Glamorous Life

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2011年09月

 今朝、6時ごろ目が覚めて「起きなくちゃー」と思いながら二度寝してしまいました。

 そしてトンでもない夢を見てしまい、今日は一日「あの夢の意味はいったい何なのか?」と考えています。フロイトさんには聞かせられない内容。目が覚めたときに、一部あまりにリアルに記憶されていて、一瞬、夢が本当ではなかったことを確かめてしまいましたよ。

 今、書こうとすると細部は覚えていないのですが、簡単に言っちゃうと......(あ、ちょっと恥ずかしいかも)......結婚式を挙げる夢なんです。誰がって、私が。そんでもって相手が......ムスリムの方で、どうも私は3人目の妻らしい。

 私はなぜか実家の物置(!)に母といて、母が「なんで異教徒と結婚するの? だいたい○○さん(→現夫。って、現実世界で夫は後にも先にも一人しかおらんが)はどうする気なの?」と私をなじるわけです。なじっているかと思ったら、いきなり「あんた、そのカッコで結婚式するの? 恥ずかしくないの? バカにされるわよ」と言う。私はなぜか割烹着みたいな服を着ていて、早く着替えなくちゃとあせっている。

 でも、着替えが見つからなくて、困ります、ちょっと待ってください、と言うのになぜか便所スリッパみたいなツッカケのままモスクに連れていかれてしまうのです。(ウチの近所にモスクがあるのです。一昨日前を通ったのが記憶に残っていたのか?)私のお相手はひげをはやしてターバンを巻いて(ムスリムなのに?)背広を着ているサダム・フセインみたいな容貌の人で、とってもにこやかでやさしいけれど、言葉がぜーんぜん通じない。私が「ちょっと待って」と言っているのに、どんどん巻き込まれて指輪まではめられて(ムスリムなのに?)披露宴が始まってしまう。第一夫人や第二夫人とかいろんな人を紹介されるのだけれど、みんなきれいなカッコをしているのに私は割烹着を着ていて、こんなカッコで恥ずかしい、きっと第三夫人の私を家政婦のようにこきつかう気だろうなあ、いやだなあ、と思っている。

 そこにピンクのエプロンをつけた女性(→知らない人)がやってきて、「ジツカワさん、たとえムスリムといえども2人と結婚するのは日本では重婚になるから、うちの会社は辞めてもらいます」と言う。私が「え! そんな困ります。私には孫が4人もいて、私が育てなくちゃいけないんです。夫は一人にしますから、どうか辞めさせないでください」と泣きながら懇願する......というところで目が覚めました。

 飛び起きてから、自分がモスクにいないことを確かめてしまいましたよ。

 サダム・フセイン(みたいな人)と結婚したいのか、私は?

 孫が4人ほしいのか?

 そして、夫は一人にするっていって、私は○○(現夫)とサダム・フセインとどちらを選ぶつもりだったのか?

 教えて、フロイトさん以外の人。

 

 今朝の朝日新聞朝刊に、作家の平野啓一郎氏が「ことばの力で伝えよう」という記事のなかで語っていることに、私が深く同意する一言があった。

「ことばなんて通じなくても酒を飲めばわかり合える、という話が嫌いなんです。そこでわかり合える内容は、楽しかった、ということぐらい。体験こそ大事だと話す人もいますが、体験を自分のものとして回収するには、言葉が必要です(以下略)」

 話が少しずれる。

 昨日、留学生派遣団体の会議に出席したのだが、そこでショックな話を聞かされた。

 留学を希望し(つまり意欲があり)、筆記試験と面接試験に合格しても(つまり適性もあるはずなのに)、アメリカ合衆国がビザ取得のために設けている語学テストで不合格になって留学できなくなる、という高校生が多いのだそうだ。学校で英語の成績が上位にあっても、テストに合格できない。これだけ英語の成績が悪いのは世界でも日本とタイだけだとか。

 日本の学校の英語教育はどうなってるんだ、と憤る前に、私は日本人(とひとくくりにすることには抵抗があるのだけれど、それはさておき)が他人に何かを伝えようとするとき、「ことばを軽視していること」が問題なのではないか、と思う。

「ことばに出しては言わないけれど、わかるだろ、な?」とか、「空気読めよ」とか、「ことばは通じなくても身振り手振りでコミュニケーションはとれる」とか、そういう言い方、考え方(私は単なる甘えだと思っとります)がこの国には蔓延している。平野氏が言うように「酒を飲んでわかり合う」ということが、ことばで伝えることよりも重視されているのではないか。「楽しかったね」「つまんなかったね」「たいへんだったね」というだけで、体験をインターネット上のつぶやきごときのもので終わらせてしまっている。陸山会についての報道を読んだときにも、企業の会議に部外者として参加したときにも、自分自身が家庭で家族に接しているときにも、海外旅行に行ったときにも、自戒をこめて痛感する。ことばの持つ力が侮られている。

