Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2011年06月

何年も前から計画しながら、なかなか実現しなかった香川県のアートをめぐる旅に行ってきました。参加者に晴れ女がいてくれたおかげで、梅雨時にもかかわらず傘をさすことなくめぐることができたという運の良さ。おかげで充実したアートツアーとなりました。

記憶にとどめるためにも、簡単に写真で記録しておきます。

ジツカワは大阪に前泊し、朝岡山経由宇野から船で直島へ。東京から来た仲間たちと合流して、まずは家プロジェクト見学。暗闇のなかで目が慣れると人の姿やスクリーンが見えてくる、というジェームズ・タレルの作品「南寺」やら、千住博作の「石橋」邸(滝の絵がすばらしい)などを見て回るのですが、楽しいのは路地の中にあるアートを見つけること。まあ、なんちゃってってのもありますが、楽しめることはたしか。

 

家プロジェクトオブジェ(小).jpg
アートとはまったく関係のない猫。道の真ん中にじんどって、テコでも動かないのはなぜ?

猫小.jpg

安藤忠雄建築の地中美術館、ベネッセミュージアムを見学後、宿泊するオーバル棟へ。宿泊場所までもアートです。ツバメが飛び交い、アーティスティックな蛾が部屋のドアのところにいたり、と何を見てもアートな感じ。

オーヴァルの部屋(小).jpg

夕飯はパーク棟にあるテラスレストランにて。瀬戸内海の島々はもちろん、ニキ・ド・サンファールの「腰掛」なんて作品や草間弥生の有名な「南瓜」を観賞しながらディナーというぜいたく。お食事もゴージャスでありました。

アート作品を汚してしまって申し訳ないけれど、行った証拠にアップ。

新聞を読む男プラス実川(小).jpg

翌日はベネッセアートサイトのメンテナンス日とかで、すべての美術館はお休み。そこで外にある太湖石が並べてある蔡國強「文化大混浴」と草間弥生「南瓜」へと散歩。散歩している間だけ雨がやんで晴れ間がのぞく、という幸運もあり楽しみました。アートサイトでは「のぞく」というのがテーマだそうで、太湖石のすきまから瀬戸内海をのぞいたところをパチリ。

太湖石から気をうかがう小.jpg

最後に「海の駅」でもう一つの「南瓜」を見てから直島とお別れ。船で高松にわたります。

赤かぼちゃと大槌島(小).jpg

高松から丸亀に向かい、猪熊弦一郎現代美術館を訪問。ベネッセアートサイトでもたくさんの作品が展示されていた杉本博司さんの「アートの起源」展鑑賞。カフェで「三十三水晶五重塔」をかたどった和三盆のお菓子を食べてまったりしたあと、高松に戻ってホテルにチェックイン。

3日目は四国村に向かいました。四国をめぐらずとも四国名所が観賞できるというお得なテーマパーク(?)。かずら橋のミニチュアを渡ったり、砂糖、醤油、油、酒、紙、といった四国名産品の製作現場(ただし昭和初期くらいまで)が移築されています。屋島も見えてなかなか爽快(暑かったけれど)。途中で出会った道祖神。

四国村道祖神小.jpg

さぬきうどんを食べた後(毎日食べていたんだけれどね)、イサム・ノグチ庭園美術館へ。これがすばらしかった! 石の美しさ、太古からの時間の流れを秘めている石の表情を引きだす力、というのを感じました。

最後に家具の芸術家、ジョージナカシマ記念館を訪れ、ていねいな解説で今度は木の表情を引きだす力を教えられました。

優雅に走るコトデンにゆられて高松に戻り、預けておいた荷物をピックアップして空港へ。

2泊3日でしたが、実に充実したアートの旅でした。

 

帰宅すると封書が。毎日書道展漢字Ⅱ部に入選しました。(近代詩文書は落選)

国立新美術館@六本木で、7月6日~11日の前期展Ⅰ期会期中展示されるそうです。お時間があれば見てやってください。

今年に入ってからあまり仕事をしていません。あまり......どころでないかもしれない。ぜんぜんしていないな。

大震災後、私はいったい何をすればいいのかなと、ぐずぐず立ち止まって考えているうちに3か月も過ぎてしまいました。

何か行動を起こさなくては、と気持ちはあせるのですが、その一方であせってはだめだ、とはやる気持ちをおさえる自分もいます。

最近、というのは震災前、それも5年ほど前から思っているのは、自分のためではなく、つぎの世代、またそのつぎの世代の人たちのことを考えて動きたい(働きたい)な、ということです。

