Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2011年04月

今月から地方紙にて「スポーツ随想」というコラムの連載を始めます(ました......新聞によって掲載日がまちまちらしいです)

スポーツ選手や監督・コーチの方々に加わり、なぜか私も持ち回り連載執筆陣に入れていただきました。月1回くらいの頻度らしいです(らしい、ばかりですみません。共同通信の配信なので、掲載日等がよくわかっていません)

ガンバへの思いは、1回くらいは熱く語っていただいてもかまいませんよ(しょうがないなぁ......ため息)という編集者の励ましを胸に、第一回目は「なぜまた私がサッカーにはまってしまったのか」について、熱く語っております。

地方紙を購読なさっている方で、お目にとまりましたら微苦笑を浮かべつつ読んでやってください。

 

済州ユナイテッド 2-1 ガンバ大阪

得点者は書く気にもならないけれど、ガンバは中澤選手です。

 

 なんというかね、ビール瓶の上に板を乗っけて、そのうえでバランスをとりながらお手玉をしている......みたいな試合でした。戦犯を挙げるのはいやなんだけれど、でも、今回はやっぱり言わないと。

 CBが酷過ぎる。

 去年もおととしも、シーズン最後に「ガンバのCBはJリーグのなかでもレベルが低い。優勝が狙えるようなチームのレベルに達していない」というようなことをこのブログで書いた記憶があるのだけれど、今年は負けられない二試合で「ありえない光景」を見せつけられて萎えています。

 あと。キム・スンヨン選手はいくらなんでも右SBの適性があるとは思えないし、しかも下平選手は前前年対比120%(あくまでもガンバ当社比)しか成長していない。だからCBにかかる負担が大きくなり、しかもそれが使えない、と来たもんだ。

 早くもともったACLGL敗退の黄信号。

 それでも応援しますよ。

 だって、好きなチームがあって、応援できる幸せを(あれだけ酷い試合を見せられても)ひしひし感じましたもの。

 またみんなで一緒に歓声を上げたり、怒ったり、笑ったり、泣いたりする日々が戻ってくる。そう思って、今回の酷い試合についてはなかったことにして心のどこかに埋めてしまいます。(→やけくそ)

 

一日二行動といっておきながら、いきなり一日二投稿。なかなか守れませんな。

なかなか仕事をする気分になれないのと、旅行に行っていたので、3月は読んだ本と観たDVDがふだんよりも多かったです。

メモがわりに書いておきます。まずは本から。

『天国の風 アジア短編ベスト・セレクション』

高樹のぶ子編 新潮社

アジア10カ国の作家の短編集。作品のレベルは?だし、地域の文化風土があらわれた作品を集めた、とも言えないのだけれど、男女や家族の人間模様が描かれていて楽しく読めました。娘のゼミの先生が翻訳されているマレーシアの作家の作品が一番おもしろかったかな。

『文字逍遥』

白川静著 平凡社

パリで読了。西洋絵画を鑑賞しながら、頭の中で「象形文字であり、神聖文字である」漢字が現代まで生き延びていることを考えていました。何回読んでも発見があります。名著だな。

『日本語から考える! 中国語の表現』

こういう時期だからこそ語学のお勉強! 中国語学習を開始してそろそろ1年。なかなか上達はしないけれど、勉強する楽しさは増しています。日本語と似て非なる中国語を知る意味で興味深かった1冊。

『切りとれ、あの祈る手を <本>と<革命>をめぐる五つの夜話』

佐々木中著 河出書房新社

これまたパリで読了。パリで読むと空気が同調して理解しやすくなる......ような気がしました。ルターとルソーのところがとくに。ルターの章を読んでからルーブルのキリスト教絵画を見ると、それまでとちがった構図が浮かび上がってくる......ような気がしました。

『花の下にて春死なん』

『孔雀協奏曲』

2冊とも北森鴻著

ケイコさんにお借りしました。ありがとうございます!(私信)出てくる食べ物がとてもおいしそうで、ついビールを飲みたくなりました。

『マドモアゼル・モーツァルト』

福山庸治選集

モーツァルトが本当は女の子だった、というマンガです。これまたケイコさんからお借りしました。読んでいる間、ずっとピアノコンチェルト25番を聴いてました。(モーツァルトのなかで一番好き! ベタですみません)

『我、言挙げす  髪結い伊三次捕物余話』

宇江佐真理著 文春新書

ひさびさに宇江佐さんの作品を読みました。ちょっと飽きてきたところもあるのだけれど、描かれる深川の街はやはり魅力的。

一番熱心に読んだのが実は以下の5冊。

『唐詩選』(上中下)『宋詩概説』『蘇東波漢詩選』(岩波文庫)

理由は、書道作品で書く詩文を探すため。づらのいい詩文を見つけるためには文字を追いかけて見ていかなくてはならないのだけれど、つい詩の内容を読んでしまってなかなか書くのにいい詩が見つかりません。

観賞DVDは以下に。

『ソーシャル・ネットワーク』

えーっと、この映画で言いたいのはコミュニケーション不全で人とまともな関係を築けない人が世界最大のソーシャル・ネットワークをつくりあげたという皮肉、という解釈でいいのでしょうか? それにしてもハーバード大学って奇人変人俗人の集まりって印象。東大もそうなのかな?(というと怒られる? 東大出身者が一番喜ぶ賛辞は「ほんとあなたって東大の人らしくないよねえ」でしたが、今はどうなの?)

