Glamorous Life

グラマラスライフ 実川元子オフィシャルサイト おもしろい本、どきどきする試合や映画、わくわくする服に出会えたら最高に幸せ

2011年07月

鹿島1−4ガンバ

得点者:武井、イグノ2、ラフィーニャ以上ガンバ 増田(鹿島)
イグノさまさまだったこれまでの試合。そこにラフィーニャという選択肢ができて、さてどうなるでしょうか、ということ考えた試合でした。珍しくうまくいった采配。愛し合っている韓国2トップもいい仕事していましたが、もっといい感じだったのがイグノ、ラフィーニャの2トップだったかも。あくまでも1試合を見た印象でしかありませんが、ラフィニャンは中盤の選手なのかも。トップにおくとよくないような気がします。 この試合では、ラフィニャンだけでなく、鹿島の調子の悪さと、審判の空気読んだ采配に助けられたかも。 私が気に入ったのは武井。このところ雑なプレイが目立っていた武井くんですが、トップ下で出場したこの試合はよかった。経験って大事よね。 いま、なぜか今期一番の多忙で、実は試合観戦がままならない。鹿島に行けなかったことが悔やまれます。

ガンバ大阪 2-2 ジュビロ磐田

得点者(ガンバのみ);山口、イグノ

 イグノ、すばらしいよ、イグノ。太陽の子!

 おしまい......と行きたいところですが、そうもいきませんね。

 相変わらずディフェンスが酷い。体調不良の人はゆっくり休んだほうがいいのではないでしょうか?

 あと、GKはもういい加減別の人を試したほうがいいと思います。

 

 もうひとつ。

 ほかに書きようがないからかもしれないが、「宇佐美の抜けた穴」とか書くのはやめてくんないかな>スポーツ新聞。穴、は攻撃のところではまったくあいていないどころか、なんか抜けたことによって希望が持てそうなんですけれど。少なくとも宇佐美選手のポジションでの穴は見当たりません。

 問題はディフェンスの穴で、これはもう誰が移籍しようが関係なくあきっぱなしです。敵チームのお出入り自由。ボール放り込めよ、さらば(得点が)与えられん。チーン。

 今後ますますガクブルなんですがね。

 

 ところで、先週、全国地方紙に日本女子代表サッカー(しぶしぶ書こう、なでしこジャパン)優勝関連記事を書きました。21日、22日あたりに掲載されているそうです。

 タイトルは「女子力が世界を変える」

 文化面なので、サッカーそのものについてはほとんどふれていません。

 あと、スポーツ面の「スポーツ随想」で、ガンバ大阪がアホみたいに好きやーの記事を書きましたです。

 こちらのタイトルは「家庭内フーリガン」w

 地方紙をおとりになっているかたはどうぞ読んでやってください。

 

いったん見始めたらなかなかやめられなくなる映画。先月から今月にかけて、試写会やら映画館やらに出かけたり、DVDを借りたりして10本ほど観たので、メモ代わりに印象に残った5本を残しておきます。

『人生、ここにあり!』イタリア映画

イタリアでは1983年に制定されたバザリア法により、精神病院が廃止されていきました。そんななかで「病んでいる」として家族、地域、社会から切り離されてしまった人たちが仕事や住む場所を確保し、自分たちで稼ぎ、生活し、恋をし......というちょっとおとぎ話のようなストーリーです。

政治、経済、社会の全般において、「病んでいる」と判を押されてしまうことで、どんどん疎外されていく人たちのために居場所をつくろう、と一人の熱血漢(→熱血ゆえに彼もまた疎外される)が奮闘します。そのうちに気がつくのです。彼こそ自分の居場所を見出すことにおいて、「病んでいる」人たちに救われていたことが。

おとぎ話のようだ、と書きましたが、実はハッピーエンドではない。いや、「エンド」がないストーリーです。東京では現在公開中。

『ボローニャの夕暮れ』イタリア映画

偶然ですが、こちらでもイタリアの精神病院が出てきました。それはひどい場所で、そこにいるだけで病んでしまいそう。これは廃止の法律ができるのも無理はない、とちょっと思ったり。それはまあ、部外者だから言えることですね。

