Glamorous Life

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2011年05月

川崎フロンターレ 2-1 ガンバ大阪

得点者:中村憲剛選手 2(川崎)、アドリアーノ選手(ガンバ)

 

 深夜というか明け方の欧州チャンピオンズリーグ決勝戦をライブで見て、仮眠をとって台風のなかを等々力に出かける自分に「サッカー好きを通り越して、どこか異世界に足を踏み入れてしまっている」とツッコミ。

 でもって、スタメンがACLラウンド16と同じと知って怒りを通り越して脱力。合羽を着て寒さと試合内容のひどさに震えながら、すでにサッカー狂、ガンバ狂となっている7人で観戦。結末には笑うしかありませんでした。

 川崎側にとっては「劇的な逆転」かもしれませんが、続けてガンバを見ているものにとっては「ああ、やっぱりね」という結果でした。リーグで負け続けていたけれど、若い選手がつぎつぎスタメンに登場していた昨年は楽しかったよね、と試合後にほかのサポたちと振り返り。あのときは西野さんやめろなんてまったく思わなかったけれど、今回はね。あれだけ酷かったACLラウンド16のあとに、なんの手当てもせずに同じスタメン、同じ試合運び、しかも佐々木選手を途中交代してまた下げるという最悪の采配。さすがの私も堪忍袋の尾が切れます。

 日本経済と同じで、ゆっくりと右肩下がりになっていくところに大きなショックがあると、そこからどういう風に対処するかによって未来は変わってきます。(日本経済とガンバじゃ次元も状況もまるでちがうから一緒にしちゃいけないけれどね)チームとクラブが新陳代謝に気づかないでいると、老化は予想を超えて進んでいく。今のガンバを見ているとその落ちっぷりに目を覆いたくなります。

 最後にどうしてもこれだけは言っておかないと。

 佐々木勇人選手! 私たちはいつもあなたを応援しているからね!!

 

 先日、某週刊誌で連載されている親子対談の取材を受けました。

 そのとき編集の方から「お子さんには早期英語教育をなさったのですか?」と聞かれて、「え?!」と一瞬言葉に詰まりました。編集の方にしてみれば、子どもを2人とも留学させているし、夫婦とも外資系企業で働いていたのだからさぞかし英語教育に熱心だったのだろう、と思われたようです。でも、留学と言っても1人はチリでスペイン語圏だし、1人はフィンランドと韓国で英語とは縁がないんですよね。

 実は長女には赤ちゃんのときに英語のテープを聴かせたり、英語の絵本の読み聞かせをしたりしたのですが、2歳のときに「エーゴでごよん(ご本)読むの、やめて」と強く拒否されてあっさり敗退やめました。次女には早期英語教育などいっさいせず。意図的にしなかったわけではなく、忙しくてそんなヒマがなかったからです。

 ついでに言えば、私は英語圏への留学経験がなく、帰国子女でもなく、そもそも英語圏にあまり旅行したこともない。そんな私が日本で暮らしていて子どもに英語で話しかけるのはいくらなんでも不自然でしょう。親の私が不自然だとか無理と感じることは、こと教育に関してはしないほうがいい、と私は思っています。そんなことは続かないもん。

 早期英語(もしくは外国語)教育の是非をうんぬんできる私ではありませんが、自分の体験から「あまり意味ないなあ」と思っています。自分の意志を持って話してみたいと思わないかぎり語学は身につかないし、周囲がみんな日本語をコミュニケーション手段にしているなかで、ぺらぺら英語を話すガキ子どもって見世物の珍獣と一緒でかわいそうじゃないですか?(ただ、英語に限らず、この世界には母語(ここでは日本語)以外に何百、何千という言語があって、別の言語を用いて暮らしている人たちは自分たちとは社会常識も発想方法も感情の表わし方もちがう、ということは幼いころから教えておいたほうがいいように思います。)

 でも、思春期に差し掛かり、親の庇護のもとから抜け出てより広い社会への関心が高まる小学5年生あたりからは外国語を教えることの意味があると思っています。それは何も英語に限らない。何かしらきっかけを作ってあげれば、この時期の子どもはみるみるうちに語学を習得する力があるし、そのときに覚えた外国語習得能力(勝手に名付けました)は生涯役立つはずです。

