Glamorous Life

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2011年12月

今年はいろいろなことがありました......と書きたいところですが、あまりにもいろいろなことがありすぎたせいか、一年を振り返ろうにも記憶が混乱していてまとめられません。気がついたら1年が終わろうとしていてあせった......というか。

これまで私は「何事もがんばれば(努力すれば)なんとかなる」とどこかで思い込んでいたところがありました。でも、がんばるチャンスさえ奪われる、もしくは努力するチャンスがもともとないこともあるし、努力して結果が出ることは実は非常にまれである、と思い知らされることが多い一年でした。だからといって無気力になったり自暴自棄になったりしていいわけじゃないですけれど、あきらめる勇気を持つこともこれからは必要なのだろう、と今は思っています。いくら努力してもどうにもならないことのほうが多いのだけれど、それでもやっぱり努力はしていきたいな、というところかな、心境としては。あ~ややこしくってもどかしい。

仕事は今一つでしたが、相変わらず書道にはのめりこんでいるし、中国語のレッスンもなんとか続けているし、太極拳を始めたし、前からひそかに一人でやっていたジョギングを娘と一緒に走るようになったし、趣味は本当に充実していました。問題は健康面で、ちょっと忙しくなると「あれ? あれれ?」と思っているうちに病名がつく病気で医者にかからざるをえなくなることしばしば。ほんと、気をつけなくてはなりませぬ。

来年は健康に気をつけて、仕事をもう少しなんとかしたいです。あせらず、あわてず、あきらめず。こつこつとやっていく一年にしたいな。

今年もグラマラスライフを訪れてくださり、本当にありがとうございました。

また来年も(来年は)楽しく明るい話題を書いていきたいです。

来年もまたどうぞよろしくお願いいたします。

2012年が皆様にとって、より発展する希望に満ちた一年となりますことを心よりお祈り申し上げます。

あっという間に終わってしまった2011年シーズンでした。昨年末の日記を読み返したら「2011年もガンバはあまり大きな期待はできない」とか書いていましたが、ごめんなさい、ガンバはいいほうに私のそんなペシミスティックな予想を裏切ってくれました。震災の影響でJリーグ全体がモチベーションを保つのに苦労したシーズンだったのではないでしょうか? そんななかで地力を出したガンバだった、という印象を持っています。まあね、J2昇格即優勝の柏を前にして大きなことは言えませんが。

さて、今季のMVPとベストゴールです。

MVPは文句なしにイ・グノ選手です。これはもう誰も異存がないでしょう。チームNO1の15ゴールだけではありません。彼の前への推進力、パス回しで詰まったときのドリブルからの突破、ほかのFWや前目の選手へのフォロー、かぎりない運動量と献身的な守備、どれをとってもすばらしかった。最後の最後まで「グノがいるから、きっと今日も勝てる、そして優勝できる」と信じさせてくれた選手でした。イ・グノ選手、来年もガンバで活躍してほしいけれど、きっと韓国に帰るのでしょうね。残念です。でも青黒ユニのグノ選手のことは、ずっと忘れないよ。

私が選ぶベストゴールはVS柏戦、下平選手のJリーグ初ゴールです。この試合、正直私はガンバが大敗するんじゃないかと悲観していました。アドリアーノ選手が中東に行き、全体的に沈滞ムードが漂うガンバでしたが、この試合では若手が活躍してくれました。そして下平選手の「え? そこで撃つ?」というあのループ気味のゴール! スーパーなヤットさんがいなければガンバはもう勝てないんじゃないかと思われていたとき、あのゴールは「若手もやりますよ」と言ってくれたような気がしましたよ。

はっきり言って、ガンバの昇り調子できた一時代は終わり、来季からはたいへんな時期が始まりそうです。Jリーグ自体が厳しい戦国時代に突入かな。そんななかで、ガンバがこの10年間の西野体制で築いてきたものをどのような方向で発展させていけるか? 来季も覚悟を決めて、腹をくくって、応援していきたいです。

 