第二次世界大戦下のイタリア・ボローニャが舞台。一人娘が同級生を殺してしまったことから物語がスタートします。父親が必死にかばおうとするが、母親は娘に対して嫌悪を示す。その理由が映画の最後まで明かされません。

ロベルト・ベニーニ監督の『ライフ・イズ・ビューティフル』に通じるのだけれど、イタリアにおける父性と母性、もしくはジェンダーの問題がこの映画の根底にある、と思いました。エゴを捨てられず、父性/母性をどうしても持てない親。そこで育つ子どもとの葛藤。この映画では(も)国家と国民との関係が、親と子の関係に投影されています。

『蜂蜜』トルコ映画

もうこれは最高! 今年NO1にすでに決定。

トルコ東部の奥深い山のなかに養蜂家の父、母と3人で暮らしている8歳のユスフ。あるとき蜜蜂が急に死ぬようになったことから、ユスフは言葉を失います。父親にだけはなんとか話せるのだけれど、学校でも母にも、何か言おうとするとひどい吃音になってしまう。なんとか蜂蜜をとろうと、父親は遠方の山に巣箱をかけにでかけ、事故にあってしまいます。そんな話。

バックミュージックも効果音も何もなし。カメラは定点に据え置かれ、セリフのある登場人物はごくわずか。ところが、動物、木々、草花、空、雲、風、そしてミツバチ......自然の一つ一つが饒舌に語るのです。神のいる世界と人間の世界の境界域にユスフはいる。そこは神話的表象にあふれたところで、空間も時間も私たちの生きている世界とはちがったあり方です。

ユスフが成長したあとを描く、『卵』と『ミルク』の三部作になっているそうで、あとの2本もぜひ観てみたいと思いました。

『100、000年後の安全』

人類誕生から10000年とされています。原発が生みだす放射性廃棄物をその10倍の時間、10万年後まで安全な場所に置いておこう、とフィンランドでは地下の奥深くに穴を掘って埋める計画が進んでいます。その模様を追いかけたドキュメンタリーです。フィンランドってことで、フィンランド留学経験ありの次女がNHKで放映されているドキュメンタリーを見て興奮して教えてくれました。

これはもう今日本人がぜひぜひ観るべき映画だと思います。私は下高井戸シネマで見たのですが、夜の回にもかかわらず年齢性別関係なく満席に近い人で埋まっていて、終わったあとみんな大きなため息をついていました。

私が印象に残ったのは、フィンランドの原子力安全委員会に宗教家がいる、ということ(10万年後という気が遠くなる時間について考えられるのは、やはり宗教家なのでしょうか)、そして委員の一人(科学者らしい)が言った一言です。

「原発に賛成か反対か、好きか嫌いかに関係なく、放射性廃棄物をどう処理するかはわれわれ人類が緊急に考えねばならない問題だ」

反原発、脱原発、そういう論議をする前に、まず日々生みだされる放射性廃棄物をどこにどう安全に保管するのか。それは緊急課題なのだと突き付けられました。

『イヴ・サンローラン』

世界的デザイナー、そして60年代から長くモード界をけん引してきたイヴ・サンローランを支え続けたピエール・ベルジェが語り部となるドキュメンタリーです。

一人のデザイナーの軌跡を追っているのですが、そこから浮かび上がってくるのは20世紀後半から今までのファッション史です。特権階級のためのオートクチュールから幅広い層へのプレタポルテ(高級既製服)、若者の台頭、コマーシャリズム、ファッションとアートの綱引き、そしてブランド化とグローバリズム......イヴとピエール・ベルジェが集めてきたアートの数々が、サザビーズで競り落とされていくシーンで終わります。「ファッション」という言葉の意味が、一つ消えたことを伝えているのか。

 

今日は涼しかった。っていうか肌寒かった。

ジムをやめてしまったので、6月からまたプール通いを始めています。もちろん近所の区民プール。2時間400円。25分で1000メートル泳いで(かなーりスローペース)、あとはだらだらと流したりウォーキングして55分で終了。シャワー浴びて、髪を乾かして、ちょうど1.5時間。最近は外に出るとまた汗が噴き出ていましたが、今日は6月並みに肌寒かった。でもね、いくらなんでも厚手の長袖トレーナーはないと思ったよ>プールから外に出たときに出くわした兄ちゃん(もちろん知らない人)

