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2011年11月

ガンバ大阪 1-0 ベガルタ仙台

得点者:イ・グノ(ガンバ)

 

 ホーム最終戦だけは必ず観戦する、と決めて通いだして12年目になります。長いね、12年。西野監督が就任する前から、いや、万博スタジアムのゴール裏がまだ芝だったころの寒々としたスタジアムでも観戦しましたよ。最終戦だというのに(それとも優勝も降格もないというあいまいな順位で迎えることが多かった最終戦だったためか?)観客がまばらで、日が傾きつつあるスタジアムでは最後の挨拶を前に席を立つ人続出で、今のようにカメラを抱えて前列で黄色い歓声を上げる人など皆無。あー、今年もシーズンが終わっちゃったよ、という思いもあって、寂しさをひしひしと感じる光景を見てきました。

 そんなことを思い出しながら、試合後に西野監督のあいさつを聞きました。しみじみ、10年間は本当に楽しかったな、監督ありがとうございます、と感謝の言葉しか見当たりません。あのうらさびしかったスタンドが、いまや選手の場内一周が終わっても満員で、最後の最後までチャントが続くなんて、これは監督のおかげです。

 でも、正直言ってホーム最終戦ではここ数年、しらけた思いでスタジアムを後にすることが続いていました。ホーム最終戦でもっとも興奮したのは2006年、VS京都戦。マグノ・アウベスがロスタイムにゴールして勝利したおかげで、最終戦となったVS浦和戦に「奇跡の逆転」を信じて乗り込むことができた試合でした。あの試合、雨が土砂降りでものすごく寒く、勝利を信じてはめていたガンバカラーの手袋が色落ちして色落ちして服がブルーに染まり、帰りに手袋を捨てた記憶があります。寒さと興奮でふるえながら手袋を外し、真っ青に染まった手と服を見て泣き笑いしながら「浦和で会いましょう!」とみなさんとハイタッチしました。あのときの最終戦が一番楽しかったな......(遠い目)

 それに比較すると今回のホーム最終戦は、相変わらずの弱体守備にはらはらすることはあっても、攻めて攻めてというガンバらしいサッカーから湧き出るわくわく感はとぼしかったです。試合の内容も、勝ったからいいとはいうものの、ほめられたものではなかった。2006年に比較すると、ミラクルの2乗を信じなくてはならない状況ではありますが、それを起こすためにはこの1週間で(もう5日間か)相当な何かが起きなくてはならないでしょう。

 とは言いつつ、サポの性(さが)で、私は信じていますけれどね。

 西野監督の10年に感謝をこめて、最後に大きな美しい花を開かせてください。もちろん私は静岡に行きます。

新潟戦で負けて引き分けて(→失礼しました。すっかり負けた気分でおりましたw)、優勝の可能性がほぼなくなったところで、西野監督の去就問題が一気に浮上して報道大騒ぎです。

シーズンが終わっていないのに、次期監督の名前まであがってほんとにいやだ。こういう話は「雑音」として耳をふさいでいたいところだけれど、やはり心が乱されます。

去年、ずっと負けが続いたときにもメディアでは「なぜ西野監督交代の話が出ないのか?」とうるさかったのですが、そのとき「外野、うるさいっ! サポの私は西野監督を支持するからねっ!」とか書いた記憶があります。あのときはクラブ側(社長)が「全面的に西野監督を信頼している」と言って嵐はおさまりました。

でも、今回はどうもクラブ側から嵐をおこしているらしい。これだけお世話になり、ガンバが今もJ1にいられて、しかも優勝争いをしているチームにした一番の功労者は西野監督だということを忘れたら、孔子様もお怒りですぞ。くれぐれも失礼なことをしないでほしいと祈らんばかりです。ガンバで最高の監督であるだけでなく、日本一の日本人監督であることはまちがいないのですから、尊敬の気持ちははっきり出してほしい。ガンバはそんな失礼なクラブではないと信じていたのに、メディアから聞こえてくる話は残念でなりません。

ただ、今、ガンバ(だけでなくJリーグそのもの)が大きな曲がり角に来ているのはまちがいがありません。時代の変化に対応できなければ、取り残されるばかり。今大きく変化への舵を切らないといけない、という危機感は絶対に必要なんだと思います。その対応策が監督交代なのかどうかはさておき。