 次女はテレビで、タレントが世界のどこかの地域に行って、一人でサバイバルするという番組を見てフィンランドに興味を持ち、フィンランド人がフィンランド語でなんて言っているか知りたいとインターネットで調べたり本を読んだりし、ついにはフィンランドに留学してしまいました。また、中学2年の時に日韓共催ワールドカップ関連で放送された歌番組でKPOPにはまったのをきっかけに、韓国語を習得。今は英語、韓国語、フィンランド語が話せます。きっかけはそんなものでいいのだな、と私は彼女から教えてもらいました。

 私と同じく語学大好きの次女を見ていて思う外国語習得能力とは、①好奇心、②勇気、③根気、です。

 「この人、何を考えて、何を伝えたいと思っているのだろう?」とか「そこに行ってみたい」とか「この人たちが話していることを知りたい」とかそういう「好奇心」は、こと外国語習得においては「性格」とか「資質」ではなく、一つの「能力」だと思います。好奇心がないところに、語学習得なし。

 そして勇気。日本人はすぐに"I cannnot speak English"とか"Je ne sais pas parler le francais"とか"我不会说汉语"とか言うけれど、それだけ話せたらもう「話せる」んですよ。「私は外国語が話せます」という勇気がないために、能力に自分で蓋をしている、と私は生意気にも思います。話せないのではなく、話す勇気がない。恥ずかしい、とか、通じなかったらメンツがつぶれる(→意外に若者に多い)と思ってしまう。思い切って知っている単語を並べて話す勇気を持っていると、もう飛躍的に語学は伸びます。だから、勇気もまた、性質ではなく能力です。

 そして根気。これに関しては言うまでもありませんね。外国語語学習得には終点とか完成ってものはありません。いや、外国語だけじゃない。日本語も同じです。言葉は「もうこれでいいや」と思ったときから錆びついていきます。つねに謙虚に学び続けることが大事。

 それとネイティブ並みに話をすることが目標です、という人がいるけれど、その目標にしているネイティブっていったい誰? と私はツッコミたくなります。ネイティブ・スピーカーの母語語学力も千差万別。外国語習得の目標は、自分の言いたいことや気持ちをきちんと伝えられ、また相手の意志や感情を理解できることだ、と私は考えています。ネイティブ並みの発音で「元気ー?」「どうしてるー?」とか言うよりもずっと高い目標だと思うんですけれど。

 で、その目標をめざすために必要なのは「読む、聴く、話すを毎日ながーく続けること」。もうこれにつきます。

 とここまで書いて気づくのは「語学を学ぶのに遅すぎることはない」ってこと。むしろ、人生経験を積んで、他人との差異についても十分な知識を持っている年長者のほうが、3つの能力を発揮しやすいかもしれません。

 なーんてことを考えて、今日も中国語学習に励む私なのでした。

 

 

 

ACLラウンド16。へこみすぎてしばらく立ち上がれませんでした。

あまりにもへこんだのでPCを立ち上げることもできず、PCなくてできる仕事に逃避しておりました。

 

でもね、やっぱりガンバ大阪が好きです。

勝っても負けても夜が眠れなくなるほど興奮する。それくらい好きです。

勝手に好きになっているのだけれど、やっぱり言わせて。

もうこういう思いはさせないでください、お願い。

平日の夜、やりくりつけて万博に集まった15000人(セレッソサポをのぞく)のサポたちを、つぎはぜひぜひ歓喜の渦に巻き込んでください。

下を向く暇はないよね。日曜日にはJリーグだ!

 

ガンバ大阪 2-1 アルビレックス新潟

得点者:アドリアーノ×2(ガンバ) ミシェウ(新潟)

 

 万博の新潟戦にいい思い出がありません。いつも今頃の試合で、本来ならばさわやかな5月、絶好のサッカー日和のはずです。それなのに背筋がぞくぞくするような試合しか見せてくれない、そんな感じ。

 ところが、昨晩は「何が何でも勝つ!」という意気込みが強く感じられ、なかなかの好ゲームになりました(と試合終了後、一緒にテレビを見ていた娘に言ったら「ママは試合中、ガンバ、ぜんぜんアカンって言ってたじゃない。勝ったからようやく出たその一言だね」と冷たく言われました)