そんなことはどうでもよくて、自分のメモ代わりに最近読んだ本のメモを残しておきます。この1ヵ月は「いい本、アタリ月」だったからね。

『豆腐屋の四季』(講談社文芸文庫) 『風成の女たち』(社会思想社 絶版) 『平和・反原発の方向』(海竜社) 

3冊とも松下竜一著

勧められて『豆腐屋の四季』と『風成の女たち』を読み、この2冊にかなーり感動したので海竜社より刊行されている松下竜一全集のなかから選んで3冊目を読みました。そしたらそれに一番ぐっときた。

松下竜一さんは大分の中津に生れ、生涯そこで暮らしました。豆腐屋を営み、歌を詠み、その後ルポルタージュを書くようになり、市民運動家としても亡くなられるまで活動をやめませんでした。生まれた直後に大きな病気を患ったせいで身体に障害を負われたのですが、最後の最後まで闘うことをあきらめなかった。6人兄弟の長男で、実家がかなり困窮されており、生活は苦しかったようです。豆腐をつくって売りながら歌を詠んで投稿する青春の日々。それをつづったのが『豆腐屋の四季』です。あまりの貧しさに死ぬことまで考えてしまった20代のはじめのころの話に胸が痛み、その後の奥さんとの出会いでほんわかし、なんてたって松下さんを支えた奥さんがすごすぎる、と感嘆し、やはり生活者の視点がないとモノは書けないよな、と自分を省みて恥ずかしくなる......。青春記っていったって、えらく重い。

その後、地元でセメント工場が建設されることに反対した漁村の女性たちの運動を描いたのがルポルタージュ『風成の女たち』。企業の経済論理、零細な漁村の破壊されていく生活、子どもたちを守るために立ち上がる女性たち、それを抑えつけようとする男たち、そんな闘いが淡々とつづられていきます。松下さんって、ちょっと......マザコン? おっかさんたちに対する愛情が深い深い。

市民運動家となった松下さんが玄海原発反対で九州電力と真向から立ち向かった記録が、3冊目におさめられています。これを読んだあとで、今回の九電のメール操作事件が起こり、九電の体質(っていうかやり方)が30年以上前からまーったく変わっていないことに唖然。笑っちゃいましたよ。言い方は下品だけれど、電力会社が札束でほっぺたをひっぱたたくようにして地域共同体を分裂させ、地元の自然も産業も崩壊させ、そのために働き手はいなくなり、最後に地域に残ったのは危険な原発と、何か起こっても逃げるすべもない年寄りと子供だけ、という現実。福島の現状を見通していたかのようなルポでした。80年代に書かれているのですが、あまりにも今起こっていることとシンクロしているので、何回も日付を確かめながら読みました。ずしんと重いルポ。でも、今の原発の問題について語られたものとして、一番、胸に落ちたかな。たぶん、それは松下さんがあくまでも「そこで生きる人の視点」で原発を見ていたからだと思います。

『実りの庭』

光野 桃著 文藝春秋

実は光野さんと以前にお会いしたことがあるのも手伝って著作はかなり読んでいます。好きな作家さんですが、この本はこれまでの本以上に胸に迫るものがあった。とくにお父様のことを書かれた章がよかった。読みながら少し涙ぐみました。父親と娘の関係ってむずかしいですよね。私は父親とほとんど接触なく育ってしまったので、光野さんが感じられたような感情は抱いていないのですが、父娘の葛藤は想像がつく。

『聖書を語る』

佐藤優×中村うさぎ 文藝春秋

中村うさぎさん、すごい! いやもう、佐藤さんを食ってます。中村さんってこんなに博識で頭がいい人だったんだ。エッセイは大好きでたぶん9割は読破していて「腹抱えて笑う」「のけぞる」っていうのが読んでいるときの私の姿勢に一番あてはまる表現です。つまり、大好き。