今年だけでなく、ここ数年のJリーグを見ていて強く感じることが二つ。

一つは、ACLの位置づけです。欧州チャンピオンズリーグのように、賞金額が大きく、クラブとしての位置づけもはっきりしているならばCLは出場するだけでも大きな意味があるでしょう。でも、ACLはクラブもチームも疲弊させて、負担の大きさの割に得るものが少なすぎる。アジアは広いから移動もたいへんだし、しかもJリーグと並行できるだけの選手層があるチームは今のJにはない。2007年にACL優勝をはたした浦和くらい選手層が厚かったチームでさえも、最後の最後でリーグ優勝をACLに出ていなかった鹿島にさらわれました。2008年ACL優勝のガンバはリーグは8位と低迷し、天皇杯でようやく次年度のACL出場権を獲得し、2009年もリーグ戦前半はぼろぼろでした。また2010年に出場した広島(昇格後のシーズンで大活躍)も、今年2011年に出場したセレッソ(同じく昇格後で大活躍。今年もレイソルもですが、昇格チームは対応策をとられないことと勢いがあるから善戦しますね)も、リーグは低迷しています。浦和の方にはよけいなお世話なことを言ってしまうと、今年浦和が降格争いをするまでになった遠因(というかむしろ直接的原因?)の一つは、ACLでチームとして疲弊しきってしまったことがあると思います。今年も昇格したばかりの柏レイソルがリーグ首位に立っているのは、もちろんレイソルの実力と勢いを疑うものでないにせよ、名古屋やガンバをはじめ、ACL常連組が疲弊しちゃっているせいもあると思います。

私はACL後遺症と呼んでいるのですが、後遺症がJリーグ全体に与える影響は見逃せないくらい大きくなっています。選手が「ACL出場が目標です」とか言うのを聞くたびに「いやいや、そんな甘いもんやおまへんで」と言いたくなる、という私もたぶんACL後遺症なんでしょう。

JリーグはこのあたりでぜひACLの位置づけを見直し、スケジュールやレギュレーションを考え直してほしい。このままでいけば、Jリーグはどんどんレベルが低下しかねない。有望な若手がどんどん海外に移籍して、そうでなくても見ごたえのある試合が減ってきているというのに、Jリーグでへろへろの試合をしているようではその魅力がますます失われてしまうのではないかと本当に心配です。

二つ目はスタイルを強く意識するあまりの戦術のマンネリ化です。成功体験があると「これが我がチームのスタイル」となります。ガンバでいえば、2005年にリーグ優勝したときの「攻撃サッカー」をスタイルとして標榜し、いまだに貫こうとしています。ポゼッションを高めて、パスを回し、失点しも相手よりも多くの得点を奪って勝つ、それがガンバスタイル......らしい。でも、スタイルを貫いてそれでもっと成功したいっていうのだったら、戦術はどんどん変化させていかなくてはならないのだと思います。チームは生き物です。選手も取り巻く状況も対戦相手もどんどん変わる。それなのに、2005年と同じことをやっていたのでは、そりゃ勝ちきれませんって。

でも、これはガンバだけではありません。Jリーグができて20年もたとうというのですから、どうしてもチームのスタイルというのはできてしまいます。当然、他チームは対応策をとって、スタイルのよさをつぶし、弱点をついてこようとします。それでもなおかつ勝つためには、戦術によって打開するしかない。いかにスタイルを貫いて、戦術を変化させて戦うか。そこは監督や選手だけでなく、クラブの運営姿勢っていうのもかかわってくるのでしょうね。で、言いたいことを言っちゃうと、それができているクラブは今のJには見当たらない。かろうじて鹿島(とガンバ)がそうかな、と思っていたのですが、去年あたりから戦術がマンネリ化してしまって悪循環しているみたいに思えます。

Jリーグの魅力を高めるには、スタイルを理解しながら柔軟な戦術マインドを持った監督とスタッフが必要なんじゃないでしょうか。はい、ど素人のサポの意見ですけれどね。

でもって、ひいき目たっぷりではありますが、それができる監督として一番近いところにいるのは西野さんだと思うんですよね。クラブ側もよく考えてほしいです。角を曲がったところにあるのが栄光へと続く道か、それとも一歩踏み出せば奈落の底っていう崖っぷちなのか、それを決めるのは監督選びにかかっていますよ。

 

アルビレックス新潟 2-2 ガンバ大阪

得点者:三門、(外国人なんだけれど、あとで確認します。ブルーノロペスかミシェウ)

     川西(ガンバ)

 