『わたしを離さないで』

あれ? 原作と趣旨がちがわない? 原作は恋愛映画じゃないんですけれど。カズオ・イシグロはこういう映画化に抗議しないのかなあ。原作は別物?  アンドリュー・ガーフィールドは『BOY A』のほうがよかった。

『オーケストラ!』

旧ソ連時代に芸術が国家昂揚施策となっていました、ということが言いたい映画なのかもしれないけれど、編集で失敗しちゃっているので、コミカルになりすぎてその意図があまり伝わりませんでした。でも、最後のチャイコフスキー、バイオリン協奏曲で盛り上げがいい。(途中で「成功したその後のオーケストラ」という映像をはさまなきゃいいのに)諏訪内晶子さんとチェコ・フィルハーモニーの演奏をダウンロードしちゃいましたよ。

『台北に舞う雪』

途中でやめました。あまりのくだらなさと演技の下手さにだんだん怒りがこみあげたもんで。時間の無駄だった。

ついでにメモがわりに今読んでいる本。

『疾走中国』

ピーター・ヘスラー著 栗原泉訳 白水社

実はKindleで英語版を読みました。原題は"Country Driving"。中国在住の著者が車を運転して全土を回って感じた中国の変化です。

 

 

 

花見自粛などと報道され、まあこのご時世に、花などそっちのけで大声でカラオケを歌い、酔っぱらってゴミと*ロほっぽり出しはどうよ、とも思うのでそれはいいのだが、上のほうから「自粛」という名前の命令を受けるとどこかおもしろくない私です。すみませんすみません。

今この時期にブログに何を書いたらいいかわからなくて、3月はほんの数回書いただけで終わってしまいました。それも私のなかで自粛モードになっているせいなのだと思います。自粛って言葉、好きじゃないなあ。新明解によれば、自粛とは、「自分の言動に対する反省に基づき、自分から進んで慎むこと」なんですが、少なくとも今の日本で通用している自粛とは「自分から進んで」という積極性よりも、「別に違反じゃないけれど、まわりからあれやこれや言われると面倒くさいからやめておこう」という非常に消極的な行動に思えます。そういうのって好きじゃない。本当の意味での自粛じゃない、と思う。本来の自粛はもっと前向きな行動なのに、今の「自粛」は後ろ向きです。

と言いながら、このブログで本当に書きたいと思うテーマが見当たらないまま3月は終わってしまいました。これもいわば「自粛」なのかもしれません。

4月に入り、いろいろあるけれど、私もぐだぐだ言ってないで立ち上がって行動を始めないと、と思っています。

とはいっても、私の今季のテーマは「走らないで歩く」です。私は性格的に、何事も助走しないでいきなりトップスピードで走ってしまう(そしてときどき肉離れを起こす)きらいがあります。2月にぎっくり腰になったのも、昨年、仕事も家事も趣味もすべてにトップスピードで走ったせいだと反省。整体の先生に「身体を鍛えるのではなく、積極的に休める、という発想が必要でいらっしゃいますよ」と言われました。私がときどきランニングしている、というと「さあ、走ろうとはもうなさらないでください。緊張をほぐすつもりで歩きましょう」とも言われました。適切なアドバイスです。

そして決めたのが「一日二行動」です。前も書いたとおり、私は毎朝目が覚めてから起き上がるまで、頭のなかでその日一日やらなくてはならないことを列挙し、分刻みのスケジュールを立ててシミュレーションしてから飛び起きてばたばたと走りだす、という日々を送っていました。今もその習慣は続いていますが、あれもこれもやってしまおう、と思うのをやめて、一日二行動に限定することにしたのです。日常の家事も、炊事はしかたないとしても、今日洗濯したら、掃除機をかけるのは明日にする、とか、外出するときも余裕を持ってスケジュールを組んで、一日で回るところは二カ所に限定する、といった具合です。友人のマリコさんのモットー「明日できることは今日しない」を私もできるかぎり実践することにしました。

まだ始めてから日が浅いのでなんとも言えませんが、効果としては気持ちの余裕が生まれました。これまでは起きている間ずっと気持ちがせいていて「あれもしなくちゃ、これもまだできていない」と刻々とすぎていく時間にいらいらしてストレスがたまるばかりでしたが、最近は夕飯が終わったあと「今日やろうと思っていたことが全部できた(二つしかやらないのだからあたりまえだが)」とほっとして、落ち着いてくつろげるようになったのです。おかげで今週は、ギックリ腰勃発以来初めて、一日中腰のことを忘れていられました。

私のことなので、いつまで一日二行動が実践できるかわかりませんが、頭の片隅にギックリ腰の痛みの記憶をつねにとどめて、突っ走りそうになる気持ちにブレーキをかけようと思っています。

 

↑このページのトップヘ