 でもまあ、とくにヤットがやる気満々だったんですよ。何回も言うけれど、ヤットのスライディングタックルは3回に1回黄紙の大特典つきという危うさなのですが、でも、これが出るとチーム全体が引き締まります。いつも試合の入りがだらだらして押し込まれるガンバさんですが、昨晩の試合はキックオフから球際厳しく、びしばしやっていました。

 しかし、好事魔多しってこういうときに使うのね。ヤット→イグノ→アドリアーノのすばらしいゴールの直後のCK。新潟のブルーノロペスと競り合ったフタが頭から流血の惨事。テレビを見ていて、額からだらだら血を流してピッチにうつぶせになったフタに、私まで気が遠くなりそうでした。

 そのショックからかどうか、ちょっと攻撃が停滞。それでも惜しいシュートがアドリアーノ、宇佐美、イグノから生まれるのですが、決め切れず。

 後半に入るとがんばっていた武井くんや加地さんがミスをしはじめて、新潟に押し込まれる場面が増えました。セカンドボールが拾えなくなり、中盤の底でボールをさばこうとするヤットが集中的に狙われてボールをとられることも。で、もういまや「様式美」となった失点。

 その直後に今度は山口が負傷したらしく、内田と交代。智には悪いけれど、Jリーグデビューとなったウッチーにときめいた私です。

 そして試合終了直前に、宇佐美の素晴らしいシュートをGKがはじいたところをアドリアーノが押し込んで決勝GOAL!!

 無事、勝利しました。

 いろいろありながらもリーグ3連勝。ほかのクラブより2試合少ないながら、勝ち点12で7位につけています。

 そしていよいよ明後日はACLラウンド16です。

 今からどきどき、わくわく、どきどきどきどき。

 昨年から始めた中国語にまだまだハマっています。まだ初級段階ではありますが、中国語(だけではありませんが)は学ぶうちにいろいろな発見があってほんとおもしろい。

 今は文章を覚えて繰り返し発声してみる、もしくは書いてみることを続けています。基本文型の本を1冊終え、今は単語学習中。今週より副詞を始めました。

 そこで発見その1。名詞、動詞、助動詞、形容詞とここまでは単語を使った中国語の短文とその日本語訳に私の感覚としてさほどちがいがなかったのですが、副詞になったとたんにとまどいが生じています。

 たとえば「すぐに」という副詞。

 中国語には「忽然,立刻,马上,赶快,眼看」といった表現があります。これをどう使い分けるのか。時間の長さ(5秒後なのか1日くらい待てるのか)、気持ちのちがい(今やっていることをやめるくらい急を要すると感じているのか、それともできるかぎり早くという感じか)その使い分けがむずかしい。中国語辞典を引きながらその感覚をつかもうとするのだけれど、それだけではなかなか。やはり多说,多听,多看汉语,我能抓住这样的感觉。

 それでは英語でそういうニュアンスをつかむのに苦労するのは何かと言うと、私の場合は冠詞と時制です。とくに冠詞には苦労させられてるわ、ったく。aがついたものをどう日本語にするか? どうしてここでtheが使われているのか? 悩まされます。日本語でそのまま置き換えられる言葉ではないから、翻訳するときには何かしら言葉をおぎなわなくてはならない。どんな言葉にするのが一番感覚としてしっくりくるのか。そこに悩む。

 そして時制。時制の感覚をつかみそこねると、話がまったくちがう方向に走っていってしまう。時制のとおりに訳すと、とってもぎくしゃくした日本語になってしまう。日本語と英語では時間のとらえ方がちがいます。「ちょっと待って」の長さは、英語でWait a momentと言われたときとちょっとちがうし、an instantを「一瞬」と訳するのをためらうことも多い。

 言葉を学ぶ目的は人それぞれでしょうが、私の場合はそういった「発想と感覚の違いの発見」が楽しいっていうのがあります。自分が当然だと受け止めている時間の感覚や、感情の流れ、人に対する思いなどが、実は普遍的ではないと知る驚きとおもしろさ。もし地球上みんな同じ言葉を話し、同じ感覚を共有していたら、かえって人類は発展もせず、むしろいがみあってだらだら滅びて行ったかもしれないな、とバベルの塔の神話と反対のことを想像します。

 

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