だけど、この対談を読んで、好きなんていうのは恐れ多いと反省。尊敬の念がふつふつ。佐藤優氏が博学の知識人だってことはわかっている。中村うさぎさんはその佐藤氏に学んでいろいろ教えてもらっている、ということになっている(ご本人もそう言っている)が、佐藤氏の知識を消化して「生きる知恵」というか人生の栄養に変えているのが中村さんなのだ。

対談はキリスト教信者である2人が、聖書の思想から「村上春樹とサリンジャー」を、そして「地震と原発」を読む。村上春樹の解釈以上に、私は中村うさぎさんが読み解くエヴァンゲリオンが非常におもしろかった。何がおもしろいって、エヴァンゲリオンに流れる思想が、「現代」をとらえることに一つの手掛かりを与えてくれる、という点だ。

中村さんが書くあとがきの一節を引用しておきたい。

「人間は『個』であると同時に『全体』である。『個』を失っては生きていけないし、『個』であり続けるだけでも生きてはいけない。

だが、他者と繋がって集合体になろうとすると、必ず『個』と『個』のぶつかり合いが生じて、そこに苦しみや絶望が生まれるしくみになっている。それでもやはり、心のどこかで『繋がり』を希求する想いは断ち難く、傷だらけになりながらも他者を求め、拒絶されては煩悶する。

 この『他者と繋がりたいと願いながらも、互いの拒絶してしまうパラドックス』こそが人間の根源的な苦しみではないかと私は考え、旧約聖書にしるされた『原罪』、すなわちアダムとイヴが食べた『知恵の木の実』とは『他者の発見=自意識の獲得』ではないか、という仮説に到るのである」

 自意識! そうか、自意識だったのだ、と思い当ることしばし。

『夕暮の緑の光』野呂邦暢随筆選 岡崎武志編

みすず書房

諫早に暮らし、42歳で急逝した作家の没後30年を経て出版された随筆選集。一度に読むのがもったいなくて、少しずつ少しずつ味わって、一篇を二回も三回も繰り返しながら味わいました。

文章がすばらしい。透き通っている文章っていうのに久しぶりに出会った気がします。言葉が紙面からきらきらと輝いて立ち上ってくる。そんな感じ。

でも、書かれている内容はやさしく甘いことではありません。長崎に育った作家は、諫早に疎開していたときに原爆の投下を目撃します。親しい人をなくし、実家は事業に失敗し、自衛隊に入隊し、職業を転々として、やがて諫早に家を借りてそのまま生涯そこで暮らします。そんななかでもずっと本を愛し続け、書くことに喜びを見出していた人でした。書かずにはいられない人だった。作家になるべくしてなった人なんだなあ、とここでまた自分を省みてちくりと胸が痛んだけれど、それはさておき。

いい本でした。野呂さんの小説も読んでみよう。

疲れてきたので、あとはメモ。

『女子の古本屋』岡崎武志著(ちくま文庫)、『犯罪』フェルディナント・フォン・シーラッハ著/酒寄進一訳(東京創元社)はすごーくおもしろかったけれど、書評で取り上げたのでここでは書名の紹介のみ。

『ローマの歴史』Iモンタネッリは再読。再読してもまた新しい発見がある。ほんとにおもしろい本。

『困っているひと』大野更紗著(ポプラ社)これはすごい本! 難病にかかった大学院生が病気になってからのことをつづっているのだけれど、まったく闘病記じゃないのだ。文章力もすごいが、自分を客観視し、他者を冷静に見つけるその目がすごい。社会から疎外されていく様子が恐ろしい。この本についてはあらためて書いてみたいです。

『イスラム飲酒紀行』高野秀行著(扶桑社)もう、高野さん、大好き! 次女が熱烈なファンなので早く貸してくれってうるさい。でも、まだ貸せない。だって酒飲みで旅好きの次女が読んだら、イスラム国家でまねしかねないからね。

『古書の来歴』ジェラルディン・ブルックス著 森嶋マリ訳 ランダムハウスジャパン。たぶん、今年読んだミステリーNO1にあげそうなよかーん。

なんかまだ読んだ本があったような気がするけれど、さすがに疲れたのでこのへんにしておきます。

日本女子代表、ワールドカップ優勝

ほんとにほんとにおめでとう!