 コミュニケーションはまずことばから始まる。ことばを軽視(無視)して、人に何かを伝えるのはもちろん、人に伝えたいことを自分の頭で考えることさえ無理だ。

「日本人なんだから日本語ができればいい。外国語なんてできなくても別にかまやしない」という人がいる。でも、そういう人にかぎって、日本語の使い方もうまくないし、自らの日本語語学力を磨くべく努力しているようには思えない。(まあ、多分に偏見が入っていますが)。それはさておき、望むと望まないとにかかわらず、異なる言語でコミュニケーションをとり、異なる文化・社会で生きている人たちと接しないでは生きていけなくなっているのがこの時代だ。「外国語なんてできなくてもいい」と本気で思っている人は、ごく少数ではないだろうか? 自分はともかく、我が子にはぜひ外国語を身につけさせたい、と願っている親がたぶん大半だろう、と推測する。

 ただ、外国語を習得する目的と、その目的に達するための道筋を明確に描けていないことが、日本人は外国語が使えないといまだに言われている原因なのではないだろうか。

 目的の第一はずばり「コミュニケーションをとるため」である。なーんだ、そんなことわかっているよ、と思われるだろう。だが先ほども言ったように、日本人が考えている「コミュニケーション」のなかには「言わなくてもわかってくれるよね」「身振り手振りでもコミュニケーションはとれる」「一緒に酒を飲めばわかり合える」という甘えが多分に入っている。それに加えて「学校のテストでいい成績をとるため」とか「会社に言われてTOEICの点数をあげるために」とか、そんな目的での外国語習得に終始するから、伝わらないことばが飛び交ってしまう。異言語異文化の人(必ずしも外国人とは限らない)に自分の意志を伝え、相手の意志を理解しようとするなら、身振り手振りやあうんの呼吸ではぜったいに不可能だ。ことばを習得すること。何よりも、伝わることばを身につけること、これが肝心。

(ちょっとここで具体的な話。これはあくまで私の体験からでしかないが、コミュニケーションのために語学力を身につけるには、身も蓋もないが、たくさん聴いて、たくさん読んで、たくさん話してみることしか道はない。語学に王道なし。語学的な才能がない、とか嘆く人がいるが、才能云々を言う前の段階で、「無理」とあきらめてしまっている人のほうが多いと思う。量は質(才能)を凌駕するのですよ、こと語学習得においては。

 世界各国で放映されているニュース番組と映画をできるだけ字幕なしで視聴して、「そうか、自爆テロが起こったときにはこういう言い回しで衝撃を伝えるのか!」とか、「体よく相手をふるときにはこの言い回しが使える」とか、実生活でも役立ちそうな単語や表現を覚えておく。私は以前、書きとめたメモを冷蔵庫の扉に張って、冷蔵庫を開けるたびに口に出して言ってみることをやっていた。そうやって覚えた単語や言い回しは、実際に会話するときに実に役立っている。

 読むのはさておき、話す、というのはついネイティブとお話ししなくちゃ、とか思われるだろうけれど、そう簡単にネイティブスピーカーが見つかるわけではないから、私は「音読」がいいと思っている。その昔、高校時代に私は試験前にひたすら英語の教科書を音読し、丸暗記して書いてみるのをやっていた。あのテスト勉強は非常に役立った。テストの成績がよかった、というだけでなく、語学の習得は「口に出して言ってみて、それを自分の耳で聴くことから始まる」ってことがわかった、という意味で役立った。)

 そして第二の目的。外国語を習得するのは、外国人とコミュニケーションをとるためだけではない、と私は思っている。異なる思考方法、異なる社会、異なる文化、異なる精神性を知ることは、まずことばを知ることから始まる。ことばを手がかりにして、自分とどこが異質であり、どこが共通しているかが初めてわかり、「異なる者」への理解が始まる。そしてことばを通じて「自分とは異なる考え方がある」ということを意識し、理解していく過程で出会うのは、異なる者たち以上に、「自分」ではないか。

 つまり、自分が母語としている以外の言語を学ぶことは、自分が何者であるかを知るための重要な手だてとなる。私はそう考えている。日本人である自分、高度成長期後に成長した自分、母親である自分、仕事をする自分、一応女性である自分、そういう自分をどう表現して伝えるか? 私の場合だけなのかもしれないが、外国語を学ぶことで、世界における自分の立ち位置とか、自分の在り様が実感を持ってつかめているような気がする。