そしてまた、つぎの世代の人たちの足を引っ張ってはいけない、ましてや負の遺産をのこすようなことをするのは許されない、ということ。

いま自分が便利だから、気持ちいいから、ラクしたいから、というだけで、エネルギーや資源をじゃかすか使うような仕事や生活をするのは、確実につぎの世代、そのまたつぎの世代に迷惑をかけてしまう。

「効率」「快適」「成長」「成功」という言葉の定義をいまのまま見直さずに社会を維持していくこと、そういうことに価値を見出すことに、私はいますごく疑問を感じています。でも、戦後、日本や世界の先進国で追求されてきたことに代わる価値観が見つけられないでいます。「勤勉」の価値はこれからも変わらないでしょうが、コスト意識高く、効率よく働き、たくさん稼ぐことが「働くことの目的」であり、それができる人が「成功者」だと定義されたままだと、次世代の人たちにとんでもない負の遺産をのこしてしまう。

私があとこの地球にいるのは、どうがんばってもあと30年でしょう。(自分の予定としてはあと20年で世を去りたいけれど......)でも、娘たちはあと60年以上生きていかねばならないし、自分の子どもたちを安全で安心できる環境で育てていかねばなりません。子どもたちのことを考えると、いまのままでいいはずがない、と私は思います。

そう考えると、いま私ができる仕事は何なんだろう、と考えてしまう。

昨日、久しぶりにずーっとなかよくしている友人と話をしました。病気と怪我に悩まされた1年だった、と彼女はため息をついたあとで「でもね、2人目の孫が生まれるのよ。命は続いていくんだなと励まされるわー。この先は、つぎの命のために働きたい」と言ったのがとても印象的でした。

命を続かせていくためにも、なが~い気持ちでできることを探していきたいです。

あせらず、あわてず、あきらめず。

あと20年だか30年だかわからないけれど、つぎの世代のために働いていきたいです。

仙台 2-1 ガンバ

得点者:菅井、赤嶺(仙台)、アドリアーノ(ガンバ)

 

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 ガンバ、シュート4本。枠に行ったのはまぐれのようなアドリアーノのGOALのみ。

 仙台シュート14本。ほとんどが枠にいっています。

 当然の結果でしょう。

 未来への何の希望も抱けない酷過ぎる内容の試合でした(ガンバ的に)

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 つらすぎる

振り返れば1980年代、NHKTV番組「シルクロード」でその異境のにおいに魅せられたのがきっかけだったのかもしれません。NHKTVとラジオの中国語講座を視聴し、中国に行ってみたいと夢見て個人旅行で上海→杭州→蘇州旅行し、その後もめぼしい中国本を読んでは想い(笑)をつのらせてきました。完璧に非現実的な片思いでしたが。

ちゃんと中国語を学んでみたいとブログに書きこんだのがきっかけでやっとすてきな師匠に出会えてあらためて中国語を学び始めたのが昨年。なんか最近では中国語を勉強する合間に仕事をしている感じがしないでもないのですが、まあそれはさておき、中国語を学ぶのと並行して中国本を読んでいると、目隠しをしたまま中国という巨大な象(パンダか?)をなでさすっているようなとらえどころのなさを感じます。誰もが言うように21世紀を生きるにあたって、中国という国、民族、政治経済社会文化とまったく無視して生きていくわけにはいかない日本であることは確実です。それなのに、矛盾が多く、大国すぎる国と人々をどうとらえたらいいのかよくわからない。でも、私なりに書かれたものを通してとらえてみようと試みています。いつかは中国語で書かれたものを読んで理解してみたいな、なんて大望を抱きつつ、翻訳本もふくめた私の「中国本読書メモ」をつくってみました。

私が初期に出会って「中国を個人旅行してみたい!」と思わせたのが、1986年に出版された「中国中毒」(新井ひふみ著 三修社/文庫)。中国に留学した女子学生の体験談です。その後、上海に旅行したとき、この体験談のとくに「トイレ話」と「列車の切符の買い方」と「買い物で出会う店員に無愛想と不親切」について「あー、こういうことだったのか!」と深くうなずいたのがなつかしい。