 いろいろな意味で一つの区切り、というか、「ああ、ガンバはつぎの時代に行くんだな」と思わせた試合でした。

 一つは、メンバーを新陳代謝させていかねば、もうACLを含めてあまりにも多い試合数をこなしていくのはむずかしくなった、ということをあらためて認識させたことです。きのうのガンバは優勝争いをしている真っ只中なのに、厳しい試合を戦うには、あまりにもコンディションが悪い何人かの選手を先発せざるを得なかったこと、そしてそういった選手が結局はミスの連続でチームの足を引っ張ってしまったのを見ていて、チームの新陳代謝がないかぎり、かなり厳しいことになるな、と思いました。ベテランの経験値やうまさだけでは勝ちきれない。かといって若手選手の勢いだけでもどうしようもない。技術的、能力的にどれだけすばらしい選手がいても、メンタルもふくめてコンディションが悪ければ、チームは機能しないんです。甲府戦、名古屋戦、ナビスコ準決勝、天皇杯3回戦、そしてきのうの新潟戦も含めて、大事なところでミスだらけの試合をしてしまうことを、単に「メンタルが弱い」とか抽象的なことを言ってうやむやにしたり、「監督(選手)が悪い」と個人に責任を負わしてそれを切ってしまうことにするのではいけない。いかにチームを新陳代謝させていくか。ACLに出場し、中心に日本代表選手がいるチームはそれを真剣に考えなくてはいけない時期にきています。世代交代すればいいってもんじゃない。チーム全体として、いかに新陳代謝させながらシーズンを乗り切っていくか。そのかじ取りができるのは、監督だけでなくクラブ全体で考えることじゃないでしょうか。

 その新陳代謝のいい例が、きのうの川西選手(そしてここ数試合の藤春選手)でした。たぶんベンチから見ていて、自分に何ができるか、どうすればこの重苦しさを打ち破れるかを彼は考えていたんじゃないかと思います。1点目も2点目も、それまでのガンバにはまったく見られなかった思い切りの良さが際立つシュートでした。しかもあせらずに落ち着いていた。すばらしい。今季、というのではなく、ガンバのこれから進む道を示したような得点でした。つまり誰か一人か二人に頼るのではなく、みんなでつないで、みんなでゴール。アドリアーノ選手と宇佐美選手が抜けたあとに、個人に頼らずそれができていたはずなのに、いつのまにかラフィーニャ選手とイグノ選手の個人能力だけに頼って、中盤での早いパス回しなんてまったくなくなってしまったガンバ。本来のスタイルができなくなった理由は、遠藤選手のコンディション不良も大きいのだけれど、それ以上に一本のパスでなんとかしようとする怠慢サッカーに全員が固執しちゃったためだと思います。川西選手(それと前半の藤春選手も)は豊富な運動量で押し込んで押し込んでシュートを放つ、という「新しい得点スタイル」という血液を注入した。それが新陳代謝じゃないでしょうか。

 二つ目に、守備力があるチームを目指さなければタイトルはとれない、ということです。得点力と守備力はバランスがとれていなくてはならないのに、今のガンバはあまりにもいびつです。安定した守備力が維持できるチームにするには何をすればいいのか。前からのプレッシングだけでは限界があるどころか、得点力にも影響を及ぼします。攻撃に転じるスピードが速くなる守備、というのをたぶん西野監督は重視しているのでしょうが、それだけでは限界があることがここ数シーズンではっきりしてきたのではないでしょうか。今の選手を替えろ、とかいうことではなく、守備とはこうやってやるものだ、ということを一からたたきこんでくれるようなコーチが必要なんじゃないかとここ数試合でつくづく思いました。おもしろいサッカーをするのは大賛成。でも、守備力があがらないかぎり、タイトルは無理だし、守備力をあげてもきっとおもしろいサッカーはできるはずです。たぶん、ガンバは守備をあらためて見直す段階に入っている、と信じたいです。(せめてCKやFKのときに「あー失点するー」という予感を抱かせ、しかもそれが50%の割合であたってしまう、という守備力はどうにかしてください。これはもう3年書き続けているけれど)

 新潟の2点目が入ったとき、ああ、これで今年も無冠に終わったか、と正直思ったのですが、川西選手の2ゴールで少し救われました。だから、もう終わったなんて言わせませんし、言いませんよ。最後の最後まで応援するからね。

(追加:一緒に観戦した同志が「こういうときこそヤットがなんとかしてくれる」といっていたのですが、その願望はKO後5分で打ち砕かれてしまいました。しかもヤットがボールを持つと奪われて大ピンチの連続。きのうはセットプレイのキッカーをつとめていましたが、たぶん調子が悪いせいかミスキックばかり。パスも強いボールが蹴れないためにカットされてまたまた大ピンチ。これはもう横浜戦の時から言い続けているのだけれど、優勝争いをしているときでもヤットをはずす英断ができるくらいのチームになってほしいです。それはきっと来季にはできる、と私は信じています)

水曜日に行われた天皇杯3回戦VS水戸戦については、見ていないので軽くスルーの方向で。でも......本当のところ、あまりの負け方にショックが大きく、昨晩も夜中に目が覚めたほどです。新潟戦が怖い。今晩眠れるだろうか。