「40歳をすぎてから新しい外国語を習得するのは、時間と労力がかかりすぎる(だからやらない)」と言ったことをたしか村上春樹氏が言っておられて、そうかーと思ったことがある。村上さんでもそう思われるのだから、私なんかやめといたほうがいいなとね。と言いつつも、40歳をはるかに過ぎてからイタリア語とスペイン語を学び、50歳をはるかに過ぎている今は中国語習得に自分でもちょっとおかしいんじゃないかというくらい時間と労力を注ぎ込んでいる私。先日イタリアを旅行して、10年前に2年ほど学んだイタリア語が、旅行で使う程度であればまだ十分役立つことを知って、異言語習得に遅すぎるということはないのだ、とあらためて思った。

 何歳からでも始められるし、一度獲得した語学力はほそぼそながらでもブラッシュアップを続けていけば、失われることはない。そして目的と手段をまちがわず、時間と労力をかけさえすれば、かならず進歩しつづけるのが語学力だ。

 日本語も含めて、ことばの持つ力をもう一度見直し、伝わることばを獲得するための手段と努力を始める時期に来ているのではないだろうか。

 

ガンバ大阪 0-2 ヴァンフォーレ甲府

得点者:パウリーニョ、ハーフナーマイク(甲府)

 

正直、ブログを書く気力がわかなかったです。書くのをやめよう、とさえ昨晩は思っていました。

きのうの酷い敗戦をなかったことにしよう、とかうじうじ寝床の中で考えました。

でも、朝目をぱっちり覚ましたときに、思いました。

それでもやっぱりゆ☆☆☆うするのはガンバだ!

私がそう願わないで、誰が後押しできるってんだ?!

今シーズン、「これはいける!」と思えるような補強のニュースに一度も踊れなかったばかりか、主力が立て続けにシーズン途中に抜けていき、ちょっとうまくいきかけるとつぎからつぎへと中心選手が怪我をし、チームが安定しないにもかかわらずかろうじて首位。

以前の鹿島や、昨年の名古屋のように、「決して崩れない土台」「絶対の強み」があるわけではない。それどころか総合力としてはかなり見劣りするチーム力だし、攻撃を看板にしているために、かなり脆いところがあるのがガンバです。そんなチームがここまで来れただけでもすごいことだ、と思い返しました。シーズン初めに「この選手層では、まあACL出場獲得圏内の3位に入ればめっけもの」と私は言っちゃってましたし。「シーズン途中にアドリアーノや宇佐美が移籍したら、どうなっちゃうんだろうね」とも言っていた。それがここまで善戦しているんです。そこは高く評価しなくっちゃ。

たしかに痛い痛い敗戦です。しかも、今季初の完封負け。自分たちの戦い方に疑問がわいてくるかもしれません。自信も失っているかもしれない。

でも、下を向くヒマも必要もありませんよ。

あと7戦。

大事な最後の目標に向かって、また来週からがんばりまっしょい!

(と言いながら、遠藤さんを休ませてあげたい、と心底思いましたよ。走れない、蹴れない、そもそも重心を保つことさえおぼつかない、そんな選手をピッチに立たすことの意味と意義を問いただしたいです)

 

マリノス 1-1 ガンバ

得点者:兵藤(マリノス)、ラフィーニャ(ガンバ)

 

最強の盾(マリノス)と最強の矛(ガンバ)の対決、とエルゴラに書かれたらしい一戦。リーグ最少失点を誇るマリノスと、最多得点を誇るガンバ。その評判通りの試合内容となりました。

待機列に並んだら熱中症でやばい、というほどの暑さだったので、早めに到着しながらも新横浜駅近くのスタバでしばし休憩。16時少し前に到着したら、まーこれが長蛇の列なんですわ。毎回思いますが、関東になんでこんなに大勢ガンバサポがいるのだろう? あ、私もその一人なんだけれどね。ゴール裏は試合開始2時間前に半分ほど埋まりました。

まったりとお昼ごはんなんか食べているところに、いつもの観戦仲間が集まってきます。すごく久しぶり。千葉、FC東京、湘南、と関東圏のチームがJ2に行ってしまったために、会える機会が少しずつ減っているような気がする。川崎までいなくなったらどうしてくれるんだ、と蒼くなったけれど、大丈夫そうですね。