それより以前の1983年の出版ですが「中国の冬」(梁恒+ジュディス・シャピロ著 サイマル出版会)という本も、高校の頃、文化大革命万歳みたいな論調を聞かされてきた私に衝撃を与えました。本の書き方やこの著者の姿勢にはちょっと?を感じたものの、衝撃はやはり衝撃だったかな。その後、映画監督、陳凱歌著「私の紅衛兵時代」(講談社現代新書 1990年)を読んで、若者が国家(というか祭り上げられた権力者?)に翻弄されるありさまに別の意味で衝撃。こちらのほうが「中国の冬」よりも淡々とした描写で、信ぴょう性があったかな。それにしても子どもに「思想教育」はまずいだろう、とちょうど子育て期にあった私はそんなことを思ったり。

その後に大ベストセラーとなった「毛沢東の私生活」(李志绥著 新庄哲夫訳 文藝春秋)が来るわけです。1994年刊のこの書を、正直に言うと私はリアルタイムで上巻しか読んでいませんでした。はい、告白します。最近ようやく通して読んで、いやーこんなにおもしろい本だったのか、と。本を読む醍醐味の一つは「年齢と時代を経ると、視点と読み方がまったく変わってくる」ということにあります。この本なんかそのいい例だな。

1993年、改革開放経済を掲げて中国は「世界の工場」となって躍進し始めていましたが、一方で1989年の天安門事件のショックは尾を引いていました。経済は資本主義、政治は社会主義という矛盾を鄧小平は「白猫でも黒猫でもねずみをとってくればいい猫だ」というような言葉で丸めて、経済開放を進めていましたが、天安門事件はまさにその矛盾が矛盾でしかないことを証明した......ように思えたのです。そこにもってきてこの本。当時の私は「まーた文革暴露本かよ」というような読み方でしか読めなかった。でも、今読むと時代を経たおかげでちがった視点で「毛沢東」という人物を見直すことができます。同時に、今隣国が抱えている矛盾の芽はこの本の著者が主治医になった60年近く前からもう芽生えていたのだ、とよくわかる。

でもって、私はその後の大ベストセラー「ワイルドスワン」(ユン・チアン著 土屋京子訳 講談社文庫)も途中で投げ出していて(いいわけだけれど図書館で借りたのがまずかった。上だけ読んで、その後下巻が借りられないままときが過ぎていってしまい......)、最近になって読み返して、またもや「こんなおもしろい本だったのか!」と再認識。著者のエリート意識が鼻につくところはあるのだけれど(それは1998年読んだときも感じた)、その点を差し引いても、歴史大河ドラマですね。こと中国に関するかぎり、事実のほうが小説よりもずっと奇なり。

その後星野博美さんの中国モノ3部作(と勝手に私が名付けている)に出会って、外国人によるルポものとしてはこの3冊が秀逸だと思っていました。 「転がる香港に苔は生えない」(文春文庫) 「謝謝、チャイニーズ」(文春文庫) 「愚か者、中国を行く」(光文社新書) が、中国への憧憬(?)と実際に現地を歩いたときに出会う心理的ギャップによる落胆(でも勝手に憧れて勝手に落胆する自分を客観視する視線も忘れていない)を描いたルポとして、とても興味深い。

谷崎光さんの「てなもんや中国シリーズ」(これまた勝手に名付けました)も笑って読めて、でも実は鋭い、という外国人ルポとして傑作。体験記って強いなあ。 「中国てなもんや商社」(文春文庫) 「北京大学てなもんや留学記」(文春文庫) はかるーく読めて、実感がこもっていて楽しい。

ほかにも陳舜臣さんによる「中国の歴史」シリーズは、めずらしく最初から最後まで読み切った歴史シリーズものでしたが、とりあえず過去のものは切り上げて、以後は最近の「中国本」のなかから何冊かピックアップ。