 帯状疱疹にめげず、2泊3日で書道の練成会合宿に参加してきました。自分でもいろんな意味でよくやるよね、とあきれております。合宿に参加者の大半は書道歴ン十年の大ベテランで、中には先生も何人か......どころか大勢いらっしゃり、作品に圧倒されます。若手も子どものころから書道をやっていたというベテランたちで、若さあふれるすごい作品を書きます。

 そんなすごい方たちのなかに混ぜてもらうと、自分のあまりの下手さとシロウトくささに凹むのですが、それでも勉強になります。まず、筆を持って書くときの姿勢がちがう。まねっこしてみるのですが、なかなかみなさんの域には達しない。筆の握り方、立ち方、線の引き方、すべてちがう。一番ちがうと思ったのが、終筆です。簡単に言っちゃうと、私は紙の上に筆をおいて終わっているのですが、ほかの人たちは空中で終筆している。3次元で筆が動かせると、文字も3次元、もしくは文字の流れという時間軸も入れて4次元で展開する。作品を見比べるとそのちがいは一目瞭然です。

 書道は趣味として始めたのですが、趣味としての楽しさとか気分転換とかストレス解消とか、そういうところから離れていってしまいそうなくらい苦しい合宿でした。なかなか思うようにできなくて悩みが深まるばかり。もっとまともな作品を書かなくちゃとあせってストレスがたまる。乗り越えなくてはならない山を見上げてため息が出る。「作品」と言えるものを書こうとするまでには、いったいどれだけ練習して、勉強して、考えて、試行錯誤を繰り返すのかと考えると、はたして元気なうちにできるのだろうかとゆううつにさえなります。でもって、「はたしてこれは趣味なのか? そこまでやる必要があるのか?」とも考えてしまう。昨晩、合宿から帰ってくるときに、あまりの進歩のなさにがっくりしてそんなことばっかり考えてしまいました。

 でも、一晩寝て疲れが取れると「趣味として長く書道を楽しもうというつもりなら、こういうストレスや苦しさも楽しまなくちゃな」と気持ちが盛り返してきました。おもしろくて楽しい気分だけの趣味だったらきっとすぐに飽きちゃうもんね。いろいろ悩んで、乗り越えていかないと見えない世界があるはず。趣味であっても、その世界を垣間見るまでがんばろう。

西野監督と契約更新しないと告げるときにもあたふたし、次期監督との契約でも迷走ぶりをさらけだしているガンバ大阪フロントさんには、一サポーターとしてはもはや何も言うことはありませぬ。チームを若返らせることもたしかに必要だと頭ではわかっています。だから橋本選手と高木選手の移籍は覚悟をしました。そこまではため息をつくくらいで終わったのですが、今朝知った山口智選手の千葉への移籍にはどっと気落ちしました。クラブの一時代が終わったってことを一番強く実感したな。

終わったことに関してあれこれ言っても始まりません。終わったことは終わったこと。

社長が言う「ガンバの新しいステージ」がどんなものなのかさっぱり見えてきませんが、なまあたたかく見守っていこう、と思っています。今のところ、「新しいガンバ」のプラス要素はあまりなくてどちらかと言えばマイナスなんだけれど、そうだね、超楽観主義なサポーター(私)がいるっていうのが最大のプラス要素かな。

そんな気持ちを晴らそうと、年末年始は高校サッカー選手権三昧な日々を送りたいです。

「争うは本意ならねど――ドーピング冤罪を晴らした我那覇和樹と彼を支えた人々の美(ちゅ)らゴール」

木村元彦著

集英社インターナショナル

 

 読みながら3回泣いた。紹介文を書こうと先ほどもう一度ざっと読みなおして、また涙がこみあげた。それくらい心が揺さぶられる本である。

 ただし、涙を流したうちの1回の原因は怒りである。憤りと言ってもいい。一人のJリーガーに冤罪を負わせた人たちへの憤りだ。

 そして冤罪をうやむやにしないで欲しいと願った浦和レッズ、仁賀ドクターが我那覇選手に出した手紙を読みながらこぼれた涙は、その勇気と心の温かさに対しての感動からだ。

 最後にCASに訴えた我那覇選手を支えた「チーム我那覇」の皆さんが、「我那覇選手はシロ」と出たときに喜ばれるシーンでは「スポーツは、サッカーはまだ信じられる」という思いから安堵の涙がこぼれた。