試合開始直後こそマリノスが攻めてきましたが、そこをしのいだあとはラフィーニャとイグノを中心に攻める攻める攻める。でも、さすがのマリノス。中沢選手を中心にがっちり守って、ガンバ攻撃陣に思うように攻撃させません。それでも、前半20分過ぎかな? イグノ選手のヘディングが決まったと思ったらオフサイド(ハイタッチをしてしまったよ、ったく)。またもやイグノ選手のシュートが決まったと思ったら、左ポストくんという13番目の選手ががっちり防ぐ。(この左ポストくん、後半にもアフォンソ選手のシュートを防いで、ほんと大活躍でしたわ)

そこで2回ほど「たられば」。ああ、あのときのゴールが決まって先制していれば......試合はまったくちがう方向にいっただろうに......。

そうこうしているうちに、攻め入ってきたマリノスのキャプテン兵藤選手にペナルティエリア外側からシュートを撃たれて先制されてしまいます。この得点が決まったあと、ガンバはあきらかにペースダウンしてしまってなかなか前にボールが運べなくなる。

この試合の悪い意味でのキーマンは遠藤選手でした。年に何回かある「ヤット省エネ仕様デー」。ミスパスを繰り返し(しかもかなーりやばいミスパス。思えば失点も彼が武井選手に出そうとしたパスをカットされたところから始まっています)、パスが弱く、しかも走らない。あきらかに体調不良。ガンバの攻撃にリズムが出ません。武井選手がなかなか前線にからめないのは、遠藤選手からのパスが短く弱いからではないか、と思いました。

そして1点リードされたまま後半へ。ハーフタイムから戻ってきた西野監督が、アフォンソ選手をつかまえて3分間ほど指示を与えていました。(何語だろう? アフォンソははい、はい、と頷いていましたが)後半もぐでぐでした立ち上がりで、私は恒例の腕組みふんぞり返り上から目線(文字通りの意味で、単にピッチを見下ろす目線になることです)観戦になりかけます。すると、二川選手、武井選手という前目の両サイドをキム・スンヨン選手、アフォンソ選手と2枚変え。

さあ、そこからのガンバさんがすごかった。4分たたないうちに左サイドの明神選手の折り返しをもらった藤春選手が切りこんで絶妙クロス。なぜかドフリーだったラフィニャ選手が見事なヘディングでGOAL!

ガンバゴール裏大はしゃぎ。試合前にも立ち上がらなかった人たちまで、それから10分以上続いたガンバの猛攻の間、拍手しっぱなし。

ここでも2回ほどたられば。この時間帯に遠藤選手のあのシュートがGK正面でなければ、アフォンソ選手のシュートが入っていれば、ラフィーニャ選手が撃っていれば......勝てたのになあ。

マリノスもFW2枚をキム・クナン選手と大黒選手に交替してきましたが、実はこっそりつぶやきました。この交替、助かったー!

なぜなら、その後のマリノスは中盤をすべてすっ飛ばして、ボールを拾えたらすぐにロングボールをこの2人にあててカウンターをする以外、攻撃をしなくなるからです。それがはっきり読める交替だったな。

その後もガンバはセカンドボールを拾いまくり(私の計算では8割は拾っていた)、攻撃しまくり、マリノスはたまに拾えたセカンドを前に運ぶものの、何せ中盤の選手がいないので、見当外れのクロスをあげるか、FKを得るくらいしかチャンスはなし。よくわからないけれど、マリノスは後半たぶん3本くらいしかシュートを撃っていなかったと思います。そのうち2本はFKとCK。

試合終了のホイッスルが吹かれたとき、まさかもう90分が経過したとは思わなくて「え? 今の笛、何?」とか思っちゃいましたよ。それくらい時間が短く感じられた試合でした。

浦和サポの人が昨日日産スタジアムで観戦していたそうで、「ひさびさに歯ごたえのある試合を見たよ。首位決戦にふさわしい内容だったね」と言われました。うれしいような、でも、勝てなかったからくやしいような、複雑な心境。

まだまだガンバの試行錯誤は続きます。こういう試合できっちり勝ちをおさめられるようになるまで、強豪とは呼ばんといてほしいなあ。

昨日のMOMは文句なしに藤春選手。スタメン4試合目(福岡戦を含む)で、最初のころよりはるかに成長しました。やっぱりね、試合に出てナンボですね。ラフィーニャにあげたクロスもよかったけれど、私が気に入ったのは左サイドの13番(あとで調べたら小林選手でした)からのボールの奪い方がとてもよかったこと。彼にクロスをあげさせないように、あげさせてもシュートコースを消せるように、かなり考えてやっていました。あと、足が速い! 攻撃に前に出ていて、カウンターになったときにものすごい勢いで走ってきて渡辺千真選手のシュートをとめたのは、あれはすごかった!若い選手が成長して活躍するのはうれしいな。