「中国女工哀史」(レスリー・チャン著 白水社) とそのパートナーが書いた 「疾走中国」(ピーター・ヘスラー著 白水社 どちらも翻訳は栗原泉)。 以前に「堕落する高級ブランド」(ダナ・トーマス著 講談社)という本を翻訳したときに、「世界の工場」となっている中国の工場で働く女性と子どもたちの話に強い興味を持ったのだけれど、「中国女工哀史」はタイトルとはちがって、その実態を「告発」するのではなく、「温かい目で見守る」視点で書いているのがとてもいい。著者が中国系のアメリカ人であることがプラスに働いているルポルタージュだと思います。そのパートナーであるピーター・ヘスラーは、レスリー・チャンとともに10年間中国に住んで暮らし、働き、外国人でありながら中国人と視点を共有して「疾走中国」の大著をあらわしました。改革開放以後、「成功し発展した(はずの)」中国社会においても、矛盾は矛盾のまま残っている......どころか矛盾がますます肥大しているように思えます。この2冊は外からの視点で淡々と中国の内部を書いたルポとして秀逸かな。

ルポばかりではつまらない、小説はないのか、と探したところで、「上海ベイビー」(衛慧著 桑原道夫訳 文春文庫)、 とか  ハ・ジン著「すばらしい墜落」(立石光子訳 白水社) などを経て今私が読んでいるのが 「白檀の刑」(莫言著 吉田富夫訳 中公文庫)。まだ乗り切っていないうちに上巻が終わった......。

そのほかにも中野美代子さんや武田雅哉さんの著作、池上彰さんの「そうだったのか中国」(集英社文庫)、岩波新書の中国シリーズ(「中国は、いま」とか「中国エネルギー事情」とか「ネット大国、中国」など)も読んでいるのですが、だんだん疲れてきたので一休み。

ガンバ大阪 2-2 清水エスパルス

得点者:アドリアーノ、宇佐美(ガンバ)、太田、大前(清水)

 

 2週間の中断があけて始まるリーグ連戦の初戦。

 先週、ちらっと練習試合をのぞいてどうもぴりっとしない様子だったので、あまり期待していませんでしたが、案の定、そのとおりの結果と内容。

 今夏に宇佐美選手が移籍することは確実で、たぶんアドリアーノ選手もいなくなるでしょう。ひたすらこの2人の個人技で得点し、みんなで失点している(↘)今のような状態だったら、いったいどうなっちゃうんでしょうね、ガンバさんは。

 ワクワク感のない試合を3年間も見せられている今、ほんま、なんとかしろよ、と叫びたい。(もう叫んでいるが)

 宇佐美選手がたぐいまれな才能の持ち主だってことはわかっています。いや、ほんとわかっているよー。でも、サッカーは11人でやるスポーツ競技。彼の才能を今のガンバさんはまったく活かしていないんじゃないでしょうか。

 でもって、アドリアーノ選手の能力の高さはわかっています。が、肝心なところでの外しっぷりはちょっと......。

 言っちゃ悪いけれど、「たぐいまれな才能」と「ずばぬけた能力」がかえってガンバの得点力に蓋をし、失点「能力」に磨きをかけているような気がしないでもない。まあ、そんなこたいいわ。クラブと監督が考えることだから。

 私が願うのは「ワクワクするサッカー」を見せてほしいってことです。

 と言いながら、いいこと探しをしてみます。

 後半の失点にまったくからんでいなかったことは(!)いただけないけれど、内田選手(19歳)はいいんじゃないでしょうか? 何がいいって、「つなぐ意識」が高いのがいい。あと、危機察知能力もあくまでもガンバ大阪内比ではありますが、高いように思います。スタメン3戦目で、非常に落ち着いた「さばき」を見せたし、フィードもいい。ひさびさに気に入るDFに出会いました。

 ガンバユースが生んだ至宝は宇佐美選手かもしれませんが、ガンバのサッカーを魅力的なものにする、ガンバユースが生んだ「天才」は、まちがいなく二川選手です。天才であるがゆえに、まあ、いろいろあれなところはあるんですが、でも、彼が冴えているときは「そこにそう来るか!」と唸る。昨晩、チャンネルを切り替えずに我慢して最後まで見続けられたのは、フタのパスが冴えていたからだなあ。でもって、決めろよ!>イグノ、アドリアーノ、宇佐美!!!

 

 あああああああああ~、おもしろいガンバサッカーが見たい!

 

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