さて、昨年あたりから同年代の友人(女性)と話をしていると、決まって出てくるのが「今、やりたいことをやっておかなくちゃ、もうたぶんこれ以上年齢が上がると体力や経済力や家庭の事情も含めてやれないし、やらないであろうこと」についての話題です。そろそろ還暦(もしくは還暦過ぎましたってあたり)の女性たちが思うのは、同じようなことなんだな、きっと。そこで私が「今、やっておきたいこと」をいくつかあげてみます。

1)旅行――まさか自分が旅行に行く体力に不安を感じる日が来るとは思ってもみなかったのですが、たとえば衛生状態が悪くて、飲料水や食料やトイレに不安を感じそうな地域に旅をしようという気になかなかならなくなっています。一人旅となると、なおのことためらってしまう。今はまだ、自分を励ましさえすればなんとかアフリカも中近東も行けるだろうと思われるので、早めに行っておかなくては。いや、別にhave to ではないんですけれどね。

2)読書――昨年、やむなく資本論を読まなくてはならないハメになり、悪戦苦闘しました。まあね、読了って言えるのは1巻だけだよ、自慢じゃないが。今年はレヴィ=ストロースを読まなくてはならず、若いころに一度読んでいた(はずの)『悲しき熱帯』に挑戦したものの......同じ段落を3回くらい読んでも理解できないことがしばしば。『野生の思考』にいたっては、解説を読んでようやくちょっとだけわかるって程度。っていうか、そもそも読んでいるうちに眠気が襲ってくる(午前中なのに)っていうのはどういうことなんでしょ。3年くらい前から日本の古典を読み返しているのですが(万葉集、古事記に始まり、枕草子、更級日記、とりかへばや物語、そして源氏物語はぼつぼつ)これは少しペースをあげないと江戸に行きつく前に止まってしまいそうです。体力がまだあるうちに、古典は読んでおきたいなあ。

3)趣味――いったんやると決めたら、趣味でもある程度のレベルにまでは到達することを目標にしています。その「ある程度」っていうのの線を引くのがむずかしいのだけれど、たとえば語学であれば旅行に行って困らない程度、もしくはヨソモノとして日常生活が送れる程度、新聞の一面の見出しが理解できる程度にはなりたい。昨年から始めた中国語ですが、この年齢で新しい外国語を学習することのたいへんさを感じています。「ある程度」をクリアするために、若いころの2倍のエネルギーがいる。でもまだ今なら2倍ですむので、引き続きがんばりたいです。書道に関しては、その目標とする「程度」が具体的に浮かばないくらい先は長そう。とりあえず「わ、ヘタ!」と自分でもあきれるような字は書かないことを来年の目標にしよう。書道は長く続けられるからいいですね。米寿になっても続けられるように今しっかり基礎を固めておきたい。(一応78歳で死ぬのが目標なんだけれど、そうは簡単に行きそうにないから)

 そういうわけで、来年もまたどんどん新しいことに挑戦し、今やっておかなくちゃと思うことをどんどんやっていきたいです。

 そんなことを思う晩秋。

 

 先日、父に同行して滋賀県信楽まで旅行してきました。(行って初めて知ったのですが、かの地に聖武天皇が740年に『紫香楽宮(しがらきのみや)』という離宮の造営したことから「しがらき」という地名がついたそうです。そのためか、信楽というよりも紫香楽と書かれている標識のほうが多かったです)。閑話休題。天気もよくて、とても楽しい旅行だったのですが、それ以上に私にとって実りが多いものとなったのは、父とゆっくり話ができたことでした。

 これまでも断片的に話は聞いていたけれど、2時間以上にわたって語ってもらったのは初めてで、私はもちろん興味深かったが、父は父で「あれ? 子どもの頃は何して遊んどったんかな?」とか「ちょっと待て。あのおじさんは戦争はどの部隊やったか? そうや、中国北方やな」とか、と記憶を手繰り寄せながら語るのが楽しかったみたいです。

 両親ともに昔の記憶をたどっていると、話が佳境に入るのはきまって戦争のときの話です。母は十代後半、父は二十代前半に第二次世界大戦が終戦を迎えたのですが「生れてからずっと、日本はあっちやこっちで戦争ばっかりしとった」と言います。そして「戦争だけはアカン。何があっても戦争だけは阻止せなあかん」というのが話の締めくくり。そのことは私たちがしっかり子どもに伝えなくてはならない、としつこく言います、はい。

 それはともあれ、両親からちゃんと聴いて遺しておかねばならないことがいっぱいあります。それが私の世代の役目なんだろうな。

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