ゆ☆☆☆うという言葉がつぶやけるようになるまで、また先は長い! 若手もベテランも、怪我明けの選手もキレキレの選手も、みんなで一戦一戦の大切に戦っていってほしいです。

早めに記録を残しておかないと、どこに行って何を見たのかをきれいさっぱり忘れてしまうので画像とともにアップしておきます。

ナポリに到着後、2日目にラヴェッロという街にレンタカーで出発。アマルフィ海岸地域一帯はイタリア屈指のリゾート地です。アマルフィ、ソレント、ポジターノ......と海岸沿いの街に滞在することも考えたのですが、海のそばだと湿気が多くて暑そう、という理由で標高350メートルのラヴェッロに決定。正解でした。

宿泊したのはヴィッラ・ルフォーロという、かつてのお金持ちの別荘のすぐ隣にあるホテル・ルフォーロ。気持ちのいいホテルで、何よりよかったのは日本人スタッフがいて、とても感じよくいろいろな情報をくださったことです。タケザワさん、ありがとうございました!

ラヴェッロ自体が全部歩いて回っても30分かからない小さな街(というか村?)で、ホテルから歩いて3分のところが中心地の広場があり、銀行、土産物屋、カフェなどすべてがそろっています。父が歩ける街であることが最重要だったので、事前チェックしておきました。

画像はホテルの部屋から見た虹。

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歩いて3分のところにある街の中心となるドゥオモと広場。夜の8時ようやく日が落ち、長い夜が始まります。深夜に通りかかったら、まだ少年たちが元気に遊んでいました。

ラヴェッロ広場.jpg

アマルフィ周辺はレモン畑がいっぱい。レモンにも大小、形状、味さまざまな種類があることを知りました。レモンを使ったお酒レモンチェッロや、レモンのソースがいたるところで出てきます。タラを蒸して、レモンソースをかけた料理はシンプルながら日本人の口にあいました。

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アマルフィとポジターノに車で行ったのですが、道がうねうねと蛇行し、しかも狭く、崖っぷちを走るのでひやひやしました。結論:もうレンタカーはやめよう。崖っぷちに咲く八重のハイビスカスの背後に見えるのが崖にへばりつくようにあるポジターノの街。ハイビスカスに蜜蜂がとまっているところを撮ってみました。

八重蜂.jpg

ナポリに帰る途中にポンペイ遺跡を見学しました。これは必見! ガイドさんの説明つきで見るとおもしろさ倍増でした。なんてったって娼館の壁画が......w15歳以下禁止の画像なのでこれは割愛。

ラヴェッロに4日滞在。ナポリに帰ってきてレンタカーを返却。だってナポリっておそろしく道が狭くて複雑で、駐車はまずできない。タクシーを1日借り切って回ったのですが、正解でした。ただ問題はタクシーの運転手がYes,OKしか英語がしゃべれないこと。まるでイタリア語特訓講座を受けているようでしたが、なかなかいい運転手さんではありました。

そこで彼が切り返しなしで通った路地をご紹介。まわったところで全員で拍手しましたよ。

ナポリの路地1.jpg

ナポリの旧市街と新市街を真っ二つに分けるスパッカナポリ。その中心にあるのがジェズ教会とサンタキアラ修道院があるジェズ広場です。土曜日に通りかかったら、結婚式が行われていました。参列者らしいご婦人と並んでパチリ。ナポリの女性たちは10代はすごくスリムでかわいいのに、なぜか30近くなるとふくよかになってしまう見たい。股下がすごく浅いジーンズをはいて、ぴちぴちのTシャツを着て、5段腹を見せつけるっていうのがナポリ風ファッションらしいです。

Gesu教会.jpg

ナポリの街を一望できるヴォメロの丘に登って、サン・マルティーノのカルトジオ会修道院に行ってみました。中庭には「メメント・モリ」(死を忘れるなかれ)を象徴するガイコツの彫刻が飾られています。

マリーナ修道院.jpg

ナポリの眺望はすばらしい! 汚いとかうるさいとかいろいろ言われていますが、そんなことはまったく感じられませんでした。

ナポリ遠景(マリーナ修道院から).jpg

最後にキアイアというおしゃれショッピング街で見かけた花屋さん。花束の中心がトウガラシってところがナポリらしい? おしゃれと言うものの、実はあんまりおしゃれなファッションは見かけませんでした。探せばあるのかもしれないけれど、ミラノやローマとは段違いです。でも、だからこそ味があっていいのかも。観光客もあまりいなかったし、ついに最後まで日本人は見かけませんでした。

キアイアの花屋.jpg

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