 

正直、前半はひー、ふー、ほっの連続で、同志にメールを打つヒマなし。自分のMMSの画面を見たら、「あああああああああ」とか打っている。なんて打ちたかったのだろう、私は。たぶん「あぶない」とか打とうとしていたのだろうな。

前半の終盤にどうにかボールをつないで相手ゴール前まで持ってこられましたって感じで、ハーフタイム中に暗い気持ちになるのを抑えるのが精いっぱいでした。

と思ったら、失点(凹)。ところがですね、ここで落ち込むはずなのですが、かえって日本女子の動きがよくなったような。

私は同志にメールしましたね。

「ここから、これから」

そして宮間選手のゴール! あれはあきらめずにボールを追った永里選手、そのクロスに身体を張った丸山選手もすばらしい。

延長。

前半の早い時間に失点。一番気をつけていたワンバック選手のヘディングでした。ビューティフル......って言ってる場合じゃないよ。たぶん、日本の誰もが「ああ、残念。アメリカ強いなあ」とか思ったことでしょう。

でも、勝利の女神は最後まであきらめない人たちの上に微笑んでくれるのです。

後半終了間際。CKから澤選手のGOAL!

これ、何回見てもどこでどうやって入れたのかわからない。ヒールなんですか?

あきらかにゴールのほうに向いていなくて、相手がびったり背中についているのに、どうやっていれたの?

同志から「泣いてる?」とメール。「まだまだ」とお返事。

 

そしてPK戦へ。日本のGK、海掘選手がすばらしい!!!! もちろんほかの選手たちもすばらしかった。

 

最後に熊谷選手が蹴ったボールが左隅に吸い込まれた瞬間、涙線決壊。私もテレビに駆け寄りましたよ(三歩だけれどね)

優勝トロフィーを掲げる澤穂希選手を見ながらしみじみ喜びをかみしめました。

まさか自分が生きているうちに、ワールドカップで日本代表が優勝トロフィーを掲げる瞬間を見ることができるとは夢にも思いませんでした。

幸せです。

彼女たちにはいろいろなことを教えられました。

第一に、「現実的に考えてそんなの無理」という「(世間の)常識」やら「(大人の)先入観」をきれいさっぱり捨てて、本当に自分が望んでいること、こうなりたいと思っていることを口に出すところからすべては始まる、ということ。そんな「無理」な目標をどうしたら達成できるかを考えるときに、初めて「現実的」になればいいのだと教えられました。

第二に、あきらめないで動くこと。あきらめたら足がとまってしまう。気持ちが途切れたらそこでもっと大きなミスをしてしまう。最後まであきらめない、最後まで動く、それが大事。自分のことにも重ね合わせました。「もうこのトシなんだから」とあきらめていることがいっぱいあったけれど、あきらめずに行動を起こすことが大事なんだな、と勇気づけられましたよ。

第三に、女子力ってすごいってこと。何がすごいって「失うものがない」と開き直れる勇気が持てるところ。(男子のプロサッカー選手のように)失敗したらどうしよう、今後のキャリアに響く、負けたらもう終わりじゃないか、ちゃんとやらないと恥ずかしい、とかそんな「雑念」がない。だから今日、今のことだけを考えて、自分ができることを120%やろうとする。そこが女子力のなせるところ。(期待されていないからね、もともと。大きなお金もついていないし)

日本女子代表の面々の試合を見ていて、何に感動したかっていうと「なんて楽しそうにプレイしているんだろう!」ってこと。今、この場に立てる幸せをかみしめている、ってたしか安藤選手だか鮫島選手だかがスウェーデン戦のあとに言っていたけれど、その気持ちは本当に大事だと思います。

大げさと思われるかもしれないけれど、今日はサッカー界だけでなく、一つの歴史が動いた日だと思います。圧倒的なフィジカルの差、競技人口の厚さ(アメリカでは女子サッカー人口が800万人とか)と経済力(日本女子サッカー選手たちの給料は本当にびっくりするほど低い)、メディアの注目度、そんなものをはねのけて日本代表チームが団体競技で世界の頂点に立ったのです。ここから教えられることは本当にたくさんある。そう思います。

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