方不明の方々の捜索活動をさまたげるような「情報収集」や「情報拡散」はやってはいけないのだ、と心しています。

 だから本当はこういうブログをアップすること自体避けたほうがいいのだけれど、ちょっと「それはどうよ」と思うことがあって。それは「買占め」。 食糧については(子どもがいるのなら)わからないでもないのだけれど、スーパーでパンを棚の端から端まで全部一人で買うって、おばさん、それどうよ! 店員が「おひとりさま1斤にかぎらせていただいております」と言っても無視して3斤買う30代のオヤジをにらんじゃいましたよ。まあ、そういう人は1~2人しかいなくて、みんな「一人一個」と言われるとおとなしく一個しか買ってなかったけれど。

 それにしても何もかも値上がりして高い! 被災された方々を思うと、高くても買えることに感謝してはいますが、それでも手にとっては値段見て思わずまた戻してしまい、隣のおばさんに取られることを繰り返した買い物でした。

 

 

 

このたびの地震で被災なされたかたがたに、心よりお見舞い申し上げます。 私たちはみな無事でした。なんとか。私は自宅で仕事をしていたのですが、ノートPCを持ってすぐに玄関に避難。揺れがおさまらないうちに家族にメールを送信したのですが、返信が届いたのは4時間後でした。家族が無事だと知って、へなへなと座り込みました。阪神大震災も知っている私としては、地震はほんとに怖いです。 自然の力に対して、人間は非力だ、ということをあらためて思い知らされました。 とりあえず、無事です、ということを知らせる意味でブログをアップしておきます。

 ベルギーを経て現在パリにいます。

 海外で迎える誕生日。

 今からディナーにいってきます。

 ネットの具合がいまいちで、画像をアップしようとするとなぜかフリーズ。

 メールの送受信もちょっとしたことでフリーズしてしまい、お返事がとどこおっています。帰国したら返信します。

 6年ぶりのパリは、

1)煙草を吸う人がまた減っていた。

2)ジョギングをする人が多すぎ。どこにいっても走る人に会う。

3)英語を話す店員が増えた。でも英語は下手だ、相変わらず。

4)歩いているアジア人はやはり日本女子がダントツに多い。

5)パリコレ真っ最中らしく、ありえない体型の人たちと出会ってしばし「身体の美しい形とはどのようなものか?」と考える。

 

 腰痛のごきげんをうかがいながら歩きまわっています。パリはどこを歩いても、完璧すぎちゃってちょっと疲れます。

 

 

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