 この「事件」を知らない人のために説明すると、2007年川崎フロンターレ(当時)の我那覇選手は感冒から体調を崩し、練習後にチームドクターの診察をあおいで、ビタミンB1を入れた生理食塩水の点滴治療を受けた。そのころフロンターレはACLとJリーグの試合を過密日程気味にをこなしており、チーム内のレギュラー争いも激しかった我那覇選手は体調が思わしくないのを無理して練習し、試合に出ていたのだが、それも限界に来ていてやむなくこの治療を受けたのだという。

 ところが、「風邪をひいたので点滴治療を受けた」とサンケイスポーツの記者に話したところ、翌日「我那覇 秘密兵器、にんにく注射でパワー全開」という見出しで記事が出てしまい、それを重く見たJリーグが「ドーピング違反だ」ということで本人やドクターの話を何も聞かないうちに「6試合の出場停止」という厳重処分を下した。

 私はこのときの一連の記事を今でもはっきり覚えている。「にんにく注射って何? なんかあの我那覇選手とこういう記事は似合わないなあ」とかすかな違和感をおぼえていたら、あれよあれよという間に厳重処分。

 その後、我那覇選手が個人としてCAS(スポーツ仲裁裁判所)に「ドーピング違反ではない」と訴えたことがニュースでも取り上げられ、涙をこぼしながら「子どもが大きくなったときに、お父さんがドーピングをしていたのかと思われたくない」と記者会見で訴える姿を見て、やっぱりおかしかった、という思いを強くした。そのことはこのブログでも書いた。その後私も、裁判費用(3400万円以上。我那覇が自己負担した)をまかなうために彼の仲間たちが起こした「ちんすこう基金」にわずかではあるけれど寄付したり、興味を持って成り行きを見守っており、そして案の定とも言うべき「シロ」の裁定が下ったときにはひそかに祝杯をあげた。

 本書はそんな「冤罪」がなぜ起きたのか、経緯を念入りな取材で浮かび上がらせる。そしてJリーグのドクターたちが「この処分を見逃していたら、選手の怪我や病気の緊急時に治療ができなくなってしまう」という危機感から立ち上がり、「ドーピング規定」を明確にすることに尽力した姿が描かれる。冤罪の原因となったのが、浅はかとしか言いようがない名誉欲や権力欲からくる保身だ。それに対して「おかしい」と声をあげるドクターたちと我那覇選手自身の勇気と潔さが、よけいに際立つ。最初に「冤罪」の原因をつくった上に、詭弁を弄して非を認めない人々への憤りから歯ぎりしりをしていたのだが、読み進めるうちに「チーム我那覇」の皆さんの勇気とがんばりに温かいものがひたひたとこみあげてきた。

 でも、憤りは消えない。Jリーグは罰金として川崎フロンターレに科した1000万円を一刻も早く返還すべきだし、関係者(サンケイスポーツの記者も含む)は全員我那覇選手と後藤ドクターに謝るのが人としての筋だと思う。組織が、形式が、規則が、とか言う前に、まず守らなくてはならないのは自分の身ではなく選手ではないだろうか。そもそも選手を大事にしない組織って何なんだろう?

 2007年のあの記事のときからくすぶっていた疑問を、本書は見事に解き明かしてくれた。この本を勧めたらさっそく読んだサッカーファンからこんな感想をもらった。

「我那覇選手はJリーグを救いましたね。救われた方々はそれに気づいていないようですが」

 我那覇選手だけではなく、この本を書いた木村元彦さんもJリーグと、そのファンと、そして日本のサッカーを救った、と思う。そのことに感謝したい。

 

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